過去との決別 -1-

エピソード文字数 3,907文字

 両国騎士たちは廊下に出たところで、左右に分かれて客間へと案内を受けた。
「では、おやすみなさい」
 挨拶を交わし合い、ジーグとアルテミシアがしばらく歩いたとき。
「テムラン殿!」
 背後からディデリスの声が追いかけてきた。
 二人が振り返ると、別れた場所から一歩も動いていないディデリスが何かを掲げている。
 副隊長と案内人の姿はすでにない。
「お忘れ物ではありませんか!」
 廊下に()え置かれた松明(たいまつ)に照らされているディデリスの手の中に、小ぶりの刃物が見えた。
 アルテミシアは驚いて腰帯に手を伸ばす。
 常に身に付けている、サラマリス家紋章入りの小刀が消えていた。
「…いつの間に」
 ジーグが(うな)った。
「ディデリスは腕利きのスリになれるわね。…行ってくるわ。先に部屋に下がっていて」
「しかしリズィエ」
「お世話になった友好国で、無体はしないでしょう。先ほどはお酒も飲んでいなかったし。ジーグがいては、あの人は話さない」
「それはそうでしょうが…。そんな甘い男ではないですよ」
「そう、ね。でも、いつか話をしなければならない。今日が良い機会なのかも」
 ジーグは気遣わしそうな重いため息をつく。
「くれぐれも十分お気を付けください。何かされそうになったら、斬り殺して構いません。後の処理はどうにでも致します。ためらわずに」
 冗談を言っているわけではないらしいジーグに、アルテミシアもうなずき返した。

「竜泥棒を疑う国の方が、盗みを働くとは」
 アルテミシアはディデリスが待つ場所まで戻ると、十分距離を取って右手を差し出す。
「疑っていない。盗んでもいない。借りただけだ」
 ディデリスは手にしていた小刀を、素直にアルテミシアに返した。
「貸してって言った?」
 アルテミシアは呆れながら小刀を腰帯に戻す。
「もちろん」
「嘘」
「心の中で」
 先ほどの会談では決して見せなかった、温かな笑顔がディデリスに浮かぶ。
「相変わらずね。元気そうで何より」
「元気でなどあるものか」
 素直な心根を感じさせるディデリスの声に、アルテミシアは思わず目を上げた。
 翡翠(ひすい)色の瞳が松明(たいまつ)に潤んでいる。
「許してもらえるとは思わなかったが、それでも謝りたかった。なのに謝る前にお前は消えた。ここ最近は、隊にもろくに顔を出していない。本当に全部、どうでもよかったからな」
 ディデリスが一歩、アルテミシアに近づく。アルテミシアが一歩、後ろに下がる。
「北国の竜の話に耳を疑った。お前の関与が考えられる話に胸が躍った。そこからまた、俺の時間は動き出したんだ」
 ディデリスが一歩、もう一歩とアルテミシアに近づいていった。
 薄暗闇でも目を引く美貌(びぼう)が間近に迫ったとき、やっとアルテミシアは気がついた。
 壁際に追い詰められている。
(いつの間に!)
 アルテミシアは見上げる瞳に警戒を込めた。
 互いの体温が感じられるほどの距離でディデリスが微笑みかけている。端正な顔には余裕がにじむ。
 ディデリスが壁に左肘をついて、アルテミシアを(いだ)くように体を寄せた。そしてその耳に低い美声を吹き込む。
「それで、“ここで話せないこと”とは何だ?」 
 確かに他人に聞かれたくない話ではある。それにしても距離が近い。
「ディデリス、少し離れて」
「嫌だと言ったら?」
「ジーグに斬り殺していいと言われているわ」
「まだ何も。しようともしていない」
「…もお」
 この賢い従兄(いとこ)は、ジーグがアルテミシアに言い渡した内容などお見通しなのだろう。
 憤慨している従妹(いとこ)の懐かしい口癖に、ディデリスはアルテミシアの耳元で笑った。
「ああ、本物のアルテミシアだ!夢ではないのだな。夢の中で何度もお前に会った。でも触れようとするとお前は消えてしまう。会いたかった。本当に会いたかったんだっ。怪我はもういいのか?後遺症などはなのか?ないのなら、抱きしめてもいいか」
「それは殺していい範疇(はんちゅう)に入るわ」
 アルテミシアはにらみ上げるが、それすら愛おしいとディデリスの目が語っている。
 なるほど。
 酒が入っていようといまいと、「そんなに甘くない男」なのだとアルテミシアは痛感した。これはすぐにでも本題に入ったほうがいい。
「ディデリス、赤竜の数は確認できている?」
「…どういう意味だ?」
 ディデリスは少し顔を離し、アルテミシアの瞳を(いぶか)しそうに見つめた。
「他国に竜が、という話が入ってきてすぐに、赤も黒も入念に確認をした。契約の済んでいない竜、育成中の竜含め、すべて台帳の通りだった」
「台帳にあるほうはいいの。載っていない竜」
「台帳に、載っていない?」
 ディデリスの形の良い(まゆ)が不審げに寄せられる。
「赤の惨劇には竜が使われたと思うの。台帳にない、正式に育てられていない仔が。…ただ確証はないわ。私も背を切られて、すぐに意識が飛んでしまったから」
「…竜族に、裏切り者が?」
 その可能性は常に頭にあった。
 あれほどの惨禍(さんか)をわずかな痕跡も残さず、もしくは巧妙に隠してやってのけた。それには竜が関わっているのではないかと。主犯ではなくとも、何らかの関与をした者が竜族にいたのではないかと。
 だが今まではそんなことも何もかも、どうでもよかった。それを暴いたところで、アルテミシアも叔父一家も帰ってはこない。
 だが事情は変わった。そいつのせいでアルテミシアが奪われたのだ。
 翡翠(ひすい)色の瞳が不穏に細められた。
「可能性は否定できないわ。でも、ジーグともずっと話をしているのだけれど、あり得ると思う?サラマリスの協力がなくて、隠れて赤竜を育成することができると思う?」
「俺や、俺の家族は疑わないのか」
 皮肉な笑顔でディデリスは尋ねる。
 こんなにも警戒しながら、アルテミシアのディデリスに対する信頼は一片の揺らぎもないようだ。
「ディデリスはそんなことはしないわ。ルドヴィク伯父様は、サラマリス家と竜に対して人一倍思い入れが強くていらっしゃる。あなたの弟、ベネディスは国外へ留学中。…今日一緒だった、クラディウス伯父上」
「あんな奴、伯父なんて呼ばなくていい」
「連れてきたくせに」
「グイドをともにと言ってきたんだ。お前がいる可能性があるのにとんでもない。断ったら、代わりにあの死にぞこないがついてきた」
「…もお。…クラディウス・ドルカ」
「そうだな。あの態度は違和感がある。わかった。殺さない。吐かせてやる」
 言葉を重ねなくても、ディデリスはアルテミシアが言いたいことを瞬時に理解していた。
「任せろ。上手くやってみせる。それで…」
 ディデリスが再びアルテミシアの耳元に唇を寄せる。
「首謀者がわかったら、トーラに会いにいく」
「書状で十分」
 アルテミシアはディデリスの胸を押し返したがびくともしない。
「書状は漏えいの危険性もある。直接伝える」
「本当に離れてディデリス!私、まだ謝ってもらっていないし、許してもいないわ」
「悪かった。許せ」
 あまりにも軽い謝罪にアルテミシアは声を荒らげた。
「反省していないじゃない!」
「反省はしている。ほかに何が必要だ。どうすればお前は俺のものになってくれるんだ」
「ディデリス、サラマリス同士は、」
「言うな」
 強い声で(さえぎ)り、ディデリスはその大きな手でゆっくりと、アルテミシアの体の線をなぞるようになで下ろす。
 アルテミシアの全身がこわばった。
「…こんな格好をさせられて。こんなに可愛くてきれいなお前を、トーラの奴らは間近で目にしているのかっ。腹立たしい。このまま連れ帰りたい。もうどこにもやりたくないっ」
「私はきれいなんかじゃない!竜族の特徴が強いから、あなたにはそう見えるだけだわ!」
「竜族の特徴?そんなものは関係ない。髪や瞳が何色だろうとお前は可愛い。レヴィア殿下とやらはどんな奴だ。なぜお前は(あるじ)と仰ぐ。そいつのために竜を育てたのか。そいつさえいなければ、お前は帝国へ戻るのか」
 ディデリスはアルテミシアの(あご)に手をかけ、強引に上を向かせる。
 翡翠(ひすい)のまなざしが食い入るように注がれ、口元が優しげに(ほころ)んだ。
「お前は戦う必要なんてない。俺が守ってやる。戻ってこい。お前のいるべき帝国へ」
 揺れる新緑の瞳から目をそらさず、ディデリスはゆっくりと顔を傾け近づける。
「口付けをしてもいいか」
 アルテミシアの唇に、ディデリスの吐息が掛かった。
「いいわけないでしょうっ!」 
 あまりの距離の近さに、アルテミシアの抗う声は(ささや)きになってしまう。
「何度もしたじゃないか」
「そのあとジーグに“ぼっこぼこ”にされているじゃない!」
「“ぼっこぼこ”?」
「トーラ語よっ!さんざん痛めつけられたでしょうって意味よっ」
 泣きぼくろを持つ艶麗な瞳が細められ、さらにアルテミシアとの距離を(せば)めた。
「トーラ語なんて使うな。本当にするぞ」
 ディデリスが言葉を紡ぐと、二人の唇が微かに触れ合う。
 アルテミシアの背に冷たいものが走った。
「今度こそ許さないわっ!」
「今は許してくれているのだな」
「ディデリスっ!」
 震える声でアルテミシアは(とが)めるが、体は動かない。
 ディデリスの大きな両手がアルテミシアの(ほほ)を優しく包みこみ、そしてそのまま唇を重ねる素振りを見せた。
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