離れ行く背中

エピソード文字数 4,805文字

 ジーグから作戦の変更点が簡潔に伝えられていく。
 アルバスをともなうのはカーフ対策でもある。万が一の備えであり、レヴィアが(ただ)ちにアルバスで出撃するわけではない。
 またアルバスとロシュが信頼するメイリも、フリーダ隊竜守として同行させる。
「レゲシュ家の動きを見つつ、近々進軍を始める。状況が変化すれば早まる可能性もある。最終準備は常に怠らないように。質問はないか。なければ解散」
 ジーグの指示に作戦室の空気が緩んだ。
「ねぇ、ふくちょ」
 ヴァイノがあっけらかんとアルテミシアに呼び掛けた。
「ん?」
 ジーグと肩を寄せて地図を確認していたアルテミシアが顔を上げる。
「隊長とケンカしてたんじゃねぇの?もういいの?」
 部屋を出て行こうとしていたラシオンの足が止まった。
 リズワンのきりっとした目がヴァイノに向けられる。
喧嘩(けんか)?何のことだ。していないぞ」
 アルテミシアが首を(かし)げた。本当に心当たりはなさそうだ。
「え、でもさっきさあ、えっと“ワタクシニ、サカラッたら、ユルさん”って言ってたじゃん。怒ってたじゃん」
 ヴァイノの片言(かたこと)のディアムド語に、アルテミシアがゆっくりと体を起こした。
「…聞かれていたのか。まったくお前はいつもいつも」
 アルテミシアはため息をつく。
「ディアムド語、ヴァイノは話すのはまだまだだな。聞き取りはできるのか」
 いつになく迫力のある鮮緑(せんりょく)の瞳にヴァイノはたじろぐ。
「え、うん。大丈夫、デス」
「そうか…。ならばいざというときは使えるな」
「え?」
 アルテミシアのつぶやきはヴァイノの耳には届かなかったようだ。
「いや、何でもない。喧嘩(けんか)などしてない。あれが戦場でのジーグと私の関係だ。怒っていたわけでもない。ただ、私を恐ろしいと思ったのなら、それは正しい」
「え?ふくちょは強すぎてすげぇと思うけど、恐ろしく何てねぇよ。かっこいい」
「かっこいい?初めて言われたな」
 きょとんとしているヴァイノに、アルテミシアは寂しそうに笑った。
「ディアムドにおいて、竜騎士は尊敬と畏怖(いふ)を同時に受ける存在だ。私が街を歩けば、市民は皆道を譲る。気軽に声を掛けてくる者などいなかった。それほどまでに恐れられている」
 アルテミシアの笑みは自嘲気味なものに変わる。
(いくさ)が終われば、竜騎士の本当の姿を知るだろう。そのとき私に恐怖や嫌悪を(いだ)いたとしても、後ろめたく思う必要はないぞ」
「そんなこと、」
 ヴァイノが口を開いたそのとき、作戦室の入口がざわついた。
「クローヴァ殿下、新たな報告が届きました!」
 書面を持った兵士が作戦室に走り込んでくる。
 解散しかけた皆が戻り見守る中、机上の地図に最新の情報が書き込まれていく。
「なんだ、この均衡を欠いた兵力は」
 アルテミシアがつぶやいた。
 兵の数、種類、集められた物資。アルテミシアの指が情報を追っていく。 
「ラシオン。私が覚えている限り、スバクルは帝国と戦火を交えたことはない。竜を直接見た者はいないだろう」
「そうだな。どこの国だろうと構わず咬みつく、狂犬イハウが間にあるからな」
 ディアムド帝国とスバクル領主国の間にあるイハウ連合国。
 豊かな穀倉地帯を所有し、帝国に次ぐ広い領土を治めている。資源も豊富で、安定した国力と軍事力を誇る、好戦的な国だ。
 アルテミシアは念入りに騎馬兵、歩兵の数を確認する。
「騎馬が少ない…。スバクルはイハウとは長いな?」
 周知のことを聞かれ、ラシオンは(いぶか)しげにアルテミシアを見下ろした。
「うん、もうずっとだ。帝国もだろ?」
「イハウは交渉すら嫌うからな。では、スバクルでイハウと共謀する勢力は?」
「ありえねぇと思ってたけど、レゲシュがセディギアとつるんでるのを目の当たりにしちゃあな。どした。何が引っかかってる?」 
 こげ茶の瞳がまじまじとアルテミシアに注がれる。
「スバクルには良馬の産地があるのに、報告上の騎馬兵が少なすぎる。これほどまで歩兵に重きを置くのは、スバクル慣例の戦術か?」
「いや?」
 ラシオンが言下に否定した。
「俺だったらこんな隊はごめんだね。使える布陣が偏る。機動力が低すぎる」
「普通に考えればそうだ。なのに歩兵ばかり強化している。あの糸目が持つ竜の知識で、ここまで騎馬を減らすだろうか。あの陰険無礼はロシュしか知らないはずだ。炎を噴くが、限度があるのは自明だろう。それを(しの)ぎ、騎馬で攻め込もうと考えるのが定石(じょうせき)だ。これでは竜で蹴散(けち)らしてくれと言わんばかりじゃないか。竜は弓にも強い」
「弓にも?」
 信じられない面もちでファイズが聞き返す。
「竜は一応鳥、だろう?だから向こうも弓兵を多くしたのだと思ったのだが」
「ただの鳥じゃない。その皮膚も羽も、まったくの別物だ。大きな鳥くらいだと思っていたら、腰を抜かすぞ?」
 アルテミシアは自慢げに笑い、そしてすぐ真顔に戻った。
「スバクル統領がそう判断して、弓部隊の数を(そろ)える、というのは想定内だ。しかし、それにしても度がすぎる。もしこの情報が、こちらを(あざむ)くためのものではないのなら…」
 アルテミシアはクローヴァに向き直る。
「スバクル統領(とうりょう)家は、偽の情報をつかまされている可能性があります」
 ラシオンとファイズがぎょっとしてアルテミシアを見つめた。
「どこから?」
 スバクル二人の声が重なる。
「竜の知識があり、スバクルに近いところだろう。チェンタ国はあり得ない。ボジェイク老は義を重んじる方だ。アガラム王国は帝国と()めたことがない。竜については、スバクル統領(とうりょう)(だま)すほどの知識はないだろう。帝国に阿呆はわんさかいるが、トーラと争うスバクル国を(たばか)る理由が見当たらない。消去法でイハウだろうと思うんだが」
 ラシオンががりっと爪を()んだ。
「あのな、ファイズ。俺ずっと引っ掛かってたんだ。政変前の国境紛争。俺たちの隊が到着したとき、村を焼き払ったイハウは内地に攻め込む寸前だったんだ。おかしいだろ。イハウの動きが速すぎる」
「内通者がいる可能性あり、か。お前、そういう大事なことは早く言え!」
「言う前に追放されちまったからな」
「…そうだったな…」
「レゲシュ家がイハウと結託していたとすれば説明がつく。そして今度は、レゲシュ家が(おとしい)れられようとしている。偽情報で統領家を躍らせ、トーラにやられている(すき)にイハウが攻め込む。そんなことされた日にゃあ…」 
 ラシオンの推測にファイズが青ざめた。
「確かに、その可能性はあるな…」
「ユドゥズのジャジカ殿に知らせよう」
 前のめりになるラシオンに、ファイズは気弱な表情を浮かべる。
「俺たちは反逆の汚名を着せられている。捕まって身元が暴かれでもしろ。処刑は免れない。それに無事ユドゥズ家へ着いたとして、話を聞いてもらえるかどうか」
「ジャジカ殿は、最後まで俺たちの追放をもっと審議すべきだと主張してくれたと聞く!」
「だが…」
 スバクルに残り、長く隠れ潜んできたファイズは踏ん切りがつかないようだ。
「私がともに参りましょう」
 年齢を重ねた、温厚で冷静な声に二人は振り返る。
「スライ…」
 ラシオンが期待のこもる瞳になった。
「何か、考えが?」
「私の一族の者が、ユドゥズ家でお世話になっております。エンデリ・オウザイという、」
「オウザイ!?」
 話の途中でファイズが声を上げる。その目はこぼれ落ちそうなほどに見開かれていた。
「ユドゥズの懐刀(ふところがたな)の?オウザイ卿に任せてしくじる会談なしと言われる、あの?」
「おや」
 スライの目が嬉しそうな弧を描く。
「あの不出来坊主がそんなに評価されているとは。小さいころは、随分(ずいぶん)とかばってやったものですが」
「あの、スライ?」
 当惑した声で、ラシオンが尋ね顔をする。
 ユドゥズ家興隆の立役者と言われ、各領主家からも一目置かれているのが、家令であるエンデリ・オウザイ卿だ。
 またアガラム王国と軋轢(あつれき)が生じた際には、最も上首尾に事態を収束させられる人物だと、広く知られている。
「エンデリは私の末弟です」
「え…?だってスライは、アガラムの…」
 ラシオンの目がファイズそっくりに見開かれた。
「アガラムでは母系のクルトを、スバクルでは父系のオウザイを名乗るが一族の習わし。いざ事が起これば(あるじ)に忠義を尽くしますが、まず(あるじ)が無駄に命を落とさぬよう動くことが、“変幻自在家”である私たちの役目。スバクルとアガラムは何かと厄介ごともありましたが、大きな対立に発展したことはなかったでしょう?」 
「ああ、だからなのか。アガラムとあれほど上手くやれるのは。二つの流れを()みながら、どちらとも上手く付き合う。すげぇな。そんな一族がいるなんて…」
「そんな大げさなものではありませんよ」
 感動を浮かべているラシオンに、スライが穏やかに微笑んだ。
「行きましょう。スバクルが喰われかねない。アガラムにも急ぎ使者をやり、南国境を牽制してもらいましょう。あとは…」
 スライがアルテミシアを強く見つめる。
「ん。任せろ。トーラ国境は死守する。レヴィアには指一本触れさせない。行ってこい!ラシオン!カーヤイの疾風と呼ばれるその勇姿を見せてみろ」
 アルテミシアの勇壮な微笑に、ラシオンがにやりと応えた。
「勇姿を見せたら、何かご褒美(ほうび)をいただけますかね、副長殿」
「いいだろう」
 アルテミシアが軽くうなずく。
「何が欲しい?」
「そうですね。(ねぎら)いの口付けをひとつ」
 ラシオンがアルテミシアのたおやかな手を取り、その甲に唇を寄せた。
 レヴィアの手が思わず握り込まれたとき、アルテミシアが軽い笑い声を上げる。
「ふふ、構わない。ただ顔に穴が開くかもな。ロシュの口付けは、結構鋭いぞ」
「竜の口付けはいらねぇよっ!しかもロシュは雄じゃねぇかっ!せめてアルバス!…はは!じゃあ、行ってくる!スライ!頼んだ!」
 アルテミシアと顏横で手のひらを叩き合わせながら、まさに風のようにラシオンが作戦室を後にした。
 リズワンがジーグに目配せをする。
「ラシオンとファイズが抜けたこの状況を、スバクル家兵隊連中にも伝えてやらないとな。私が行ってくる。ヴァイノ、アスタ。サージャたちにはお前たちから話せ。同じフリーダ隊だからな」
「え?オレ?デンカのが適役じゃ…」
「行くぞ」
 納得いかないという顔をしているヴァイノの襟首(えりくび)をつかみ、リズワンはアスタをともなって作戦室を出ていく。
 主だった者たちが立ち去り、作戦室が静寂に包まれた。
「サイレルとカーヤイの家兵たちは残るとして、中央突破役の二人の武将とスライが抜けました。早急に、布陣と戦略を練り直さなければいけませんね」
 窓辺に(たたず)み、颯爽と馬を走らせていくラシオンを見送るアルテミシアの背中に、ジーグが声を掛ける。
「そうだな。それに」
 長い長いため息がアルテミシアから漏れた。
「あの人が、動くな。いや、もうとっくに動いているか。イハウが知るくらいだからな」
―あの人って、誰―
 喉元(のどもと)まで出かかった質問をレヴィアは飲み込んだ。
 窓の外を眺め続け、こちらを見もしない閉じた横顔に、こわばっている背中に、何の声も届かないような気がする。
 その日一日。
 レヴィアはアルテミシアと言葉ひとつ、まなざしひとつ、交わすことはなかった。
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