過去との対峙 -3-

エピソード文字数 3,182文字

 ディデリスが書状から手を離すと同時にアルテミシアは我に返り、視線を横に外した。
 あの誕生日の思い出は、彼女の心にも残っている。
 そう確認したディデリスの瞳が緩みかけたとき、不意に紙をがさごそといわせる音が聞こえてきた。
 ジーグが大きな動作で、丁寧に帝国の書状をしまっている。
 わざとらしいその仕草に、たちまち翡翠(ひすい)の瞳の温度が下がった。
「それにしても」
 書状を(ふところ)に収めたトーラの剣士に、険のある美声が掛けられる。
「その

でトーラ王の危機に奮闘し、功績を収めたレヴィア殿下にはぜひ一度、お目通り願いたいものです」
(…恐らく、二十歳は超えているまい)
(…実年齢も把握できていないのか。上出来だ)
 ディデリスとジーグの視線が厳しく交わされた。
「帝国と親交を深めることは、トーラ国にとっても益になるでしょう。そういえば我らが皇帝陛下も、たまには息抜きをさせろとおっしゃっておりました。ご会談がてら、北の楽園と名高いトゥクースへご旅行なさってはと、帰国した際には言上(ごんじょう)いたします」
 美しい作り笑いを浮かべるディデリスに何も答えず、表情も変えず、ジーグはただ頭を下げる。
(詳細を得られぬ者は直接見にくる、か。油断できない男だ。相変わらず)
 ジーグの考えを読んだかのように、ディデリスの笑顔が跡形もなく消えていった。 
 そのままお開きになるかと会場の空気が緩んだとき、アルテミシアの凛とした声が響いた。
「トーラ国をご訪問なさるときには」
 ジーグもディデリスも。その場にいる全員の目がアルテミシアに集まる。
「“お土産”をお持ち下さいと、皇帝陛下にお伝えいただけますか」
「おねだりか?アルテミシア」
 皇帝の書状に顔色を無くしていたというのに。
 アルテミシアが不用意な発言をしたと思ったのだろうか。
 クラディウスは国同士の会談の場でその名を呼び捨てにし、尊大な態度を見せた。
「この間までは、ほんの子供だったくせに。すっかり女だな。欲しい物があるなら、うちのグイドに頼んでやろう。お前のためなら何でも用意する。グイドは昔からお前を欲しがっていたからな。お前がいなくなっても、まだ独身(ひとりみ)でいるぞ。いつでも嫁に迎えてやる。ドルカ家がお前の新しい実家になってやろう」
 アルテミシアの瞳に怒りが湧き上がり、その手が腰に帯びた短剣に掛かった。
 鋭い風切り音が空気を切り裂く。
 ドズっ!
 重い音が議場を押し潰すようだ。
「ひぃっ!」
 クラディウスは飛び出るかと思うほど目をむき、体をのけぞらせた。
 ディデリスがその鼻先を切り落とさんばかりの距離で、クラディウスが座る卓上に両手剣を突き刺していた。
 凍りついた美しい翡翠(ひすい)の瞳が、ギラリと光る(やいば)越しにクラディウスをにらみつけている。向けられるその敵意の強さに、クラディウスは息をするのも忘れているようだ。
 物音ひとつしない、静まり返った時間が流れる。
 まなざしで存分に威嚇(いかく)した後、ディデリスは剣の柄に手をかけたまま穏やかに振り返った。
「会談の場を提供していただいたチェンタの城を、血で汚すわけにはまいりません。この逆賊の首は私にお預けください、テムラン殿。それで、“お土産”には何をご所望ですか?」
「バシリウスを惨殺した者の名を」
 決然としたアルテミシアの態度に、ディデリスは唇を引き結ぶ。
―「赤の惨劇」の首謀者を特定しないうちは、トーラ国に来てくれるな―
 その思いがひしひしと伝わってくる。
(叔父上の家の者は殺され果てた上で火を放たれた…。だがアルテミシアにも、元凶はわかっていないのか)
 ディデリスは柄を副隊長に任せ、自らはアルテミシアの真正面に立った。
「ならばテムラン殿」
 ディデリスは儀礼的に、トーラ王から与えられたという名を呼ぶ。
「あの夜、貴女(あなた)しか見ていない、聞いていないことがあるはずです。バシリウス叔父上の屋敷は(ひど)く焼け落ち、残っている物がほとんどない。何の痕跡も見つけられていない。叔父上が背後から襲われたことも、貴女(あなた)が背を切りつけられたことも」
 ディデリスの声が怒りに低くなる。
「フリーダ卿と貴女(あなた)が、儚くなった者たちの中にはいなかったことも何もかも。まったくわからなかった。…生きたまま焼かれる。そんな、(むご)いことが…」
 アルテミシアが語った幼い双子の最期には、さすがのディデリスも胸が詰まる。
 ディデリスがすっと、金の腕輪が光る右手を差し出した。
「お前の話を聞かせてくれないか。俺だって叔父上の死は無念だ。そんな最期を迎えなければならない方ではなかった。この二年、忘れたことなどない。本当だ」
 アルテミシアの視線が、差し出されたディデリスの腕に光る腕輪に落とされる。
「サラマリス公の(まこと)を疑いはしません。でも…。あなたの手を取ることは、できない」
「…そう」
 寂しそうに笑い、ディデリスは腕を引いた。
「ここで」
 アルテミシアが目を上げる。
「ここで話すことは、もうありません」
「そう…」
 交わす瞳で、彼女が何を言いたいかを瞬時にディデリスは理解した。
 二年近い空白があるとはいえ、それ以前は何年も。空いた時間はすべてともに過ごしていた仲だ。
 ディデリスはボジェイクに向き直り、帝国正式の礼を取った。
「フレク老長。ご厚意の場の調度品を傷つけ、申し訳ありませんでした。後日代替の品を贈らせていただきます」
「いや、気にしなくていい。それより」
 のけぞったまま固まっているクラディウスに、ちらりとボジェイクの視線が投げられた。
「逆賊の血はうちの山に吸わせていくか」
 クラディウスの顔が引きつる。老長の穏やかな声とは裏腹の、無慈悲な表情に背が震えた。
「いえ」
 ディデリスは何の感情も映さない、平坦な瞳をしている。
「連れて帰ります。こんな者でも赤竜一族に名を連ねる者。然るべき手続きを取る必要があります。ですが」
 ディデリスが言葉を切り、左手で口元を隠した。
「“帰る途中事故に遭う”ということも、山道ではよくある話ではありますが」
「ああ、まあな。しかし…」
 ボジェイクはふっと椅子(いす)の背にもたれかかり、猛禽類のような瞳を細めた。
「怖い男だな、お前さんは」
「お()めいただき光栄です」
 泣きぼくろのある怜悧(れいり)翡翠(ひすい)の瞳が、艶麗(えんれい)な笑みを作った。

 会談後簡単な宴席が設けられ、そこで帝国が持つイハウ連合国の情報が提供された。
 やはりイハウには、スバクル国統領レゲシュ家と共謀する勢力が存在する。先のスバクル政争時には、資金の援助などもあったようだ。
 それが今回はスバクルに対して、竜の偽情報を流すなどの謀略を巡らせている。暗躍しているのはイハウ政権中枢に近い者。目的はスバクル共和国への侵略。トーラ側の推測は確証となり、ジーグはこれからの(いくさ)についての策を胸の内で練った。

 明日は紛争地へ向かうトーラ国の事情に配慮して、(うたげ)は早めに散会された。
「ご足労いただきありがとうございました。これを機に、ぜひ良好な関係を。切に願います」
 ディデリスが手を(そろ)え、トーラの正式な礼を取る。
「こちらこそ。竜に関してのご理解を(たまわ)り、恐悦に存じます。テオドーレ皇帝陛下にも後日、感謝の書状を送らせていただきます」
 ジーグが応え、アルテミシアとともに帝国の礼を取った。
「つつがなく終わり何よりだ。両国ともよく休んでくれ。客間に案内させよう」
 ボジェイクの大きな(こぶし)が、食卓を三つ叩いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み