動き出す心 -ヴァイノ-

文字数 3,083文字

 すっかりゴキゲンとなったロシュを竜舎に帰し、離宮の自分の部屋に戻るために、レヴィアが厩舎(きゅうしゃ)前を通りかかったとき。
「あ……」
 騎馬訓練を終えたらしい、真新しい軍服姿のヴァイノと行き合ったレヴィアの足が止まった。
「よぉデンカ!竜の訓練終わったんだな。じゃあ、オレと手合せしてよ」
「え……。うん、いいよ。……もちろん……」
 まったくいつもと変わらないその様子に、レヴィアは昨日の態度を謝り損ねてしまう。
「ほら、早く行こうぜ!」
「あ、待って!」
 振り返り、手招きしながら走っていくヴァイノの背中を、レヴィアは慌てて追いかけた。
 
 短剣で相手をしてほしいというヴァイノに、レヴィアはアルテミシアと同じ剣を手に取った。
「いくぜ、デンカ!……ほれっ、よっ!」
 兵舎に隣接した訓練場に、金属音とヴァイノの掛け声がこだまする。
「うっへぇ、やっぱスゲェな、デンカ!でも、まだまだぁ!」
 
 生来の才能もあったのだろう。
 アルテミシアの指導を受け始めてから、ヴァイノはめきめきとその腕を上げていた。
 斬りかかると見せかけて、背後に回り込む動きなどは、ヴァイノの(くせ)で見抜けなければ、なかなかに手強い。
 
 だが。
 レヴィアは素早く振り返ると、ヴァイノの刃を弾いた。
「げっ!……くっそー、やっぱダメかー」
「ヴァイノ、裏をかこうとする前に笑うから、すぐわかる」
 レヴィアは口の端に力を入れて、にぃっと歯を見せる。
「え、オレそんなことしてる?」
「してる」
「……そう、なんだ。よし、デンカ、も一戦やろーぜ!」
「えぇ~」
 
 その後、ヴァイノは指摘された(くせ)を注意深く封印しながら剣を合わせ、初めてレヴィアから勝ちをもぎ取った。
「やっったっ!やったー!」
「すごく、強くなったね」
 飛び上がって喜ぶヴァイノをほめながらも、レヴィアは「さて」と短剣を目の前にかざす。
「じゃあ、次は、僕は両手剣で、ね」
「えええぇ?!まだやんの?」
「戦場では、両手剣の使い手も、多いよ?」
「そーだけどさー。……んだよ、オレの勝ちで終わらせてくんねーのな、結局」
 息を整えたヴァイノはぶつぶつ言いながら、しぶしぶと短剣を構え直した。

 両手剣を扱うレヴィアの手練れ具合は、短剣の比ではない。
 ほどなく降参したヴァイノは、胸を波打たせながら大地にひっくり返った。
「参り、ました!」
「良い、手合せでした」
 レヴィアもその隣にごろんと横になる。
「デンカ、意外に負けず嫌いだな」
「ヴァイノ、こそ」
 ふたりは真っ青な空を(あお)ぎ、声を上げて笑い合う。
「なあ、デンカ」
 レヴィアが目を向けると、ヴァイノはまだ空を見上げていた。
「オレさ、ふくちょのことは、今までどおり”ふくちょ”って呼ぶ」
「え……」
 ヴァイノの瑠璃(るり)色の瞳は、今日の空をそのまま溶かし込んだようだ。
「アるぅテミっシャって、やっぱ呼びにくいしさ。ごめんな、デンカの特別なのに」
「あの、ううん。僕、こそ、ごめ」
「デンカって、ふくちょのこと好きなんだな」
 謝罪をさえぎったヴァイノは、意味深に笑った顔をレヴィアに向ける。
「うん、好きだよ」
「え、素直に認めちゃう感じ?」
「ミーシャも、ジーグも。ヴァイノたちのことも、好きだよ」
「だぁーっ!そうじゃねーよ!このトンチンカン!」
 大声を上げて、ヴァイノがガバリ!と起き上がった。
「好きってのはさぁ、すげぇ好きっていうか……、ん?フロラか」
 小さな足音に気づいて目を向ければ、金髪を揺らして走る少女がこちらに向かってきていた。
「殿下!ヴァイノ!あの、お疲れ、さま、です。あの、あの、ふたりともずっと、だから……」
 ずいと差し出された水筒に、レヴィアが目を丸くする。
「差し入れ?へー、気が利くじゃん」
 受け取った水筒にヴァイノが口をつけると、清涼感のある柑橘(かんきつ)系の風味と、わずかな甘みと微かな塩気が体中に染み渡っていった。
「え、なにこれ!すっげーうめぇ」
「汗、かいたら、しょっぱいもの、おいしいから……。あの、どう、ですか?」
 フロラの視線は、水筒を傾けるレヴィアから離れることがない。
「うん、美味しい。ありがとう、フロラ」
 レヴィアが微笑むと、フロラの頬がほのかに染まった。
「よかった……。あの、レヴィア、殿下」
「殿下って、呼ばないで」
「オレ、デンカって呼ぶじゃん」
「ヴァイノのは、あだ名でしょ」
「へへ、まぁな」
 互いの肩を小突き合って笑う少年たちを前に、フロラが、はにかんだ笑顔を見せる。
「じゃ、じゃあ、……レヴィア様」
「んだよ、フロラ、さっきからモジモジしちゃって。デンカになんか用事?ニヤニヤして、きっもちわり」
「ヴァイノに、関係ない」
「関係ないってなんだよ!こら、そっぽ向くなっ」
 ヴァイノが勢いをつけて立ち上がると、つんと横を向いたフロラの小さなあごをつかんだ。
「ヴァ、ヴァイノ!」
 慌てて立ち上がったレヴィアが、ヴァイノの腕をそっと押さえる。
「痛いと、可哀想」
「痛くなんかしてねぇしっ」
「痛くない、けど、イヤだもん!」
「おまえの態度が悪ぃからだろ!」
「ヴァイノのほうが、悪いもん!」
「ふ、ふたりとも」
 レヴィアがおろおろと間に入った。
 
 いつもは子犬がじゃれ合うように仲の良いふたりなのに。
 なぜ急に喧嘩(けんか)を始めたのだろう。

(もしかして、僕のせい?)

 自分の洗い物を誰がするのだとか、手を触れるのもイヤだとか。
 探しに行くのも面倒だけれど、死なれても困るとか。
 使用人たちは、いつだって自分を巡ってもめていたのだから。

「あの、えっと、ごめん、なさい……」
 しゅんと肩を落としたレヴィアに、ヴァイノはため息をついた。
「なんでだよ、デンカは悪くねぇだろ。……んで?だからフロラはデンカになんの用事だよ」
「も、いい。レヴィア様、また、あとで。ヴァイノのばーか!アニキ(づら)すんなっ!」 
 鼻にしわを寄せた愛らしい憤慨の表情をヴァイノに見せて、後半の悪態は極めて滑らかに投げつけたフロラが、走り去っていく。
「……アニキ(づら)なんか、してねぇっつの」
「お、どうした、おふたりさん」
 軽いラシオンの声に、しかめっ面のヴァイノと困惑顔のレヴィアが振り返った。
「えと、フロラを、怒らせちゃったみたい、で」
「ふぅん?」
 少年ふたりが手にしている水筒を見て、ラシオンは片眉を器用に上げる。
「それ、フロラからの差し入れ?……ははぁ~ん。ヴァイノが照れて、余計なことでも言ったんだろ」
「照れてなんかねーし」
 むっとしたヴァイノがラシオンをにらんだ。
「それに、オレはついでのオマケっぽいしよ」
「ヤキモチやいて悪態ついたか。悪循環だぞ」
「ちげぇ」
 ラシオンの剣だこのある手で頭をなでられたヴァイノは、乱暴にその手を払う。
「ヤキモチってんなら、昨日のデンカだろ」
「え……、僕?やき、もち……?」
 大きな黒い瞳が、さらに丸くなったのを見たラシオンが、(のど)の奥でくくっと笑った。
「ヴァイノ、お嬢をミーシャって呼ぶ許可は、もらえたのかよ」
 すぅっと表情が消えていくレヴィアの隣で、ヴァイノは慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「ないない、呼ばない、絶対ない」
 たちまちほっとするレヴィアを見て、とうとうラシオンが声を上げて笑いだした。
「ははは!ほらレヴィア、今の気持ち。それがヤキモチ、」
「やだー!」
「きゃー!」
 大きな悲鳴に、ラシオンの言葉がかき消される。
「……湯殿(ゆどの)のほうだな。不審者か?あ、ヴァイノ、待て、ひとりで行くなっ」
 ラシオンの制止など耳に入らないのか、あっという間にヴァイノの背中が遠ざかっていく。
「俺たちも行くぞ!」
「うん!」
 ラシオンとレヴィアも全速力でヴァイノのあとを追った。
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