暗幕の内側‐2‐
文字数 3,248文字
「暗躍したのは、スバクル間者家の者たちだろう」
「スバクルの傑物が言ってたな。”間者家の者たちが、領主家に騙されて各国に出された”って。ま、でも、スチェパの話を聞く限り、その国でうまくやってそうだがな。……遺恨をたっぷり抱えさ」
意味ありげなカイの目配せに、ディデリスは黙ってうなうずく。
「毒草が根付けば大地が荒れる。トーラ王国のように」
「生える前に駆除だな」
だんだんと話が物騒になっていくが、アルテミシアはわかっている。
(カイ・ブルムの言う”傑物”はラシオンのことね。……ずいぶんと警戒させてしまったわ。気をつけないと。でも、本気ならば聞かせるはずがないから……)
「ふたりとも、土いじりはお好きではないでしょう」
「ええ。根っからの狩猟民族なもんで。種 の選別は、得意な者に任せますよ」
ニカっと笑うカイは、ただの人好きする青年にしか見えない。
(この人も食えないこと)
薄く笑うアルテミシアに、カイの笑顔が深まった。
「トーラは上手に除草できてよかったですね」
「高望みをして、自滅しただけです」
「そうですかねぇ」
カイの片眉が器用に上がる。
「リズィエたちが迷い込まなければ、上手く根を張ったと思いますがね」
「歴史に”たら、れば”は無意味ですわ」
「至言ですね。……リズィエと鉄壁がこじれなければ、ドルカの暴走は許されなかっただろうというのも、虚しいだけです」
腹に一物ありそうなカイの物言いに、ディデリスとアルテミシアが黙り込んだ。
「ああ、無遠慮なことを申し上げました。お許しください、リズィエ」
ディデリスの背後から進み出ると、カイはアルテミシアの手を取って、その甲に軽く唇を落とす。
「リズィエに責はない。貴女 はただ、貴女 であっただけだ。……どこにいても」
握られた手の向こうのカイの瞳に、アルテミシアの背がゾクリと震えた。
「どういう、意味でしょうか」
「他意はありません」
そっと手を寝台に戻して、カイは微笑む。
「リズィエは裏表がない方だなと。バーデレ卿の言葉を借りれば”馬鹿正直”、」
「バーデレの名は捨てています。滅んだ家名を口にしないでいただきたい」
「う」
わざと音を立てて大剣の柄に手を添えたジーグに、たじろいだカイが一歩下がった。
「し、失礼いたしました」
「カイ・ブルム、軽口が過ぎる。……副隊長の無礼、お許しいただきたい」
ディデリスがジーグに頭を下げるのを見て、アルテミシアの目が丸くなる。
「ディデリスって、謝ることができるのね。……見直したわ」
「
「そこのケジメをきっちりつけるところが、ディデリス・サラマリスだな」
「ケジメは、大切だろう」
カイはあくまで冗談めかしていたのに。
アルテミシアに向けられたディデリスの目の底がギラリと光るようで、アルテミシアの背はまた震えた。
アルテミシアの手を取ったディデリスは、先ほどカイの唇が当てられた場所を、ふき取るようになでる。
「お前はもうディアムド帝国臣民ではない。サラマリスからも出た。掟 に縛られる存在では、なくなった」
「っ!」
力の入らない体で、それでもアルテミシアはディデリスの手を振り払った。
「何を考えているの」
「事実を伝えたまでだ」
「……この騒乱に一役買ったのは、スバクル領主国の間者家の者たち。トーラのカーフレイ・アブールも、その血を引く者だったわ」
「そのとおり。イハウ元首とスチェパを結んだ酒場の女も子供も、アブールの手の者だろう」
強引に話を戻したアルテミシアから目を離さずに、ディデリスは続ける。
「この悲劇の発端は、スチェパにドルカがそそのかされたことだ。そうして異形の竜が生まれ、帝国とイハウ、そして、スバクルが裏で手を結び合った。この複雑な関係のなか、スバクルを落としたあとで、スチェパを切り捨て、罪をレゲシュ家とドルカ家に押し付ける工作など、イハウとっては赤子の手をひねるようなものだ。異形の竜を始末し損ねたとしても、どうせ帝国が手を出す。スバクルを手に入れたイハウだけが、美味い果実を得る。これら辺りが筋書きだったろう。……少し休むか?」
「いいえ、続けて」
ディデリスのまなざしをにらむように受け止めて、アルテミシアは首を横に振った。
「……そうか。ここからは、お前も知っているとおりだ。イハウの思惑は見事に外れ、スバクル国内の反レゲシュ宗主勢が、トーラと共闘する道を選んだ。アガラム国も反レゲシュ支援に動き、トーラ王子軍は、予想を超えた戦力を示した。レゲシュ家は壊滅。イハウの野望は、金を使うだけ使って、完全に失敗に終わった。今ごろ元老院皆で、雁首揃 えて歯噛みしていることだろう」
火照っているアルテミシアの頬を大きな手のひら全体でなでてから、ディデリスが立ち上った。
「本当に熱が高い。苦しいだろう、これでは」
アルテミシアに注がれるその翡翠の瞳は、ただ柔らかいものに変わっている。
「あとは俺に任せればいい。お前は惨劇の犠牲者で、異形の竜の始末をつけた功労者だ。繰り返し言う。トーラの竜について、帝国はその所有を主張しない。お前の竜だ。帝国に仇 なすものとも認識しない。安心して、今は傷を癒 せ」
「ええ、信じてる」
アルテミシアは詰めていた息を、ほぅっと吐き出した。
「ただ、竜絡みだからな。多少、老害どもがうるさいかもしれない。黙らせたら、その結果を知らせにまた来よう」
「無理はしないでね」
「無理をしてでも黙らせる」
「無茶をしないでね」
「それは約束しかねる」
「ディデリスの立場が悪くなるのは、嫌だもの」
幼いころとまったく同じ。
自分を案じてくれる従妹 の言葉に、ディデリスには満面の笑みが浮かんだ。
それはもう、そのまま泣いてしまうのではないかと思うような表情で。
「俺のことなど気にしなくていい。上手くやるさ」
汗で額に張りついているアルテミシアの髪を、ディデリスは指に絡 めるようにしてなで続けた。
「ディデリスの実力は知っているけれど、でも、嫌なの。あなたが必要以上に悪く思われるのは」
「必要ならいいのか」
「だって、悪いときは悪いもの」
返された歪んだ笑顔に、ディデリスの手が止まる。
「痛むのか」
「少し」
「ディデリス、第二王子を呼んだほうがいい。リズィエの顔色が悪い」
カイが強くディデリスの肩と叩いた。
「リズィエ。しばらくお辛いでしょうが、一日も早くお元気になって下さい」
近づいてきたカイの口付けを額に受け、アルテミシアが微笑む。
「ありがとうございます、カイ様。面倒でしょうが、ディデリスのお相手をお願いいたします」
「ええ、承りました。でも、面倒ではないですよ。面倒くさい男ですけどね。俺は好きで付き合ってます」
ゆっくりと腕を伸ばされたアルテミシアの手を取って、カイがその甲に唇を寄せたのだが。
「ぐぇっ。……何だよ、ディデリス」
突然、横から乱暴にあごを押しのけられたカイが、むっとして体を起こす。
「その手を離せ」
「礼儀だろう」
「そこまで礼儀を重んじる質 でもないだろう。離せ」
「サラマリスのリズィエに失礼できるか。ねぇ、アルテミシア様」
カイはもう一度アルテミシアの手を握り直すと、大袈裟な仕草で唇を寄せた。
「では、サラマリスのリズィロが命じる。お前の礼節正しいのはわかった。もう十分だ」
ディデリスは手刀でカイの手を払い落し、その襟首 を引っ張り上げる。
「フリーダ卿、出立前に竜舎に。ゴルージャ・オズロイの話を聞かせてほしい」
「苦し……、やめろっ。くっそー、次はリズィエの頬に口付けるからな!」
子供のように不貞腐れているディデリスをなおからかいながら、カイが天幕から引きずり出されていく。
「ではリズィエ、俺たちはこれで。帝国での始末がついたら、また伺います」
「ご武運を」
ふざけ合うように出て行く赤竜騎士ふたりを、アルテミシアは笑顔で見送った。
「スバクルの傑物が言ってたな。”間者家の者たちが、領主家に騙されて各国に出された”って。ま、でも、スチェパの話を聞く限り、その国でうまくやってそうだがな。……遺恨をたっぷり抱えさ」
意味ありげなカイの目配せに、ディデリスは黙ってうなうずく。
「毒草が根付けば大地が荒れる。トーラ王国のように」
「生える前に駆除だな」
だんだんと話が物騒になっていくが、アルテミシアはわかっている。
他国民
となったアルテミシアとジーグがいる前でなされている会話など、ただの冗談の範疇だと。(カイ・ブルムの言う”傑物”はラシオンのことね。……ずいぶんと警戒させてしまったわ。気をつけないと。でも、本気ならば聞かせるはずがないから……)
「ふたりとも、土いじりはお好きではないでしょう」
「ええ。根っからの狩猟民族なもんで。
ニカっと笑うカイは、ただの人好きする青年にしか見えない。
(この人も食えないこと)
薄く笑うアルテミシアに、カイの笑顔が深まった。
「トーラは上手に除草できてよかったですね」
「高望みをして、自滅しただけです」
「そうですかねぇ」
カイの片眉が器用に上がる。
「リズィエたちが迷い込まなければ、上手く根を張ったと思いますがね」
「歴史に”たら、れば”は無意味ですわ」
「至言ですね。……リズィエと鉄壁がこじれなければ、ドルカの暴走は許されなかっただろうというのも、虚しいだけです」
腹に一物ありそうなカイの物言いに、ディデリスとアルテミシアが黙り込んだ。
「ああ、無遠慮なことを申し上げました。お許しください、リズィエ」
ディデリスの背後から進み出ると、カイはアルテミシアの手を取って、その甲に軽く唇を落とす。
「リズィエに責はない。
握られた手の向こうのカイの瞳に、アルテミシアの背がゾクリと震えた。
「どういう、意味でしょうか」
「他意はありません」
そっと手を寝台に戻して、カイは微笑む。
「リズィエは裏表がない方だなと。バーデレ卿の言葉を借りれば”馬鹿正直”、」
「バーデレの名は捨てています。滅んだ家名を口にしないでいただきたい」
「う」
わざと音を立てて大剣の柄に手を添えたジーグに、たじろいだカイが一歩下がった。
「し、失礼いたしました」
「カイ・ブルム、軽口が過ぎる。……副隊長の無礼、お許しいただきたい」
ディデリスがジーグに頭を下げるのを見て、アルテミシアの目が丸くなる。
「ディデリスって、謝ることができるのね。……見直したわ」
「
他国
の剣士を無下にはできない。異形の始末に関わってくださった方なら、なおさらな」「そこのケジメをきっちりつけるところが、ディデリス・サラマリスだな」
「ケジメは、大切だろう」
カイはあくまで冗談めかしていたのに。
アルテミシアに向けられたディデリスの目の底がギラリと光るようで、アルテミシアの背はまた震えた。
アルテミシアの手を取ったディデリスは、先ほどカイの唇が当てられた場所を、ふき取るようになでる。
「お前はもうディアムド帝国臣民ではない。サラマリスからも出た。
「っ!」
力の入らない体で、それでもアルテミシアはディデリスの手を振り払った。
「何を考えているの」
「事実を伝えたまでだ」
「……この騒乱に一役買ったのは、スバクル領主国の間者家の者たち。トーラのカーフレイ・アブールも、その血を引く者だったわ」
「そのとおり。イハウ元首とスチェパを結んだ酒場の女も子供も、アブールの手の者だろう」
強引に話を戻したアルテミシアから目を離さずに、ディデリスは続ける。
「この悲劇の発端は、スチェパにドルカがそそのかされたことだ。そうして異形の竜が生まれ、帝国とイハウ、そして、スバクルが裏で手を結び合った。この複雑な関係のなか、スバクルを落としたあとで、スチェパを切り捨て、罪をレゲシュ家とドルカ家に押し付ける工作など、イハウとっては赤子の手をひねるようなものだ。異形の竜を始末し損ねたとしても、どうせ帝国が手を出す。スバクルを手に入れたイハウだけが、美味い果実を得る。これら辺りが筋書きだったろう。……少し休むか?」
「いいえ、続けて」
ディデリスのまなざしをにらむように受け止めて、アルテミシアは首を横に振った。
「……そうか。ここからは、お前も知っているとおりだ。イハウの思惑は見事に外れ、スバクル国内の反レゲシュ宗主勢が、トーラと共闘する道を選んだ。アガラム国も反レゲシュ支援に動き、トーラ王子軍は、予想を超えた戦力を示した。レゲシュ家は壊滅。イハウの野望は、金を使うだけ使って、完全に失敗に終わった。今ごろ元老院皆で、
火照っているアルテミシアの頬を大きな手のひら全体でなでてから、ディデリスが立ち上った。
「本当に熱が高い。苦しいだろう、これでは」
アルテミシアに注がれるその翡翠の瞳は、ただ柔らかいものに変わっている。
「あとは俺に任せればいい。お前は惨劇の犠牲者で、異形の竜の始末をつけた功労者だ。繰り返し言う。トーラの竜について、帝国はその所有を主張しない。お前の竜だ。帝国に
「ええ、信じてる」
アルテミシアは詰めていた息を、ほぅっと吐き出した。
「ただ、竜絡みだからな。多少、老害どもがうるさいかもしれない。黙らせたら、その結果を知らせにまた来よう」
「無理はしないでね」
「無理をしてでも黙らせる」
「無茶をしないでね」
「それは約束しかねる」
「ディデリスの立場が悪くなるのは、嫌だもの」
幼いころとまったく同じ。
自分を案じてくれる
それはもう、そのまま泣いてしまうのではないかと思うような表情で。
「俺のことなど気にしなくていい。上手くやるさ」
汗で額に張りついているアルテミシアの髪を、ディデリスは指に
「ディデリスの実力は知っているけれど、でも、嫌なの。あなたが必要以上に悪く思われるのは」
「必要ならいいのか」
「だって、悪いときは悪いもの」
返された歪んだ笑顔に、ディデリスの手が止まる。
「痛むのか」
「少し」
「ディデリス、第二王子を呼んだほうがいい。リズィエの顔色が悪い」
カイが強くディデリスの肩と叩いた。
「リズィエ。しばらくお辛いでしょうが、一日も早くお元気になって下さい」
近づいてきたカイの口付けを額に受け、アルテミシアが微笑む。
「ありがとうございます、カイ様。面倒でしょうが、ディデリスのお相手をお願いいたします」
「ええ、承りました。でも、面倒ではないですよ。面倒くさい男ですけどね。俺は好きで付き合ってます」
ゆっくりと腕を伸ばされたアルテミシアの手を取って、カイがその甲に唇を寄せたのだが。
「ぐぇっ。……何だよ、ディデリス」
突然、横から乱暴にあごを押しのけられたカイが、むっとして体を起こす。
「その手を離せ」
「礼儀だろう」
「そこまで礼儀を重んじる
「サラマリスのリズィエに失礼できるか。ねぇ、アルテミシア様」
カイはもう一度アルテミシアの手を握り直すと、大袈裟な仕草で唇を寄せた。
「では、サラマリスのリズィロが命じる。お前の礼節正しいのはわかった。もう十分だ」
ディデリスは手刀でカイの手を払い落し、その
「フリーダ卿、出立前に竜舎に。ゴルージャ・オズロイの話を聞かせてほしい」
「苦し……、やめろっ。くっそー、次はリズィエの頬に口付けるからな!」
子供のように不貞腐れているディデリスをなおからかいながら、カイが天幕から引きずり出されていく。
「ではリズィエ、俺たちはこれで。帝国での始末がついたら、また伺います」
「ご武運を」
ふざけ合うように出て行く赤竜騎士ふたりを、アルテミシアは笑顔で見送った。