闇に差す光-1-
文字数 3,509文字
給仕に扮した男が警備兵に引っ立てられていき、動かなくなった魚の浮かぶ水槽 も、大勢の使用人の手によって片付けられた。
だが、広間のざわめきは一向に収まる気配がない。
「第二王子は、
「アガラムの姫が輿入 れしたとき、外道 が毒をまいたとかいう……」
離宮焼打ち当時の噂話 さえ、蒸し返す者も出始めた。
「止まれ!」
突然の大声に、広間のざわめきが下火になる。
見れば警戒を露わにした警備兵が、入り口に立つ男に剣を向けていた。
独特の刺繍 が施 された短上着を身に付けたその男は、刺さるような視線のなか、深々と頭を下げる。
「このたびは王子の凱旋会の開催、誠におめでとうございます」
「その衣服、スバクルの者か」
流暢なトーラ語での挨拶を披露した男に、ヴァーリが歩み寄っていった。
「はい。すでにお調べのこととは存じますが、一言申し上げます。昨年のトーラ王への襲撃、あれはスバクルの民などではございません。スバクルの国名を汚す、山賊まがいの者共」
顔を上げた男はトーラの礼をとって、ヴァーリにまっすぐな視線を向ける。
「休戦中にそのような真似をしたと疑われては、国の名折れ。こちらは我がユドゥズ家当主からの、謝意と祝意にございます」
男は小脇に下げていた皮袋から深緑色の瓶を取り出し、目の前に掲げた。
「ユドゥズ家か。スバクルの民から信頼厚い、ジャジカ殿がご当主だな」
「はい。終戦賛成派の旗手にございます」
「お心遣いに感謝する。ただ、我が国は現在、些 か騒がしい。中身を改め、」
「これは素晴らしい!」
ヴァーリが警備兵に合図を送ろうとしたのをさえぎって、派手な拍手が辺りに響く。
貴族たちの間から姿を現したのは、満面の笑みを浮かべたジェラインだ。
「陛下の融和政策は正しかったのですな。狼藉者 など、どこにでもいるというのに。わざわざ国を代表して謝罪に来てくださるとは。私は貴国を誤解していたようだ」
ジェラインがヴァーリへ向けた優雅な礼を目にした貴族たちの間に、狼狽が広がる。
「まさか、セディギア公がっ?」
「……信じられん」
現王の融和政策に、ジェラインが誰より異を唱え続けてきたこと。
そして、レーンヴェストと並ぶ名家当主としての気位の高さ。
それを知らぬ者はこの場にいない。
そのジェラインが国王に頭を下げるとは。
貴族たちのどよめきを背に、ジェラインはユドゥズ家を名乗る男に近づくと、その手にある瓶を受け取った。
「これは?」
「はい。スバクル産の果実酒でございます」
「ほう。逸品 と名高い特産物だな。ならば、此度 一番のご功績を上げた方に、ぜひとも召し上がってもらわねば!」
ジェラインは振り返り、王子たちに向かって酒瓶を掲げる。
「弟殿下は地方でお育ちですからご存じないでしょう。トーラとスバクルは、本当に長きに渡り、難しい関係にありました。その相手国のご領主が、自家の不始末でもないのに、詫びの品を贈ってくださった。これを無下 にすることは、王族として許されませんぞ」
歩きながら滔々 としゃべるジェラインは、レヴィアのすぐ目の前まで来ると足を止め、美しい模様が描かれた深緑色の瓶を差し出した。
「ユドゥズ?本当にスバクルの者か?」
アルテミシアがジーグに肩を寄せて囁 く。
「ラシオンがまだ戻らないので何とも。スライも別行動中ですし」
「ラシオンはしくじらない。信じて待とう。……だが、時間稼ぎが必要か……」
薄笑いを浮かべてレヴィアの前に立つジェラインに、アルテミシアが舌打ちをした。
そのジェラインは給仕に杯を持ってこさせると、戸惑っているレヴィアに、半 ば強引に手渡そうとしている。
「どうぞ。隣国の尊いご配慮をお受けなさいませ」
「待て」
鞭 打つような鋭い春告げ鳥の声に、ジェラインが忌々し気に振り返った。
「なんだ、トカゲ目。王子の務めを邪魔するつもりか」
「まさか」
アルテミシアは控えていた壁際から、ジェラインの前へと出ていく。
「だが、貴殿と私はまだ和解が済んでいない。私はレヴィア殿下の騎士。主 に敬意を払うというのならば、武で雪 ぐ前に、許しを
こめかみに青筋を立てたジェラインを見て、アルテミシアがせせら笑った。
「主 の前に、私に和解の杯を。まさか、外道 ひとりを許せないほど、トーラ国の重臣は狭量なのだろうか」
「……いいだろう。お前も、あの騒動において殊勲を立てたひとりだ。飲ませてやろうではないか」
ジェラインは給仕に高圧的な態度で声をかけ、もうひとつ、別の杯を持ってくるよう命じた。
「騎士お望みのままに」
アルテミシアが受け取った杯に、ジェラインが酒瓶を傾ける。
陽の光をそのまま閉じ込めたような酒が注がれるのを見て、アルテミシアが首を傾けた。
「少ないな」
「……何だと?」
「もっとなみなみ注げ。ドケチ」
「っ!品のない物言いをっ。若い娘のくせに酒好きなど、帝国竜騎士の程度が知れるな。それほど言うのなら、たっぷり飲むがいい」
馬鹿にした口ぶりで、ジェラインはさらに酒を注ぐ。
「ありがとう」
縁近くまで酒が注がれた杯を眺めて、アルテミシアが満足そうに笑った。
「では、
アルテミシアの目配せを受けたアスタが、新たな杯を手にして進み出る。
「セディギア公へ」
姉弟子の意図を正しく理解したアスタは、ジェラインの真正面に立つと膝を折り、杯を掲げた。
貴族たちからの好奇の目に耐え切れずに、ジェラインはしぶしぶ杯を受け取る。
「では、まず酒を分け合おうか。杯をもっとこちらへ」
「な、にを……」
「
黙り込んでいるジェラインに近づくと、アルテミシアはその目をしっかりと捉えた。
『それとも、このお酒を受け取っていただけない理由がお有りでしょうか。ジェライン・セディギア公』
嫣然 と笑んだアルテミシアが、それは美しいディアムド語でジェラインの名を呼ぶ。
『贈られたお酒を、ふたりで同時にいただきましょう。
笑顔を崩さないアルテミシアに見つめられたジェラインの手が、ゆっくりと動き出した。
「……な、ぜ……」
呆然と自らの手を眺めるジェラインの杯に、アルテミシアが酒を注ぎ移していく。
『どうなされたのでしょうか、セディギア公』
『な、何が……?』
アルテミシアにつられたのか、ジェラインはディアムド語で応えた。
『
『震えてなどいない』
『いいえ。憂苦 なことでも?おいたわしい』
アルテミシアが言い終わるや否やジェラインの手が大きく震えだし、注がれた酒が波打って床に跳ねる。
「ジェライン、何故 震える。……恐れることでもあるのか」
「いや、これは」
目を泳がせながら、ジェラインがヴァーリを振り返った、そのとき。
「ふくちょっ、危ねぇ!!」
突然、庭園からヴァイノの怒鳴り声が飛び込んできた。
「!」
アルテミシアは杯を投げ捨てると、素早く腰の短剣を両手で抜き去り、振り向きざま、風切り音を立てて迫る矢を切り落とす。
「きゃー!」
貴族たちが我先にと逃げ出すなか、その人波をかき分け走り抜けた男がジェラインに寄り添い、瓶をむしり取った。
「動くな!……お察しのとおり、これは猛毒入りの酒だ。ひと舐めでも死に至る。逃げようとする者には浴びせかけてやる」
商人風情のやせぎすな男の恫喝に、貴族たちの足が縫い留められたように止まる。
「カーフ……」
不審げな鉛 色の目玉が、名を呼んだ大柄な剣士に向けられた。
「覚えがない、という顔だな」
大剣 の柄 に手を掛けた剣士が鼻で笑う。
「トレキバですれ違っているだろう。何度もな」
「……混じり者に余計な知恵をつけたのは、お前たちか」
「私たちはきっかけに過ぎない。本質を見誤ったのはお前だ」
「本質?混じり者に、見誤るほどの何があるというのだ。兄上、しっかりしてください。行きますよ」
「待て!」
剣を抜き払ったヴァーリを見ても、カーフは恐れる様子もなかった。
「いいのですか?外に兵を待機させています。私が合図すれば、すぐにでも攻撃を仕掛けてくるでしょう。貴族の皆様方に、怪我人が出なければよろしいですね。もっとも、怪我で済むかどうか」
カーフが言う兵の規模もわからず、この場には、武器を持たない貴族たちが大勢いる。
「そう。それでいいのです。この世界の正しい在り方が、もうすぐわかります」
剣を引いたヴァーリにそう言い捨てると、まだ手を震わせているジェラインを促がして、カーフは悠々と正面の扉から姿を消していった。
だが、広間のざわめきは一向に収まる気配がない。
「第二王子は、
お薬
に詳しいのね」「アガラムの姫が
離宮焼打ち当時の
「止まれ!」
突然の大声に、広間のざわめきが下火になる。
見れば警戒を露わにした警備兵が、入り口に立つ男に剣を向けていた。
独特の
「このたびは王子の凱旋会の開催、誠におめでとうございます」
「その衣服、スバクルの者か」
流暢なトーラ語での挨拶を披露した男に、ヴァーリが歩み寄っていった。
「はい。すでにお調べのこととは存じますが、一言申し上げます。昨年のトーラ王への襲撃、あれはスバクルの民などではございません。スバクルの国名を汚す、山賊まがいの者共」
顔を上げた男はトーラの礼をとって、ヴァーリにまっすぐな視線を向ける。
「休戦中にそのような真似をしたと疑われては、国の名折れ。こちらは我がユドゥズ家当主からの、謝意と祝意にございます」
男は小脇に下げていた皮袋から深緑色の瓶を取り出し、目の前に掲げた。
「ユドゥズ家か。スバクルの民から信頼厚い、ジャジカ殿がご当主だな」
「はい。終戦賛成派の旗手にございます」
「お心遣いに感謝する。ただ、我が国は現在、
「これは素晴らしい!」
ヴァーリが警備兵に合図を送ろうとしたのをさえぎって、派手な拍手が辺りに響く。
貴族たちの間から姿を現したのは、満面の笑みを浮かべたジェラインだ。
「陛下の融和政策は正しかったのですな。
ジェラインがヴァーリへ向けた優雅な礼を目にした貴族たちの間に、狼狽が広がる。
「まさか、セディギア公がっ?」
「……信じられん」
現王の融和政策に、ジェラインが誰より異を唱え続けてきたこと。
そして、レーンヴェストと並ぶ名家当主としての気位の高さ。
それを知らぬ者はこの場にいない。
そのジェラインが国王に頭を下げるとは。
貴族たちのどよめきを背に、ジェラインはユドゥズ家を名乗る男に近づくと、その手にある瓶を受け取った。
「これは?」
「はい。スバクル産の果実酒でございます」
「ほう。
ジェラインは振り返り、王子たちに向かって酒瓶を掲げる。
「弟殿下は地方でお育ちですからご存じないでしょう。トーラとスバクルは、本当に長きに渡り、難しい関係にありました。その相手国のご領主が、自家の不始末でもないのに、詫びの品を贈ってくださった。これを
歩きながら
「ユドゥズ?本当にスバクルの者か?」
アルテミシアがジーグに肩を寄せて
「ラシオンがまだ戻らないので何とも。スライも別行動中ですし」
「ラシオンはしくじらない。信じて待とう。……だが、時間稼ぎが必要か……」
薄笑いを浮かべてレヴィアの前に立つジェラインに、アルテミシアが舌打ちをした。
そのジェラインは給仕に杯を持ってこさせると、戸惑っているレヴィアに、
「どうぞ。隣国の尊いご配慮をお受けなさいませ」
「待て」
「なんだ、トカゲ目。王子の務めを邪魔するつもりか」
「まさか」
アルテミシアは控えていた壁際から、ジェラインの前へと出ていく。
「だが、貴殿と私はまだ和解が済んでいない。私はレヴィア殿下の騎士。
与えてやっても
いい」こめかみに青筋を立てたジェラインを見て、アルテミシアがせせら笑った。
「
「……いいだろう。お前も、あの騒動において殊勲を立てたひとりだ。飲ませてやろうではないか」
ジェラインは給仕に高圧的な態度で声をかけ、もうひとつ、別の杯を持ってくるよう命じた。
「騎士お望みのままに」
アルテミシアが受け取った杯に、ジェラインが酒瓶を傾ける。
陽の光をそのまま閉じ込めたような酒が注がれるのを見て、アルテミシアが首を傾けた。
「少ないな」
「……何だと?」
「もっとなみなみ注げ。ドケチ」
「っ!品のない物言いをっ。若い娘のくせに酒好きなど、帝国竜騎士の程度が知れるな。それほど言うのなら、たっぷり飲むがいい」
馬鹿にした口ぶりで、ジェラインはさらに酒を注ぐ。
「ありがとう」
縁近くまで酒が注がれた杯を眺めて、アルテミシアが満足そうに笑った。
「では、
ディアムド式の
和解といこうか。もうひとつ杯を!」アルテミシアの目配せを受けたアスタが、新たな杯を手にして進み出る。
「セディギア公へ」
姉弟子の意図を正しく理解したアスタは、ジェラインの真正面に立つと膝を折り、杯を掲げた。
貴族たちからの好奇の目に耐え切れずに、ジェラインはしぶしぶ杯を受け取る。
「では、まず酒を分け合おうか。杯をもっとこちらへ」
「な、にを……」
「
ディアムド式の
和解だと言ったろう。注がれた酒の半分を返す。同じ酒を分かち合うことで、許しを与え合う」黙り込んでいるジェラインに近づくと、アルテミシアはその目をしっかりと捉えた。
『それとも、このお酒を受け取っていただけない理由がお有りでしょうか。ジェライン・セディギア公』
『贈られたお酒を、ふたりで同時にいただきましょう。
杯をこちらへ
』笑顔を崩さないアルテミシアに見つめられたジェラインの手が、ゆっくりと動き出した。
「……な、ぜ……」
呆然と自らの手を眺めるジェラインの杯に、アルテミシアが酒を注ぎ移していく。
『どうなされたのでしょうか、セディギア公』
『な、何が……?』
アルテミシアにつられたのか、ジェラインはディアムド語で応えた。
『
手が震えて
いらっしゃいます』『震えてなどいない』
『いいえ。
貴公の手は震えて
いらっしゃいます。アルテミシアが言い終わるや否やジェラインの手が大きく震えだし、注がれた酒が波打って床に跳ねる。
「ジェライン、
「いや、これは」
目を泳がせながら、ジェラインがヴァーリを振り返った、そのとき。
「ふくちょっ、危ねぇ!!」
突然、庭園からヴァイノの怒鳴り声が飛び込んできた。
「!」
アルテミシアは杯を投げ捨てると、素早く腰の短剣を両手で抜き去り、振り向きざま、風切り音を立てて迫る矢を切り落とす。
「きゃー!」
貴族たちが我先にと逃げ出すなか、その人波をかき分け走り抜けた男がジェラインに寄り添い、瓶をむしり取った。
「動くな!……お察しのとおり、これは猛毒入りの酒だ。ひと舐めでも死に至る。逃げようとする者には浴びせかけてやる」
商人風情のやせぎすな男の恫喝に、貴族たちの足が縫い留められたように止まる。
「カーフ……」
不審げな
「覚えがない、という顔だな」
「トレキバですれ違っているだろう。何度もな」
「……混じり者に余計な知恵をつけたのは、お前たちか」
「私たちはきっかけに過ぎない。本質を見誤ったのはお前だ」
「本質?混じり者に、見誤るほどの何があるというのだ。兄上、しっかりしてください。行きますよ」
「待て!」
剣を抜き払ったヴァーリを見ても、カーフは恐れる様子もなかった。
「いいのですか?外に兵を待機させています。私が合図すれば、すぐにでも攻撃を仕掛けてくるでしょう。貴族の皆様方に、怪我人が出なければよろしいですね。もっとも、怪我で済むかどうか」
カーフが言う兵の規模もわからず、この場には、武器を持たない貴族たちが大勢いる。
「そう。それでいいのです。この世界の正しい在り方が、もうすぐわかります」
剣を引いたヴァーリにそう言い捨てると、まだ手を震わせているジェラインを促がして、カーフは悠々と正面の扉から姿を消していった。