王子の支柱‐1‐

文字数 3,391文字

 慣れない食事や湯あみにはしゃぎ疲れて、愚連隊が早々に寝静まってしまった夜更け。
 ジーグはレヴィアの作業小屋に、集めた勇士たちを呼び出した。

「ここは?」
 ラシオンはこじんまりと清潔な小屋の内部を、興味深そうに見渡している。
「僕が、薬草を調合する場所。向こうには、畑もあるんだ」
 レヴィアは薬棚(くすりだな)から数種類の薬草と茶葉を選び合わせ、湯を注ぐ。
「リーラ様も、薬茶の調合がお上手でした」
 レヴィアを見守るスライが、懐かしそうにつぶやいたのと同時に。
 バタン!と、作業小屋の扉が勢いよく開かれ、みなの注目が集まる。
「えぇっ、誰だあれ」
 扉に手をかけている少女に、ラシオンの目は釘付けとなった。
 
 簡素な作業着からすらりとした手足をのぞかせて、流れ落ちる豊かな巻髪は、瑞々(みずみず)しい真紅の薔薇の花束のよう。
 その少女が一歩入ってくれば、部屋の明るさが増したかのようだ。

「昼間は顔も見せずに失礼をしたな。アルテミシアだ」
 猫のような鮮緑の瞳が笑みを浮かべている。
「もしかして、これが『お嬢』?あの旅装束(たびしょうぞく)の?うっわ、かっわいい」
 ラシオンは足早にアルテミシアの前に進み出ると、(うやうや)しい動作でその手を取った。
「スバクル出身のラシオンと申します。隊商警備で、フリーダ卿にお声をかけていただきました。お目にかかれて光栄です。『お嬢』」
「なんだ、普通の口もきけるのか。見直したぞラシオン。……久しぶりだな、お嬢」
「リズ!」
 ラシオンの手をさっと振り払って。
 アルテミシアはリズワンに駆け寄り、抱きついた。
「いっぱしの令嬢みたいに大きくなったくせに、中身は昔のままか?……苦労、したな。よく生き残った」
 万感の思いがこもるリズワンの声に、アルテミシアの顔がゆっくりと上げられる。
「リズ……」
 言葉を詰まらせたアルテミシアの頭を、リズワンは慰めるようになでた。

「えー、なにあれー、いちゃいちゃしちゃってさー。俺にもあれ、やってくんねぇかなー」
「馬鹿なことを言うな」
 懐かしそうに見つめ合うふたりを見ながら、ふざけて()ねた声を出すラシオンの頭を、ジーグが小突(こづ)く。
「いてっ!……でも、リズ姐とお嬢ってどうして知り合い?姐さんは東国(とうごく)の出だろ」
 頭を(さす)りながら、ラシオンが首を傾げる。
「リズィエがチェンタ国で修業中、一年ほど一緒に過ごした仲だ。リズィエの体術は、ボジェイク老とリズワン仕込みだ」
「そりゃあ手ごわそうだ。お嬢がいくつくらいんとき?」
「八つになっていた。ちょうど仕事でチェンタに滞在していたリズワンが、どういうわけだか、リズィエと気が合ったようでな。修行に付き合ってくれることになった」
「なるほどなぁ……。それじゃ、娘みたいなもんか」
「そうだな。ずいぶん可愛がっていた。リズィエが泣きべそをかいても、容赦なく稽古(けいこ)をつけていたくらいだからな」
「え、それって可愛がってんの?」

リズワンだぞ。泣かれたりしたら、そこで見限って放り出す」
「ああ、そうね。リズ(ねえ)ですもんね、って、あっち!」
 乱暴に置かれた茶碗から飛んだ雫が、ラシオンの手にかかる。
「殿下、もうちょっと静かに、」
「ごめん、なさい」
「えっと、いえ、こちらこそ?」
 無表情のレヴィアからの謝罪に、ラシオンは思わず一歩下がった。
「どうした?」
「……どうも、しない。ジーグもどうぞ」
「……」
 レヴィアの横顔を眺めながら、ジーグはあごに指を添える。

 アルテミシアが使用人たちを

調

してから、レヴィアが表情を消すことなどなかったのに。

 レヴィアから薬茶を手渡されたリズワンが、満足そうに目を細める。
「うん、いい味だ」 
「これは気持ちを(ほぐ)す配合ですね。リーラ様と同じ味がいたします」
 その隣で、口の中で転がすように、ゆっくりと茶を味わうスライが、深いため息をついた。
「今でも可愛いけれど、本当に小さかったころは、さぞかし可愛かったんだろうな、レヴィは。初めて会ったときは本当に可愛くて、ちょっと驚いたくらいだ。こんなに小さくて可愛い子が、迷わず助けてくれたのかと心が震えた」
「ええ、それはもう」
 アルテミシアを見上げるスライの目元に、柔和なしわが刻まれる。
「その髪は夜のように流れ、瞳は星を浮かべ輝き……」
「恋人に(ささや)くみたいな、キザっちぃセリフだなぁ」
 冷やかすラシオンに、スライは我が意を得たりとうなずいた。
「はい。ヴァーリ陛下が、リーラ様に贈られたお言葉です」
「ブフォっ?!」
「汚い。拭けっ」
 盛大に薬草茶を噴き出したラシオンは、リズワンの凍えた視線に、慌ててジーグから雑巾を借りる。
「げほ、げほっ。……だって、あのトーラ王がそんなこと言う?”冷徹(れいてつ)(たか)”って呼ばれてる、あのヒトが?スバクルで言っても、きっと誰も信じねぇぞ」
 仁王立ちするリズワンの前で、四つん()いになったラシオンが、ブツブツ言いながら床を拭いていった。
「リーラ様やレヴィア様とご一緒のときは、陛下はずっと(ほが)らかでいらっしゃいましたから。私共(わたくしども)には、”冷徹の鷹”のほうが馴染(なじ)みませんでした。……レヴィア様は、覚えておいでですか?」
 寂しそうに首を横に振るレヴィアの頬を、アルテミシアは指でそっとくすぐる。
「これから、新たな思い出を積み上げていけばいい。時間はたくさんあるんだから」
 微笑むアルテミシアと、されるがままになっているレヴィアにスライが一歩近づいた。
「サイーダ。レヴィア様のおそばにいてくださったこと、どれほど感謝してもし尽くせません」
「サイーダ?」
 聞きなれない言葉に、アルテミシアの首が傾く。
「アガラムの言葉で”乙女”を意味します。あなたとフリーダ卿に出会えたレヴィア様の幸せを、空の向こうで、リーラ様もどれほどお喜びになっていらっしゃるか」
「それは違うぞ。幸せを得たのは私たちのほうだ」
 それはきっぱりとした、言下の断言だった。
「私の命をつないでくれたのはレヴィアだ。だから、私は決めたんだ。これからは、レヴィアを守るために()ろうと」
 グスリと鼻をすすって、スラは慌てたように目尻を(ぬぐ)う。
「……年を取ると、すっかり涙もろくなりまして。レヴィア様、本当に、本当に良いご縁を得ましたね」
「あなたとの縁も、感謝してるよ、スライ。ずっと待っていてくれて、ありがとう」
「ああ、神よ、感謝いたします。……リーラ様……」
 荒波を(くぐ)り抜けてきた褐色の頬に一筋。
 涙がこぼれて、床に散っていった。

 ジーグが説明する騎竜隊の計画を、ラシオンは小さくうなずきながら聞いている。
「規模は小さいが、個別撃破力の高い隊になりそうだな」
「一騎当千の能力を持つ者を招集したつもりだ」
「へへぇ?」
 満更でもなさそうな顔で、ラシオンはジーグを見やった。
「隊商警護はさ、かなり楽な仕事だったじゃねぇか。俺の腕を披露する場面なんか、なかったろ?」
「二、三日行動をともにすればわかる。お前の働きで、危機回避ができたこともあった」
「ふーん。……油断もスキもねぇな……」
「竜とリズィエのことは、時期が来るまで絶対の秘匿(ひとく)だ」
 ラシオンの独り言は聞こえないふりをして、ジーグは続ける。
「この隊も隊長は私が担い、リズィエは副長という立場に隠す」
「はぁ~ん。それであの格好か」
 納得顔をして、ラシオンは何度もうなずいた。
「お嬢は背が高いし、旅装束着てると体型もわからねぇ。襟巻(えりまき)してるから、声も男だか女だか区別がつかなかったしな。上手く化けてっけど、これからあのカッコ見るとトキメクなー!。中身がお嬢だって知ってると、むいてみたくなっちゃうね。その可愛い口で”ケツの穴”とか言っちゃうんだもんなぁ」
「本当にやったら斬るからな」
「へえぇ、

を斬ってもらおっかなあ。大事なトコって言ったらさぁ」
「ねえ、ミーシャ」
 (そで)を引っ張られて、アルテミシアがレヴィアを振り仰ぐ。
「うん、どうした?」
「竜仔の様子、見に行かなくていいの?」
「気になるのか?」
「うん」
「それなら、一緒に行こうか。……では、みんな、明日からよろしくな」
 (きびす)を返したアルテミシアの隣に、いそいそとレヴィアが並んだ。
「ねえ、ミーシャ。今日、トカゲを見かけたよ」
「ほんとか?!どの辺りで?」
「あのね、前庭のね……」
 わくわくと食いつくアルテミシアに、レヴィアが肩を寄せる。
「捕まえられそう?」
「すばしっこいから……」
 睦まじげに会話を交わすふたりの声が、扉の向こうへと消えていった。 
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