惨劇の夜

エピソード文字数 4,960文字

 アルテミシアの率いる赤竜軍第三部隊は、初の皇帝外遊警護の任務を授かり、そのための準備に追われていた。
「隊の新設一年目にして、素晴らしい栄誉ですね、隊長!」
 赤竜族アモリエ家の女性竜騎士が、満面の笑みで隊長室に入ってくる。その手には一通の書類が握られていた。
「栄誉などではないわ」
 書類を受け取るアルテミシアの声には元気がない。
 どんな任務でも前向きに取り組んできたアルテミシアらしくない様子に、女性騎士は首を(かし)げた。
「何かありましたか?気にかかることでも?」
「いえ、特にないわ。ごめんなさい、余計な心配をかけて。ただ、初の外遊警護だから。諸国から(あなど)られてはいけないと思って。それでなくても“娘っこ部隊”と呼ばれているのだもの」
 わざと冗談めかして、アルテミシアは悪戯(いたずら)そうに笑ってみせる。
「そんなことを言うのは、何ひとつわかってない奴らだけです!」
 女性騎士が血相(けっそう)を変えるほど(いきどお)った。
「隊長の騎竜(きりゅう)する勇姿を見たことがないからですよ!」
 アルテミシアは思わず笑顔になる。
 彼女は古参の竜騎士ではあるが、アルテミシアの竜術には心からの敬意を払ってくれているのだ。
「ありがとう。気にしているわけではないの。書類は目を通しておくわ。急ぎ?」
「はい。緊急ではないが、なるべく早く回答が欲しいと。グイド・ドルカ副隊長代理からのご伝言です」
 現在第二隊は隊長が不在のため、副隊長のカイ・ブルムが隊長代理、一等騎士グイド・ドルカが副隊長代理を務めていた。
 ドルカ家も赤竜族の一家であり、現在サラマリス、アモリエ、ドルカ、この三家で赤竜族は構成されている。
「了解した。もう時間でしょう。あなたは帰宅して構わないわ」
「隊長は残られるんですか?」
「なるべく早くという依頼なら、それなりに緊急性があると思うの」
「かしこまりました。では、お先に」
 女性騎士は敬礼し、隊長室を後にした。
 書類上とはいえ、グイドと直接やり取りをするのは久し振りだ。
 四つ年上のグイドとは、幼いころから赤竜一族の集まりで、顔を合わせては遊んだ仲である。
 しかし、少し前に打診されたドルカ家からのグイドとの縁談を断ってからは、その後すぐにグイドが国境紛争地に派遣されたこともあり、顔を合わせることなく今に至っていた。
 たたまれた書類の表書きには、グイドの几帳面(きちょうめん)で繊細な文字が並んでいる。
「ふふ」
 思わず(ひと)り笑いが漏れた。
「書類はグイドのほうがいいわ。読みやすい」
「カイ副隊長は字が汚いからね。デキる男だけど」
 許可を求める合図と同時に扉が開き、ひとつに束ねられた赤土色の髪がさらりと揺れる。
「グイド!久しぶりね。元気だった?でも、扉は返事を待ってから開けて」
 幼いころと変わらない、いつも笑っているようなとび色の瞳をアルテミシアは軽くにらんだ。
「ごめん。早く顔が見たくて」
 陽気な笑顔を浮かべてグイドが入ってきた。縁談話など、まるでなかったかのように。
「あの、グイド。この前の話、」
「ああ!いいんだ!」
 アルテミシアに続きを言わせず、グイドは明るく笑う。
「家同士の話だ。それに」
 グイドはゆっくり近づいてくると、隊長席の机の端に浅く腰を掛けた。

考えられないんでしょ?だよね。隊長になったばかりだものね。落ち着いたら、また考えてもらえればいいからさ」
 アルテミシアは困惑気味にグイドを見上げる。
「でも貴方(あなた)の望みは、」
「ところでそれ。読んでくれた?」
 グイドはアルテミシアの言葉を再び(さえぎ)り、アルテミシアが持つ書類を示した。
「今読もうと思っていたところよ。急ぎなのね?…ん?」
 文面に目を通していくうちに、アルテミシアの(まゆ)怪訝(けげん)そうに寄っていった。
「グイド、これ仕事?」
 書類には、「今夜にでも食事を一緒にどうかな」と書かれている。
「緊急じゃないけど、急ぎ。今夜が駄目なら、いつ空いてる?」
 いつになく押しの強いグイドの態度に、アルテミシアは内心首をひねった。
「ごめんなさい。出立(しゅったつ)まで時間はないわ。第一部隊長と随伴(ずいはん)の打ち合わせもしたいし」
「そんなの、いつだって君の屋敷で、できるじゃないか。バシリウス隊長は君の父上だもの」
「そう、だけど」
 口ごもるアルテミシアの(くれない)の髪を一房、グイドは手を伸ばし(から)め取る。
「俺だって随伴(ずいはん)の話はできるし、一隊員の経験も貴重だよ?俺はディデ(にい)と違って、隊長同士の話はできないけどさ」
「グイド、また“ディデ(にい)”になってるわよ」
 グイドはふと気が緩むと、同族出身の所属隊長を幼いころの愛称で呼ぶ(くせ)があった。
 それが微笑ましくて、アルテミシアは柔らかな笑顔を浮かべる。
「あー、ついね」
 グイドは自嘲(じちょう)めいた笑顔を返してきた。
「君の前だとね」
「ええ、大丈夫よ」
 子どもっぽい(くせ)を、決して(わら)ったり責めたりしないアルテミシアをグイドはじっと見つめ、その手に握り締めた髪に唇を寄せる。
「君だけだよ。馬鹿にしないでいてくれるのは。…有難(ありがた)くて泣けてくる」
 こんなグイドは初めてだ。
 (まばた)きもせずに見つめてくるそのまなざしは、まるで見知らぬ青年のようだった。
「食事が無理なら、お茶くらいは?城下通りに洒落(しゃれ)甘味(かんみ)を出す店ができたって、うちの隊の女性陣が言っていたよ。ね、行こう!(おご)るからさ!」
 グイドが巻き毛から手を離し、机の上に置かれたアルテミシアの手を握った。
 何の話があるのか。
 アルテミシアは困惑する。
 ただの世間話や、随伴(ずいはん)警護上の助言をしたいわけではないだろう。
 第二部隊長が不在の今、グイドの話を聞くことが良いのか悪いのか。
 頼りのジーグは随伴路(ずいはんろ)の確認のため昨日から出掛けていて、まだ戻ってきていない。
 縁談を断った後ろめたさもあり、アルテミシアは渋々うなずく。
「…それなら、一刻(いっこく)だけね」
 グイドのとび色の瞳がゆっくりと、深い笑みを(たた)えていった。
「いいよ、それで。一刻(いっこく)もらえれば。…満足だよ」

 アルテミシアの話を聞きながら、ジーグの眉間(みけん)には深いしわが刻まれていた。
「グイドがどうしてお茶なんかに誘ったのか。…本音は結局わからなかった」
 鮮緑(せんりょく)の瞳が重く伏せらる。
「グイドが連れて行ってくれた店から帰る途中、街の皆が騒いでいた。”サラマリス邸が燃えている“って。…そんなはずはないって思ったけれど、遠くに黒い煙が…」
 アルテミシアの声がかすれていく。
「すぐに帰っていればって後悔して…。でもどうにもならなくて…」
 言葉を失ったように、しばらくアルテミシアは黙り込んだ。
「…屋敷は全部、全部燃えていた」
 絶望を音にしたような声で、アルテミシアは続ける。
「入った瞬間、全身がしびれるみたいに…。それでも客間まではたどり着いて…。バシリウスとマイヤが倒れていた。ラキスかフェティの泣き声が、聞こえて…。あの子たちだけでも、助けたかったのに…!」
 (こぶし)を震わせながら、アルテミシアは強く唇を()む。
 レヴィアは静かに席を立った。
 そして一人分だけお茶を淹れ、そこに蜂蜜を一匙(ひとさじ)垂らした。
「…よかったら、飲んでみて」
 涼しげな香草(こうそう)と濃厚な蜂蜜の香りが、湯気とともにアルテミシアに届く。
「…ありがとう」
 (ささや)くように礼を言うと、アルテミシアはゆっくりと茶を口に含んだ。
 切れた唇に熱い茶がしみて、蜂蜜の甘さとレヴィアの心遣いが身にしみた。
「竜を見た、と思うんだ」
 アルテミシアは茶碗をゆっくりと作業机に置く。
「玄関広間から客間へ続く、薄く開いた扉の向こう。動く影が二つあった。一頭は何か不思議な姿だった。でも、すぐに意識が飛んでしまったから、確証はないんだがな」
「戻ってみれば、屋敷は火の海だった。燃えるがれきをかき分け客間に入ったとき、すでに当主ご夫妻は…」
 ジーグの瞳が熾火(おきび)のような怒りを宿す。
「リズィエは刃を受けた直後で、煙もそう多く吸ってはいなかった。だから助かった。私は竜を見ていないが、あの火の勢いは、屋敷全体が一気に燃え上がったようだった。そんなことをやってのけるには、赤竜を使う以外思いつかない」
「そんな炎を噴けるほどの竜は、バシリウス舎にしかいなかったはずだ」
 アルテミシアは瞳を曇らせる。
「その関与は考えられません。当時のバシリウス竜の

は、当主と警護役のうちの一人のみ。…私が屋敷に入ったときには、彼もすでに…」
「隠れて育成された赤竜がいたというのか…。だが、そんなことがあるだろうか。もしそうならば、誰が関与した?竜化法をどうやって知った?なぜサラマリス当主家を襲った?」
 何度繰り返しても答えの出ないやりとりに、主従はやり切れない顔で黙り込んだ。
 
 太いため息をついた後、ジーグの低い声が淡々と、アルテミシアの記憶にはない過去を話しだした。
「一晩中馬を飛ばしてサラマリス領に入り、そこからチェンタ国へ抜けた。老長の応急処置によりリズィエは命を取り留めたが、チェンタはサラマリス領から、帝国から近すぎる。だから間を置かずにトーラまで落ち延びることにしたんだ。襲われた理由がわからない以上、リズィエの生存を知られれば、追手がかかる心配があったからな」
 レヴィアは河原で出会った二人を思い出す。
 血のにじんだ布に包まれていたアルテミシア。ぼろぼろの身なりのジーグ。
「誰が、何のためにっ…。私は許さない。絶対に。あの子たちまで無残(むざん)に殺した者を。隠れて竜を生み出し、卑怯な殺戮(さつりく)の道具として利用した者を…!」
 アルテミシアの手が強く握られる。そして射抜くようにレヴィアを見つめた。
「レヴィア、お願いがあるんだ」
 レヴィアはすぐにうなずく。
「うん、いいよ。もちろん」
 アルテミシアの瞳が見開かれ、一瞬ののちに笑み崩れた。
「まだ何も言ってないじゃないか」
「ミーシャのお願いを、僕が聞かないはずがないよ。それに、僕にできないことは、願わないでしょう?」
(…なんて可愛いんだろう…)
 まっすぐに向けられている大きな瞳に、アルテミシアはしばし見入る。
 背はとうに追い越されてしまった。雨だろうと雪だろうと、たゆまずジーグに(きた)えられている体は、出会ったころの心許(こころもと)なさなど面影もない。顏もすっかり少年のものだ。声もいつの間にか低くなっている。
 それでも、ずっと変わらないもの。
 手を差し伸べることをためらわないレヴィアの心根が、アルテミシアの心を(ほど)いてくれる。
「ありがとう、レヴィ。私は帝国には戻らない。ここで貴方(あなた)を守る騎士として生きる。だから私とジーグのトーラ国民籍と、私に新しい名をいただけるよう、国王陛下に口添えしてもらえないだろうか」
「新しい、名前?」
 レヴィアは首を(かし)げた。
「ジーグも言っただろう。理由がわからない以上、あの惨劇(さんげき)の生き残りである私は追われる可能性がある。私がここにいることをなるべく知られたくない。今この国に危機を呼び込むわけにはいかない。竜の卵も育てているし。サラマリスの名は捨てる」
「竜の、卵…?」
 竜同士は繁殖できないと言っていなかっただろうか。
 目を丸くするレヴィアに、アルテミシアは横髪をかき上げて、自分の耳たぶを示す。
 そこには鮮やかに赤い、耳の下半分を隠すほど大振りの飾りがあった。
「この仔たちがそう。ディアムズの卵だけれど、私の血で育てているから、すでに竜仔(りゅうご)なんだ」
 アルテミシアの指が、深紅の卵に優しく添えられた。
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