惹かれ合う魂

エピソード文字数 4,039文字

 霧の中を歩いている。
 足元も見えないほどの濃霧(のうむ)だ。
 脇腹の鈍痛はもう感じない。子どものころのように体が軽かった。
(皆は、どこかしら…)
 一人ふらふらとしていてはジーグにお説教をされてしまう。フェティとラキスのお墓も作ってあげたい。
 グイド…。
 グイドはどうしたのだったか。
 竜騎士になったことは覚えている。だが、いつ解除されたのだろう。
 手を差し伸べるレヴィアの姿が脳裏をよぎる。
 カーフ。異形の竜。
(レヴィに会いたい)
 だがもう会えないのだろうと、戻れないのだろうと、どこかでわかっていた。
(情を(かか)えたまま戦ったから)
 (おきて)破りの竜騎士の結末がこれか。
 アルテミシアはふっと笑う。
 悪くない。
 レヴィアにはもう、たくさんの仲間がいる。
 その中に自分がいなくなったとしても、レヴィアの記憶の中に存在し続けることができる。
 この罪深い命が、可愛いレヴィアの思い出として残るのならば、悪くない。
 まっすぐに向けられる黒い瞳。ためらいなく差し伸べられる手。小さいうちから孤独の中生き抜いて、だから何でも一人でこなせる。でも誰よりも他人の温もりを喜ぶ小さな…。
(ああ、もう小さくはなかったわね…)
 レヴィアの姿を思い浮かべながら、アルテミシアは歩き続ける。
 背丈だけなら、ジーグにも追いつきそうだ。
(剣の腕も立つ。アルバスも乗りこなす。料理も上手)
 皆から好かれるはずだ。
 フロラが一心にレヴィアを慕う様子を思い出す。
 柔らかに広がる金髪を結び、青空のような瞳でレヴィアを懸命に見上げている愛くるしい横顔。レヴィアの隣に立って一緒に菓子を作っているときの、ほのかに染まる(ほほ)
 ああいう可愛らしい娘と一緒に料理をしている姿は、レヴィアによく似合っている。
「できるなら、私でありたかった、けど」
 思わずつぶいた声が耳に入り、自分で驚いた。
 何が?何が自分でありたかった?
 自分がレヴィアの隣で料理を?
「はは、あり得ない。本当にバカだな、私は」
 似合うわけがない。自分はただの竜騎士だ。
 大体、料理は禁止されている。でもレヴィアと一緒ならばなぜか失敗しない。遠乗りにもまた行きたかったな。アルバスに乗るとロシュが()ねるし、ロシュで出かけるとアルバスが怒る。でも遠乗りなのだから、どちらか選ばないと。レヴィと一緒に乗らなければ。一緒でなければ、つまらない。
 考えがまとまらなくなる。もうどのくらい歩いただろう。
 霧はますます深くなり、首元まで白く沈んでいる。
(どこへ行くのだったかしら…?)
 そもそも行く必要があるのかどうかも、わからなくなってきた。
 歩くのをやめてしまおうか。
 そう思ったとき、どこからかせせらぎの音が聞こえてきた。
(川?)
―水のある方向は間違いありませんよー
 そう教えてくれたのはジーグだ。
(ジーグは怒っているかしらね。“リズィエは考えが足りません!”って)
 確かに。考える前に体が動いていた。
 ただ守りたかった。あの可愛い、はにかむような笑顔を。
「守りたかったんだ」
 口に出してみる。
「…レヴィは、可愛いから…」
 だがここには、そう言われてむっと(ほほ)をふくらませる人はいなかった。
 
 突然霧が晴れた。
 目の前に、向こう岸が見えないほどの大河が広がっている。
「…わぁ!」
 アルテミシアは歓声を上げた。
 水辺に立つと、美しい川藻(かわも)(むれ)を成して水中で揺れているのが見える。
 重なる濃い緑の葉の間から、白い可憐な花がいくつものぞいていた。その花々が水流に揺らめいていた。
 その珍しい花をもっと近くで見たい。
 アルテミシアは川に入ろうと足を上げた。
「サイーダ」
 間近で穏やかな声がする。
 振り仰ぐといつの間にか、背の高い女性が隣に立っていた。
 艶やかな長い黒髪を風になびかせながら、その女性は微笑んだ。
「その水は、まだあなたには冷たいと思うの。あなたには、温かい腕が待っているわ」
 柔らかい声が優しくアルテミシアを包む。 
 その響きはアガラム語だ。だが今、何を話されているのか、不思議とアルテミシアにも理解できた。 
 星を浮かべる漆黒の瞳に見覚えがあるような気がする。
「温かい、腕?」
「そう。あなたが望んでくれるのなら、いつでも手に入るのよ」
 その(うるわ)しい人は小首を(かし)げて笑う。途端(とたん)に、少女のような(いとけな)い雰囲気が(かも)し出された。
(ああ、この表情は、知ってる…)
 アルテミシアの胸に懐かしさがこみ上げる。
「望んであげてちょうだいな。あなたのために在りたいと願う心ごと。命ごと。あなたが守りたいと思ってくれるように、あの子もあなたを守りたいの。さあ、戻って」
 白く長い衣をまとったその女性(ひと)は、すらりとした褐色の腕をアルテミシアに伸ばした。
「でも…」
 アルテミシアは遠く(かす)んでいる向こう岸に目を()せる。
「ラキスとフェティが待っているから。遊ぶ約束をしてるんだ」
 星の瞳に哀切が浮かび、ゆっくりとその腕が下ろされた。
―ミーシャっ!―
 必死に呼ぶ声が耳に入った。アルテミシアは辺りを見回す。
 今いる川岸はこんなにも明るいのに。
 すぐ後ろには、白い霧に満たされた暗黒の空間が広がっていた。
貴女(あなた)は、僕の世界そのものだよ―
 とてもとても慕わしい声が、霧の向こうから聞こえてくる。
―僕のすべてをあげる。だから戻ってきて―
「…泣いてる…」
 胸が(つぶ)れそうだ。
貴女(あなた)がいなくなったら、僕は生きてはいけない―
「結局泣かせてしまったのか。…もお。泣き虫だな」
 どうやったらあの涙を止められるのだろう。笑顔を取り戻せるのだろう。
 水辺から足を離し、アルテミシアは一歩、声のする方向へと体を戻した。
 (うるわ)しい人が嬉しそうに微笑みながら、再びその腕をアルテミシアに伸ばす。
「わたくしの可愛い泣き虫さんをよろしくね。あの子が初めてわたくしに祈った願いを、叶えさせてちょうだい」
 (たお)やかな腕が思い切りアルテミシアを突き飛ばした。
 明るい川岸は瞬時に消え、霧が再びアルテミシアを包む。
 何かに引きずられるように、引っ張り込まれるように、体が重く落ちていく。
 重い。痛い。苦しい。
「…はぁっ…」
 アルテミシアはひとつ大きく息を吐いた。
 まぶたをこじ開けると、布の天井が目に入る。
 あれほど軽かった体は、縫い留められているように重く動かない。
「アルテミシア様っ?!」
 メイリの声が聞こえた。
(ああ、そうか…)
 アルテミシアは覚る。帰ってきた、と。
「目がお覚めになりましたかっ?!レヴィア様っ!」
 体は熱い(かたまり)のようだ。メイリの慌てた足音が耳に届く。
 呼吸が上手くできない。浅い息を何度も繰り返す。
「ミーシャっ!」
 懐かしい声で、懐かしい名前を呼ばれた。
 声のするほうへ首を向けようとするが、痺れるような激痛が体中に走る。
 だがやり過ごしながら、だましながら、少しずつ体を動かす。
 レヴィアは急いでアルテミシアに駆け寄りその枕元に(ひざ)をつくと、動かそうとしている体にそっと手を添えた。
「無理しないで」
 首だけやっと回したアルテミシアの瞳にレヴィアが映る。
 漆黒の瞳が見開かれ、大粒の涙が()まっていた。
 アルテミシアは笑ってみせたかったが、わずかに口の端が動いただけだった。
「…ミーシャ」
 震える声で名を呼んでくれる、そのいじらしい人の涙を(ぬぐ)いたいと思う。
 アルテミシアは手を伸ばそうとした。
 だが、腕はぬかるみにはまってしまったように動かない。ただ指先だけが、少し痙攣(けいれん)するばかりだ。
 気づいたレヴィアが急いでその手を両手で包み持ち上げ、唇に当てる。
「わかる?僕がわかる?」
(もちろん)
 声は出なかった。唇の形だけで「レヴィ」と応える。
「…アルテミシア…」
 レヴィアは安堵(あんど)の息とともに、(かす)れる声でその名を呼び返した。

 飛び込むようにアルテミシアのもとにやってきたジーグの目は真っ赤だった。
 金の瞳に真っ赤な目とは。
 派手な色の組み合わせだなと、アルテミシアはぼんやり思う。
 しかし、そんなことを言ったら叱られる前に泣かれそうだと思うほど、ジーグは憔悴(しょうすい)しきっていた。
 自分はそんなに危なかったのか。あの「赤の惨劇」のときよりも。
 まだ焦点のぼんやりしている鮮緑(せんりょく)の瞳を、食い入るようにのぞきこんでいたジーグが、レヴィアに顔を向けた。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。意識が戻ったから。まだ油断できないけれど。ミーシャ、薬湯飲める?」
 レヴィアがアルテミシアの枕元にひざまずき、冷ました薬湯を口元に差し伸べる。
 横になっていても飲みやすいように工夫されている吸い口が、慎重にアルテミシアの唇に乗せられた。
「ゆっくりね。無理しないで」
 アルテミシアの口を湿らせる程度でレヴィアは吸い口を戻す。
「少しずつ様子を見よう」
 アルテミシアはゆっくりとうなずき目を閉じる。急に眠気が襲ってきた。
「ずっとそばにいるから。安心して休んで」
 レヴィアの穏やかな声を聞いていると、痛みが遠くなるようだ。
 眠気がさらに深まる。
「レヴィ…」
 吐息だけで、それでもアルテミシアはレヴィアを呼んだ。
 どうしても伝えておかなければ。
「おかあ、さま…に、あった。きれいな、くろ…かみ…、もどれっ…て…」
 意識を手放したアルテミシアが眠りに落ちていく。
 レヴィアとジーグは言葉もなく、その寝顔を見つめていた。
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