竜家のしきたり

文字数 3,550文字

 トゥクース離宮は首都周辺部に位置しており、王家が所領する農園とともに発展していった、長閑(のどか)な町の郊外に建てられていた。
 
 しんしんと冷え込む空気が寝静まった町を包む夜。
 離宮二階にある隊長室の扉が小さく叩かれた。
「入れ」
 ジーグの声が低く、短く許可を出す。
「よー、(あか)りが見えたからさ。時間ある?たまにはどう?」
「茶でよければ付き合おう」
 酒瓶を抱えた体を半分のぞかせたラシオンを見て、ジーグは隊長席の机に広げていた書類をひとまとめにすると、ゆっくりと立ち上がった。
「えー、茶ぁ?」
 部屋の中央に置かれた円卓の上に、不満顔のラシオンが酒瓶と(さかずき)を置く。
「祝杯を上げるには早すぎるからな」
「俺は飲んでも平気?」
「つぶれない程度に」
 ラシオンは盃を、その対面に座ったジーグは茶碗を(かか)げて目礼をし合い、それぞれ口に運ぶ。
「それで?何が聞きたい」
 単刀直入に切り出されて、焦げ茶の瞳が驚きに見張られた。
「え、なんで」
「滅多なことでは相談事などしないだろう、お前は。自分で解決できるからな。しかも、こんな時期だ。ただの雑談をするために、わざわざ私を煩わせる人間でもない。どうにも判断つかないこと、わからないことでもあるのだろう。レヴィアか、リズィエか」
 相変わらずの切れ味を見せるジーグにラシオンは舌を巻き、素直にうなずくよりほかはない。
「まぁ、そうなんだけどさ。お嬢が今日……」
 湯殿(ゆどの)事件の顛末(てんまつ)を聞きながら、ジーグは眉間(みけん)のしわも深く嘆息(たんそく)した。
「また、やったか……」
「なぁ、ジーグ。例の”偽王襲撃”のときも思ったんだ。お嬢はなんだか……、ちぐはぐな感じがするんだよ。守るべき自分がない、みたいな。それでいて、別に自己評価が低いワケでもねぇ。お嬢の戦闘能力はぴか一だけどよ、あの戦い方は違和感あるっちゅうか……。うーん、無頓着?肝がすわってる?ちょっと違うか。……何て言ったらいいか……」
 表現しあぐね、ラシオンは言葉を探す。
「当たらずとも遠からず、だな」
 複雑そうなジーグの声色(こわいろ)に、ラシオンの目が上がった。
「サラマリスの人間は、個を大切にしない」
「あー」
 浅く二、三度うなずいたラシオンは酒を一気に飲み干すと、空になった盃を円卓に置いて腕を組む。
「やっぱり、な。そうじゃねぇかとは思っていた。お嬢は、サラマリス家の人間なんだな」

――帝国騎竜軍にサラマリスあり――
 大陸各国で軍に関係している者なら、一度は耳にする言葉だ。
 
 これ以上、ラシオンには隠す必要がない。
 そう判断したジーグは続ける。
「”赤の惨劇”を耳にしたことはあるか」
 腹をくくったような琥珀(こはく)の瞳に、ラシオンは居住まいをただした。
「いや」
「チェンタ随一の間諜(かんちょう)でさえ、その断片しか手に入れられなかったと、リズも言っていた。サラマリス当主一家の惨殺事件だから、緘口令(かんこうれい)が敷かれるのは当然だが……」
 
 そして、聞かされる話のあまりの痛ましさに、ラシオンが青ざめていく。

(その惨状を経たふたりに、冷たい境遇にあったレヴィアが手を差し伸べたのか。お嬢が可愛がるワケだな)

 ジーグから「守ってくれ」と頼まれているふたりに思いを巡らせながら、ラシオンは腕をほどくと、ゆっくりと手酌で酒を注いだ。

「世話になっていた私が言うのもなんだが、サラマリス家は特殊だ」
 ジーグの声が低くなる。
「サラマリス家が砕身(さいしん)するのは竜の育成、騎竜軍の統率。竜を(つか)い、圧倒的な勝利を収めよ。必要あらば自らの命も使え。サラマリスの命は、連綿(れんめん)と続く『赤の系譜』の(いしずえ)である。これが」
 ジーグは手の中の茶碗を傾け、喉を潤した。
「サラマリスの教え。自ら持てるもの、すべてが武器。竜術、武術。そして、その命さえも」
「その、命さえ……」
 ラシオンは思わず、ジーグの言葉を繰り返してつぶやく。
「サラマリスの人間にとっては、自身も武器のひとつに過ぎない。だから、よく言えば、ぶれない冷静さを持ち、悪く言うと感情の起伏に乏しい人間が多かった。それぞれが竜に(たずさ)わる血筋を支える、精度の高い歯車のようだった」
「でも、お嬢は……」
 ラシオンの知っているアルテミシアはヴァイノに喧嘩(けんか)を売り、リズワンに抱きつき、フロラの言葉に傷つく

少女でしかない。
「リズィエは一族から距離を置いて育てられた。私が教育係を兼ねた従者になったのは、単なる偶然にすぎない。私がいなくても、ほかの誰かが担ったのだろう。十歳になる前には、当主バシリウス様は、リズィエを対等の存在として扱っていた。そして、実子であるのに”父”ではなく、”バシリウス”と名前で呼ばせていた」
「なぜ?」
「さあ」
 ジーグはかぶせ気味に返事をすると、珍しいほど乱暴に首をすくめた。

 手の中にある茶碗を見るともなく見ながら、ジーグは淡々と続ける。
「『サラマリス家の習いだ』と言われてしまえば、それまでだからな。ただ、こうも言われた。『サラマリスの子どもたちは、(いばら)の道を()いられる。一族もそれを望まなければならない。せめて貴殿だけは、普通の娘として接し、育ててほしい』と」
「……そっか。お嬢は、あんたが育てた娘なんだな。聡明で、やんちゃで」
 飾らない笑顔を見せるラシオンに、ジーグは口元を緩ませた。
「やんちゃなのは元々の気質だ」
「それを失わせずに、立派に彼女を育てた」
「立派、でもないが。……それでも」
 やるせなさそうに顔をしかめて、ジーグは嘆息する。
「それでも、サラマリスの(いばら)は彼女を縛る。自身も武器のひとつに過ぎない。大切なものの順番が、普通の人間とは違う。彼女にとって、感情は優先事項ではない」
 違和感の霧が晴れていくようで、ラシオンはゆっくりと大きく息を吐き出した。
「そう、か。大事じゃねぇのか。他人の感情も、自分の感情も」
「重要視するのは、何のために戦い、何を守るのかという大義。いったん守ると決めたら容赦はない。相手にも、自分にも」
「そんな生き方を……」
 思い浮かべたアルテミシアの輪郭がぼやけていくようで、ラシオンの視線が揺れる。
「竜術の心得を学ぶころから叩き込まれる。七つを数えれば、すぐにでも」
 
 ラシオン自身も兵士として、甘くない世界で過ごしてきたつもりだ。
 しかし。

「帝国の強さは、そんな壮絶な一族が支えてるのか。……その『赤の惨劇』の首謀者って?」
 手であごを包むジーグに、ラシオンの探るような目が向けられる。
「サラマリスの意向は皇帝陛下も無視できない。国を守る(かなめ)として、国民からの敬意も厚い。それほどの力を持つ武家貴族だから、(ねた)(そね)みも当然多い。……絞りきれなくてな」
「向けられる敬意には、(こび)へつらいも当然あるんだろうな。権力を持つゆえに謀略は茶飯事。感情に対して、無関心にならざるを得ない一族、か。でも可哀想だな。悪意にも、好意にも興味がないなんて。そんなんで守り戦うなんて、与えるばかりじゃないか」
「それが、サラマリスの生き方だ」
「ジーグはそれを納得してるのか。それでいいのか」
「いいも悪いもない。私にできるのは、本人が望む生き方を支えるくらいだ」
 ああ、親父(おやじ)の目だなと思いながら、ラシオンは稀代の剣士を眺めた。
「でもさ、レヴィアに対しては、ちょっと違うんじゃねぇか?ただ可愛がってるってだけじゃなくて」
「そう、かな。どうかな」

(娘を持つ親父(おやじ)の目、だな)

「ははっ。苦いものでも噛んだみてぇな顔になってんぞ」
 ニヤっと笑いながら、ラシオンは自分の杯になみなみと酒を注ぐ。
「珍しいモン見れて眼福眼福。んでどうよ。あの襲撃者どもは何かしゃべった?」
 いつもの調子に戻ったラシオンが、目下ジーグが、最優先で取り組んでいる

についての話を振った。
「スバクル兵だと言っている」
 盃を運ぶラシオンの手が、ピタリと止まる。
「……え、冗談だろ?確かに、休戦の不満を口にしてたけど、ただの攪乱(かくらん)だろ?」
「だが、こなれたスバクル語を話す」
「どこの家の者だって?」
「テミレイ家だと言っている」
「んあ?テミレイ?」
 ラシオンの首が派手に(かし)いだ。
「テミレイ、テミレイ……?聞かねぇな。新興(しんこう)家か?家紋はどんな?」
「家紋?」
「スバクルの兵にとって家紋は(ほこ)りだ。手柄を立て、領地を得て家を(おこ)す。そうして初めて、家紋を有する一族と認められるからな。本当にスバクル兵なら、家紋の入った家兵服を着ているはずだ」
「気がつかなかったな」
 目を落として、ジーグは何度か指であごを叩く。
「俺のことは何て?」
「特に何も」
「ふーん?なら俺のことはともかく、カーヤイ家のことは?謀反(むほん)家として報奨金も掛かってるから、さすがに知ってるだろう」
「明日にでも調べてみよう。ラシオン、スバクルの内情について、もう少し教えてもらえるか」
 
 それから、ふたりは夜が()けるのも忘れ、互いに身を乗り出して話し続けた。
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