始まりの場所
文字数 3,416文字
もうすぐ、午後の鍛錬が始まろうかという時間。
「メイリのヤツ、どこまで探しに行ってんだ?」
集まり始めた大勢の子供たちを前に、ヴァイノは銀髪の頭をぼりぼりとかいた。
ジーグは「子供たちの指導は若い者の仕事だ」と言って、手も口も出さずに、見守る姿勢を崩さない。
アスタもメイリも補助はしてくれるが、鍛錬ではヴァイノが中心となって場を仕切っている。
なぜならば。
「デンカはふくちょ係だしよぉ。ふくちょはふくちょでポンコツになってるしよぉ」
思わず声に出して文句を言いながら、ヴァイノは空を見上げる。
「ったく肝心の竜騎士どもは、どこでイチャコラしてんだぁ?ったく~!」
「昼はふたりで過ごす」と言ったレヴィアを見送ったときから、嫌な予感はしていた。
ヴァイノに背を向けたその瞬間に、ふたりの間には、甘ったるい空気が流れていたから。
「ねー、ヴァイノぉ、まだぁ?」
救護院の子供のひとりが、ヴァイノ袖 を引っ張る。
「あー、もうちょっと、もうちょっとな」
「ヴァイノ様。まだお時間があるなら、お茶でもしていませんか?」
街の子供たちに付き添ってきた少女が、肩が触れ合うほどの距離で、ヴァイノを見上げて微笑んだ。
「そーだな。まだ来ねぇかもだし、……ん?」
妙な視線を感じて、ヴァイノが救護院を振り返ると。
「げぇっ」
美しい金髪を束ねた可愛い顔が、半分だけ厨房の裏口からのぞいていた。
「……フロラっ……。いや、あのさ、もうすぐ来ると思うからさ!お茶、あとで、あとでなっ」
「まあ残念。では、あとで。……必ずですよ?ヴァイノ様」
少女はしなを作りながら、ヴァイノの肩をちょんと指先で突く。
「そう、ね。……はは、はははは」
「トーラの銀狼 !あれ!」
背中に刺さる視線に震えるヴァイノの背中を、街から来た少年がバンバン!と叩いた。
「わあ!」
「銀狼 !あれ、竜だよね?」
「見て銀狼 、ほらこっち!」
「ちょ、こら、どこ行くんだ、待てって」
空を見上げて走る子供たちを、ヴァイノは牧羊犬のように追いかける。
「意外。ヴァイノって、子供の相手上手ね」
「いや、見てねぇで助けろよ、アスタ!……おい、転ぶぞ!待てって言ってんだろぉ!」
(銀狼 っていうより、子犬同士がじゃれてるみたい)
アスタはひっそりと笑って、はしゃいで逃げる子供たちの捕獲に乗り出した。
◇
騒乱に大きな功績を上げたヴァイノの二つ名は、すでにトレキバにも轟 いている。
菓子屋の店主、あのガーティにまでその名で呼ばれたときには、ヴァイノの顔は真っ赤に燃え上がった。
「よぉ、トーラの銀狼 !今日は何をお買い上げでしょうかね」
「ぐぅ……。ぜ、全部買ってやるぜっ」
「はぁ?……バカやろが!」
財布を出したヴァイノの耳を引っ張り、ガーティが一喝する。
「その財布の中身は、お前が命を張って稼いだ金だろうがっ。無駄遣いすんじゃねぇよ。まだ金の使い方、わかんねぇのか!」
「いててて、ちげぇよ!いつもはこんなこと、しねぇけどっ。でも、ずいぶんメーワクかけたし、お返しっていうか……」
市場で「悪童ヴァイノ」と呼ばれていたころの面影など、まったくなく。
背も伸び、体格もよくなって。
まるで別人のような軍服の少年を見上げ、ガーティが「ガハハ!」と笑った。
「銀狼 はトーラを守ってくれたんだろ。それ以上のお返しなんかあるかよ。……よく、生きて戻ったな。おかえり」
帰国してから、同じような言葉を幾たびも聞いたけれど。
「……ありがとう。ただいま!」
ことさら心に沁 みたヴァイノは勢いよく頭を下げて、目に浮かんだ涙を隠した。
◇
救護院の子供のひとりが、手をまっすぐに空に伸ばした。
「青竜 だよ、見えたよ!」
子供たちが一斉に立ち止まって、同じように空を見上げる。
「わあああ!」
「きれー!」
「すげぇっ!」
「おお~」
額に手をかざして、雲ひとつない晩秋の空を仰ぎ見れば。
青藍の羽根に陽を反射させた青竜が、悠然と羽ばたいていた。
「空の王のご帰還だ」
ヴァイノのつぶやきは風に紛れて、誰の耳にも届かなかったけれど。
だんだんと近づいてくる王子に視線を定めて、レヴィアは胸に手を当てた。
あれが、生涯仕えると決めた己の主 。
空を統 べる力と身分を持ちながら、共に生きようと言ってくれた友。
(レヴィア・レーンヴェスト殿下)
ヴァイノはその姿勢を崩さずに、しばらくトーラの王子にまなざしを送り続けた。
しばらくして。
「お、着陸態勢に入ったな。ほら、スィーニが降りらんねぇから」
旋回を繰り返しているスィーニに気がついて、ヴァイノは子供たちの肩をポンポンと叩いて回る。
「そこ!ちょっとこっち来いっ。踏みつぶされっぞ」
ヴァイノの声掛けに、子供たちがきゃあきゃあと笑いさざめきながら、走り集まってきた。
子供たちの憧れのまなざしが集まるなか、竜騎士ふたりを乗せた青竜が舞い降りてくる。
「おっせぇよ!」
銀狼 の怒鳴り声に苦笑いを返して、第二王子はひらりと青竜から飛び降りた。
「きゃあ!」
「青竜かっけぇ!」
「王子さまぁ!」
子供たちと、約一名の少女のはしゃぎ声が辺りにこだまする。
「ふふっ、レヴィは人気者だな」
「あの、えと、引っ張らないで……」
子供たちに取り囲まれたレヴィアが、眉毛を下げてアルテミシアを振り返った。
「スィーニを戻したら追いかけるから」
「すぐに来てね」とでも言いたげなレヴィアに、ひとつうなずいて。
スィーニの手綱 を取ったアルテミシアは、背後の気配にぐるん!と首を回した。
「メイリに怒られたでしょう」
したり顔の従者に、アルテミシアが半眼になる。
「さてはジーグだな?あの場所を教えたのは」
「いいえ?ロシュに心当たりを探してくれと頼んだだけですよ。トレキバ滞在中に、たびたび姿を消されては困ります。……今回は昼寝をしなかったようですね」
「ホントに従者らしからぬ従者だな」
「師匠ですから」
「食えない師匠だな」
「師匠は食うものではありません。超えていくものです」
「そのうち超えてやるからな」
「楽しみにしております」
背中に飛び乗ってきた子供をあやすヴァイノと、まとわりつく子供たちの頭をなでているレヴィアを見送りながら。
師弟は笑顔で軽口の応酬を続ける。
「なあ、ジーグ」
「はい」
「すべては、ここから始まったんだな。ここで震えていた小さなレヴィアが、私たちを助けてくれた、あの日から」
「はい」
スバクルの激戦を潜り抜けた王子と銀狼 が、笑い声を弾けさせて訓練場へと消えていった。
「一寸先は闇と言うけれど、光である場合もあるのだな」
「闇か光かは見る角度、見る人間によって変わります。そして、闇を光に変える、また光を闇に変えてしまう力が、”出会い”にはあるのです」
ジーグはアルテミシアの肩に優しく、その大きな手を置いた。
「これから待ち受ける扉も、安寧 なものばかりではありますまい」
(リズィエを欲しがる人間は、
「おふたりが開く扉がどんなものであれ、私の一生をかけて守り、従いましょう」
「……ありがとう」
鮮緑 の瞳が、絶対の信頼でジーグを見上げる。
「ほら、スィーニが退屈していますよ。早く休ませてあげてください」
「ああ、ごめん、スィーニ。今日のお礼は林檎でどうだ?」
「クルルっ!……ク、くるる」
「ふふふ、もうレヴィにもバレたんだから、気にするな」
「……リズィエ、最近のお言葉は」
「そうだ、ジーグ!」
お説教が始まりそうな雰囲気に、アルテミシアが早口になった。
「レヴィと話してたんだ。今夜はホロホロ鳥を焼いて、子供たちと外で夕飯を食べようって。だから用意を頼むな!」
「はい?」
「頼んだからな!スィーニ、行くぞ!」
小走りで去っていく主 に呆れながらも、ジーグは恭 しい礼をとる。
そして。
「貴女 の行く道に、どれほどの困難があろうとも。決してお側を離れません」
自分に言い聞かせるように小声で宣言してから、ジーグはゆっくりと踵 を返した。
(さて)
ホロホロ鳥は何羽必要だろうか。
アルテミシアも料理をするとなると、当然大き目のものを用意しなくてはならない。
レヴィアが付きっきりで面倒をみてくれるだろうが、あの人数分の食事だ。
臨時の料理人も手配しなくては。
主 の願いを叶えるための算段を、胸の内でつけながら、ジーグは救護院の門をくぐる。
何重にも響き合う、楽しそうな若い声を背中で聞きながら、ジーグは街を目指して歩き始めた。
「メイリのヤツ、どこまで探しに行ってんだ?」
集まり始めた大勢の子供たちを前に、ヴァイノは銀髪の頭をぼりぼりとかいた。
ジーグは「子供たちの指導は若い者の仕事だ」と言って、手も口も出さずに、見守る姿勢を崩さない。
アスタもメイリも補助はしてくれるが、鍛錬ではヴァイノが中心となって場を仕切っている。
なぜならば。
「デンカはふくちょ係だしよぉ。ふくちょはふくちょでポンコツになってるしよぉ」
思わず声に出して文句を言いながら、ヴァイノは空を見上げる。
「ったく肝心の竜騎士どもは、どこでイチャコラしてんだぁ?ったく~!」
「昼はふたりで過ごす」と言ったレヴィアを見送ったときから、嫌な予感はしていた。
ヴァイノに背を向けたその瞬間に、ふたりの間には、甘ったるい空気が流れていたから。
「ねー、ヴァイノぉ、まだぁ?」
救護院の子供のひとりが、ヴァイノ
「あー、もうちょっと、もうちょっとな」
「ヴァイノ様。まだお時間があるなら、お茶でもしていませんか?」
街の子供たちに付き添ってきた少女が、肩が触れ合うほどの距離で、ヴァイノを見上げて微笑んだ。
「そーだな。まだ来ねぇかもだし、……ん?」
妙な視線を感じて、ヴァイノが救護院を振り返ると。
「げぇっ」
美しい金髪を束ねた可愛い顔が、半分だけ厨房の裏口からのぞいていた。
「……フロラっ……。いや、あのさ、もうすぐ来ると思うからさ!お茶、あとで、あとでなっ」
「まあ残念。では、あとで。……必ずですよ?ヴァイノ様」
少女はしなを作りながら、ヴァイノの肩をちょんと指先で突く。
「そう、ね。……はは、はははは」
「トーラの
背中に刺さる視線に震えるヴァイノの背中を、街から来た少年がバンバン!と叩いた。
「わあ!」
「
「見て
「ちょ、こら、どこ行くんだ、待てって」
空を見上げて走る子供たちを、ヴァイノは牧羊犬のように追いかける。
「意外。ヴァイノって、子供の相手上手ね」
「いや、見てねぇで助けろよ、アスタ!……おい、転ぶぞ!待てって言ってんだろぉ!」
(
アスタはひっそりと笑って、はしゃいで逃げる子供たちの捕獲に乗り出した。
◇
騒乱に大きな功績を上げたヴァイノの二つ名は、すでにトレキバにも
菓子屋の店主、あのガーティにまでその名で呼ばれたときには、ヴァイノの顔は真っ赤に燃え上がった。
「よぉ、トーラの
「ぐぅ……。ぜ、全部買ってやるぜっ」
「はぁ?……バカやろが!」
財布を出したヴァイノの耳を引っ張り、ガーティが一喝する。
「その財布の中身は、お前が命を張って稼いだ金だろうがっ。無駄遣いすんじゃねぇよ。まだ金の使い方、わかんねぇのか!」
「いててて、ちげぇよ!いつもはこんなこと、しねぇけどっ。でも、ずいぶんメーワクかけたし、お返しっていうか……」
市場で「悪童ヴァイノ」と呼ばれていたころの面影など、まったくなく。
背も伸び、体格もよくなって。
まるで別人のような軍服の少年を見上げ、ガーティが「ガハハ!」と笑った。
「
帰国してから、同じような言葉を幾たびも聞いたけれど。
「……ありがとう。ただいま!」
ことさら心に
◇
救護院の子供のひとりが、手をまっすぐに空に伸ばした。
「
子供たちが一斉に立ち止まって、同じように空を見上げる。
「わあああ!」
「きれー!」
「すげぇっ!」
「おお~」
額に手をかざして、雲ひとつない晩秋の空を仰ぎ見れば。
青藍の羽根に陽を反射させた青竜が、悠然と羽ばたいていた。
「空の王のご帰還だ」
ヴァイノのつぶやきは風に紛れて、誰の耳にも届かなかったけれど。
だんだんと近づいてくる王子に視線を定めて、レヴィアは胸に手を当てた。
あれが、生涯仕えると決めた己の
空を
(レヴィア・レーンヴェスト殿下)
ヴァイノはその姿勢を崩さずに、しばらくトーラの王子にまなざしを送り続けた。
しばらくして。
「お、着陸態勢に入ったな。ほら、スィーニが降りらんねぇから」
旋回を繰り返しているスィーニに気がついて、ヴァイノは子供たちの肩をポンポンと叩いて回る。
「そこ!ちょっとこっち来いっ。踏みつぶされっぞ」
ヴァイノの声掛けに、子供たちがきゃあきゃあと笑いさざめきながら、走り集まってきた。
子供たちの憧れのまなざしが集まるなか、竜騎士ふたりを乗せた青竜が舞い降りてくる。
「おっせぇよ!」
「きゃあ!」
「青竜かっけぇ!」
「王子さまぁ!」
子供たちと、約一名の少女のはしゃぎ声が辺りにこだまする。
「ふふっ、レヴィは人気者だな」
「あの、えと、引っ張らないで……」
子供たちに取り囲まれたレヴィアが、眉毛を下げてアルテミシアを振り返った。
「スィーニを戻したら追いかけるから」
「すぐに来てね」とでも言いたげなレヴィアに、ひとつうなずいて。
スィーニの
「メイリに怒られたでしょう」
したり顔の従者に、アルテミシアが半眼になる。
「さてはジーグだな?あの場所を教えたのは」
「いいえ?ロシュに心当たりを探してくれと頼んだだけですよ。トレキバ滞在中に、たびたび姿を消されては困ります。……今回は昼寝をしなかったようですね」
「ホントに従者らしからぬ従者だな」
「師匠ですから」
「食えない師匠だな」
「師匠は食うものではありません。超えていくものです」
「そのうち超えてやるからな」
「楽しみにしております」
背中に飛び乗ってきた子供をあやすヴァイノと、まとわりつく子供たちの頭をなでているレヴィアを見送りながら。
師弟は笑顔で軽口の応酬を続ける。
「なあ、ジーグ」
「はい」
「すべては、ここから始まったんだな。ここで震えていた小さなレヴィアが、私たちを助けてくれた、あの日から」
「はい」
スバクルの激戦を潜り抜けた王子と
「一寸先は闇と言うけれど、光である場合もあるのだな」
「闇か光かは見る角度、見る人間によって変わります。そして、闇を光に変える、また光を闇に変えてしまう力が、”出会い”にはあるのです」
ジーグはアルテミシアの肩に優しく、その大きな手を置いた。
「これから待ち受ける扉も、
(リズィエを欲しがる人間は、
あの男
だけではないだろう。けれど)「おふたりが開く扉がどんなものであれ、私の一生をかけて守り、従いましょう」
「……ありがとう」
「ほら、スィーニが退屈していますよ。早く休ませてあげてください」
「ああ、ごめん、スィーニ。今日のお礼は林檎でどうだ?」
「クルルっ!……ク、くるる」
「ふふふ、もうレヴィにもバレたんだから、気にするな」
「……リズィエ、最近のお言葉は」
「そうだ、ジーグ!」
お説教が始まりそうな雰囲気に、アルテミシアが早口になった。
「レヴィと話してたんだ。今夜はホロホロ鳥を焼いて、子供たちと外で夕飯を食べようって。だから用意を頼むな!」
「はい?」
「頼んだからな!スィーニ、行くぞ!」
小走りで去っていく
そして。
「
自分に言い聞かせるように小声で宣言してから、ジーグはゆっくりと
(さて)
ホロホロ鳥は何羽必要だろうか。
アルテミシアも料理をするとなると、当然大き目のものを用意しなくてはならない。
レヴィアが付きっきりで面倒をみてくれるだろうが、あの人数分の食事だ。
臨時の料理人も手配しなくては。
何重にも響き合う、楽しそうな若い声を背中で聞きながら、ジーグは街を目指して歩き始めた。