帝国の竜騎士
文字数 3,106文字
その日、ディアムド帝国議会は異様な空気に支配されていた。
大陸の長い歴史のなかで、周辺各国を次々と傘下に収め、揺ぎない繁栄を誇っているディアムド帝国。
この超大国の命運を握る重臣たちは、身分も能力も、それぞれに自負するところある精鋭ぞろいだ。
だが、緊急招集をかけられた今日。
重臣たちの口は重く閉ざされ、互いの出方をうかがうように、視線ばかりを交わし合っている。
重臣たちの挙動を不穏にさせている原因。
それは赤竜軍第一部隊を率いる、サラマリス家当主屋敷の焼き討ち事件にあった。
帝国においてサラマリス家は、その名を知らぬ者はいないとまで言われている。
いや、帝国だけではない。
「帝国騎竜軍にサラマリスあり」
その謳 い文句は大陸各国に流布されている。
皇帝直属である「戦闘力の赤竜軍」を統括しているサラマリス家と、同じく「機動力の黒竜軍」を率いるマレーバ家は「帝国の両翼」と呼ばれ、帝国覇権の立役者であると評されている。
そのサラマリス家当主の屋敷が落とされた。
それもたった一晩で。
生存者がひとりもいないほどの凄惨な「サラマリス焼き討ち事件」は、帝国中を震撼させた。
当初は失火なども疑われたが、警護の竜騎士 の配備は、通常どおり行われている。
それがその騎士や使用人、女性や幼子にいたるまで、容赦なく焼き尽くされたのだ。
屈強で優秀な騎士たちが、子供を逃がすこともできぬ短時間での出来事が、事故であるとは考えにくい。
だが、誰がどうやって、何のために。
その亡骸 さえほとんど残らないほど悲惨な現場だけが残され、何もわからない、無為 な日々が過ぎていった。
「何処 の仕業だ」
重臣のひとりが、誰に言うともなく小声でつぶやく。
思わず漏れたその独り言を皮切りに、議場のあちらこちらで、囁 き声が上がり始めた。
「サラマリス領は国境 だが……」
「チェンタ族長国は友好国だ。揉め事も聞かない」
「薬を盛られたのでは、という話がある」
「屋敷の者全員、同時にか?どうやって」
「何も見つからないのか」
「骨さえ拾えなかったという話だ」
「竜の過誤 や失火という線は、やはりないのか」
「バシリウスの竜は、すべて竜舎 にいたそうだ」
「極短時間で、屋敷全体が炎に包まれたらしいじゃないか。目撃した市民たちがそう証言している。単なる失火とは考えにくい」
「……いずれにしても惨 いことだ……」
ひとりの重臣が目を閉じ、同胞の死を悼 む言葉に重なるように。
ギィ。
重い音を立てて開いた扉に、その場にいた皆が顔を向ける。
集まる視線にも動じる様子もなく、見事な朱色 の髪をした、喪服姿の男が議場に入ってきた。
議場が再びしんと静まり返る。
誰もが横目で喪服姿の男を注視するなか、黒髪も美しい壮年の男性が立ち上がり、赤髪の男に近づいていった。
黒の騎竜 軍服の裾 をさばき、足早に歩く男性に気づいた喪服の男が立ち止まり、一礼をした。
「これは、シルヴァ・マレーバ殿。先日は過分なご配慮を頂戴いたしました」
「改めて心よりお悔やみ申し上げる、ルドヴィク・サラマリス殿。必要があれば助力は惜しまない。遠慮なくおっしゃられよ」
「お申し出、有難 く存じます」
喪服の男、ルドヴィク・サラマリスが静かに頭を下げると、まっすぐで美しい赤髪が、その横顔を覆 い隠していく。
「何かわかったことはあるだろうか」
ルドヴィク・サラマリスの黄浅緑 の瞳が、シルヴァ・マレーバに向けられた。
「進展はございません。お伝えできるほどのことは何も」
「竜はどうしている」
「新たな騎士と契約を結べるまでには、時間がかかるでしょう」
「良い騎士をだいぶ失ってしまったな。しかし、ルドヴィク舎にも、秀でた竜と竜騎士は数多い。赤竜の威光は薄れまい」
薄い笑みを浮かべたルドヴィクが浅く頭を下げる。
「お気遣いの数々、幸甚 に存じます、シルヴァ殿。機会を設けてご挨拶に」
「挨拶など後回しで構わない。赤竜軍の再構築のためには、時間がいくらあっても足りぬだろう」
黒竜 マレーバ家、当主シルヴァが労 わるようにルドヴィクの肩に手を置くのと同時に、皇帝の来臨 を告げる鐘が議場に鳴り響いた。
「では、のちほど」
「良き論議となりますよう」
騎竜 軍を率いる竜家当主たちは、それぞれの席に着くために背を向け合った。
◇
議会は昼前には終わり、その後、誰とも口をきくことなく屋敷に戻ったルドヴィク・サラマリスは、家令に息子を呼びつけるよう命じて、そのまま書斎に入った。
陽がだいぶ傾いたころに、やっと扉を叩く音がルドヴィクの耳に届く。
「入れ」
まるで「やれやれ」とでも言いたげな音を立てて扉が開き、身目麗しい青年の姿が現れた。
「遅い」
書類を整理しながらルドヴィクはたしなめるが、強くうねる髪を粋に整えた青年からは、何の反応も返ってはこなかった。
無言のままルドヴィクのもとへとやってくる青年の巻き髪が、部屋に入る陽 に透けて橙 色に光っている。
翡翠 色の瞳は涼やかで美しく、左目元にある泣きぼくろが、端正な顔立ちに艶 を与えていた。
「これから出かけるところです。ぜひ手短に」
書類机に座るルドヴィクを青年は冷ややかに見下ろす。そして、苛立 った様子で右手を振れば、派手にいくつもつけられてる腕輪が、ジャラジャラと鳴った。
「出かける?喪中だぞ、ディデリス」
「そういえば、そうでしたね」
”ディデリス”と呼ばれた青年がルドヴィクから顔を背ける。
「派手な行動は控えろ」
「……」
たしなめに従うわけでもなく、かといって反論するわけでもなく。
そのまま腕組みをして目をそらし続ける息子に、ルドヴィクがため息を吐き出した。
「本日皇帝陛下より、サラマリス家当主を拝命した」
「よかったじゃないですか。まあ、ほかに適当な者もおりませんしね。お祝いでもしますか」
「余計なことだ」
ルドヴィクは目を細め、息子、ディデリスの嫌味を一蹴 する。
「お前は第一部隊の隊長であると同時に、これからは赤竜族の領袖 家跡継ぎとしても見られるのだ。律して行動しろ。それでなくても、ドルカの者がでしゃばって敵わない」
「滑稽 なことを」
ディデリスの横顔に皮肉な笑顔が張りついた。
「俺でなくても構わないはずですよ。弟だっているでしょう。アモリエへ嫁いだ叔母上を戻すことだって可能だ」
「ベネディスは直髪 だ。竜の研究者になりたいとも言っている」
抑揚 の極端に少ないルドヴィクの声は、まるで絡繰 り音のように聞こえる。
「ああ、父上似ですものね」
皮肉の笑みを深めて、やっとディデリスは父親に顔を向けた。
「お言葉ではありますが、髪は関係ないでしょう。当主になるのに姿かたちは関係ない」
「当主は、赤の巻き髪を持つ竜騎士がいい。余計な口を挟まれずに済む。アルテミシアの遺骸 が見つかったという報告はあったか?あの娘が死んだことは残念だった。赤竜族にとって大きな損害だ」
「彼女は物ではありません。姪の死を悼 む言葉を、嘘でもいいから言ったらどうですか」
「余計なことだ」
忌まわしいものを見るような顔をする息子に、ルドヴィクは表情も変えない。
「とにかく、他人に足元をすくわれるような真似はするな。場合によっては廃嫡 を検討する」
「珍しく意見が合いますね!廃嫡上等 です。……もっと早くに、してくれていたらよかったんですよ」
馬鹿にしたような鼻息を残して、ディデリスは踵 を返した。
「赤の巻き髪は手放さない。その竜を育てる能力は、何のためにあると思うのか」
低く乾いた絡繰 り音が、ディデリスの背中を追いかけてくる。
「それはそれは。最低なことで」
閉じられようとする扉の向こう側から、呪うような声が書斎に返された。
大陸の長い歴史のなかで、周辺各国を次々と傘下に収め、揺ぎない繁栄を誇っているディアムド帝国。
この超大国の命運を握る重臣たちは、身分も能力も、それぞれに自負するところある精鋭ぞろいだ。
だが、緊急招集をかけられた今日。
重臣たちの口は重く閉ざされ、互いの出方をうかがうように、視線ばかりを交わし合っている。
重臣たちの挙動を不穏にさせている原因。
それは赤竜軍第一部隊を率いる、サラマリス家当主屋敷の焼き討ち事件にあった。
帝国においてサラマリス家は、その名を知らぬ者はいないとまで言われている。
いや、帝国だけではない。
「帝国騎竜軍にサラマリスあり」
その
皇帝直属である「戦闘力の赤竜軍」を統括しているサラマリス家と、同じく「機動力の黒竜軍」を率いるマレーバ家は「帝国の両翼」と呼ばれ、帝国覇権の立役者であると評されている。
そのサラマリス家当主の屋敷が落とされた。
それもたった一晩で。
生存者がひとりもいないほどの凄惨な「サラマリス焼き討ち事件」は、帝国中を震撼させた。
当初は失火なども疑われたが、警護の
それがその騎士や使用人、女性や幼子にいたるまで、容赦なく焼き尽くされたのだ。
屈強で優秀な騎士たちが、子供を逃がすこともできぬ短時間での出来事が、事故であるとは考えにくい。
だが、誰がどうやって、何のために。
その
「
重臣のひとりが、誰に言うともなく小声でつぶやく。
思わず漏れたその独り言を皮切りに、議場のあちらこちらで、
「サラマリス領は
「チェンタ族長国は友好国だ。揉め事も聞かない」
「薬を盛られたのでは、という話がある」
「屋敷の者全員、同時にか?どうやって」
「何も見つからないのか」
「骨さえ拾えなかったという話だ」
「竜の
「バシリウスの竜は、すべて
「極短時間で、屋敷全体が炎に包まれたらしいじゃないか。目撃した市民たちがそう証言している。単なる失火とは考えにくい」
「……いずれにしても
ひとりの重臣が目を閉じ、同胞の死を
ギィ。
重い音を立てて開いた扉に、その場にいた皆が顔を向ける。
集まる視線にも動じる様子もなく、見事な
議場が再びしんと静まり返る。
誰もが横目で喪服姿の男を注視するなか、黒髪も美しい壮年の男性が立ち上がり、赤髪の男に近づいていった。
黒の
「これは、シルヴァ・マレーバ殿。先日は過分なご配慮を頂戴いたしました」
「改めて心よりお悔やみ申し上げる、ルドヴィク・サラマリス殿。必要があれば助力は惜しまない。遠慮なくおっしゃられよ」
「お申し出、
喪服の男、ルドヴィク・サラマリスが静かに頭を下げると、まっすぐで美しい赤髪が、その横顔を
「何かわかったことはあるだろうか」
ルドヴィク・サラマリスの
「進展はございません。お伝えできるほどのことは何も」
「竜はどうしている」
「新たな騎士と契約を結べるまでには、時間がかかるでしょう」
「良い騎士をだいぶ失ってしまったな。しかし、ルドヴィク舎にも、秀でた竜と竜騎士は数多い。赤竜の威光は薄れまい」
薄い笑みを浮かべたルドヴィクが浅く頭を下げる。
「お気遣いの数々、
「挨拶など後回しで構わない。赤竜軍の再構築のためには、時間がいくらあっても足りぬだろう」
「では、のちほど」
「良き論議となりますよう」
◇
議会は昼前には終わり、その後、誰とも口をきくことなく屋敷に戻ったルドヴィク・サラマリスは、家令に息子を呼びつけるよう命じて、そのまま書斎に入った。
陽がだいぶ傾いたころに、やっと扉を叩く音がルドヴィクの耳に届く。
「入れ」
まるで「やれやれ」とでも言いたげな音を立てて扉が開き、身目麗しい青年の姿が現れた。
「遅い」
書類を整理しながらルドヴィクはたしなめるが、強くうねる髪を粋に整えた青年からは、何の反応も返ってはこなかった。
無言のままルドヴィクのもとへとやってくる青年の巻き髪が、部屋に入る
「これから出かけるところです。ぜひ手短に」
書類机に座るルドヴィクを青年は冷ややかに見下ろす。そして、
「出かける?喪中だぞ、ディデリス」
「そういえば、そうでしたね」
”ディデリス”と呼ばれた青年がルドヴィクから顔を背ける。
「派手な行動は控えろ」
「……」
たしなめに従うわけでもなく、かといって反論するわけでもなく。
そのまま腕組みをして目をそらし続ける息子に、ルドヴィクがため息を吐き出した。
「本日皇帝陛下より、サラマリス家当主を拝命した」
「よかったじゃないですか。まあ、ほかに適当な者もおりませんしね。お祝いでもしますか」
「余計なことだ」
ルドヴィクは目を細め、息子、ディデリスの嫌味を
「お前は第一部隊の隊長であると同時に、これからは赤竜族の
「
ディデリスの横顔に皮肉な笑顔が張りついた。
「俺でなくても構わないはずですよ。弟だっているでしょう。アモリエへ嫁いだ叔母上を戻すことだって可能だ」
「ベネディスは
「ああ、父上似ですものね」
皮肉の笑みを深めて、やっとディデリスは父親に顔を向けた。
「お言葉ではありますが、髪は関係ないでしょう。当主になるのに姿かたちは関係ない」
「当主は、赤の巻き髪を持つ竜騎士がいい。余計な口を挟まれずに済む。アルテミシアの
「彼女は物ではありません。姪の死を
「余計なことだ」
忌まわしいものを見るような顔をする息子に、ルドヴィクは表情も変えない。
「とにかく、他人に足元をすくわれるような真似はするな。場合によっては
「珍しく意見が合いますね!
馬鹿にしたような鼻息を残して、ディデリスは
「赤の巻き髪は手放さない。その竜を育てる能力は、何のためにあると思うのか」
低く乾いた
「それはそれは。最低なことで」
閉じられようとする扉の向こう側から、呪うような声が書斎に返された。