青竜の騎士

文字数 3,832文字

 天幕の周囲には、レヴィア隊が総出で沢から汲んできた水が、大きな(たる)にいくつも用意されていた。
「スィーニ、さすがだったね」
 カーフレイたちを帝国竜騎士に預けたレヴィアは、いったんスィーニをその前に降ろし、初陣を(ねぎら)う。
「クるるぅ」
「スィーニと僕とで、今度はあいつらを蹴散らしてやろう?」
「クるるるっ」
 得意げにひと鳴きしてすると、スィーニは(たる)(くちばし)を突っ込んだ。
 水を吸い上げていくスィーニの腹が、みるみる丸くなっていく。
「よし、行こうか」
 指笛の指示にスィーニが上昇し始め、レヴィアの眼下には、敵味方入り混じる戦場が広がった。
「噴け!」
 スィーニから放たれた激流が、傭兵(ようへい)集団を襲う。
「わあああっ」
「なんだぁ?晴れてんだろ?!」
 異常発生したバッタのような集団が一斉に空を仰ぎ、驚愕して固った。
 見たこともない大きな青い獣が、悠々と頭上を旋回している。
「トリにしちゃでけぇ、ぎゃぁっ」
「おい、逃げろようぜ!」
「ば、バケモン、ぐぶぅぅ」
 連続で噴射された水に巻き込まれた傭兵(ようへい)が、木の葉のように吹き飛んでいく。
「やってられっか、こんなん!」
「聞いてねぇっ」
 烏合(うごう)の衆が次々に背を向け、走り去っていった。
「恐ろしいな……。恐ろしいほど美しい」
「青い、竜騎士だ」
 スバクル領主国の兵士たちは、その様子を棒立ちになって見守っている。
「壮烈な青騎士だな」
 空を仰ぎ見てつぶやいたファイズに、家兵たちが声もなくうなずき合った。
 
 最前線で指揮を執っていたクローヴァが、レヴィアに向かって手を振る。
「お見事だったね!」
「兄さま!」
 青竜の鞍上(あんじょう)から身を乗り出して、レヴィアは陣営奥を指さす合図を送る。
「了解した!ダヴィド!!」
 状況を察したクローヴァは腹心の部下に声をかけると、急ぎ陣営へと戻っていった。

 クローヴァたちが駆けつけると、縄を打たれたカーフレイ一団が、地べたにうずくまっていた。
 トーラ王子たち一団を確認した竜騎士ふたりは、目配せをすると静かに赤竜を反転させていく。
「……おや、これは」
 クローヴァは思わず声を漏らした。
 カーフレイの両手の第一指と第二指同士がきつく縛られていて、四本の指が紫色に変色している。
『そうしておけば、出血が少なくて済む』
 ディデリスがルベルの足を止めて、(いぶか)しげなクローヴァを背中越しに振り返った。
『出血、ですか』
『二度と剣を持てぬように、処置が必要だろう』
 ディデリスの言う「処置」を察したクローヴァが、やれやれと笑う。
『裁きを受けさせるのに、そのような残酷な処置が必要ですか?』
『裁き?』
 エリュローンごと振り返ったカイが、首を(かし)げた。
『トーラは優しいんだな』
『優しい……。帝国ならば、この重罪人の処遇はどうなりますか』
『これほど罪科(つみとが)ある者に、裁きの手間などかけない。洗いざらい吐かせた後に

する。ただし、生かしている間に反撃できぬよう、処置を行う』
「……っ!」
 去っていくディデリスが残した微笑はあまりに美しくて、その言葉はあまりに酷薄で。

(恐ろしい人だな、まったく)

 アルテミシアやジーグがあれほど警戒する理由を、クローヴァは肌で感じていた。

のことはさておいて。『洗いざらい吐かせる』方法は教わろうかな。……おや」
 震えるレゲシュ兵の中で、ただひとり。
 祈るように両手を合わせた格好で縛られたカーフレイだけが、ひとり落ち着き払っている。
 目の前にクローヴァが立っても、かつてトーラ王宮を我が物顔で闊歩していた男は、ぴくりとも動かない。
 クローヴァは剣を抜いて、その刃で(なまり)目の男のあごを持ち上げる。
「お前には散々な目に遭わされた。トーラへ送還した後に審議はするけれど、その前に、ひとつ聞いてもいい?」
 返事はないが、クローヴァは構わず続けた。
「お前には同情すべき点もある。トーラは母を奪った(かたき)のようなものだろう。けれどなぜ、ジェライン・セディギアを(かつ)ぎ上げたの?恨んでいる彼を真っ先に亡き者にして、お前がセディギア家当主に収まる道も、あっただろうに」
 どこか遠くを見ているようなまなざしのまま、呆れ馬鹿にした吐息がカーフレイから漏れ出す。
「私はこの世に存在しない、亡霊のようなモノだ。亡霊が生者(せいじゃ)の国で、何に成れるというのか。それに、セディギアを恨んでなどいない」
「恨んでいない?」
 クローヴァは剣をさらに持ち上げ、無理やりカーフレイの視線を自分に向けさせた。
 そして、死神のような男に眉をひそめる。
「お前の出生、育ち。そして、母の死に方。恨んで、怒りをもって、レーンヴェストに(あだ)なしたのではないのか」
「怒り、恨み?そんな感情を(いだ)いたことはない。そもそも、感情というものがよくわからない」
「では、なぜ……」
 戸惑うクローヴァから、カーフレイは不気味なほど()いでいる目を外した。
「私はアヴールの任務のついでに生を受け、たまたま死ななかっただけ。誰からも歓迎されることはなく、居場所もない。そんな、生きているとも言えないモノが、生者の国に存在するなど不自然。私の存在が自然なものとなるためには」
 (くら)(なまり)の瞳が、ぎょろりとクローヴァに戻される。
「世界は滅亡する必要がある」
「世界が滅べば、お前だって消えるじゃないか」
「それこそ自然なことだ」
「滅びたいのなら、ひとりで滅べばいい。死にたいのなら勝手に死ねばいい。世界を道連れにする必要が、どこにある」
「私は生者ではない」
 温度のない声が、同じ主張を繰り返す。
「もともと生きていない私がひとり死んだところで、何も解決しない」
「何を解決させるというんだ。亡霊だというお前が」
「世界の()り方を正す」
 カーフレイの瞳に、初めて光が宿った。
「生きてもいない私の命は必要がない。そんな私に命を与えた、この世界も必要がない。必要のない私が、必要のない世界を滅ぼす。至極、正しいことではないか」
 淡々語るカーフレイに、クローヴァの背筋に悪寒が走る。

――まるで魍魎(もうりょう)のような男だ――

 ヴァーリの言葉を思い出して、クローヴァは言葉を失った。

 「あれは、いつから人であることを止めたのだろうな」
 ダヴィドたちに引き立てられていく背中を見送りながら、クローヴァは誰に言うともなくつぶやく。
 
 カーフレイを捕まえたら、レヴィアの前に引き立ててやるつもりだった。
 己の所業を思い知らせるために。
 レヴィアに糾弾させるために。
 だが。

(あれは、ダメだ)

 クローヴァはそっと唇を噛む。
 
 人の心もなく、言葉も通じないモノに会わせても、レヴィアの傷は癒されない。
 向けられた害意には、明確な理由はなかった。
 手の届くところにいたから。
 目的を果たす手段となりえたから。
 自分やメテラ、レヴィアではなくても、

のだ。
 
 歓迎されることのない誕生だったのだろう。
 だが、生家は医薬品を手広く扱うセディギア家。
 堕胎は可能だったはずだ。
 アヴールが病に倒れるまでは、どう育てられたのか。
 隠された任務を負う母と、日陰者の子供。

「どこかで人に戻る機会が、出会いがあれば、あの男も……」
 クローヴァのつぶやきは、虚しく空中に散じていった。

 小さくなっていくカーフレイたちを眺めていると、もうひとりの彫像が自然と脳裏に浮かんでくる。
「感情が見えない人間は、まったく怖いな。あの人の敵として捕まったのなら、とっとと殺してくださいってお願いしよう。……そんなことをしたら、かえって逆のことをされそうだけれど」
 
(たったふたりの竜騎士に、レゲシュ軍は手玉に取られていた。今のトーラが、帝国から本気の戦を仕掛けられたら……)
 
 陣営裏に広がるのは、焦げた木々とぬかるんだ大地。
 クローヴァはしばらく、竜の攻撃跡も生々しい場所に立ち尽くしていた。
 
◇  
 ディデリスが竜舎前でルベルから降りたとき、戦場から戻ったスィーニとレヴィアに行き会った。
『……第二王子』
 口の中で(うな)ったディデリスが、レヴィアの行く手を(はば)む。
『チェンタでは

茶をご馳走(ちそう)になった。礼でも言おうか。だが、その前にひとつ聞かせてもらう。なぜアルテミシアは、お前を(あるじ)と仰ぐ』
 レヴィアは黙ったまま、険のある翡翠(ひすい)の瞳を受け止めるばかりだ。
『フリーダ卿が”以前も助けられた”と言っていた。そのせいか』
『簡単に語れることではありません』
 流暢(りゅうちょう)なディアムド語の返答に、翡翠(ひすい)の瞳に殺気が宿る。
『なぜお前は、彼女の

を解除できたんだ』

(解除……?”あの状態”のミーシャが元に戻ったこと、かな)

 焦がすような憎しみの目を向けられても、レヴィアは一歩も引かずに、にらみ返した。
 ディデリスの問いに対する答えは持たないが、ずっと、言ってやりたいことがあった。
貴方(あなた)は愛していると言いながら、彼女の心を殺すところだった』
 ヒュン!と音が聞こえるほどの勢いで、ディデリスが息を飲む。
『たったひとりで、アルテミシアがどれほど苦しんでいたか』
『……許しを、もらった』
『そういう人でしょう、彼女は。だけど、僕は貴方(あなた)を許さない。アルテミシアを泣かせる貴方(あなた)を、許さない』
「レヴィア様!」
 突然、悲鳴のようなメイリの大声が響き渡った。
「どうしたの?!」
「アルテミシア様がっ」
「竜舎に戻ってて、スィーニ!」
 手綱(たづな)を放して、風のようにレヴィアは走り去っていく。
「?」
 風もないのに前髪が揺れて、ディデリスが仰ぎ見れば。
「フンっ」
 もう一度ディデリスに鼻息を吹きかけて、スィーニは悠然と竜舎へと戻っていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み