想い初める -1-

文字数 2,248文字

――

春礼祭――

(こいつがそう言うなら、あのときか)

「っう、ぐぁあっ」
 グイドの腹に軍靴をめり込ませながら、ディデリスは懐かしい春を思い出していた。


 赤竜三家が持ち回りで開催する春礼祭は、帝国では「招かれれば名誉」とも言われるほど権威があり、各家の腕の見せ所となる催事である。
 だが、ディデリスが竜騎士に任命されたその年は、最低最悪だった。

(なんだ、この趣味の悪さは)

 会場に一歩足を踏み入れたとたんに、ディデリスはうんざりとため息をつく。
 ここぞとばかりに調度を一新したらしいが、とにかく派手で品がない。
 しかも、いつもは真っ先に駆け寄ってくるはずの、可愛い従妹(いとこ)の姿がどこにも見当たらなかった。
 いけ好かない彼女の従者はバシリウス叔父の隣にいるのだから、来ているはずなのだが。
「よく来たな。いきなり戦果を上げたそうじゃないか。陛下からは、どんなお言葉を頂戴したんだ?」
 会場を見渡すディデリスの背後から、しわがれた声がかけられた。
「お前の働きで、赤竜族はますます安泰だな。ほら、どうだ」
 振り返ると、ドルカ家当主の老人が浮かべる愛想笑いが、気持ち悪いほど近くにある。

(こいつ……)

「ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げながら、ディデリスは唇の端を歪めた。
 
――サラマリスとはいえ、たかが若造――
――髪の色が薄すぎて、サラマリスの者ではないようだ――

 そう(わら)っていたくせに。

――あれがサラマリス家の当主になれるのなら、領袖(りょうしゅう)家はドルカ家でも構わないだろう――
 その発言は、さすがに先代サラマリス当主に(いさ)められたらしいが。

(皇帝陛下から褒賞(ほうしょう)を受けたとわかれば、手のひら返しか)

「お気持ちだけ頂戴いたします。まず先に、竜家重鎮方へご挨拶をしたいので」

(お前など重鎮でもなんでもない)

 言外の皮肉に気づいたのか、ドルカ家当主から笑顔が消える。
「では、失礼いたします」
 ドルカ家当主の憎々し気な目に気づかないふりをして、ディデリスはその横を通り過ぎた。
 
 庭に出てみると、竜家の子供たちが固まって遊んでいる。
 だが、そこにもアルテミシアの姿はない。
 不審に思いながら奥の茂みへと足を延ばしていくうちに、常緑の木立の間から、ひそひそ話をする声が聞こえてきた。
「いいじゃない、一着くらい」
 名前は思い出せないが、竜家の少年の声がする。
「今ここで?そうしたら、私は何を着ればいいの?」
 応える声がアルテミシアのものだと気づいて、ディデリスの足が速まった。
「クラディウス伯父上に言って、ドルカの晴れ着を用意してもらうよ。すごくきれい!その晴れ着!」
「ありがとう。あなたも素敵よ」
 木立が切れて、アルテミシアと向かい合って座る少年の背中が、ディデリスの目に入る。
「そうかな……」
「花の透かし織りがきれいね」
「男が花模様なんてって言われたけど」
「いいじゃない、言わせておけば。似合っているもの」
「ありがと。……ふふっ」
 照れ笑いをしながら、少年がアルテミシアの服に手を伸ばした。
「アルティの服、この間の園遊会で、ディデ(にい)が相手をしてやった、ご令嬢の礼服に似てる」
「そうなの?」
「そう、ディデ(にい)はすごくかっこ良くてね!みんな見蕩(みと)れちゃっていたよ」
「ディデリスは上手だものね」
「なんで知ってるの?」
 むっとした声を出して、少年がアルテミシアの服をぐいと引っ張った。
「アルティはまだ十一だから、社交の場には出られないじゃない。見たことないでしょう。俺だってやっと十五になって、ディデ兄と一緒の園遊会に出られたのに」
「ときどき練習させられるの。私が下手だから」
 恥ずかしそうに顔をうつむけて、アルテミシアはモジモジと服の飾りをいじる。
「この間も、バシリウスに挨拶に来たついでに、ずっと稽古(けいこ)をつけられたわ。ご令嬢と踊って、私の下手さ加減を心配してくれたのね」
「ディデ兄、アルティと踊るんだ。……ねえ、やっぱりこれ、ちょうだいよ」 
「あっ」
 力任せに引っ張られて、薄い生地を重ねた上品な晴れ着が、小さな音を立てて破れた。
「こんなところにいたのか」
「ディデ、兄?!」
 足音も立てずに近づいてきたディデリスに、ドルカ家の少年が青ざめる。
「おや、その服はどうした。……破れているみたいだが」
「木登り、木登りしたの!そうしたら、枝に引っ掛けちゃったの!」
 しゃがみこんだディデリスの腕にしがみついて、アルテミシアが必死な顔を上げた。
「……木登り?」
「そうなの!グイドが助けてくれたの」
 若葉色の瞳が、「大事(おおごと)にはしたくない」と訴えている。

(サラマリス家の子息に対して非礼を働いたと知れば、竜族の大人たちは黙っていないだろうからな)

 ディデリスは軽いため息をついた。

 サラマリスの子供は事情もあり、周囲とは距離を置いて育てられる。
 尊敬を受けつつ、敬遠もされる存在だ。
 自分のせいで誰かが叱られるような事態になれば、一族の集まりですら、声をかけてくれる仲間はいなくなる。

 そう、アルテミシアは思っているに違いない。
 
 ディデリスは晴れ着の破れ目を押さえながら、そっとアルテミシアを抱き上げた。
「枝に引っかけたのなら、怪我をしているかどうか確認しないとな。……グイド」

(そんな名前だったか)

 瞬きもせずに見上げているドルカ家の少年に、ディデリスは優しげな表情を作る。 
「うちのリズィエを助けてくれてありがとう」
 自分の首に腕を回して微笑むアルテミシアの額に、ひとつ口付けを落として。
 ディデリスは頬を染めているグイドに背を向けた。
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