春萌え

文字数 3,138文字

 重篤な状態は脱したとはいえ、アルテミシアの容体は一進一退を繰り返した。
 食事もままならない日も多く、回復は思わしくない。
 日に日に細くなるアルテミシアに心配を募らせても、これ以上、何をすればよいのか。
 打つ手も思い浮かばない自分に、ただ焦れるレヴィアだった。


「レヴィが食事をしない?」
 ある日の午後、ふらっと見舞に来たクローヴァにアルテミシアの眉が曇った。
「食欲がないというより、食事をすることを忘れてしまうようだね」
 クローヴァはふぅと長いため息を吐き出す。
「今、アガラム医薬師とスライが、物資を調達しにアガラムへ戻っているだろう?残していった医学書をずっと読み込んでいる。リズィエのことばかり、考えているようだよ」
「ああ、もお……。お手を(わずら)わせて申し訳ありませんが、レヴィアは私と一緒に食事をするように、取り計らっていただけますか?」
「それはいいけれど、貴女(あなた)の負担にはならないかな?」
「なりませんよ」
 アルテミシアの笑顔に一瞬だけ真顔になったクローヴァだが、すぐに同じような笑顔を返した。
 
「一緒に食事なんて、ダメだよ」
 クローヴァだけではなくアルテミシアから提案を受けても、レヴィアはためらわずにはいられない。
「ミーシャの安静の邪魔になる」
「私と一緒では嫌か?」
「そうじゃ、ないけど。だって、ミーシャが休めないでしょう?」
「そんなはずないだろう。可愛いレヴィの美味しそうな顔が見られるのに。もお、変わらないな。覚えているか?トレキバでのこと。一緒に食事をしようと言ったら、レヴィは最初、困っていた」
「……覚えてるよ」
「あの頃は、レヴィが持ってきてくれた食料が、私の命をつないでくれたんだ。芒果(マンゴー)もキイチゴも。口にするたび、貴方(あなた)の心を感じた。生きようと思えた。……だからレヴィ、一緒に食事をしてくれないか」
「でも、僕……。今、食事は作って、ないし」
 泣き出しそうなレヴィアの口元に、アルテミシアの指が添えられた。
「レヴィの作ってくれた食事なら、レヴィと一緒なら、食べられると思うんだ」
 そのままレヴィアの頬を持ち上げたアルテミシアの微笑は、なんだか儚くて。
 レヴィアは胸がきゅぅっと絞られるようだった。


 重い雲が空を覆って、今日もシトシトとした雨が降っている。
 晴れ間の遠い天気に、陣営天幕は傷みが目立ち始めていた。

(ここでアルテミシアの治療を続けるのは、そろそろ限界だろうな)

 雨脚が強まってきた外の様子を伺いながら、アルテミシアの食事を乗せた盆を片手に、レヴィアはため息をつく。

(だけど、もう少し体力をつけてもらわないと……)

 雨よけの覆いを盆に被せて、レヴィアは炊事場をあとにした。

「トーラとスバクルでね、この平原を、和平協定を結んだすべての国が行き来して、交流する街にしようっていう計画があるんだって」
 アルテミシアの枕元に座ったレヴィアは、果汁で作った甘味(かんみ)の入った器を差し出す。
「そうなんだ」
 重ねた枕に上半身をもたれたまま器を受け取って、アルテミシアはひと(さじ)すくって口に入れた。
 
 ここ最近、レヴィアはユドゥズ公から紹介された料理人から、栄養価が高く、かつ体に負担をかけない、消化のよい菓子や料理を習っている。
 
 今日作ったのもそのひとつ。
 果汁に食用の(にかわ)を加え、のど越しの滑らかな甘味(かんみ)を作った。
 口に入れた瞬間、舌に(とろ)けるように作られた果物菓子を、アルテミシアは丹念に味わう。
「美味しい」
 ゆっくりと飲み込んだアルテミシアは、もうひと(さじ)すくうと、レヴィアに差し出した。
「レヴィも食べてみろ」
「僕、味見したよ?」
「レヴィの食べてる煮野菜と交換しよう」
「え、食べられそう?」
 食欲の出てきたアルテミシアに喜びながら、(さじ)を受け取ろうと手を伸ばしたのに。
「……?」
 悪戯(いらずら)な目をするアルテミシアは、(さじ)をレヴィアの口元に差し出したまま、にっこりと笑う。
「はい、あーん」
「じ、自分で、食べられるってば」
「だめ。レヴィは放っておくと食事をしないから」
 戸惑い体を引くレヴィアに、アルテミシアがさらに(さじ)を近づけてくる。
「今まで食べなかったお仕置き」
「えぇ~?」
「はい、あーん」

(これは断固、諦めそうもないな……)
 
 そう観念して、レヴィアは仕方なさそうに口を開いた。
 アルテミシアが手にした(さじ)をパクリとくわえて、レヴィアは甘味を飲み込む。
「ふふっ、上手。ほら、もう一口」
「う……」
 口を閉じてしばらく抵抗するが、もちろんアルテミシアは諦めない。
 盛大なため息を落としたレヴィアが口を開けると、アルテミシアは懐かしそうな遠い目になった。
「……ラキスとフェティにも、こうやって食事をさせたことがあったな……」
 目の前の自分ではなく、遠い誰かを見ている。
 そう気づいたレヴィアは強引なほどの力で、アルテミシアの手の中の(さじ)を奪った。
「はい、今度は僕の番。あーん」
「わ、私にお仕置きは必要ないだろう?!」
「でも、貴女(あなた)は怪我人で、僕は貴女(あなた)の医薬師です。……弟じゃ、ありません」
「わ、わかってる。ふざけ過ぎたか?……怒った?」
 にらんでいるのかと思うほど強い瞳に、頬を赤らめたアルテミシアの目がオロオロと泳ぐ。
「怒ってないよ。でも、僕の番。あーん」
「もお……」
 ためらいつつ開かれたまだ色の薄いその唇に、レヴィアは果物菓子を慎重に差し入れた。
「……ん」
 ごくんと飲み込んだアルテミシアが可愛くて、レヴィアの口元がモニョモニョと動く。
「ふふっ……。お芋も、食べられそう?」
 淡い味つけで柔らかく煮た芋を、ほんの少し取り分けて。
 レヴィアはアルテミシアの口先に差し出せば、今度は素直にその口が開く。

(食べられた!よかった……)
 
 ただ食べているだけなのに、その動作ひとつひとつが愛おしい。
 アルテミシアが生きている。
 呼吸をしていて、言葉を交わしている。
 それが嬉しくて。
 嬉しくて嬉しくて。
 アルテミシアに食べさせながら、レヴィアの鼻がツンと痛んだ。

「美味しい。これ、レヴィが作ったんだな」
「うん。わかる?」
「トレキバで食べた味だ。優しい、レヴィの味付けだ」
 ふわりと笑うアルテミシアに見蕩(みと)れそうになり、慌ててレヴィアは手元の料理をかきこんで……。
「……ぐっ?げほっ、げほっ」
「ほら、慌てるから」
 アルテミシアが片手をついて、ゆっくりと体を起こした。
「大丈夫か?」
 まだ力の入らない腕が、それでもレヴィアの背中を何度も(さす)る。
「……ありがと。あれ、ミーシャ、自分で起き上がれるの?痛くない?大丈夫?」
「今朝、雨漏りで目が覚めたんだ。慌てて起き上がったら、もうそれほど痛まないことに気がついた」
「えっ?!」
 レヴィアが驚いて天井を見上げると、濡れた染みが広がっていた。
 手を伸ばして確かめれば、アルテミシアの上掛けも、(すそ)のほうがだいぶ湿っている。
「今、風邪でもひいたら大変。しばらく雨が続くって、ラシオンが言っていたし……」
 
(体を動かせるなら、場所を移動するくらいは大丈夫かな。ちゃんとした療養場所は、ラシオンに相談するとして、取りあえず……)
 
 考え込んでいるレヴィアに、またアルテミシアが(さじ)を差し出した。
「頭を使うなら、甘い物を食べるといいそうだ」
「ミーシャに作ったのに」
 早々に抵抗は諦めて、素直に食べさせてもらいながら、レヴィアもひとつ、芋を()まんだ。
「はい。もう少し、食べられる?」
(あるじ)の仰せのままに」
 互いに食べさせ合って、同時に飲み込んで。
「レヴィ、看病が上手だな」
「誰かが、しょっちゅう怪我するから」
「私も、レヴィに食事をさせるのは得意だぞ」
「……ふふっ、そうだね」
「だろう?ほら、あーん」
「もう」

 時おりふざけ合いながら。
 ふたりの時間は、ゆっくりと穏やかに流れていった。
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