闇の落とし子 -カザビアの滅家-
文字数 3,347文字
黒竜領袖家当主と一緒に謝罪に訪れたベルネッタは、何を考えているのか読めない少女だった。
「士官学校での成績が芳 しくなくて、つい竜術の体現者に、つまらない嫉妬を抱 いたようだ」
優雅に足を組んで、バシリウスの前に座るシルヴァ・マレーバは、まるで悪びれる様子もない。
「黒竜のリズィエは、優秀だと聞き及んでおりますよ」
「追従 は結構です」
バシリウスを軽くいなすシルヴァの横で、瞬きもせずに、ベルネッタはアルテミシアを見ていた。
「しかし、金的蹴 りで悶絶した者もいるとか。優秀なサラマリスの士官生が仇討ちしたせいで、今は全員、療養所生活ですし。贈り物に対して、いささか返礼が高価過ぎる気もいたいますが。そこは、さすがサラマリスの子弟といったところですか。十歳の子供が士官生に本気を出させるとは、見事ですな」
――アルテミシアが川に突き落とされたのは、自業自得だ――
そう言わんばかりのマレーバ公に、ジーグは憤りを感じたのだが。
「さすがでも見事でもなかったと思います、マレーバ公」
無邪気な鮮緑 の瞳を向けられて、シルヴァから余裕の笑みが消える。
「私はまだまだ未熟者だと痛感いたしました。サラマリスの名にかけて、次は全員、返り討ちにいたします。次は、ディデリスに仇討ちなんかさせません」
「ふふ、くくくっ」
突然、硬い表情だった黒竜のリズィエが笑い出した。
「ディデリスが可愛がるわけね、サラマリスのリズィエ。襲わせた私が悪いのではなく、貴女 が至らなかったというのね?」
「いいえ」
幼いアルテミシアは怯 むことなく、ベルネッタを見上げる。
「悪いのは、もちろんベルネッタ様です」
ベルネッタは笑い止み、また無表情になってアルテミシアを見つめた。
「何かご不満があるなら、ベルネッタ様ご自身がいらしてください。ベルネッタ様の体術は素晴らしいと、ディデリスから聞いています。次は、えーと、”サシ”で勝負をいたしましょう!」
「リズィエ」
俗語を使ったことをジーグにたしなめられたアルテミシアが、ぺろりと舌を出すのと同時に。
「悪かったわ」
ベルネッタが立ち上がり、年下の少女に向かって礼を取った。
艶のある黒の巻き毛がふわりと揺れて、ベルネッタのあでやかさをより強調する。
「殺すつもりなどなかったとはいえ、やり過ぎてしまったことは事実。貴女 に万が一があれば竜族の、いえ帝国の損失。責任を取って、私は士官学校を辞める。改めて自分の道を探すわ」
「ベルネッタ、何を勝手にっ」
「サラマリスのリズィエを溺れかけさせておいて、このままというわけにはいかないでしょう、父上。大事 にしないでくださっている、サラマリス家に報いなければ」
声を荒らげる父親を尊大に見下ろし言い放つと、ベルネッタは「心より謝罪いたします」と頭を下げて、ひとり帰っていった。
◇
ベルネッタがアルテミシアを襲わせた理由は、何だったのだろうか。
結局、その理由は明確にならない幕引きだった。
そんな遺恨ある黒竜のリズィエを、「赤の惨劇」の首謀者ではないかと、ジーグは疑ったこともあったのだが。
(結局、同族の凶行とは)
「ゴルージャ・オズロイが本名ならば」
虚しさを感じながら、ジーグが切り出した。
「カザビア王朝の大臣だった男と、同じ名前です」
竜騎士三人が、稀代の剣士に一斉に目を向ける。
「旧知の仲か」
ディデリスから問われ、ジーグはうなずく。
「顔を見れば、互いにわかるでしょう」
「そのオズロイは、ジーグがサラマリス家にいることを知っていたかしら」
カザビア人の特徴である琥珀 の瞳が、穏やかに主 を見下ろした。
「いえ。竜騎士でもないニェベス公の話が、私の周囲で出なかったのと同様。サラマリス家の食客 でしかない私のことなど、さして話題にもならなかったでしょう。それに、普段はジーグを名乗っておりますから……」
「でも」
アルテミシアは従者をひたりと見つめる。
「ジーグ・フリーダと聞けば、ジグワルド・フリーダを連想する可能性は高いわ。フリーダも、帝国では馴染 みのない響きだもの。それでも、ゴルージャが気がつかないだろうとお前が言うのなら、ほかに理由があるわね?」
――不自然な言葉の止め方をしたのを、私が気づかなかったとでも思うの――
そう言いたげな主 に、従者は満足そうに微笑む。
「ゴルージャ・オズロイ・ラズドロフ。それが彼の正式名です」
「ラズドロフ?」
「正式名?」
ジーグは何を知っているのか。
竜騎士三人は、食い入るように亡国の剣士を見つめた。
「オズロイは家族名です。親族のみが知る、普段は表に出ない名前。私のフリーダと同じように」
「では、ジーグの正式名は……?」
アルテミシアの問いにしばらく沈黙して、ジーグは懐かしむ、また諦めた声で答えた。
「ジグワルド・フリーダ・バーデレ」
「バーデレっ。……カザビアのバーデレ家か」
ディデリスの端正な顔が、納得と皮肉に歪 んだ。
「どうりでジグワルド・フリーダで探らせても、何の情報も出ないわけだ」
「やはり調べておられましたか」
「当たり前だ。叔父上を信じてはいたが、サラマリス家に急に入り込んできた輩 のことを、」
「最初は、ご興味もなかったのでは」
金目 の男に話を遮 られて、ディデリスの眉に不機嫌が刻まれる。
「貴方 が私のことを調べさせたのは、私がリズィエの側役 になってから、ずいぶん後のことだ。そう、貴方 の十六歳の誕生日以降」
翡翠 の瞳が険悪にジーグを見上げた。
「なぜ知っている」
「推察しました」
「本当に嫌な奴だ」
「とっくにご存じでしたでしょうに」
次にこのふたりが言葉を交わしたあとには、剣でも抜き合っているのではないか。
そう不安になったアルテミシアは、無理やり会話に割り込み、本来の疑問をジーグにぶつける。
「フリーダだけではニェベス公、いえゴルージャ・オズロイには、ジーグのことはわからないのね?表に出ない家族名だから。けれど、なぜお前はオズロイでわかるの?」
「カザビア執務官たちの正式名は、全員把握しておりましたから」
「バーデレ家の人間ならば、朝飯前だな」
吐き捨てるようにつぶやくディデリスは無視して、ジーグはアルテミシアに微笑みかけた。
「私がカザビア滅亡時にサラマリス家にいたのは、イハウ急襲への助力を願うためでした」
「ええ、それは聞いているわ。貴方 は私の命の恩人だもの」
従者ではなく、敬 う師匠として伸ばされた手を、ジーグがそっと包み込む。
「イハウの闇討ちで重傷を負っていたのに、大猪に襲われていた私をかばい、戦ってくれた。あのとき、私はたった三つだったけれど、あの鮮やかな剣術は忘れられない」
牙をむいて襲いかかろうとしている大猪を前に、泣きもしていなかった小さなアルテミシアを思い出し、ジーグにも懐かしそうな笑みが浮かんだ。
「ジーグの出身家は、カザビアでも卓越した武術を誇る武家なのでしょう?」
「それだけではない」
硬い声に目を移すと、従兄 は不機嫌の塊 と化している。
「カザビアのバーデレ家といえば、帝国を始め、各国が恐れる潜入術を持った一族だった。”バーデレに聞こえぬ音無し。見えぬ物無し”」
ここにきて、無言でジーグを見つめていたカイも口を開いた。
「あの技が失われたことは残念だったと、以前、皇帝陛下もおっしゃっていたが……」
(なるほど)
積年の疑問が解けたディデリスは、さらに眉間のしわを深くする。
(滅亡した小国出身者にしては重用され、バシリウス叔父上が腹心として扱っていたわけだ)
小国カザビア繁栄の主柱とも言われていたのが、バーデレ家だ。
その諜報力を恐れ、各国も協力関係にあったといっても過言ではない。
面白くなさそうに鼻を鳴らすディデリスの隣で、カイは何度も首を縦に振っていた。
「そうか。ジーグ殿は、バーデレ家の方だったのか。ならば、現ニェベス公のことはお見通しだな」
「カザビア執務官時代も、評判のよい男ではありませんでした」
(思うところは存分にあるが……)
ディデリスはいったん、すべての感情を押し殺すことにする。
「その話、後ほど詳しく聞かせてもらう。スチェパを始め、ニェベス家審議に関わる重要な情報だ。今は続きを」
ディデリスの提案に、ジーグも浅くうなずき返した。
「士官学校での成績が
優雅に足を組んで、バシリウスの前に座るシルヴァ・マレーバは、まるで悪びれる様子もない。
「黒竜のリズィエは、優秀だと聞き及んでおりますよ」
「
バシリウスを軽くいなすシルヴァの横で、瞬きもせずに、ベルネッタはアルテミシアを見ていた。
「しかし、
ちょっかい
を出した者も、ひとりは歯を折られ、――アルテミシアが川に突き落とされたのは、自業自得だ――
そう言わんばかりのマレーバ公に、ジーグは憤りを感じたのだが。
「さすがでも見事でもなかったと思います、マレーバ公」
無邪気な
「私はまだまだ未熟者だと痛感いたしました。サラマリスの名にかけて、次は全員、返り討ちにいたします。次は、ディデリスに仇討ちなんかさせません」
「ふふ、くくくっ」
突然、硬い表情だった黒竜のリズィエが笑い出した。
「ディデリスが可愛がるわけね、サラマリスのリズィエ。襲わせた私が悪いのではなく、
「いいえ」
幼いアルテミシアは
「悪いのは、もちろんベルネッタ様です」
ベルネッタは笑い止み、また無表情になってアルテミシアを見つめた。
「何かご不満があるなら、ベルネッタ様ご自身がいらしてください。ベルネッタ様の体術は素晴らしいと、ディデリスから聞いています。次は、えーと、”サシ”で勝負をいたしましょう!」
「リズィエ」
俗語を使ったことをジーグにたしなめられたアルテミシアが、ぺろりと舌を出すのと同時に。
「悪かったわ」
ベルネッタが立ち上がり、年下の少女に向かって礼を取った。
艶のある黒の巻き毛がふわりと揺れて、ベルネッタのあでやかさをより強調する。
「殺すつもりなどなかったとはいえ、やり過ぎてしまったことは事実。
「ベルネッタ、何を勝手にっ」
「サラマリスのリズィエを溺れかけさせておいて、このままというわけにはいかないでしょう、父上。
声を荒らげる父親を尊大に見下ろし言い放つと、ベルネッタは「心より謝罪いたします」と頭を下げて、ひとり帰っていった。
◇
ベルネッタがアルテミシアを襲わせた理由は、何だったのだろうか。
結局、その理由は明確にならない幕引きだった。
そんな遺恨ある黒竜のリズィエを、「赤の惨劇」の首謀者ではないかと、ジーグは疑ったこともあったのだが。
(結局、同族の凶行とは)
「ゴルージャ・オズロイが本名ならば」
虚しさを感じながら、ジーグが切り出した。
「カザビア王朝の大臣だった男と、同じ名前です」
竜騎士三人が、稀代の剣士に一斉に目を向ける。
「旧知の仲か」
ディデリスから問われ、ジーグはうなずく。
「顔を見れば、互いにわかるでしょう」
「そのオズロイは、ジーグがサラマリス家にいることを知っていたかしら」
カザビア人の特徴である
「いえ。竜騎士でもないニェベス公の話が、私の周囲で出なかったのと同様。サラマリス家の
「でも」
アルテミシアは従者をひたりと見つめる。
「ジーグ・フリーダと聞けば、ジグワルド・フリーダを連想する可能性は高いわ。フリーダも、帝国では
――不自然な言葉の止め方をしたのを、私が気づかなかったとでも思うの――
そう言いたげな
「ゴルージャ・オズロイ・ラズドロフ。それが彼の正式名です」
「ラズドロフ?」
「正式名?」
ジーグは何を知っているのか。
竜騎士三人は、食い入るように亡国の剣士を見つめた。
「オズロイは家族名です。親族のみが知る、普段は表に出ない名前。私のフリーダと同じように」
「では、ジーグの正式名は……?」
アルテミシアの問いにしばらく沈黙して、ジーグは懐かしむ、また諦めた声で答えた。
「ジグワルド・フリーダ・バーデレ」
「バーデレっ。……カザビアのバーデレ家か」
ディデリスの端正な顔が、納得と皮肉に
「どうりでジグワルド・フリーダで探らせても、何の情報も出ないわけだ」
「やはり調べておられましたか」
「当たり前だ。叔父上を信じてはいたが、サラマリス家に急に入り込んできた
「最初は、ご興味もなかったのでは」
「
「なぜ知っている」
「推察しました」
「本当に嫌な奴だ」
「とっくにご存じでしたでしょうに」
次にこのふたりが言葉を交わしたあとには、剣でも抜き合っているのではないか。
そう不安になったアルテミシアは、無理やり会話に割り込み、本来の疑問をジーグにぶつける。
「フリーダだけではニェベス公、いえゴルージャ・オズロイには、ジーグのことはわからないのね?表に出ない家族名だから。けれど、なぜお前はオズロイでわかるの?」
「カザビア執務官たちの正式名は、全員把握しておりましたから」
「バーデレ家の人間ならば、朝飯前だな」
吐き捨てるようにつぶやくディデリスは無視して、ジーグはアルテミシアに微笑みかけた。
「私がカザビア滅亡時にサラマリス家にいたのは、イハウ急襲への助力を願うためでした」
「ええ、それは聞いているわ。
従者ではなく、
「イハウの闇討ちで重傷を負っていたのに、大猪に襲われていた私をかばい、戦ってくれた。あのとき、私はたった三つだったけれど、あの鮮やかな剣術は忘れられない」
牙をむいて襲いかかろうとしている大猪を前に、泣きもしていなかった小さなアルテミシアを思い出し、ジーグにも懐かしそうな笑みが浮かんだ。
「ジーグの出身家は、カザビアでも卓越した武術を誇る武家なのでしょう?」
「それだけではない」
硬い声に目を移すと、
「カザビアのバーデレ家といえば、帝国を始め、各国が恐れる潜入術を持った一族だった。”バーデレに聞こえぬ音無し。見えぬ物無し”」
ここにきて、無言でジーグを見つめていたカイも口を開いた。
「あの技が失われたことは残念だったと、以前、皇帝陛下もおっしゃっていたが……」
(なるほど)
積年の疑問が解けたディデリスは、さらに眉間のしわを深くする。
(滅亡した小国出身者にしては重用され、バシリウス叔父上が腹心として扱っていたわけだ)
小国カザビア繁栄の主柱とも言われていたのが、バーデレ家だ。
その諜報力を恐れ、各国も協力関係にあったといっても過言ではない。
面白くなさそうに鼻を鳴らすディデリスの隣で、カイは何度も首を縦に振っていた。
「そうか。ジーグ殿は、バーデレ家の方だったのか。ならば、現ニェベス公のことはお見通しだな」
「カザビア執務官時代も、評判のよい男ではありませんでした」
(思うところは存分にあるが……)
ディデリスはいったん、すべての感情を押し殺すことにする。
「その話、後ほど詳しく聞かせてもらう。スチェパを始め、ニェベス家審議に関わる重要な情報だ。今は続きを」
ディデリスの提案に、ジーグも浅くうなずき返した。