茨姫の傷-胸騒ぎ-

文字数 1,753文字

 聞き慣れた鳴き声に、眠りの中にいたレヴィアの意識が浮上する。
 うっすら目を開けると、部屋はまだ薄暗い。
 夜は明け始めたばかりのようだ。
「クルルゥっ」

(ロシュだ!)

 訓練場の方向から聞こえた高らかな声に、レヴィアは寝床から跳ね起きた。
 
 漆黒に紅い稲妻の羽を持つ竜が、昇り始めた朝日を浴びながら、軽快に訓練場を走っている。
 手綱(たづな)を握るアルテミシアの髪に風が吹きつけ、ロシュの稲妻と同じ色の髪が舞い上がった。
 少し会わなかっただけなのに、とても懐かしい。
「ミーシャ!」
 走り寄ってくるレヴィアに気づくと、アルテミシアは手綱(たづな)を引いてロシュの足を止めた。
「レヴィア!早いな。起こしてしまったか?」
「そんなこと、ないよ。……あの、今日は、出かけないの?」
「ん。だいぶ調査が進んでな。もう少ししたら出番が来るぞ」
「ほんと?!」
「私が痛めつけてしまった者たちがな」
 瞳を輝かせているレヴィアに、アルテミシアがにやっと笑う。
「何人かが治療を拒んでいるんだ。貴方(あなた)になら心を開くかもしれない。診てやってもらえるか?」
「もちろん!できることがあるのは、嬉しい」
「レヴィはかわい……」
 言いかけて、アルテミシアはレヴィアから目をそらした。
「久しぶりにスィーニと走るか。いや、スィーニは飛ぶな。平原まで行こう」
「遠乗り、する?」
「私はロシュで先に出る。スィーニを連れておいで」
 
(遠乗り、できないんだ……)

 がっかりした表情を隠せず、肩を落としたレヴィアはうつむくようにうなずいた。
 
 平原で行われた二頭の竜による模擬戦闘訓練は、これまでのものが遊びだったかと思うほど、本格的なものだった。
「今日は、ずいぶん、あの」
「戦闘状態に入るかもしれないからな。……レヴィア」
 笑顔ひとつ見せないアルテミシアに、レヴィアは戸惑う。
「迷うなよ。相手は命を奪うことを、ためらいなどしない。ときに非情な決断も求められる。レヴィアはトーラの王子であり、フリーダ隊の指揮官だ。皆を、国を守る責任がある。最後まで生き残り、背負う覚悟をしろ」
「わかってる。貴女(あなた)だけに背負わせない。その覚悟はできてる」
 アルテミシアは急にロシュから降り立つと、レヴィアに背を向けてしまった。
「さすが殿下だ。そういえば昨日、トーラ城で陛下にお会いした。縁談が来たんだって?」
「兄さまに、だよ。僕のはおまけ。……だって、僕は」
 
 「混じり者」と呼ばれて、忌み嫌われていたのに。
 「王子」となったとたんに、縁を望まれるなんて。

「……嫌、だな」
 ぽつりとつぶいたレヴィアに、アルテミシアが首だけで振り返った。
「嫌なら断ればいいだけだ。レヴィアには選ぶ権利がある」
「僕から断っても、いいの?」

 父王でさえ、冗談交じりに伝えてきた話ではある。
 しかし、今後も「王子」という立場を望まれるならば、それは自分ひとりの問題では済まないのだろう。
 そう思えば、気が滅入るばかりだのだが。

「嫌な縁談を無理に受ける必要はない。レヴィアは王族だが、その前にひとりの人間だ」
「ひとりの、人間……?」
「そうだよ。当たり前じゃないか」
「そっか。……当たり前……」
 笑顔になりかけて、すぐにレヴィアの表情は曇った。

 アルテミシアはいつもいつも、自分が欲しいと思っていた言葉をくれる。
 今もそれは変わらないのに。
 けれど、どうして今日は、こんなに遠く感じるんだろう。
 ……どうして、振り向いてくれないのだろう。

貴方(あなた)は今まで、ずっと我慢を強いられてきた。やっと良い仲間を得て自由になれた。心のままに未来を決めていいんだぞ」
「心のままに?わがままじゃ、ない?」
 アルテミシアの横顔が微笑んだ。
「わがままではありませんよ、レヴィア殿下。当然の権利です。……さて、帰ろうか」
 アルテミシアはひらりと(くら)に飛び乗ると、返事も待たずにロシュを走らせていく。
「今日は朝ご飯、一緒に食べたいな」
 独り言になってしまった願いをレヴィアがつぶやいたとき、背後からスィーニの首が伸びてきた。
「クるる」
 頑丈な(くちばし)が、甘えるようにレヴィアの頬に擦りつけられる。
「そう、だね。僕たちも、帰ろうか。空からなら、きっと追いつくよね」
 レヴィアは美しい青藍の羽を持つスィーニの頬をなでながら、遠ざかるアルテミシアの背中をしばらく見送り続けた。
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