惨劇の夜

文字数 5,591文字

 初の皇帝外遊警護を命ぜられた赤竜軍第三部隊は、その栄誉に沸き立ったのも束の間。準備に追われ、隊長のアルテミシアを筆頭に、慌ただしい毎日を過ごしていた。

「失礼いたします!」
 古参の女性竜騎士が、颯爽と隊長室に入ってくる。
 その手のなかにある書類を目にしたアルテミシアは、密かにため息をついた。
 ここ二、三日、竜に乗る暇もなく、事務官に転職したのかと思うほどの書類仕事に追われている。
「お疲れさま」
 笑顔を作るアルテミシアに、女性騎士は美し敬礼を返した。
「編成の最終確認ですか?隊の新設一年目にして素晴らしい栄誉ですね、隊長!」
「栄誉などではないわ」
 きびきびと書類を渡してくる女性騎士に比べて、アルテミシアの顔色は冴えない。
 どんな任務でも、前向きに取り組んできたアルテミシアらしくないその様子に、女性騎士は首を(かし)げた。
「何かありましたか?気にかかることでも?」
「いえ、特にないわ。ごめんなさい、余計な心配をかけて。ただ、初の外遊警護でしょう?相手国から(あなど)られてはいけないと思って。評議員たちのなかにも、『娘っ子部隊』と呼ぶ人がいるらしいじゃない?」
「そんな戯言(たわごと)!耳を貸す必要はありませんっ」
 アルテミシアが呆気に取られるほど、女性騎士は血相(けっそう)を変えて憤慨している。
「隊長の騎竜(きりゅう)する勇姿を見たこともないくせに!」
「……ありがとう」
 手練れの竜騎士が向けてくれる敬意に、アルテミシアは心からの笑顔を向けた。
「書類は目を通しておくわね。急ぎ?」
「はい。緊急ではないが、なるべく早く回答が欲しいと。グイド・ドルカ副隊長代理からのご伝言です」
「ドルカ副隊長代理から?ブルム隊長代理ではなく?」
 現在、第二部隊は隊長が不在のため、副隊長のカイ・ブルムが隊長代理、一等騎士グイド・ドルカが副隊長代理を務めているのだが。
「連絡業務などは、ほとんどドルカ副隊長代理が押しつけられているらしいですよ」
「”皇帝執務室なんか行ってられっか”が、口癖の方ですものね」
「本当に。いい加減にしていただきたいです。騎竜の腕は確かですが」
 カイ・ブルムと同じ隊にいたこともある女性騎士が、大げさなため息をつく。
「少しはドルカ代理を見習っていただきたいものです。彼はすぐに”俺は赤竜の末家だから”とご謙遜なさいますが……。実力に、竜家の序列など関係ないでしょう」
「そのとおりよ」
 アルテミシアは女性騎士を感心して見上げた。
「赤竜族はサラマリス、アモリエ、ドルカの三家しかないのだもの。上下の区別などないと、言っているのだけれど」
「赤竜族の方は、ご謙遜ぞろいですね。……サラマリス家は別格でしょう。

竜族のなかで」
 意味ありげな女性騎士の笑顔に、アルテミシアの表情が曇る。
「……貴女(あなた)も、私がサラマリスだから、この年で隊長になれたと思う?」
「まさか!誤解を与えてしまったのなら謝罪いたします」
「戦果は挙げていないけれど」
「挙げさせてもらえなかった、の間違いでしょう」

(これ以上言わせてしまったらいけない。誰かに聞かれでもしたら責任問題になりかねないわ)

「業務終了時間を過ぎているわね。引き留めて申し訳なかったわ」
 あからさまに話題を変えたアルテミシアの意図を察して、女性騎士が姿勢を正した。
「ご配慮ありがとうございます。隊長はまだ残られますか?」
「なるべく早くという依頼なら、それなりに緊急性があると思うの」
「かしこまりました。では、お先に」
 軽く会釈をした女性竜騎士が隊長室を出ていくのを確認してから、アルテミシアは書類の表書きをじっくりと眺める。
 
 書類上とはいえ、グイドと直接やり取りをするのは久し振りだ。
 四つ年上のグイドは、幼いころから赤竜一族の集まりで、顔を合わせては遊んだ幼馴染でもある。
 しかし、今年に入ってからは、ぱったりと会う機会がなくなった。
 自分が第三部隊長に任じられたり、グイドが国境紛争地に派遣されたりしたこともあるだろうが、多分、一番の原因は。

(ドルカ家のごり押しにも、困ったものだわ)

 先ぶれも寄こさずに、いきなりサラマリス邸を訪れたドルカ家当主を思い出すと、いまだに苦いものが胸に込み上げてくる。
 「良縁」と繰り返していたあのドルカ家の当主は、本当にグイドの了解を得ていたのだろうか。
 
 あのときの疑念を思い出しながらも、書類に並ぶ繊細なグイドの文字を目にすれば、思わず(ひと)り笑いが漏れた。
「ふふ。書類はグイドのほうがいいわ。読みやすい」
「カイ副隊長は字が汚いからね。デキる男だけど」
 許可を求める合図と同時に扉が開く。
 目を上げれば、肩口でひとつに束ねられた赤土色の髪を、さらりと揺らした好男子が部屋に入ってきた。
「グイド!久しぶりね。無事のご帰還、慶祝いたしますわ。でも、扉は返事を待ってから開けて」
「ごめん。早く顔が見たくて」
 いつもどおりの気安い態度に、アルテミシアは違和感しかない。
「ねえ、グイド。この前の話って、」
「ああ!いいんだ!」
 大げさに手を横に振ると、グイドは屈託ない笑顔を浮かべた。
「家同士の話だ。それに」
 隊長席の机の端に浅く腰を掛けて、グイドはじっとアルテミシアを見つめる。

考えられないなら、また考えてくれたらいいし。……待つのは慣れてる」
「またって……。だって、貴方(あなた)だって、私との縁談など」
「ところでそれ。読んでくれた?」
 グイドはアルテミシアの言葉をさえぎり、その手の中の書類を指さした。
「え?ああ、読もうと思っていたところよ。急ぎなのね。……ん?グイド、これ仕事?」
 不信を露わにして、アルテミシアは『今夜にでも食事を一緒にどうかな』と書かれている書類を机に広げる。
「緊急じゃないけど、急ぎ。今夜は都合悪い?」
 いつになく押しの強いグイドに、アルテミシアは内心首をひねった。
「ごめんなさい。出立(しゅったつ)まで時間はないわ。第一部隊長と、道中警護の打ち合わせもしたいし」
「そんなの、いつだって君の屋敷で、できるじゃないか。バシリウス隊長は君の父上だもの」
「そう、だけど」
「俺だって陛下警護の話はできるし、一隊員の経験も貴重だよ?俺はディデ(にい)と違って、隊長同士の話はできないけどさ」
「グイド、また”ディデ(にい)”になってるわよ」
 自分の所属部隊長を、幼いころの愛称で呼ぶ(くせ)が抜けないグイドに、アルテミシアは微笑んだ。
「あー、つい、君の前だとね」
「ええ、気にしないでちょうだい」
「子供っぽい(くせ)だって、わかってるんだけど」
「誰にでも(くせ)のひとつやふたつ、あるもの」
「君は(わら)わないんだな」
(いや)しめるようなことではないわ」
「君だけだよ、そう言ってくれるのは。……ありがたくて泣けてくる」
 グイドの手が伸ばされて、紅色の髪をひと房、その手に握りしめる。
「グイド、……?!」
 そのまま髪に口付けを落とされて、アルテミシアは短く息を詰めた。
 
(なぜこんなことを……)

「食事が無理なら、お茶くらいは?城下通りに洒落(しゃれ)た店ができたって、うちの隊の女性陣が言っていたよ。ね、行こう!(おご)るからさ!」
 巻き毛から手を離して、グイドはいきなりアルテミシアの手を握る。
 
(こんなことをする人ではなかったのに)

 アルテミシアは困惑して、握られた手に目を落とした。
 先ほどの縁談話の言い様も含め、グイドの意図が読めない。
 ただの世間話や、仕事の助言をしたいわけではないだろう。
 縁談を蒸し返すこともあり得ない。
 グイドがそれを、望んでいるはずはないのだから。

 頼りのジーグは随伴路(ずいはんろ)の確認のため、昨日から出かけていて、まだ戻ってきていない。
「……それなら、一刻(いっこく)だけね」
 アルテミシアがうなずくと、グイドのとび色の瞳がゆっくりと、深い笑みを(たた)えていく。
「いいよ。一刻(いっこく)もらえれば、満足だよ」
 預言者のようなグイドのまなざしに、アルテミシアの不安は募るばかりだった。


 アルテミシアの話を聞くジーグの眉間(みけん)には、いつしか深い溝が刻まれていた。

「グイドがどうしてお茶なんかに誘ったのか、……結局わからなかった」
 目を伏せたまま、アルテミシアがため息をつく。
「連れて行ってくれた店から帰る途中、街の皆が騒いでいた。『サラマリス邸が燃えている』って。……そんなはずはないって思ったけれど、遠くに黒い煙が……」
 言葉を失ったように、しばらくアルテミシアは黙り込んだ。
 静まり返った部屋に(まき)が爆ぜる音が響き、それを合図にしたかのようにアルテミシアの顔が上がる。
「やっと帰ってみたら、屋敷は全部、燃えていて……。入った瞬間、全身がしびれるように感じたけれど、客間まではたどり着いた。でも、そこに両親が、倒れて、いて……、ラキスかフェティが、泣いていた。あの子たちだけでも助けたかった……!」
 (こぶし)を震わせながら、強く唇を()むアルテミシアを見て、レヴィアは静かに席を立った。
 
 湯が沸騰する音に紛れて、時おりアルテミシアの息遣いが聞こえてくる。
 激情を無理やり抑え込むように強く吸い込み、そのまましばらく止めては、ゆっくりと吐き出す吐息が震えていた。
 
 レヴィアはひとり分だけお茶を()れると、そこに蜂蜜を一匙(ひとさじ)垂らす。
「よかったら、飲んでみて」
 机に置かれた茶碗から立ち上る湯気が、アルテミシアに香草と蜜の香りを運んだ。
「……ありがとう」
 (ささや)くように礼を言うと、アルテミシアはゆっくりと茶を口に含む。
 切れた唇に熱い茶がしみて、蜂蜜の甘さとレヴィアの心遣いが身にしみていった。
「竜を見た、と思うんだ。玄関広間から客間へ続く、薄く開いた扉の向こう。ふたつの動く影を見た。一頭は、何か不思議な姿だった。でも、すぐに意識が飛んでしまったから、確証はないんだがな」
「私が戻ったときには、すでに屋敷は火の海だった」
 ジーグの瞳に、熾火(おきび)のような怒りが揺れている。
「ご当主夫妻はもう……。リズィエは刃を受けた直後で、煙もそう多く吸ってはいなかった。だから、助かった。私は竜を見ていないが、あの火の勢いは、屋敷全体が一気に燃え上がったようだった。そんなことをやってのけるには、赤竜を使う以外思いつかない」
「そんな炎を噴ける竜は、バシリウス舎にしかいなかったはずだ」
 瞳を曇らせるアルテミシアに、ジーグはゆっくりと(かぶり)を振った。
「ですが、その関与は考えられません。当時のバシリウス竜の

は、当主と警護役のうちのひとりのみ。私が屋敷に入ったときには、彼もすでに……」
「隠れて育成された赤竜がいたというのか?だが、そんなことが可能だろうか。もしそうならば、誰が、どうやって竜化法を知ったのだろう。なぜ、サラマリス当主家を襲ったのか」
「……わかりません」
「そうだな。……わからないな」
 チラリと目を見交わして、主従は同時に息を吐きだす。
「リズィエを抱えて一晩中馬を飛ばしてサラマリス領に入り、そこからチェンタ国へ抜けた」
 自分の記憶にない話を、アルテミシアはじっと聞いていた。
「老長のおかげでリズィエは命を取り留めたが、チェンタはサラマリス領から、帝国から近すぎる。だから、間を置かずにトーラまで落ち延びることを選んだ。襲われた理由がわからない以上、リズィエの生存を知られれば、追手がかかる心配があったからな」
「誰が、何のためにっ……。私は許さない、絶対に」
 握ったアルテミシアの拳が震えている。
「あの子たちまで無残(むざん)に殺した者を。隠れて竜を生み出し、卑劣な殺戮(さつりく)の道具として利用した者をっ。……レヴィア、お願いがあるんだ」
「うん、いいよ。もちろん」
 アルテミシアの瞳が見開かれ、一瞬ののちに笑み崩れていった。
「まだ何も言ってないじゃないか」
「ミーシャのお願いを、僕が聞かないはずがないよ。それに、僕にできないことは、願わないでしょう?」
 まっすぐに返されたレヴィアの瞳は、アルテミシアの憂いをすべて包み込んでくれるようで。
「レヴィ……」
 
 背はとうに追い越されてしまった。
 雨だろうと雪だろうと、たゆまずジーグに(きた)えられている体は、出会ったころの心許(こころもと)なさなど面影もない。
 顏もすっかり少年のものだし、声もいつの間にか低くなっている。
 けれど、出会ったころから変わらず、手を差し伸べることをためらわない、レヴィアの心根が嬉しかった。

「ありがとう、レヴィ。私は帝国には戻らない。ここで貴方(あなた)を守る騎士として生きる。だから、私に新しい名と、ジークとふたり分のトーラ国民籍をいただけるよう、国王陛下に口添えしてもらえないだろうか」
「新しい、名前?」
「ジーグも言っただろう。理由がわからない以上、あの惨劇(さんげき)の生き残りである私は、追われる可能性がある。私がここにいることを、なるべく隠しておきたい。今、この国に危機を呼び込むわけにはいかないんだ。竜の卵も育てているし。サラマリスの名は捨てる」
「竜の、卵……?」
 衝撃的な単語に、レヴィアはぽかんと口を開ける。

(竜同士って、繁殖できないんじゃ……)
 
 困惑するレヴィアの前で、アルテミシアが横髪をかき上げる。
「え……?」
 アルテミシアの耳の半分ほどを隠している、大ぶりの耳飾りにレヴィアは息を飲んだ。
 装飾品にしては大きすぎるし、何より、ツルリヌルリとした見た目ときたら。
「この仔たちがそう。ディアムズの卵だけれど、私の血で育てているから、すでに竜仔(りゅうご)なんだ」
 アルテミシアにひとなでされた

が、レヴィアの目の前でにゅるんと動く。
「……?!」
 それは鳥の卵というよりも、爬虫類の卵に近い柔らかさを持つようだ。
「えと、ディアムズって、鳥じゃないの?」
「ん?鳥だぞ」
「だって、その卵、ぶにょぶにょしてる」
「人の血で育てると、硬膜が薄くなるんだ。親鳥が抱卵しなくなる代わりに、人の体温で孵化(ふか)させるためだと聞いたがな」
「へぇ……」
 
 レヴィアは言葉もなく、アルテミシアの耳につけられた、「竜の卵」だというそれを見つめ続けた。 
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