スバクルに散る火花

文字数 3,696文字

 日ごろ感情を宿すことのない(なまり)色の目が、驚きと不審に見開かれている。
「竜を使う?」
 スバクル統領レゲシュ邸の客間で、優雅に足を組んで座るジェラインの前に立つカーフは、眉をひそめた。
「帝国がスバクル側についたのですか?」
「いや」
 セディギア・ジェラインは楽しくてたまらないというように肩を揺らす。
「イハウ連合国がイグナル殿に竜を貸してくれるらしい。あの赤毛の小娘は驚くだろうな。スバクルが竜を使うとは、思ってもないだろう」
「イハウに竜がいるなど、聞いたことがありませんが……」
「トーラに竜がいることも想定外だろう。帝国はもったいぶるが、案外竜など、どこででも育てられるに違いない。しょせん(けもの)だ。あとはお前が聞いておけ」 
 スバクル統領家の宗主、イグナル・レゲシュから手厚くもてなされ、すっかり気を良くしているジェラインは、(うやうや)しく頭を下げるカーフを横目に、上機嫌で部屋を出ていった。

 レゲシュ家宗主の部屋の扉を叩くと、(すご)みのある濁声(だみごえ)が返ってくる。
「誰だ」
「カーフ・アバテでございます」
「ああ。入ってくれ」
 カーフが部屋に一歩足を踏み入れると、スバクル統領イグナル・レゲシュが立ち上って出迎え、部屋に置かれた客用の椅子(いす)を勧めた。
「ここでは、もうその名を使う必要はないだろう。カーフレイ・セディギア。それとも、スバクル随一の諜者(ちょうじゃ)であったお前の母の名、アヴールのほうが名誉か」
 カーフレイ・アヴールは示された椅子(いす)に腰掛けながら、無言で(こうべ)を垂れる。
「あの脳内花畑に遠慮することも、もうあるまい」
「一応、兄ですので」
 鈍い(なまり)色の瞳からは、何の感情もうかがえない。
「お前が兄と呼ぶと、嫌な顔をするではないか。お前の母は本当に優秀であった。下働きを装いながら、まんまとセディギア当主を籠絡(ろうらく)したのだからな。……病を得たことは残念であった。医薬を扱う、セディギアの家にいたというのに」
「トーラでの立場は、(めかけ)でしかありませんから」
 
 若き愛人が病を得たとき、セディギア本妻は医薬師に診せることを決して許さなかった。
 薄暗い物置小屋に隔離し、放置されて、あっけなく死んでいった母親。
 物のように土に埋められた母を思い出しながらも、カーフレイの表情は変わらない。  

「それで何用だ。あの盆暗(ボンクラ)が、また何かをご所望か」
 トーラでの贅沢癖(ぜいたくぐせ)が抜けないジェラインは、たびたび余計な物品を要求しては、イグナルから呆れられていた。
「いえ。イハウから竜が来るとか。あの国には竜がいるのですか」
「いや、ディアムド帝国からだ」
「……帝国……?」
 
 イハウ連合国とディアムド帝国はここ数十年、間にあったカザビア王国の滅亡を招くほどの(いくさ)を繰り返している。
 その二国が協力するなど、考えられもしない事態だが。
 
 動揺を隠せないカーフレイを前に、イグナルは悪辣(あくらつ)な顔を見せる。
「帝国も、決して一枚岩ではないのだろう。……うちと同様、時流を読んだ者が生き残る」
「帝国に、イハウと通じる勢力がある、ということですか」
「そのようだ。そして、その勢力は帝国を変革するためにイハウ、さらには我が国の協力を欲している」
「そのために、スバクルに竜を貸すと?しかし、それが露呈(ろてい)すれば、ディアムド皇帝が黙ってはおりますまい」
「正式の竜ではないらしい。この戦で使い捨てにすると言っていた。実際に竜がいなければ、皇帝も口出しできなかろう」
「竜騎士はどうするのですか」
「ともに帝国から来る」
「それも葬るのですか」
「その予定だ」
「それほど簡単に、竜と竜騎士を(あや)められるでしょうか」
 
 トーラ王国やスバクル領主国内では、間者(かんじゃ)として、さまざまな顔を持つカーフレイだ。
 しかし、イハウ連合国やディアムド帝国に入り込んだことはなく、通り一遍の知識しかない。
 
 カーフレイの不安を見透かしたかのように、イグナルが身を乗り出した。
「そこはお前の出番となる。……契約の成されていない竜を操るのに、”悪魔の雫”という薬を使うらしい。知っているか」
「ああ、なるほど」
 カーフレイはアバテの顏となってうなずく。
「その濃度を間違えればよいのですね。……”悪魔の雫”を使うとは、帝国も相当だ。いや、それでこそ、か」
 (なまり)色の瞳の奥が、ぎらりと光った。
 

 ユドゥズ家の宗主ジャジカは、目の前でひざまずいている、ふたりの青年をじっと見つめている。
 そのうちのひとり、同盟家であったカーヤイ末家出身の若者は、多くの者に慕われる人柄で曹長を任され、「カーヤイの疾風」とまで言われた実力者だった。
 かつては、どこか浮ついた印象の拭えない若者であったが、今は見違えるほどの覇気をその身にまとっている。
 
――スバクル国内の一連の政争は、レゲシュ家の謀略だ――
 
 レゲシュ派に(くみ)しない者たちはそう信じていたし、だからこそ、カーヤイ家やサイレル家の者の逃亡をそれとなく助け、また隠遁生活をこっそりと援助する者さえいる。
 しかし、目の前にいる若者は呆気なくその姿を消して、その消息はようとして知れなかった。
 「未来のスバクルを背負う第一人者」との評判が、間違いであったかのように。

「久しいな。サイレルの惣領は、国境辺りで見かけた話も聞いてはいたが。お前はレゲシュに討たれたのだと、もっぱらの(うわさ)であったぞ」
「姉の死を見届けたあとは、各国で傭兵(ようへい)などを」
 ラシオンはうつむいたまま、微動だにしない。
「なんと!……ヴィエナは、やはり亡くなっていたのか。イェルマズの三男は、泣く泣く縁を切ったと聞いていたが」
「離縁されて間もなく、たどり着いた田舎宿で身罷(みまか)りました。宿代にも事欠いていたようで、身ぐるみ()がされ売られて、死に装束には清潔な布を巻いてやったのだからと、宿の女将(おかみ)から布代を請求されました」
 
 見る者を(いや)す優美な笑顔と、誰にでも柔らかな物腰で接するヴィエナには、年ごろになると降るように縁談が舞い込んだ。
 そのなかで、対立関係にあったイェルマズ家へを自ら選んだのは、彼女自身が、スバクルの泰平を望んだためでもある。
 家同士は争いもあったが、相手から切望された縁でもあり、傍目(はため)にも幸せそうな若夫婦は、スバクル安寧を願う皆の希望であったのだが。

 ジャジカの視線は、きつね色の髪に()された深紅の髪飾りに注がれる。
 あの美しい娘の最期を、同胞の仕打ちを知った弟の心の内を思えば。
 どんな慰めの言葉も虚しく感じて、口に出せなかった。

「それでお前は国を出たのか。だが、なぜ戻った。トーラ国第二王子に見込まれているというのなら、そのままスバクルに対立する立場に留まったとしても、不思議には思わない」
「そーですねぇ」
 軽薄な笑みを貼りつけたラシオンが、顔を上げる。
「あっちにはすっごい面白い連中がいますし、待遇も良かったですよ。可愛娘(かわいこ)ちゃんが短剣振り回して竜に乗ってるなんて、想像つきますか?」
(うわさ)は、真実だったのか……。では、なおのこと。何故(なにゆえ)その厚遇を捨てる」
 ジャジカをまっすぐに見上げていたラシオンの目が、ふぃと落とされた。
「姉の埋葬された場所には、墓標もありませんでした」
 低くつぶやくような声に、ラシオンの隣にいるファイズが思わず目を上げる。
「どこにでもあるような石ころがひとつ、放り投げられたように置かれていた。俺は、それがすごく悲しくて……。花を手向(たむ)けたくても、宿の女将(おかみ)に有り金叩きつけたあとだったから、買うこともできなくて」
 ファイズの目に見る間に涙が浮かび、その顔がくしゃりと(ゆが)む。
「墓地の片隅に、野薔薇(のばら)が咲いていました。姉が好きだった、深紅色の花びらが風に揺れていて……。気がついたら、素手で掘り起こしていた」
 ラシオンは自分の片手を目の前にかざした。
「小さな株だったけれど、墓標の代わりに、姉の墓に植えたんです。……あの薔薇(ばら)は、根付いたろうか……」
「ぐ、うぅ」
 とうとう声を上げて泣き始めたファイズの頭を、ラシオンは軽く小突く。
「なんでお前が泣くんだよっ」
「ヴィ、ヴィエナ殿は、俺たちの憧れだった……。そんな、寂しい場所に、おひとりで……」
 髭面(ひげづら)強面(こわもて)が、子供のようにぽろぽろと涙を(こぼ)している。
「二年のうちに、少しは大きな株になってると思うんだ。深紅の花が、姉上を慰めていると思う。だから俺は」
 ファイズの肩をひとつ叩いてから、ラシオンが立ち上がった。
「その薔薇(ばら)を散らされたくはないのです。姉の魂を、静かに眠らせておいてやりたい。これ以上、弱い者が踏みにじられる姿を見たくない。花に囲まれて笑っていられるような、そんな当たり前の日々を守りたいんです」
「しかし、お前の話のとおりならば、相手は強大だ。ひとりで何ができる」
「俺はひとりじゃない。トーラで得た縁があります。生まれた国はそれぞれ違っても、守りたいもののために、手を(たずさ)える仲間たちがいる」
 ラシオンが直立不動で、真っ向からジャジカを見据える。
「ジャジカ・ユドゥズ公。貴方(あなた)の守りたいもののために、今、ご決断を」
 そこにいるのは、記憶にあるよりもたくましく、闘気を放つひとりの戦士。
 静かな感動に包まれたジャジカの耳には、閉塞した時代が打ち破られる音が届いていた。
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