茨姫の傷-師匠と愛弟子-

文字数 1,815文字

 合図もせずに、いきなり隊長室に飛び込んできたヴァイノに腕を引かれ、そのただならぬ様子にジーグは急ぎ席を立った。
 途中、つっかえつっかえのヴァイノの話を聞きながら、ジーグの足は速まっていく。
 
 たどり着いた先でジーグが目にしたものは、一切の手加減もなく挑み合う師弟。
 それは”手合わせ”などという生ぬるいものではなかった。
 訓練場の端で腕組みするラシオンに気づいて、ジーグが足早に近づいていく。
「何があった」
「ああ、来たか。俺にもよくわからねぇんだけど、多分、リズ姐がお嬢を(あお)ったんだ。……それにしても壮絶だな。俺だったら、もう三回くらい死んでる」
 訓練場のふたりから目を離すことなく、ラシオンは嘆息した。 

 師弟の(こぶし)や蹴りは、どちらも苛烈で情け容赦もない。
 繰り出される攻撃も、かわす動きも速過ぎて、傍目(はため)からはとらえきれないほどだ。
 急所に入った攻撃に動きを封じられ、だが、即座に間合いをはかる。
 そして、すぐに反撃の構えを取り直す。
 相手を襲う腕や足が風を切り、息を上げるふたりの額から汗が飛び散った。
 
 アルテミシアがリズワンの腕をとらえ、思い切り脇固めを()める。
「……っ」
 一瞬リズワンの顔が(ゆが)むが、不安定な前かがみの姿勢から、アルテミシアの肩に飛び蹴りが繰り出された。
「ぐっ」
 アルテミシアの腕が緩んだ隙に距離を取り、リズワンの足がさらに振り上げられる。
 だが、アルテミシアは宙返りをしてその攻撃をよけた。
 そして、その両足が地面についたと思った、次の瞬間。
 間髪を入れずにアルテミシアの蹴りが繰り出されて、リズワンの鳩尾(みぞおち)にめり込んだ。
 渾身の一撃をなんとか耐えたリズワンが、速攻でアルテミシアの足を払う。
 そして、宙に浮いたアルテミシアの横面(よこつら)を、逆手で思い切り殴りつけた。
 紅毛(あかげ)の戦士が大地に沈み、同時に鳩尾(みぞおち)を片手で押さえたリズワンの膝からも、力が抜ける。
 
 ラシオンがごくりと唾を飲み込む音が、静まり返った訓練場に響いた。
「お……?」
 そこにいる皆が声もなく見守るなか、アルテミシアがゆっくりと両手を地面についた。
 だが、起き上がろうとしたその体は、すぐにくにゃりと倒れ伏してしまう。
「あー、参った参った」
 動かないアルテミシアを横目に、リズワンがふらりと立ち上がった。
 そして、唇から流れる血を拳(こぶし)(ぬぐ)いながら、アルテミシアの前でゆっくりとしゃがみこむ。
「強くなったな」
 師匠の手が弟子の襟首(えりくび)をつかんで、ぐいと引き起こした。

「よ、容赦ねぇなぁ」
「最大の敬意だ。リズワンだぞ。普通は敗者に声などかけない」
「ああ、なんてリズ姐らしいことでしょう。俺、リズ姐には絶対ケンカ売らない」
「それが賢明だ」
 冗談とも本気ともつかぬ会話を交わしながら、ラシオンとジーグは師弟を見守り続ける。

「アルテミシア。何をそんなに(かたく)なになっているんだ。ここは帝国ではないだろう」
 かろうじて聞き取れるほどのリズワンの低い声に、アルテミシアが唇を引き結んだ。
『サラマリスには秘匿事(ひとくごと)が多過ぎるの。すべてを捨て去ることはできないわ。しょせん、私は竜騎士でしかないもの』
『浅はかなことを』
 リズワンはディアムド語で、泣きべそをかく弟子を一蹴する。
『お前は帝国を捨てて、この地を新しい故郷と定めたのだろう?ならば、その身に何を抱えていたとしても、お前がトーラの始祖となる。逃げるな、闘え。お前の定めはお前が作れ』
 リズワンはアルテミシアを抱くようにして起き上がらせると、紅毛(あかげ)の頭に手を置いた。
「次は負けるかもな。(ひじ)をきめられたのは初めてだ。……スヴァン!治療を頼む」
「は、はい!」
 アスタに連れてこられたスヴァンが、転がるようにリズワンに駆け寄っていく。
 
 治療室へと向かうリズワンとすれ違いざま、ジーグはディアムド語で低く声をかけた。
『ありがとう、リズ。あれは俺にはできない』
『どういたしまして。娘の成長を見るのは楽しいものだからな』
 痛めた(ひじ)をもう片方の腕で支えながら笑うリズワンに、ラシオンが驚嘆とも賞賛とも言える顔を向ける。
「そんなん喜ぶなんて、リズ姐くらいだぞ」
「こっちは肩をキメてやった。坊を呼んでやれ。治ったら、ラシオンも相手をしてやろうか」
「いやいやいや、(つつし)んで遠慮いたします。俺なら肩くらいでは済まない。……お、大丈夫そうかな」
 アスタに支えられながらも、ふらりと立ち上がったアルテミシアの姿を確認して、ラシオンは安堵(あんど)の息を吐き出した。
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