茨姫の傷-支え-
文字数 1,447文字
夜半。
灯 りもつけない部屋の窓際で、アルテミシアはぼんやりと外を眺めていた。
コツ、コツ。
それは、聞き逃してしまうほど微かな合図だった。
アルテミシアは足音を忍ばせて扉に近づき、音を立てないよう、慎重に扉を開ける。
と同時に、するりと。
その隙間からジーグが身を滑らせてきた。
「具合はいかがですか?」
まるで床から浮いているかのような足取りで、ジーグが部屋に入ってくる。
「それほど痛まない。レヴィアの治療は最高だ」
「リズも同じ言葉をスヴァンに言っていましたよ。どちらも師弟がそろって、腕の良いことです」
「腕のいい師弟がそろって腕を痛め、それを治療をした、というところだな」
「冗談を言っている場合ではありません」
軽く笑うアルテミシアを気遣 わしげに見やりながらも、ジーグの口調は厳しかった。
「煽 られた鼠 が、餌 に食いつく寸前です。どんな動きをしてくるかわからない。こんな大事なときに、」
「わかってるわかってる。そうだジーグ。ヴァイノを弟子にしてやってくれないか」
お説教が始まりそうな気配に、アルテミシアは慌てて話題を変える。
「ヴァイノを?剣武術は、リズィエが師匠でしょう」
「いや、潜入術のほうだ。本人は気づいてないらしいが、気配を消す術 が身についている。散漫で向こう見ずなところはあるが、興味を持った対象には、よく気働きもする。レヴィアの良い側近となるだろう」
世慣れていないレヴィアにイラつきながらも、ついつい世話を焼くヴァイノ。
仲間たちが心配するほど、気安いヴァイノを許しているレヴィア。
アルテミシアが治療を受けている間も、ふたりは馬が合う様子で言葉を交わしていた。
じゃれ合うような様子を思い出して、アルテミシアはクスリと笑う。
「そう、ですか」
「駄目だろうか」
「いえ、今日見た限り、だいぶ騎馬術も上達したようです。明日から私の下に付けましょう」
「そうしてくれ。鼠 は動きそうなのか」
「自称スバクル兵の尋問内容に、興味を示しています」
「ラシオンは?」
「一度、スバクルに戻ってみると言っています。襲撃者の中に、心当たりのあることを言う者がいたようです」
「ラシオンが戻るまで、鼠 を牽制 しておけるか?」
「年が明けてすぐに園遊会を開催していただく予定になっております。長く
「ああ、それはいいな」
アルテミシアがにやりと笑った。
「王子の力量を見極める絶好の機会を予定してやれば、その前に動きはしないだろう。さすがに、私もリズもそれまでには治るだろうしな」
「大丈夫ですか?」
憂 い顔を深めるジーグを見上げ、アルテミシアは首を傾ける。
「痛まない、と言ったろう」
「いえ。『思い出したのでしょう。うなされていたと、レヴィアが』」
「……久しぶりにな。でも、大丈夫。ここはディアムドじゃないから」
(ディアムド語に、トーラ語で返してきたか)
その真意がつかめず、ジーグは二、三度、瞬きを繰り返した。
「そうですか」
帝国にいるころは、思い出すたびに、寝つくまでそばにいてほしいと願われるのが、常だったのに。
「しばらく、鍛錬 もできませんね。ゆっくりお休み下さい」
「ん。さっき、眠りが深くなるお茶を、レヴィアが置いていってくれたしな」
(……なるほど……)
「それは、よかったですね」
ジーグはアルテミシアの頭に手を置いて、幼子のころのようにゆっくりとなでた。
コツ、コツ。
それは、聞き逃してしまうほど微かな合図だった。
アルテミシアは足音を忍ばせて扉に近づき、音を立てないよう、慎重に扉を開ける。
と同時に、するりと。
その隙間からジーグが身を滑らせてきた。
「具合はいかがですか?」
まるで床から浮いているかのような足取りで、ジーグが部屋に入ってくる。
「それほど痛まない。レヴィアの治療は最高だ」
「リズも同じ言葉をスヴァンに言っていましたよ。どちらも師弟がそろって、腕の良いことです」
「腕のいい師弟がそろって腕を痛め、それを治療をした、というところだな」
「冗談を言っている場合ではありません」
軽く笑うアルテミシアを
「
「わかってるわかってる。そうだジーグ。ヴァイノを弟子にしてやってくれないか」
お説教が始まりそうな気配に、アルテミシアは慌てて話題を変える。
「ヴァイノを?剣武術は、リズィエが師匠でしょう」
「いや、潜入術のほうだ。本人は気づいてないらしいが、気配を消す
世慣れていないレヴィアにイラつきながらも、ついつい世話を焼くヴァイノ。
仲間たちが心配するほど、気安いヴァイノを許しているレヴィア。
アルテミシアが治療を受けている間も、ふたりは馬が合う様子で言葉を交わしていた。
じゃれ合うような様子を思い出して、アルテミシアはクスリと笑う。
「そう、ですか」
「駄目だろうか」
「いえ、今日見た限り、だいぶ騎馬術も上達したようです。明日から私の下に付けましょう」
「そうしてくれ。
「自称スバクル兵の尋問内容に、興味を示しています」
「ラシオンは?」
「一度、スバクルに戻ってみると言っています。襲撃者の中に、心当たりのあることを言う者がいたようです」
「ラシオンが戻るまで、
「年が明けてすぐに園遊会を開催していただく予定になっております。長く
療養
と遊学
をされていた王子たちの、凱旋報告を兼ねて。そのくらいの時間があれば、ラシオンも、スバクルで存分に動けるでしょう。近々、重臣たちにも告知されます」「ああ、それはいいな」
アルテミシアがにやりと笑った。
「王子の力量を見極める絶好の機会を予定してやれば、その前に動きはしないだろう。さすがに、私もリズもそれまでには治るだろうしな」
「大丈夫ですか?」
「痛まない、と言ったろう」
「いえ。『思い出したのでしょう。うなされていたと、レヴィアが』」
「……久しぶりにな。でも、大丈夫。ここはディアムドじゃないから」
(ディアムド語に、トーラ語で返してきたか)
その真意がつかめず、ジーグは二、三度、瞬きを繰り返した。
「そうですか」
帝国にいるころは、思い出すたびに、寝つくまでそばにいてほしいと願われるのが、常だったのに。
「しばらく、
「ん。さっき、眠りが深くなるお茶を、レヴィアが置いていってくれたしな」
(……なるほど……)
「それは、よかったですね」
ジーグはアルテミシアの頭に手を置いて、幼子のころのようにゆっくりとなでた。