忍び寄る不安

文字数 4,546文字

 ジーグから、作戦の変更点が簡潔に伝えられていく。
 
 スィーニをともなうのはカーフ対策でもある。
 万が一の備えであり、レヴィアが(ただ)ちにスィーニで出撃するわけではない。
 また、スィーニとロシュが信頼するメイリも、フリーダ隊の竜守として同行させる。
 等々。

「近々進軍を予定しているが、状況しだいで明日にも行動できる心構えを。そのつもりで、最終準備は常に怠らないように。質問はないか。なければ解散」
 ジーグの指示に作戦室の空気が緩んだところで、ヴァイノがあっけらかんとした様子でアルテミシアの袖を引っ張った。
「ねぇ、ふくちょ」
「ん?」
 ジーグと肩を寄せて、地図を確認していたアルテミシアが顔を上げる。
「隊長とケンカしてたんじゃねーの?もういいの?」
 出て行こうとしていたラシオンの足が止まり、リズワンのぎりっとした目がヴァイノに向けられた。
喧嘩(けんか)?そんなものはしていないぞ」
「え、でも、さっきさあ、えっと『ワタクシニ、サカラッたら、ユルさん』って言ってたじゃん。怒ってたじゃん」
 たどたどしいディアムド語を聞いたアルテミシアは、一歩ヴァイノに近づく。
「……まったく、お前はいつもいつも。話すのはまだまだのくせに、聞き取りはできるのか」
「う、うん。じゃなくて、ハイ、だいじょぶデス」
 圧のある鮮緑(せんりょく)の瞳ににらまれて、ヴァイノはピシリ!と背筋を伸ばす。
「大丈夫、ね。……ならば、いざというときは使えるかな……」
「え?」
「いや、何でもない。喧嘩(けんか)などじゃない。あれが、本来のジーグと私の関係だ。ただ、私を恐ろしいと思ったのならば、それは正しい」
「恐ろしいとかは思わねぇけど?強すぎだけど、ふくちょはスゲェかっこいい」
「かっこいい?初めて言われたな。……ディアムドでは、竜騎士は尊敬と畏怖(いふ)を同時に受ける存在だ。私が街を歩けば、市民は皆、道を譲ったものだ。声をかけるなんてもってのほか、という雰囲気でな」
 アルテミシアは自嘲気味に笑った。
「まあ、(いくさ)になればわかる。言っておくけれど、それは当たり前だからな。私に恐怖や嫌悪を(いだ)いたとしても、後ろめたく思う必要はないぞ」
「あのさ」
「クローヴァ殿下、新たな報告が届きました!」
 新たな情報を持った兵士がヴァイノの前に躍り込んでくる。
「貸して」
 クローヴァは素早くその手のなかにある書面を受け取り、最新の情報を次々と地図に書き込んでいった。
「なんだ、この均衡を欠いた兵力は」
 兵力を確認するアルテミシアの目が細くなる。
「ラシオン。私が覚えている限り、スバクルは帝国と戦火を交えたことはない。竜を直接見た者はいないだろう」
「そうだな。俺にも覚えはねぇ。どこの国だろうと構わず咬みつく、狂犬イハウが間にあるからな」

 イハウ連合国はディアムド帝国とスバクル領主国の間に位置し、豊かな穀倉地帯を所有する、帝国に次ぐ広い領土を治める国である。
 地下資源の埋蔵量も多く、安定した国力と軍事力を誇る好戦的な国だ。

「スバクルは、イハウともめて長いな?」
「うん、もうずっとだ。帝国もだろ?」
「交渉の席ですら、牙をむくお国柄だからな。では、スバクルでイハウと共謀する勢力に心当たりは?」
 黙り込んだラシオンをアルテミシアはのぞき込む。
「その顔、何かあるな?」
「いや……。てかさ、お嬢は何が引っかかったんだ?」 
「聞いたのは私が先だぞ」
「恐れながらテムラン副長。俺の頭にあるのは、薄らぼんやりした疑惑だけなんですよ。副長の見解をお伺いしてから、話す価値があるかどうかを判断したい」
「判断するのは私だ。まず話せ、と言いたいところだけれど。……事情がありそうだな」
 軽く笑って、アルテミシアはラシオンの肩を小突(こづ)いた。
「気になったのはこれ」
 レゲシュ軍の部隊構成が記された箇所を、アルテミシアはトントンと指で叩く。
「スバクルには良馬の産地があるのに、報告上の騎馬が少なすぎる。これほどまでに歩兵に重きを置く戦術は、スバクルの流儀か?」
「いや」
 ラシオンが言下に否定した。
「俺だったらこんな隊はごめんだね。使える布陣が偏る。機動力が低すぎる」
「普通に考えればそうだ。なのに、歩兵ばかり強化している。あのネズミ糸目が持つ竜の知識で、ここまで騎馬を減らすだろうか。あの陰険無礼はロシュしか知らないだろうし。これでは竜で蹴散(けち)らしてくれと言わんばかりだぞ。竜は弓にも強い」
「ネズミ糸目……。カーフのこと、かな」
 つぶやくクローヴァの隣で、レヴィアは「慇懃無礼だよ」と訂正しようとして、そのまま口を閉じる。
 多分、アルテミシアはわざと間違えているのだろう。
「弓にも?」
 ファイズのいかつい眉毛が寄せられた。
「竜は一応、鳥だろう?だから、相手も弓兵を多くしたのだと思ったのだが」
「ただの鳥じゃない。その皮膚も羽も、まったくの別物だ。大きな鳥くらいだと思っていたら腰を抜かすぞ?」
 アルテミシアは自慢げに笑うが、すぐに真顔に戻る。
「スバクル統領(とうりょう)がそう判断して、弓部隊の数をそろえるのは想定内だ。しかし、それにしても度が過ぎる。……スバクル統領(とうりょう)家は、偽の情報をつかまされてるんじゃないか?」
「「どこから?」」
 スバクル戦士ふたりの声が重なった。
「まず、チェンタ国は除外だ。ボジェイク老は義を重んじる方だからな。アガラム王国は距離もあるし、帝国と対立したことはない。竜について、他国をだませるほどの知識を持たないだろう。帝国に阿呆はわんさかいるが、スバクル国を(たばか)る理由が見当たらない。……今のところ。そう考えると、消去法でイハウだと思うんだが」
 ラシオンがガリっと親指の爪を()む。
「そういう、ことか……。あのな、ファイズ。俺、ずっとモヤモヤしてたんだ。政変前の国境紛争。俺たちの隊が到着したとき、イハウは内地に攻め込む寸前だったんだ。おかしいだろ。イハウの動きが速すぎる」
「内通者がいる可能性あり、か。お前、そういう大事なことは早く言え!」
「言う前に追放されちまったんだよ」
「……そうだったな……」
「レゲシュ家がイハウと結託していたとすれば説明がつく。そんで、今度はレゲシュ家が(おとしい)れられようとしている。偽情報でレゲシュを躍らせて、トーラにやられている隙にイハウが攻め込む、なんてことされた日にゃ……」
「目も当てられない事態になるな」 
「ユドゥズ家のジャジカ殿に知らせよう!」
「……今の俺たちは、スバクルでは反逆者だぞ」
 前のめりになるラシオンに対して、ファイズは力なく首を振った。
「捕まったら処刑は免れない。それに、無事ユドゥズ家へ着いたとして、話を聞いてもらえるかどうか」
「ジャジカ殿は、俺たちの追放をもっと審議すべきだと、そう主張してくれたんだろっ」
「だが……」
 手の平を返されるような扱いを、息の詰まるような潜伏生活を思えば、ファイズはそう簡単にうなずくことはできない。
「では、私がともに参りましょうか」
 苦し気にひそめられたファイズの眉を、穏やかな声が開かせた。
「賢老……?」
「スライ?」
 スバクル剣士ふたりが、そろって老練の戦士に目を向ける。
「私の一族の者が、ユドゥズ家でお世話になっておりますので。エンデリ・オウザイという、」
「オウザイ!?」
 話の途中でファイズが大声を上げ、目を見開いた。
「ユドゥズ家の懐刀の?”オウザイ卿に任せて、しくじる会談なし”と言われる、あの?」
「おや。あのやんちゃ坊主が、それほどまでに評価されているとは。感慨無量です」
「あの、スライ?」
 ラシオンは首を(ひね)捻るばかりだ。
 
 ユドゥズ家興隆の立役者と言われ、各領主家からも一目置かれているのが、家令であるエンデリ・オウザイ卿だ。
 アガラム王国と軋轢(あつれき)が生じた際には、最も上首尾に事態を収束させられる人物としても、頼りにされている。
 そんなスバクルの重鎮が、アガラム国の剣士とどんな関係が……。

「エンデリは、私の末弟ですから」
「……え?だって、スライはアガラムの……」
 飛び出るほど目をむいて、ラシオンがスライを凝視する。
「アガラムでは母系のクルトを、スバクルでは父系のオウザイを名乗るが一族の習わし。スバクルとアガラムは、何かと厄介事もありましたが、大きな対立は避けてきたでしょう?」 
「ああ、そういうことか」
 ラシオンは独り言のようにつぶやいた。
 
 スライが妙にスバクルに詳しいのも、オウザイ卿がアガラムとの交渉の第一人者なのも。
 決して表舞台に立つことはなく、裏方で主家を支える一族がいたからだと納得できた。

「二国の流れを()みながら、どっちとも上手く付き合ってんのか」

(どうりで、もめても戦にならないわけだ。ギリギリで回避させてたんだな)

 ラシオンが言葉にならない感謝をまなざしに乗せると、スライの微笑が返される。
「さあ、急ぎましょう。アガラムにも急ぎ使者をやり、南国境を牽制してもらいましょう。あとは」
「ん。任せろ。トーラ国境は死守する。レヴィアには指一本触れさせない。行ってこい、ラシオン。疾風と呼ばれた実力を見せつけてやれ」
 アルテミシアの勇壮な檄に、ラシオンがにやりと応えた。
「実力をお見せしたら、何かご褒美(ほうび)をいただけますかね、副長殿」
「いいだろう。何が欲しい?」
「そうですね、では、(ねぎら)いの口付けをひとつ。それも熱烈なやつをぜひ」
「ふふふっ、構わないけれど、顔に穴が開いても文句を言うなよ?ロシュの口付けは結構鋭いぞ!」
「竜のはいらねぇよっ。しかも、ロシュは雄じゃねぇか。せめてスィーニにしてくれ。……じゃあ、行ってくる!」
 アルテミシアと盛大に笑い合うと、ラシオンはまさに風のように作戦室を後にしていく。
 
 その背中を見送り、リズワンはジーグに目配せをした。
「やつらが抜けたこの状況を、スバクル家兵隊連中にも、伝えてやらないとな。ヴァイノ、アスタ。サージャたちにはお前たちから話せ。同じフリーダ隊だからな」
「え、オレ?デンカのが適役じゃ……」
「行くぞ」
「なら、デンカも一緒に……、ぐぇ、リズワン、くる、くるし」
 ヴァイノの襟首(えりくび)をつかみ引きずりながら、リズワンはアスタをともなって作戦室をあとにする。
「ギード、陛下へご報告を。ダヴィドは僕の隊に招集をかけて」
「「かしこまりました」」
 ダウム親子の姿が消えるのと同時に、(きびす)を返そうとしたクローヴァは、うつむいてたたずむレヴィアに目を留めた。
「……フリーダ卿、あとは任せたよ」
 作戦室を出ていくクローヴァを、ジーグがトーラの礼をとって見送る。
「リズィエ」
 窓辺に身を寄せ、外を眺めるアルテミシアにジーグが一歩近づた。
「サイレルとカーヤイの家兵たちは残るとして、中央突破役のふたりとスライが抜けました。早急に、布陣と戦略を練り直さなければいけません」
「そうだな。それに」
 深紅の巻き髪に横顔を隠したアルテミシアが、長い長いため息を吐き出す。
「あの人が動くな。いや、もうとっくに動いているか。イハウが知るくらいだからな」

――あの人って、誰――

 レヴィアは口を開きかけ、結局、そのまま閉じるしかなかった。
 こちらをちらりとも見ない強張(こわば)った背中には、どんな言葉も届かないような気がしたから。

 それから数日間。
 レヴィアとアルテミシアは言葉ひとつ、まなざしひとつ交わすことはなかった。
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