春萌え
文字数 3,138文字
重篤な状態は脱したとはいえ、アルテミシアの容体は一進一退を繰り返した。
食事もままならない日も多く、回復は思わしくない。
日に日に細くなるアルテミシアに心配を募らせても、これ以上、何をすればよいのか。
打つ手も思い浮かばない自分に、ただ焦れるレヴィアだった。
◇
「レヴィが食事をしない?」
ある日の午後、ふらっと見舞に来たクローヴァにアルテミシアの眉が曇った。
「食欲がないというより、食事をすることを忘れてしまうようだね」
クローヴァはふぅと長いため息を吐き出す。
「今、アガラム医薬師とスライが、物資を調達しにアガラムへ戻っているだろう?残していった医学書をずっと読み込んでいる。リズィエのことばかり、考えているようだよ」
「ああ、もお……。お手を煩 わせて申し訳ありませんが、レヴィアは私と一緒に食事をするように、取り計らっていただけますか?」
「それはいいけれど、貴女 の負担にはならないかな?」
「なりませんよ」
アルテミシアの笑顔に一瞬だけ真顔になったクローヴァだが、すぐに同じような笑顔を返した。
「一緒に食事なんて、ダメだよ」
クローヴァだけではなくアルテミシアから提案を受けても、レヴィアはためらわずにはいられない。
「ミーシャの安静の邪魔になる」
「私と一緒では嫌か?」
「そうじゃ、ないけど。だって、ミーシャが休めないでしょう?」
「そんなはずないだろう。可愛いレヴィの美味しそうな顔が見られるのに。もお、変わらないな。覚えているか?トレキバでのこと。一緒に食事をしようと言ったら、レヴィは最初、困っていた」
「……覚えてるよ」
「あの頃は、レヴィが持ってきてくれた食料が、私の命をつないでくれたんだ。芒果 もキイチゴも。口にするたび、貴方 の心を感じた。生きようと思えた。……だからレヴィ、一緒に食事をしてくれないか」
「でも、僕……。今、食事は作って、ないし」
泣き出しそうなレヴィアの口元に、アルテミシアの指が添えられた。
「レヴィの作ってくれた食事なら、レヴィと一緒なら、食べられると思うんだ」
そのままレヴィアの頬を持ち上げたアルテミシアの微笑は、なんだか儚くて。
レヴィアは胸がきゅぅっと絞られるようだった。
◇
重い雲が空を覆って、今日もシトシトとした雨が降っている。
晴れ間の遠い天気に、陣営天幕は傷みが目立ち始めていた。
(ここでアルテミシアの治療を続けるのは、そろそろ限界だろうな)
雨脚が強まってきた外の様子を伺いながら、アルテミシアの食事を乗せた盆を片手に、レヴィアはため息をつく。
(だけど、もう少し体力をつけてもらわないと……)
雨よけの覆いを盆に被せて、レヴィアは炊事場をあとにした。
「トーラとスバクルでね、この平原を、和平協定を結んだすべての国が行き来して、交流する街にしようっていう計画があるんだって」
アルテミシアの枕元に座ったレヴィアは、果汁で作った甘味 の入った器を差し出す。
「そうなんだ」
重ねた枕に上半身をもたれたまま器を受け取って、アルテミシアはひと匙 すくって口に入れた。
ここ最近、レヴィアはユドゥズ公から紹介された料理人から、栄養価が高く、かつ体に負担をかけない、消化のよい菓子や料理を習っている。
今日作ったのもそのひとつ。
果汁に食用の膠 を加え、のど越しの滑らかな甘味 を作った。
口に入れた瞬間、舌に蕩 けるように作られた果物菓子を、アルテミシアは丹念に味わう。
「美味しい」
ゆっくりと飲み込んだアルテミシアは、もうひと匙 すくうと、レヴィアに差し出した。
「レヴィも食べてみろ」
「僕、味見したよ?」
「レヴィの食べてる煮野菜と交換しよう」
「え、食べられそう?」
食欲の出てきたアルテミシアに喜びながら、匙 を受け取ろうと手を伸ばしたのに。
「……?」
悪戯 な目をするアルテミシアは、匙 をレヴィアの口元に差し出したまま、にっこりと笑う。
「はい、あーん」
「じ、自分で、食べられるってば」
「だめ。レヴィは放っておくと食事をしないから」
戸惑い体を引くレヴィアに、アルテミシアがさらに匙 を近づけてくる。
「今まで食べなかったお仕置き」
「えぇ~?」
「はい、あーん」
(これは断固、諦めそうもないな……)
そう観念して、レヴィアは仕方なさそうに口を開いた。
アルテミシアが手にした匙 をパクリとくわえて、レヴィアは甘味を飲み込む。
「ふふっ、上手。ほら、もう一口」
「う……」
口を閉じてしばらく抵抗するが、もちろんアルテミシアは諦めない。
盛大なため息を落としたレヴィアが口を開けると、アルテミシアは懐かしそうな遠い目になった。
「……ラキスとフェティにも、こうやって食事をさせたことがあったな……」
目の前の自分ではなく、遠い誰かを見ている。
そう気づいたレヴィアは強引なほどの力で、アルテミシアの手の中の匙 を奪った。
「はい、今度は僕の番。あーん」
「わ、私にお仕置きは必要ないだろう?!」
「でも、貴女 は怪我人で、僕は貴女 の医薬師です。……弟じゃ、ありません」
「わ、わかってる。ふざけ過ぎたか?……怒った?」
にらんでいるのかと思うほど強い瞳に、頬を赤らめたアルテミシアの目がオロオロと泳ぐ。
「怒ってないよ。でも、僕の番。あーん」
「もお……」
ためらいつつ開かれたまだ色の薄いその唇に、レヴィアは果物菓子を慎重に差し入れた。
「……ん」
ごくんと飲み込んだアルテミシアが可愛くて、レヴィアの口元がモニョモニョと動く。
「ふふっ……。お芋も、食べられそう?」
淡い味つけで柔らかく煮た芋を、ほんの少し取り分けて。
レヴィアはアルテミシアの口先に差し出せば、今度は素直にその口が開く。
(食べられた!よかった……)
ただ食べているだけなのに、その動作ひとつひとつが愛おしい。
アルテミシアが生きている。
呼吸をしていて、言葉を交わしている。
それが嬉しくて。
嬉しくて嬉しくて。
アルテミシアに食べさせながら、レヴィアの鼻がツンと痛んだ。
「美味しい。これ、レヴィが作ったんだな」
「うん。わかる?」
「トレキバで食べた味だ。優しい、レヴィの味付けだ」
ふわりと笑うアルテミシアに見蕩 れそうになり、慌ててレヴィアは手元の料理をかきこんで……。
「……ぐっ?げほっ、げほっ」
「ほら、慌てるから」
アルテミシアが片手をついて、ゆっくりと体を起こした。
「大丈夫か?」
まだ力の入らない腕が、それでもレヴィアの背中を何度も擦 る。
「……ありがと。あれ、ミーシャ、自分で起き上がれるの?痛くない?大丈夫?」
「今朝、雨漏りで目が覚めたんだ。慌てて起き上がったら、もうそれほど痛まないことに気がついた」
「えっ?!」
レヴィアが驚いて天井を見上げると、濡れた染みが広がっていた。
手を伸ばして確かめれば、アルテミシアの上掛けも、裾 のほうがだいぶ湿っている。
「今、風邪でもひいたら大変。しばらく雨が続くって、ラシオンが言っていたし……」
(体を動かせるなら、場所を移動するくらいは大丈夫かな。ちゃんとした療養場所は、ラシオンに相談するとして、取りあえず……)
考え込んでいるレヴィアに、またアルテミシアが匙 を差し出した。
「頭を使うなら、甘い物を食べるといいそうだ」
「ミーシャに作ったのに」
早々に抵抗は諦めて、素直に食べさせてもらいながら、レヴィアもひとつ、芋を摘 まんだ。
「はい。もう少し、食べられる?」
「主 の仰せのままに」
互いに食べさせ合って、同時に飲み込んで。
「レヴィ、看病が上手だな」
「誰かが、しょっちゅう怪我するから」
「私も、レヴィに食事をさせるのは得意だぞ」
「……ふふっ、そうだね」
「だろう?ほら、あーん」
「もう」
時おりふざけ合いながら。
ふたりの時間は、ゆっくりと穏やかに流れていった。
食事もままならない日も多く、回復は思わしくない。
日に日に細くなるアルテミシアに心配を募らせても、これ以上、何をすればよいのか。
打つ手も思い浮かばない自分に、ただ焦れるレヴィアだった。
◇
「レヴィが食事をしない?」
ある日の午後、ふらっと見舞に来たクローヴァにアルテミシアの眉が曇った。
「食欲がないというより、食事をすることを忘れてしまうようだね」
クローヴァはふぅと長いため息を吐き出す。
「今、アガラム医薬師とスライが、物資を調達しにアガラムへ戻っているだろう?残していった医学書をずっと読み込んでいる。リズィエのことばかり、考えているようだよ」
「ああ、もお……。お手を
「それはいいけれど、
「なりませんよ」
アルテミシアの笑顔に一瞬だけ真顔になったクローヴァだが、すぐに同じような笑顔を返した。
「一緒に食事なんて、ダメだよ」
クローヴァだけではなくアルテミシアから提案を受けても、レヴィアはためらわずにはいられない。
「ミーシャの安静の邪魔になる」
「私と一緒では嫌か?」
「そうじゃ、ないけど。だって、ミーシャが休めないでしょう?」
「そんなはずないだろう。可愛いレヴィの美味しそうな顔が見られるのに。もお、変わらないな。覚えているか?トレキバでのこと。一緒に食事をしようと言ったら、レヴィは最初、困っていた」
「……覚えてるよ」
「あの頃は、レヴィが持ってきてくれた食料が、私の命をつないでくれたんだ。
「でも、僕……。今、食事は作って、ないし」
泣き出しそうなレヴィアの口元に、アルテミシアの指が添えられた。
「レヴィの作ってくれた食事なら、レヴィと一緒なら、食べられると思うんだ」
そのままレヴィアの頬を持ち上げたアルテミシアの微笑は、なんだか儚くて。
レヴィアは胸がきゅぅっと絞られるようだった。
◇
重い雲が空を覆って、今日もシトシトとした雨が降っている。
晴れ間の遠い天気に、陣営天幕は傷みが目立ち始めていた。
(ここでアルテミシアの治療を続けるのは、そろそろ限界だろうな)
雨脚が強まってきた外の様子を伺いながら、アルテミシアの食事を乗せた盆を片手に、レヴィアはため息をつく。
(だけど、もう少し体力をつけてもらわないと……)
雨よけの覆いを盆に被せて、レヴィアは炊事場をあとにした。
「トーラとスバクルでね、この平原を、和平協定を結んだすべての国が行き来して、交流する街にしようっていう計画があるんだって」
アルテミシアの枕元に座ったレヴィアは、果汁で作った
「そうなんだ」
重ねた枕に上半身をもたれたまま器を受け取って、アルテミシアはひと
ここ最近、レヴィアはユドゥズ公から紹介された料理人から、栄養価が高く、かつ体に負担をかけない、消化のよい菓子や料理を習っている。
今日作ったのもそのひとつ。
果汁に食用の
口に入れた瞬間、舌に
「美味しい」
ゆっくりと飲み込んだアルテミシアは、もうひと
「レヴィも食べてみろ」
「僕、味見したよ?」
「レヴィの食べてる煮野菜と交換しよう」
「え、食べられそう?」
食欲の出てきたアルテミシアに喜びながら、
「……?」
「はい、あーん」
「じ、自分で、食べられるってば」
「だめ。レヴィは放っておくと食事をしないから」
戸惑い体を引くレヴィアに、アルテミシアがさらに
「今まで食べなかったお仕置き」
「えぇ~?」
「はい、あーん」
(これは断固、諦めそうもないな……)
そう観念して、レヴィアは仕方なさそうに口を開いた。
アルテミシアが手にした
「ふふっ、上手。ほら、もう一口」
「う……」
口を閉じてしばらく抵抗するが、もちろんアルテミシアは諦めない。
盛大なため息を落としたレヴィアが口を開けると、アルテミシアは懐かしそうな遠い目になった。
「……ラキスとフェティにも、こうやって食事をさせたことがあったな……」
目の前の自分ではなく、遠い誰かを見ている。
そう気づいたレヴィアは強引なほどの力で、アルテミシアの手の中の
「はい、今度は僕の番。あーん」
「わ、私にお仕置きは必要ないだろう?!」
「でも、
「わ、わかってる。ふざけ過ぎたか?……怒った?」
にらんでいるのかと思うほど強い瞳に、頬を赤らめたアルテミシアの目がオロオロと泳ぐ。
「怒ってないよ。でも、僕の番。あーん」
「もお……」
ためらいつつ開かれたまだ色の薄いその唇に、レヴィアは果物菓子を慎重に差し入れた。
「……ん」
ごくんと飲み込んだアルテミシアが可愛くて、レヴィアの口元がモニョモニョと動く。
「ふふっ……。お芋も、食べられそう?」
淡い味つけで柔らかく煮た芋を、ほんの少し取り分けて。
レヴィアはアルテミシアの口先に差し出せば、今度は素直にその口が開く。
(食べられた!よかった……)
ただ食べているだけなのに、その動作ひとつひとつが愛おしい。
アルテミシアが生きている。
呼吸をしていて、言葉を交わしている。
それが嬉しくて。
嬉しくて嬉しくて。
アルテミシアに食べさせながら、レヴィアの鼻がツンと痛んだ。
「美味しい。これ、レヴィが作ったんだな」
「うん。わかる?」
「トレキバで食べた味だ。優しい、レヴィの味付けだ」
ふわりと笑うアルテミシアに
「……ぐっ?げほっ、げほっ」
「ほら、慌てるから」
アルテミシアが片手をついて、ゆっくりと体を起こした。
「大丈夫か?」
まだ力の入らない腕が、それでもレヴィアの背中を何度も
「……ありがと。あれ、ミーシャ、自分で起き上がれるの?痛くない?大丈夫?」
「今朝、雨漏りで目が覚めたんだ。慌てて起き上がったら、もうそれほど痛まないことに気がついた」
「えっ?!」
レヴィアが驚いて天井を見上げると、濡れた染みが広がっていた。
手を伸ばして確かめれば、アルテミシアの上掛けも、
「今、風邪でもひいたら大変。しばらく雨が続くって、ラシオンが言っていたし……」
(体を動かせるなら、場所を移動するくらいは大丈夫かな。ちゃんとした療養場所は、ラシオンに相談するとして、取りあえず……)
考え込んでいるレヴィアに、またアルテミシアが
「頭を使うなら、甘い物を食べるといいそうだ」
「ミーシャに作ったのに」
早々に抵抗は諦めて、素直に食べさせてもらいながら、レヴィアもひとつ、芋を
「はい。もう少し、食べられる?」
「
互いに食べさせ合って、同時に飲み込んで。
「レヴィ、看病が上手だな」
「誰かが、しょっちゅう怪我するから」
「私も、レヴィに食事をさせるのは得意だぞ」
「……ふふっ、そうだね」
「だろう?ほら、あーん」
「もう」
時おりふざけ合いながら。
ふたりの時間は、ゆっくりと穏やかに流れていった。