崩壊の始まり-1-

文字数 3,084文字

 トーラ王宮は、久方ぶりの賑わいに華やいでいた。 
 
 凍てつく空気が首都を包む季節ではあるが、庭園には焚火台(たきびだい)数多(あまた)用意され、散策する招待客たちも凍えることなく、話に花を咲かせている。
 王宮広間にはトーラならではの仕掛けがあり、扉は開け放たれているが、内部はじんわりと温かい。
 床下に張り巡らせた管に温泉を流して部屋を暖めるその仕組みは、高い技術力を持つトーラならではのものだ。

 美しく装った賓客たちの間を、今日のために臨時で雇われた者を含め、多くの使用人が縫うように立ち働いている。
 広間には温室で咲かせた花々が飾られ、飾り台の上には隙間なく料理が並べられていた。
 ヴァーリ王の時代になってから、例を見ないほどの豪華な園遊会だが、とくに皆の目を引いていたのは、広間中央に置かれた大きな水槽(すいそう)である。
 
 途方もない資金が投入されたであろう水槽(すいそう)の前には、見物する貴族たちの人垣が絶えない。
 澄んだ水を満たした内部には美しい水草が植えられ、その合間を泳ぐ川魚たちの生き生きとした姿は、見る者を魅了した。
「おお、これは見事な。まるで、トーラ湖を再現したようですね」
「陛下も、またずいぶんと張り切ったご様子」
「不遇を囲っていた王子がお戻りだからな」
「しっ、不遇ではないでしょう。

ですよ。ほら、ジェライン様がいらっしゃいます」 
 水槽(すいそう)を横目にひそひそと言葉を交わしていた貴族紳士たちは、背の高い男性の姿を認めると目配せをし合い、その場から立ち去っていった。
 
 広間入口に立ち、辺りを見渡したジェライン・セディギアの眉間がひくりと震える。
 目の合った貴族連中は、微笑んで会釈を返しはするものの、誰一人として近寄ってこようとはしない。
 常に取り巻きに囲まれてきたジェラインには、生まれて初めての状況だ。

(どいつもこいつも)

 きらきらしく絢爛(けんらん)なトーラ礼服を着たジェラインが、背筋を伸ばす。
 そして、美しい亜麻色の髪を優雅にかき上げると、堂々たる足取りで広間に足を踏み入れた。
 
 自分に尻尾(しっぽ)を振り続けたアッスグレンは、いまだ地下牢から出られずにいる。
 顔を合わせるたびに、薄気味悪い世辞を並べる七重臣のひとりは、その身を隠すように外へと出ていった。
「ジェライン様こそトーラ王にふさわしい」と言っていた(やから)は、その姿さえ見えない。
 セディギア家の醜聞の広がりようを肌で感じながら、ジェラインは薄い笑みを貼り付けたまま歩き続けた。

「ずいぶんと豪奢(ごうしゃ)(うたげ)ですな。陛下のご趣味ではないのでは?」
 広間の一角に座る国王の前に立ったジェラインが、臣下とは思えないほど居丈高(いたけだか)な態度で言い放つ。
「陛下のお好みはアガラム風でしょう。こう床に座って、粗末な料理を手づかみで食べる」
 士官学校の同窓でもあったジェラインを、青磁(せいじ)色の、何の感情も映さない瞳が見上げた。
「アガラム風?それのどこがだ。どうしたジェライン。腰を痛めた猿のようだぞ。年には勝てぬか」
 ヴァーリの反撃に押し黙ったジェラインの耳に、くすりと笑う声が届く。
 にらむように目を向けると、深紅の巻き髪を高く結い上げた少女が、ヴァーリのすぐ後ろに立っている。
 猫のような鮮緑(せんりょく)の瞳には憐れんだような笑みが浮かび、その(かたわ)らには、見たこともないほどの大剣(たいけん)()いた、大柄な剣士が控えていた。
「陛下、トーラに猿はいないでしょう。ご覧になったことがおありですか?」
 春告げ鳥の問いにヴァーリはうなずく。
「アガラムで見た」
「本当に猿でしたか?ディアムドにもおりますが、もっと可愛いですよ?あれを猿とは、猿が気の毒な」
「そうなのか。では、試しに一匹譲り受けてみるか」
 ヴァーリの提案に、大柄な剣士の口角が意味深に上げられた。
「トーラの冬は厳しい。猿は飼えないでしょう。……トーラに猿は必要ない、のでは」
「ふむ……。竜舎は温室だが、そこではどうか」
「申し訳ございません、陛下。猿を食べるなとは教えておりません。……食べられちゃいますよ?」
 朗らかに笑う少女に、ヴァーリは実に残念そうな顔を作る。
「食われてしまうのなら仕方がない。猿一匹のために、新しく温室を作るのも億劫(おっくう)だな」
 本気とも冗談ともつかない会話を聞かされているジェラインの口元が、ひくりと痙攣した。
「第二王子の外道(げどう)部隊は(けだもの)部隊とも聞いたが、なるほど。トカゲ目が操る竜、か。トーラもいよいよ

の力を借りなければならないとは。嘆かわしい」
「トーラの者は本当にトカゲが好きだな。私を見ればトカゲという。確かにトーラのトカゲは可愛い。おほめいただき光栄だ」
「気味が悪いと言っているのだ!この外道(げどう)っ」
「それも、トーラに来てからよく聞く言葉だな。……外道(げどう)、か」
 周囲の貴族たちの注目が集まるなか、アルテミシアがジェラインに微笑みかける。
「知っているか?ディアムド帝国に外道(げどう)はいない。多くの国を併合してきた歴史上、そんな区別をしていては、きりがないんだ。だが、帝国に比べて歴史が浅いのだから、仕方がないな。いや、トーラは由緒ある国だ。私が間違っていた。訂正しよう。浅いのは、お前の思慮だ」
 怒りで顔を赤く染めたジェラインが、一歩踏み出した。
「小娘の分際(ぶんざい)でっ」
「おや、今度は年齢か。外見、出自、年齢。お前からまともに扱われるのは、容易ではないな」
 大げさなため息を吐き出してから、アルテミシアはすっと笑顔を消す。
「まあ、私のことは構わない。好きに言えばいいさ。……だが、竜のことは聞き捨てならない」
 鮮緑(せんりょく)の瞳に殺気が揺らめき始める。
「お前は、私の竜を、何と言った?」
 ヴァーリの背後からゆっくりと進み出た少女が、ジェラインの真正面に立った。
 
 傲然と自分を見据えているのは、女にしては背の高い少女。
 軍服など着て、本当に可愛げのない。
 女は男に逆らわず、大人しやかで可愛らしいのが一番だ。
 「凄腕の騎士」だと聞いたが、従う剣士を見ればそれとわかる。
 剛腕そうな従者の功績が面白おかしく、少女のものだと語られたに違いない。
 民草(たみくさ)(うわさ)など、そんな程度だ。
 
 そう思っていたジェラインだが。
「バケモノ、だったか」
 「小娘」と(あなど)った相手が発する闘気に、ジェラインは身動きもできない。
 あと一歩踏み出せば、吐息さえ感じられそうな距離まで近づくと、アルテミシアは凍てつく瞳でジェラインをにらみ上げた。
「名誉を(けが)されたならば、武で(すす)ぐのが騎士。私に引き裂かれるか、竜に引き裂かれるか。好きなほうを選べ」
 ジェラインの目の前に()るのは”少女”などではなく、非情な戦場に立つ”騎士”そのもの。
「ぶ、ぶぶ」
 青ざめ震え、「無礼」の言葉が出ないジェラインに、アルテミシアが小首を(かし)げる。
「ぶ?ブタに引き裂かれるのがお好みか。これはまた変わった趣味だ」
「はっ、はははは!」
 突然、盛大な笑い声が辺りに響き渡った。
「まさか……?」
「……陛下が?」
 「冷徹の鷹」のいつにない姿に、貴族たちは息を飲む。
「我が息子の親愛なる竜騎士よ。そのくらいにしておいてやってくれ」
 ヴァーリは笑いを残しながら立ち上がると、アルテミシアの耳に口を寄せた。
「これを引き裂くのはブタではなく……」
 屈辱に顔を歪めるジェラインを眺めながら、アルテミシアはくっきりと笑う。
「陛下仰せのままに。……そういえば、ですけれど」
 威圧感を消したアルテミシアがヴァーリを見上げる。
「うん?」 
「陛下は声を出して笑えるのですね。何かご事情があって、笑えないのだとばかり」
 その瞳を幼子のように輝かせているアルテミシアに、ヴァーリは再度の笑い声を弾けさせて、貴族たちの度肝を抜いた。
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