想い初める -1-
文字数 2,248文字
――
(こいつがそう言うなら、あのときか)
「っう、ぐぁあっ」
グイドの腹に軍靴をめり込ませながら、ディデリスは懐かしい春を思い出していた。
◇
赤竜三家が持ち回りで開催する春礼祭は、帝国では「招かれれば名誉」とも言われるほど権威があり、各家の腕の見せ所となる催事である。
だが、ディデリスが竜騎士に任命されたその年は、最低最悪だった。
(なんだ、この趣味の悪さは)
会場に一歩足を踏み入れたとたんに、ディデリスはうんざりとため息をつく。
ここぞとばかりに調度を一新したらしいが、とにかく派手で品がない。
しかも、いつもは真っ先に駆け寄ってくるはずの、可愛い従妹 の姿がどこにも見当たらなかった。
いけ好かない彼女の従者はバシリウス叔父の隣にいるのだから、来ているはずなのだが。
「よく来たな。いきなり戦果を上げたそうじゃないか。陛下からは、どんなお言葉を頂戴したんだ?」
会場を見渡すディデリスの背後から、しわがれた声がかけられた。
「お前の働きで、赤竜族はますます安泰だな。ほら、どうだ」
振り返ると、ドルカ家当主の老人が浮かべる愛想笑いが、気持ち悪いほど近くにある。
(こいつ……)
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げながら、ディデリスは唇の端を歪めた。
――サラマリスとはいえ、たかが若造――
――髪の色が薄すぎて、サラマリスの者ではないようだ――
そう嗤 っていたくせに。
――あれがサラマリス家の当主になれるのなら、領袖 家はドルカ家でも構わないだろう――
その発言は、さすがに先代サラマリス当主に諫 められたらしいが。
(皇帝陛下から褒賞 を受けたとわかれば、手のひら返しか)
「お気持ちだけ頂戴いたします。まず先に、竜家重鎮方へご挨拶をしたいので」
(お前など重鎮でもなんでもない)
言外の皮肉に気づいたのか、ドルカ家当主から笑顔が消える。
「では、失礼いたします」
ドルカ家当主の憎々し気な目に気づかないふりをして、ディデリスはその横を通り過ぎた。
庭に出てみると、竜家の子供たちが固まって遊んでいる。
だが、そこにもアルテミシアの姿はない。
不審に思いながら奥の茂みへと足を延ばしていくうちに、常緑の木立の間から、ひそひそ話をする声が聞こえてきた。
「いいじゃない、一着くらい」
名前は思い出せないが、竜家の少年の声がする。
「今ここで?そうしたら、私は何を着ればいいの?」
応える声がアルテミシアのものだと気づいて、ディデリスの足が速まった。
「クラディウス伯父上に言って、ドルカの晴れ着を用意してもらうよ。すごくきれい!その晴れ着!」
「ありがとう。あなたも素敵よ」
木立が切れて、アルテミシアと向かい合って座る少年の背中が、ディデリスの目に入る。
「そうかな……」
「花の透かし織りがきれいね」
「男が花模様なんてって言われたけど」
「いいじゃない、言わせておけば。似合っているもの」
「ありがと。……ふふっ」
照れ笑いをしながら、少年がアルテミシアの服に手を伸ばした。
「アルティの服、この間の園遊会で、ディデ兄 が相手をしてやった、ご令嬢の礼服に似てる」
「そうなの?」
「そう、ディデ兄 はすごくかっこ良くてね!みんな見蕩 れちゃっていたよ」
「ディデリスは上手だものね」
「なんで知ってるの?」
むっとした声を出して、少年がアルテミシアの服をぐいと引っ張った。
「アルティはまだ十一だから、社交の場には出られないじゃない。見たことないでしょう。俺だってやっと十五になって、ディデ兄と一緒の園遊会に出られたのに」
「ときどき練習させられるの。私が下手だから」
恥ずかしそうに顔をうつむけて、アルテミシアはモジモジと服の飾りをいじる。
「この間も、バシリウスに挨拶に来たついでに、ずっと稽古 をつけられたわ。ご令嬢と踊って、私の下手さ加減を心配してくれたのね」
「ディデ兄、アルティと踊るんだ。……ねえ、やっぱりこれ、ちょうだいよ」
「あっ」
力任せに引っ張られて、薄い生地を重ねた上品な晴れ着が、小さな音を立てて破れた。
「こんなところにいたのか」
「ディデ、兄?!」
足音も立てずに近づいてきたディデリスに、ドルカ家の少年が青ざめる。
「おや、その服はどうした。……破れているみたいだが」
「木登り、木登りしたの!そうしたら、枝に引っ掛けちゃったの!」
しゃがみこんだディデリスの腕にしがみついて、アルテミシアが必死な顔を上げた。
「……木登り?」
「そうなの!グイドが助けてくれたの」
若葉色の瞳が、「大事 にはしたくない」と訴えている。
(サラマリス家の子息に対して非礼を働いたと知れば、竜族の大人たちは黙っていないだろうからな)
ディデリスは軽いため息をついた。
サラマリスの子供は事情もあり、周囲とは距離を置いて育てられる。
尊敬を受けつつ、敬遠もされる存在だ。
自分のせいで誰かが叱られるような事態になれば、一族の集まりですら、声をかけてくれる仲間はいなくなる。
そう、アルテミシアは思っているに違いない。
ディデリスは晴れ着の破れ目を押さえながら、そっとアルテミシアを抱き上げた。
「枝に引っかけたのなら、怪我をしているかどうか確認しないとな。……グイド」
(そんな名前だったか)
瞬きもせずに見上げているドルカ家の少年に、ディデリスは優しげな表情を作る。
「うちのリズィエを助けてくれてありがとう」
自分の首に腕を回して微笑むアルテミシアの額に、ひとつ口付けを落として。
ディデリスは頬を染めているグイドに背を向けた。
うちでやった
春礼祭――(こいつがそう言うなら、あのときか)
「っう、ぐぁあっ」
グイドの腹に軍靴をめり込ませながら、ディデリスは懐かしい春を思い出していた。
◇
赤竜三家が持ち回りで開催する春礼祭は、帝国では「招かれれば名誉」とも言われるほど権威があり、各家の腕の見せ所となる催事である。
だが、ディデリスが竜騎士に任命されたその年は、最低最悪だった。
(なんだ、この趣味の悪さは)
会場に一歩足を踏み入れたとたんに、ディデリスはうんざりとため息をつく。
ここぞとばかりに調度を一新したらしいが、とにかく派手で品がない。
しかも、いつもは真っ先に駆け寄ってくるはずの、可愛い
いけ好かない彼女の従者はバシリウス叔父の隣にいるのだから、来ているはずなのだが。
「よく来たな。いきなり戦果を上げたそうじゃないか。陛下からは、どんなお言葉を頂戴したんだ?」
会場を見渡すディデリスの背後から、しわがれた声がかけられた。
「お前の働きで、赤竜族はますます安泰だな。ほら、どうだ」
振り返ると、ドルカ家当主の老人が浮かべる愛想笑いが、気持ち悪いほど近くにある。
(こいつ……)
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げながら、ディデリスは唇の端を歪めた。
――サラマリスとはいえ、たかが若造――
――髪の色が薄すぎて、サラマリスの者ではないようだ――
そう
――あれがサラマリス家の当主になれるのなら、
その発言は、さすがに先代サラマリス当主に
(皇帝陛下から
「お気持ちだけ頂戴いたします。まず先に、竜家重鎮方へご挨拶をしたいので」
(お前など重鎮でもなんでもない)
言外の皮肉に気づいたのか、ドルカ家当主から笑顔が消える。
「では、失礼いたします」
ドルカ家当主の憎々し気な目に気づかないふりをして、ディデリスはその横を通り過ぎた。
庭に出てみると、竜家の子供たちが固まって遊んでいる。
だが、そこにもアルテミシアの姿はない。
不審に思いながら奥の茂みへと足を延ばしていくうちに、常緑の木立の間から、ひそひそ話をする声が聞こえてきた。
「いいじゃない、一着くらい」
名前は思い出せないが、竜家の少年の声がする。
「今ここで?そうしたら、私は何を着ればいいの?」
応える声がアルテミシアのものだと気づいて、ディデリスの足が速まった。
「クラディウス伯父上に言って、ドルカの晴れ着を用意してもらうよ。すごくきれい!その晴れ着!」
「ありがとう。あなたも素敵よ」
木立が切れて、アルテミシアと向かい合って座る少年の背中が、ディデリスの目に入る。
「そうかな……」
「花の透かし織りがきれいね」
「男が花模様なんてって言われたけど」
「いいじゃない、言わせておけば。似合っているもの」
「ありがと。……ふふっ」
照れ笑いをしながら、少年がアルテミシアの服に手を伸ばした。
「アルティの服、この間の園遊会で、ディデ
「そうなの?」
「そう、ディデ
「ディデリスは上手だものね」
「なんで知ってるの?」
むっとした声を出して、少年がアルテミシアの服をぐいと引っ張った。
「アルティはまだ十一だから、社交の場には出られないじゃない。見たことないでしょう。俺だってやっと十五になって、ディデ兄と一緒の園遊会に出られたのに」
「ときどき練習させられるの。私が下手だから」
恥ずかしそうに顔をうつむけて、アルテミシアはモジモジと服の飾りをいじる。
「この間も、バシリウスに挨拶に来たついでに、ずっと
「ディデ兄、アルティと踊るんだ。……ねえ、やっぱりこれ、ちょうだいよ」
「あっ」
力任せに引っ張られて、薄い生地を重ねた上品な晴れ着が、小さな音を立てて破れた。
「こんなところにいたのか」
「ディデ、兄?!」
足音も立てずに近づいてきたディデリスに、ドルカ家の少年が青ざめる。
「おや、その服はどうした。……破れているみたいだが」
「木登り、木登りしたの!そうしたら、枝に引っ掛けちゃったの!」
しゃがみこんだディデリスの腕にしがみついて、アルテミシアが必死な顔を上げた。
「……木登り?」
「そうなの!グイドが助けてくれたの」
若葉色の瞳が、「
(サラマリス家の子息に対して非礼を働いたと知れば、竜族の大人たちは黙っていないだろうからな)
ディデリスは軽いため息をついた。
サラマリスの子供は事情もあり、周囲とは距離を置いて育てられる。
尊敬を受けつつ、敬遠もされる存在だ。
自分のせいで誰かが叱られるような事態になれば、一族の集まりですら、声をかけてくれる仲間はいなくなる。
そう、アルテミシアは思っているに違いない。
ディデリスは晴れ着の破れ目を押さえながら、そっとアルテミシアを抱き上げた。
「枝に引っかけたのなら、怪我をしているかどうか確認しないとな。……グイド」
(そんな名前だったか)
瞬きもせずに見上げているドルカ家の少年に、ディデリスは優しげな表情を作る。
「うちのリズィエを助けてくれてありがとう」
自分の首に腕を回して微笑むアルテミシアの額に、ひとつ口付けを落として。
ディデリスは頬を染めているグイドに背を向けた。