過去との対峙 -3-

文字数 3,064文字

 ディデリスが書状から手を離すと同時にアルテミシアは我に返り、視線が横に流れた。

(ああ、やっぱり……)

 あの誕生日の思い出は、アルテミシアから失われてはいない。
 家族などあってないようなサラマリス家のなかで、誰よりも慈しみ、甘やかせてきた可愛い従妹(いとこ)
 アルテミシアが我がままを言うのは、ディデリスにだけ。
 ディデリスが我がままを聞くのは、アルテミシアだけ。

 ディデリスの瞳が緩みかけたとき、不意にガサゴソという乾いた音が響いた。
 見れば剣士が大きな動作で、丁寧に受け取った書状をたたんでいる。
 途中、納得いかない様子で何回も開いては、たたみ直すことを繰り返した。
 わざとらしいその仕草に、たちまち翡翠(ひすい)の瞳の温度が下がる。
「それにしても」
 書状がトーラ王国特使の(ふところ)に収まるのを待ってから、ディデリスは険のある美声を浴びせた。
「その

でトーラ王の危機に奮闘し、功績を収めたレヴィア殿下には、ぜひ一度、お目通り願いたいものです」

(おそらく二十歳(はたち)は超えているまい)

(実年齢も把握できていないのか。上出来だ)

 ディデリスとジーグの視線が火花を散らす。
「帝国と親交を深めることは、トーラ王国にとって損にはならないでしょう。そういえば、我らが皇帝陛下も、たまには息抜きをさせろとおっしゃっておりました。国交締結がてら、北の楽園と名高いトゥクースへご巡行なさってはと、奏上してみましょう」
 美しい作り笑いを浮かべるディデリスに何も答えず、表情も変えず、ジーグはただ頭を下げた。

(詳細を得られぬ者は直接見る、か。一筋縄ではいかない男だ。相変わらず)

 ジーグの考えを読んだかのように、ディデリスの笑顔が跡形もなく消えていく。 
「トーラ王国と帝国に挟まれてうちとしては、仲良くやってくれれば、それに越したことはない。今回は、実のある会談になったようで何よりだ」
 ボジェイク老長の締めで、お開きになるかと会場の空気が緩んだとき。
「皇帝陛下がトーラ王国をご訪問なさるのならば」
 ジーグもディデリスも。
 その場にいる全員の目がアルテミシアに集まった。
「ぜひ、

をお持ちくださいと、お伝えいただけますか」
「おねだりか?アルテミシア」
 皇帝の書状に顔色を無くしていたというのに。
 国同士の会談の場でその名を呼び捨てにして、クラディウスはそっくり返ってアルテミシアを見上げた。
「ほんの子供だったくせに、すっかり女だな。欲しい物があるなら、うちのグイドに頼んでやろう。グイドは昔からお前を欲しがっていたから、喜んで用意するだろう。お前がいなくなっても、まだ独身(ひとりみ)でいるぞ。もういい年なんだから、あまり意地を張っていると貰い手がなくなるぞ。ドルカ家が、お前の新しい実家になってやろうではないか」
 アルテミシアの瞳に怒りが湧き上がり、その手が腰に帯びた短剣にかかる。
 
 ヒュン!
 ドズッ!!
 
 鋭い風切り音が空気を切り裂き、重い音が部屋を震わせた。

「ひぃっ!」
 飛び出るかと思うほど目をむいたクラディウスが、硬直している。
 その鼻先を切り落とさんばかりの距離で、ディデリスが卓上に両手剣を突き刺していた。
 凍りついた美しい翡翠(ひすい)の瞳が、ギラリと光る(やいば)越しにクラディウスをにらみつける。
 浴びた敵意の強さに、クラディウスの(のど)が詰まった。
 
 物音ひとつしない、静まり返った時間が流れていく。
 
 まなざしで存分に威嚇(いかく)してから、ディデリスは剣の柄に手をかけたまま、静かに振り返る。
「会談の場を提供していただいたチェンタの城を、血で汚すわけにはまいりません。この逆賊の首は私にお預けください、テムラン殿。それで、”お土産”には何をご所望ですか?」
「バシリウスを惨殺した者の名を」
 間髪入れずに返された答えに、ディデリスは唇を引き結んだ。

――「赤の惨劇」の首謀者を特定しないうちは、会いに来てくれるな――
 
 その思いがひしひしと伝わってくる。

(アルテミシアにも、元凶は思い当たらないのか)
 
 ディデリスは剣の柄を副隊長に任せると、アルテミシアの真正面に立った。

「ならば、テムラン殿」
 ディデリスは儀礼的に、トーラ王から与えられたという名を呼ぶ。
「あの夜、貴女(あなた)しか見ていない、聞いていないことがあるはずです。バシリウス叔父上の屋敷は(ひど)く焼け落ち、残された物はほとんどない。何の痕跡も見つけられていない。叔父上が背後から襲われたことも、貴女(あなた)が背を切りつけられたことも」
 ディデリスの声が怒りに低くなった。
「フリーダ卿と貴女(あなた)が、儚くなった者たちの中にはいなかったことも、何もかも。まったくわからなかった。……生きたまま焼かれるなんて、そんな(むご)いことが……」
 金の腕輪が光る右手が、すっとアルテミシアに差し出される。
「お前の話を聞かせてくれないか。俺だって、叔父上の死は無念だ。この二年、忘れたことなどない。……本当だ」
「サラマリス公の(まこと)を疑いはしません。でも……。でも、あなたの手を取ることは、できない」
「……そう」
 寂しそうに笑って、ディデリスは腕を引いた。
「ここで」
 アルテミシアが目を上げる。
「ここで話すことは、もうありません」
「そう……」
 交わす瞳で、彼女が何を言いたいのかを、瞬時にディデリスは理解した。
 二年近い空白があるとはいえ、それ以前は何年も。
 空いた時間はすべてと言ってよいほど、ともに過ごしていた仲だ。
 
 ディデリスはボジェイクに向き直り、軽く頭を下げる。
「フレク老長。ご厚意の場の調度品を傷つけ、申し訳ありませんでした。後日、代替の品を贈らせていただきます」
「いや、気にしなくていい。それより」
 のけぞったまま固まっているクラディウスに、ちらりとボジェイクの視線が投げられた。
「そのボンクラの血は、うちの山に吸わせていくか」
 穏やかな声とは裏腹の酷薄な表情に、誰の目にもわかるほどクラディウスが震える。
「いえ、連れて帰ります。こんな者でも、赤竜一族に名を連ねる者。然るべき手続きを取る必要があります。ですが」
 ディデリスが言葉を切り、左手で口元を隠した。
「”帰る途中事故に遭う”ということも、山道では、よくある話ではありますが」
「ああ、まあな。しかし」
 ボジェイクの、猛禽類のような瞳がすっと細くなる。
「怖い男だな、お前さんは」
「おほめに預かり光栄です」
 泣きぼくろのある翡翠(ひすい)の瞳が、艶麗(えんれい)な笑みを作った。

 会談後は簡単な宴席が設けられ、そこで帝国が持つイハウ連合国の情報が提供された。
 
 やはり、イハウ連合国にはスバクル領主国、統領レゲシュ家と共謀する勢力が存在する。
 その勢力は先のスバクル政争の際にも一枚噛んでいて、資金の援助などもあったようだ。
 ところが今回は、偽の竜情報を流すなど、レゲシュ家に対して謀略を巡らせている。
 暗躍しているのは、イハウ連合国の政権中枢に近い者。
 目的はスバクル領主国への侵略。
 トーラ王国側の推測は確証となり、ジーグはこれからの(いくさ)についての策を胸の内で練った。

「ご足労いただきありがとうございました。これを機に、ぜひ良好な関係を。切に願います」
 (うたげ)の終了間際、ディデリスはジーグに手を差し出す。
「こちらこそ。竜に関してのご理解を(たまわ)り、恐悦に存じます。テオドーレ皇帝陛下にも後日、感謝の書状を送らせていただきます」
 ジーグがその指先を軽く握り、隣でアルテミシアも頭を下げた。
「つつがなく終わり何よりだ。両国ともよく休んでくれ。寝所に案内させよう」
 ボジェイクの大きな(こぶし)が食卓を三つ叩き、それが初の両国会談の終了の合図となった。
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