痛切な祈り
文字数 2,487文字
余裕しゃくしゃくの様子で竜舎に入る帝国の竜に、二頭の年若い竜は警戒を隠せずに、羽根を膨らませている。
「クルゥ」
「クルルゥ」
年長の竜が立ち止まりひと鳴きすると、若竜たちはその首を下ろした。
『おぅ、さすがリズィエの竜だ』
その光景を前に、カイが感心したように腕組みをする。
『よその竜に会うのは初めてだろうに。挨拶の仕方を心得てるんだな。……羽は逆立ったままだけど、まぁ許容範囲か』
四頭の竜たちが鳴き交し、嘴 同士を軽くぶつけ合った頃合いで、見守っていた竜騎士ふたりも竜舎内部へと足を進めた。
まっすぐに向かってくるディデリスを、ロシュは冠羽を広げて見つめている。
『俺はお前を傷つけない。約束しよう、ロシュ。今日は、本当に素晴らしい働きだった。ともに戦えて光栄だ。そうだな、ルベル』
傍 らに立つ小柄な赤竜をディデリスが見上げると、承知したという様子で、その嘴 がカチカチと打ち鳴らされた。
伸ばされたディデリスの手に、ロシュの首がそろそろと伸ばされていく。
「戦場を切り裂く黒い稲妻とは、まさにお前のことだ」
とうとうロシュの嘴 の先が、ディデリスの指先にすり寄せられた。
『よしよし、いい仔だ』
『お前はほんっとにきれーだなぁ。青の令嬢とでも呼ぶかね』
十分に距離を取ってスィーニに称賛を送るカイを見て、エリュローンの冠羽が不穏に揺れだす。
「……グルルゥっ」
『お?いやいや、俺の一番はお前だって、美人ちゃん。イタ!だから、むしるな!ハゲるだろっ。ディデリス、やめさせてくれないか!』
『断る。そのまま食われろ』
『薄情者!……で、リズィエの容態はどうだって?……イテ、痛いだろっ』
エリュローンに髪の毛を強く引っ張られながら、カイはディデリスを振り返った。
『良くないようだ』
『……ようだ?』
『スバクル語と似てはいるが、トーラ語の詳細はわからない。途中慌ただしかったし、名を何度も呼んでいた』
『そうか……』
ふかふかのエリュローンの頬をなでながら、カイは深いため息をつく。
『……待つしかないな』
ロシュの首の羽に手のひらを埋め込むようにして触れながら、ディデリスは無言を貫いた。
夜半になって、やっとメイリとスヴァンが血だらけの布や、使った用具類を持って天幕から出てくる。
「どうだ?」
待ち侘びていたジーグがふたりに詰め寄るが、スヴァンは力なく首を振るばかりだ。
「わかりません……」
「わからない?」
思わず語気を強めたジーグに、スヴァンが肩を震わせて一歩後ずさる。
「傷が深いのです。血も、大分失われてしまっていて……」
遅れて出てきたスライが沈痛な声で報告する隣で、アガラム医薬師の顔色も冴えない。
「……リズィエは?」
「眠っていらっしゃいます」
疲れと緊張からか、メイリの声はかすれている。
「顔を見られるか?」
重ねて問われたスヴァンとメイリが、目を見交わし合った。
「レヴィア様が、しばらくふたりに……、ふたりだけに、してほしいと」
「くっ」
歯を食いしばったジーグから、怒りとも嘆きともつかない息が漏れる。
「また、なのか……」
両手の拳 を握る、ジーグの背中が震えていた。
「また、守りきれなかったのかっ。どうして!どうして、いつもあの娘 なんだ。あの娘 ばかりが背負うっ」
大地を怒鳴りつけるようにうつむくジーグの憤り方に、嘆き方に。
メイリもスヴァンも、スライも言葉を失い、アルテミシアが歩んできた道の険しさを思った。
アルテミシアを治療用天幕内の寝台に移して、その枕元の床にレヴィアは膝をつく。
傷に障らないようにそっと手を握れば、その氷のような冷たさに心がつぶれそうだ。
微かに聞こえる彼女の呼吸音。
それだけが頼りで、一心にレヴィアは耳を傾け続ける。
毒竜の出現という異常事態だったとはいえ、不完全な処置しかできなかった自分を殴りつけてやりたい。
ロシュに騎乗している間に、彼女の体は限界を迎えていただろう。
アルテミシアをこんな目に遭わせた、あの鉛目の男。
(……カーフ……。絶対に、許さない)
苦しく思うほど抱きしめられたときに、アルテミシアの肩越しに見えた、あの薄暗い笑顔。
見覚えのあるあの顔で、カーフはアルテミシアを刺したに違いない。
母が死んだときに、埋葬されるときに。
同じような薄ら笑いを浮かべながら、使用人たちに指示を出していたのだから。
「……アルテミシア……」
握る冷たい指先からは何の反応もなく、どんなに正しい発音で呼んでも、その目は閉じたまま。
いつものように「ん、完璧だ」とほめてくれることもない。
やれることはすべてやった。
スヴァンとメイリという最高の助手と、アガラム熟練の医薬師がいてくれたおかげで、まだ希望を捨てずにいられる。
だが、アルテミシアが灯 す命の炎は、あまりにも儚い。
「ねぇ、ミーシャ」
応えてはくれないとわかっていても、声をかけずにいられなかった。
「貴女 は”僕の世界の大切な一部”と言ったでしょう?覚えてる?……でも、それは間違いだった……」
握った手は離さないまま、もう片方の手で、額にかかる深紅の巻き毛をそっとなでつける。
「アルテミシア。貴女 は僕の世界そのものだよ。貴女 がいない世界なんて、僕には何の意味もない。お願いだから、戻ってきてっ……」
(母さま、僕の大切な人を戻して!僕の命より大切な人を……!)
レヴィアの瞳から涙があふれ、こぼれていく。
「……母さま……」
囁 く声は、痛切な祈り。
「僕のすべてをあげる。命だってあげる。だから、戻ってきてアルテミシア。お願い、戻ってきて」
レヴィアは深紅の髪をなでていた手で、自らの腕に爪を立てた。
そうでもしないと、叫び出してしまいそうだったから。
蔑 まれていた自分に、愛と誇りを教えてくれた人。
手は優しさを伝えるものだと教えてくれた人。
些細 なことでも笑い合える幸せ。
眠れない夜に心を重ねる信愛。
レヴィアの世界は、アルテミシアがくれたもので満たされているのに。
「……ミーシャ。貴女 がいなくなるなら、僕も消えたい……」
レヴィアは縋 りつくように、アルテミシアの手を握り締め続けた。
「クルゥ」
「クルルゥ」
年長の竜が立ち止まりひと鳴きすると、若竜たちはその首を下ろした。
『おぅ、さすがリズィエの竜だ』
その光景を前に、カイが感心したように腕組みをする。
『よその竜に会うのは初めてだろうに。挨拶の仕方を心得てるんだな。……羽は逆立ったままだけど、まぁ許容範囲か』
四頭の竜たちが鳴き交し、
まっすぐに向かってくるディデリスを、ロシュは冠羽を広げて見つめている。
『俺はお前を傷つけない。約束しよう、ロシュ。今日は、本当に素晴らしい働きだった。ともに戦えて光栄だ。そうだな、ルベル』
伸ばされたディデリスの手に、ロシュの首がそろそろと伸ばされていく。
「戦場を切り裂く黒い稲妻とは、まさにお前のことだ」
とうとうロシュの
『よしよし、いい仔だ』
『お前はほんっとにきれーだなぁ。青の令嬢とでも呼ぶかね』
十分に距離を取ってスィーニに称賛を送るカイを見て、エリュローンの冠羽が不穏に揺れだす。
「……グルルゥっ」
『お?いやいや、俺の一番はお前だって、美人ちゃん。イタ!だから、むしるな!ハゲるだろっ。ディデリス、やめさせてくれないか!』
『断る。そのまま食われろ』
『薄情者!……で、リズィエの容態はどうだって?……イテ、痛いだろっ』
エリュローンに髪の毛を強く引っ張られながら、カイはディデリスを振り返った。
『良くないようだ』
『……ようだ?』
『スバクル語と似てはいるが、トーラ語の詳細はわからない。途中慌ただしかったし、名を何度も呼んでいた』
『そうか……』
ふかふかのエリュローンの頬をなでながら、カイは深いため息をつく。
『……待つしかないな』
ロシュの首の羽に手のひらを埋め込むようにして触れながら、ディデリスは無言を貫いた。
夜半になって、やっとメイリとスヴァンが血だらけの布や、使った用具類を持って天幕から出てくる。
「どうだ?」
待ち侘びていたジーグがふたりに詰め寄るが、スヴァンは力なく首を振るばかりだ。
「わかりません……」
「わからない?」
思わず語気を強めたジーグに、スヴァンが肩を震わせて一歩後ずさる。
「傷が深いのです。血も、大分失われてしまっていて……」
遅れて出てきたスライが沈痛な声で報告する隣で、アガラム医薬師の顔色も冴えない。
「……リズィエは?」
「眠っていらっしゃいます」
疲れと緊張からか、メイリの声はかすれている。
「顔を見られるか?」
重ねて問われたスヴァンとメイリが、目を見交わし合った。
「レヴィア様が、しばらくふたりに……、ふたりだけに、してほしいと」
「くっ」
歯を食いしばったジーグから、怒りとも嘆きともつかない息が漏れる。
「また、なのか……」
両手の
「また、守りきれなかったのかっ。どうして!どうして、いつもあの
大地を怒鳴りつけるようにうつむくジーグの憤り方に、嘆き方に。
メイリもスヴァンも、スライも言葉を失い、アルテミシアが歩んできた道の険しさを思った。
アルテミシアを治療用天幕内の寝台に移して、その枕元の床にレヴィアは膝をつく。
傷に障らないようにそっと手を握れば、その氷のような冷たさに心がつぶれそうだ。
微かに聞こえる彼女の呼吸音。
それだけが頼りで、一心にレヴィアは耳を傾け続ける。
毒竜の出現という異常事態だったとはいえ、不完全な処置しかできなかった自分を殴りつけてやりたい。
ロシュに騎乗している間に、彼女の体は限界を迎えていただろう。
アルテミシアをこんな目に遭わせた、あの鉛目の男。
(……カーフ……。絶対に、許さない)
苦しく思うほど抱きしめられたときに、アルテミシアの肩越しに見えた、あの薄暗い笑顔。
見覚えのあるあの顔で、カーフはアルテミシアを刺したに違いない。
母が死んだときに、埋葬されるときに。
同じような薄ら笑いを浮かべながら、使用人たちに指示を出していたのだから。
「……アルテミシア……」
握る冷たい指先からは何の反応もなく、どんなに正しい発音で呼んでも、その目は閉じたまま。
いつものように「ん、完璧だ」とほめてくれることもない。
やれることはすべてやった。
スヴァンとメイリという最高の助手と、アガラム熟練の医薬師がいてくれたおかげで、まだ希望を捨てずにいられる。
だが、アルテミシアが
「ねぇ、ミーシャ」
応えてはくれないとわかっていても、声をかけずにいられなかった。
「
握った手は離さないまま、もう片方の手で、額にかかる深紅の巻き毛をそっとなでつける。
「アルテミシア。
(母さま、僕の大切な人を戻して!僕の命より大切な人を……!)
レヴィアの瞳から涙があふれ、こぼれていく。
「……母さま……」
「僕のすべてをあげる。命だってあげる。だから、戻ってきてアルテミシア。お願い、戻ってきて」
レヴィアは深紅の髪をなでていた手で、自らの腕に爪を立てた。
そうでもしないと、叫び出してしまいそうだったから。
手は優しさを伝えるものだと教えてくれた人。
眠れない夜に心を重ねる信愛。
レヴィアの世界は、アルテミシアがくれたもので満たされているのに。
「……ミーシャ。
レヴィアは