陰謀の種火‐トーラ王国・スバクル領主国‐
文字数 3,287文字
――セディギア家の者が、メテラ姫に狼藉 を働こうとした――
そんな噂 話がトゥクース中に広まっている。
そう家令から聞かされたセディギア家当主、ジェライン・セディギアは青ざめた。
「ロキュス様が急に体調を崩されてしまったので、王宮で療養していただく手はずを整えました。ジェライン様におかれましては、どうかご心配の無きよう」
ロキュスが戻らなかった夜、王宮から寄越されたのは、そんなそっけない手紙一通。
それ以降はいくら問い合わせても音沙汰がなく、ロキュスの状況を問い質 しに、今まさに王宮へ向かおうとしていた矢先であった。
「どこが出所 だっ」
貴賓室 と見まごうほどの部屋で。
主 から怒鳴られた家令は、身をすくめながら頭を下げた。
「王宮使用人の者が見たという話です。”怯 え震えるメテラ姫を、クローヴァ殿下がお助けした”とか」
髪と同じ、美しい亜麻 色の眉が吊り上がる。
「あれの使用人はアッスグレンで固めている。それが本当にあった話だとしても、漏れ出るはずがないだろう!」
「見たのはアッスグレンの者ではないようです。王宮では今、久方ぶりの園遊会の準備に追われております。メテラ様の専属使用人ではあっても所属は王宮。陛下が雇い主であられる以上、そちらの仕事の優先順位が高ければ、姫様のお側を離れることもあるでしょう」
ジェラインは苛立 たしそうに顔をしかめ、家令を下がらせた。
(ロキュスがメテラに手を出した、だと?)
窓辺に身を寄せ外を眺めながら、ジェラインは秘書の青年を思い浮かべる。
顔はもちろん、名も知らぬ若造だった。
外れ者の姫に近い年齢、万が一のときに、切り捨てるのにちょうど良い末家の出身者。
条件を満たす者は数名いたが、名簿の一番上に記されていたのが、たまたまロキュスであったというだけ。
働きぶりをほめてやると素直に喜び、メテラの相手を命じたときには「自分など恐れ多い」と尻込みしていた。
だから、教えてやったのだ。
メテラの母はただのあばずれ。遠慮するような姫ではないと。
そうして、ようやく承諾した若者が、そんな大それたことを仕出かすだろうか。
第一、未婚の姫の醜聞 などは必死に隠されるはず。
なのに、不届き者に襲われそうになった哀れな妹姫を、病 が癒 えたばかりの兄王子が助けたという美談で、街中が持ち切りらしい。
襲撃者たちから見事に首都を守って以来、王子と王家へ向けられる称賛の声は高まるばかりだ。
この一件で、さらに人心 を掌握したことだろう。
(これまで順調だったというのに)
ジェラインは薄い唇に歯を立てた。
重用 していたタウザー家衰退後、現王ヴァーリは孤立無援状態。
台頭する反対勢力を、辛うじて抑えている状況が何年も続いていた。
最近になってアッスグレン家が失態をさらしたとはいえ、こちらの派閥は盤石。
変化といえば、命さえ危うかった王子ふたりが、ヴァーリの元へ戻ったという程度。
正規軍も持たない年若い王子たちに、何ができようか。
市民の人気など、取るに足らない些末 なもの。
ジェラインはそう高を括 っていた。
だが。
(外道 王子につく者たちと竜、か……。バケモノどもめっ)
ジェラインの拳 が乱暴に窓枠に叩きつけられた。
◇
昼なお暗い、獣の気配さえ吸い込んでしまうような、深い森のいずこか。
密生した雑木 に擬態しているような、古びた丸太小屋が建っている。
その朽ち果てるに任せているような小屋の中に、用心深く辺りをうかがい、足音を忍ばせた男が入っていった。
「……どうだった」
男が扉を閉めると、小さなロウソクの灯りが狭い室内をぼんやりと照らす。
声をかけたのは髭面 の男。
その周囲には、同じような風体の男たちが座り込んでいた。
「ダメだ。レゲシュが報酬を吊り上げたらしい」
「またか?……どこにそんな金があるんだ……。あんなデタラメな家紋に踊らされてっ。くそ、もう打つ手なしか」
髭 に覆われた口が悔しそうに歪 む。
誰かが漏らしたため息がロウソクの火を揺らした、そのとき。
隙間だらけの板扉が大きく開かれ、暗い室内が淡い陽光に浮かび上がった。
「誰だ!」
小屋にいた男たちが、一斉に立ち上がって剣を抜く。
「お、ホントにいたよ。よー、ファイズ。元気そうだな」
狐色の髪の男が片手を上げて、ずかずかと小屋に入ってきた。
「ラシオン・カーヤイ?!」
髭面 の男の目が、こぼれ落ちそうなほど見開かれる。
「カーヤイ?ファイズのサイレル家と同じ、反逆家の?」
後方にいる影たちが、動揺した声で囁 き合った。
その「反逆家」の一言で我に返った髭面 のファイズが、剣を構え直してラシオンをにらむ。
「国を捨てたヤツが、今さらなんだっ」
「捨てたっていうか、捨てられたっていうか?」
向けられている殺気など気にもしない軽い口調に、ファイズは奥歯をぎりっと噛 み締めた。
「いい気なもんだな。お前の姉は婚家を放り出されて、行方知れずだっていうのに」
「ああ、知ってるよ。田舎町にある墓に挨拶してから、国を出たからな」
「墓?まさか……」
剣を持つファイズの手がだらりと下がる。
「医薬師に診てもらうこともなく、安宿で息を引き取ったそうだ」
「そ、うか。……悪い、知らなかった。……ヴィエナ殿が」
「なに謝ってんだよ。お前は相変わらず人が好いなぁ。今だって、”国境 の異端者”のために頑張っちゃってんだろ」
「なんでそれを。ラシオンお前、国を出てどうしてたんだ?」
「いろいろだよ。今はトーラで、第二王子の直属軍にいる」
「は?トーラの軍だと?!国を捨てたどころか、裏切り者なのか!見損なったぞ!」
激昂 したファイズが、再び大きく剣を振りかぶった。
「待ってくれ!」
ラシオンの影から飛び出した若い男に、ファイズの腕がピタリと止まる。
「な、サージャ?!レゲシュに、ついたんじゃ……」
「オレたちが間違ってた!レゲシュの言うことは嘘ばっかりだって、よくわかったよ。……家紋のデタラメさ加減も、詳しく教えてもらった」
サージャは目を床に落として、悔しそうに唇を噛んだ。
「それに、トーラは聞いていた話と全然違ってた。腰抜けなんてとんでもない。第二王子の部隊が……」
「ラシオンも第二王子と言ったな。トーラには王子と王女、ひとりずつしかいないだろう」
「それが、いるんだよ。な、サージャ?」
ラシオンが意味深に片目をつむってみせると、サージャが大きくうなずく。
「オレたちと同じ”混じり者”で、王子っぽくない、なんだか不思議な人だ。オレたちは王子を殺そうとしたのに、その王子自身が、オレたちを治療してくれたんだ」
そういうと、サージャは上衣 の襟 に手を掛けぐいと引っ張り、真新しい晒 の巻かれた肩をファイズに見せた。
几帳面に巻かれたその晒 は、受けた治療の丁寧さを物語っている。
「……ほぉ、なるほどな……」
薄い陽の光に煌 くホコリが舞い漂うなか、ファイズが剣を収めた。
「話を聞いてみる価値はありそうだ。……お前たち、後をつけられたりしていないだろうな」
「誰に言ってんだ?」
ラシオンがにやりと笑い、同じ顔でファイズがうなずく。
「そうだな。”カーヤイの疾風”、ラシオン曹長がそんなヘマはしないな。だけど、二年しかたってないっていうのに。お前、言葉が変だぞ」
「あー。トーラ訛 りになってる?」
「いや、トーラ語とも違う」
「じゃあ、ディアムド訛 りかな。第二王子の部隊には、凄腕の元ディアムド騎士がいるからさ」
「帝国の?まさか」
「本当なんだって!ものっすごい、むっちゃくちゃに強い騎士だ。帝国には、あんなヤツがゴロゴロいるなんて」
むきになるサージャに、ラシオンが吹き出した。
「あんなのゴロゴロいてたまるかっ。帝国でも特別だろうよ。まぁとにかく、その騎士はとんでもなく強いうえに、ふるいつきたくなるような可愛娘 ちゃんなのさ」
「……可愛娘 ちゃんかどうかは、どうでもいいが」
鼻の下を伸ばすラシオンに、ファイズは胡乱 な目を向ける。
「知ってること全部、キリキリ吐いてもらおうか」
「おぅ。……お前もな」
底知れない目をするラシオンに、ファイズが満足そうな顔になった。
そんな
そう家令から聞かされたセディギア家当主、ジェライン・セディギアは青ざめた。
「ロキュス様が急に体調を崩されてしまったので、王宮で療養していただく手はずを整えました。ジェライン様におかれましては、どうかご心配の無きよう」
ロキュスが戻らなかった夜、王宮から寄越されたのは、そんなそっけない手紙一通。
それ以降はいくら問い合わせても音沙汰がなく、ロキュスの状況を問い
「どこが
「王宮使用人の者が見たという話です。”
髪と同じ、美しい
「あれの使用人はアッスグレンで固めている。それが本当にあった話だとしても、漏れ出るはずがないだろう!」
「見たのはアッスグレンの者ではないようです。王宮では今、久方ぶりの園遊会の準備に追われております。メテラ様の専属使用人ではあっても所属は王宮。陛下が雇い主であられる以上、そちらの仕事の優先順位が高ければ、姫様のお側を離れることもあるでしょう」
ジェラインは
(ロキュスがメテラに手を出した、だと?)
窓辺に身を寄せ外を眺めながら、ジェラインは秘書の青年を思い浮かべる。
顔はもちろん、名も知らぬ若造だった。
外れ者の姫に近い年齢、万が一のときに、切り捨てるのにちょうど良い末家の出身者。
条件を満たす者は数名いたが、名簿の一番上に記されていたのが、たまたまロキュスであったというだけ。
働きぶりをほめてやると素直に喜び、メテラの相手を命じたときには「自分など恐れ多い」と尻込みしていた。
だから、教えてやったのだ。
メテラの母はただのあばずれ。遠慮するような姫ではないと。
そうして、ようやく承諾した若者が、そんな大それたことを仕出かすだろうか。
第一、未婚の姫の
なのに、不届き者に襲われそうになった哀れな妹姫を、
襲撃者たちから見事に首都を守って以来、王子と王家へ向けられる称賛の声は高まるばかりだ。
この一件で、さらに
(これまで順調だったというのに)
ジェラインは薄い唇に歯を立てた。
台頭する反対勢力を、辛うじて抑えている状況が何年も続いていた。
最近になってアッスグレン家が失態をさらしたとはいえ、こちらの派閥は盤石。
変化といえば、命さえ危うかった王子ふたりが、ヴァーリの元へ戻ったという程度。
正規軍も持たない年若い王子たちに、何ができようか。
市民の人気など、取るに足らない
ジェラインはそう高を
だが。
(
ジェラインの
◇
昼なお暗い、獣の気配さえ吸い込んでしまうような、深い森のいずこか。
密生した
その朽ち果てるに任せているような小屋の中に、用心深く辺りをうかがい、足音を忍ばせた男が入っていった。
「……どうだった」
男が扉を閉めると、小さなロウソクの灯りが狭い室内をぼんやりと照らす。
声をかけたのは
その周囲には、同じような風体の男たちが座り込んでいた。
「ダメだ。レゲシュが報酬を吊り上げたらしい」
「またか?……どこにそんな金があるんだ……。あんなデタラメな家紋に踊らされてっ。くそ、もう打つ手なしか」
誰かが漏らしたため息がロウソクの火を揺らした、そのとき。
隙間だらけの板扉が大きく開かれ、暗い室内が淡い陽光に浮かび上がった。
「誰だ!」
小屋にいた男たちが、一斉に立ち上がって剣を抜く。
「お、ホントにいたよ。よー、ファイズ。元気そうだな」
狐色の髪の男が片手を上げて、ずかずかと小屋に入ってきた。
「ラシオン・カーヤイ?!」
「カーヤイ?ファイズのサイレル家と同じ、反逆家の?」
後方にいる影たちが、動揺した声で
その「反逆家」の一言で我に返った
「国を捨てたヤツが、今さらなんだっ」
「捨てたっていうか、捨てられたっていうか?」
向けられている殺気など気にもしない軽い口調に、ファイズは奥歯をぎりっと
「いい気なもんだな。お前の姉は婚家を放り出されて、行方知れずだっていうのに」
「ああ、知ってるよ。田舎町にある墓に挨拶してから、国を出たからな」
「墓?まさか……」
剣を持つファイズの手がだらりと下がる。
「医薬師に診てもらうこともなく、安宿で息を引き取ったそうだ」
「そ、うか。……悪い、知らなかった。……ヴィエナ殿が」
「なに謝ってんだよ。お前は相変わらず人が好いなぁ。今だって、”
「なんでそれを。ラシオンお前、国を出てどうしてたんだ?」
「いろいろだよ。今はトーラで、第二王子の直属軍にいる」
「は?トーラの軍だと?!国を捨てたどころか、裏切り者なのか!見損なったぞ!」
「待ってくれ!」
ラシオンの影から飛び出した若い男に、ファイズの腕がピタリと止まる。
「な、サージャ?!レゲシュに、ついたんじゃ……」
「オレたちが間違ってた!レゲシュの言うことは嘘ばっかりだって、よくわかったよ。……家紋のデタラメさ加減も、詳しく教えてもらった」
サージャは目を床に落として、悔しそうに唇を噛んだ。
「それに、トーラは聞いていた話と全然違ってた。腰抜けなんてとんでもない。第二王子の部隊が……」
「ラシオンも第二王子と言ったな。トーラには王子と王女、ひとりずつしかいないだろう」
「それが、いるんだよ。な、サージャ?」
ラシオンが意味深に片目をつむってみせると、サージャが大きくうなずく。
「オレたちと同じ”混じり者”で、王子っぽくない、なんだか不思議な人だ。オレたちは王子を殺そうとしたのに、その王子自身が、オレたちを治療してくれたんだ」
そういうと、サージャは
几帳面に巻かれたその
「……ほぉ、なるほどな……」
薄い陽の光に
「話を聞いてみる価値はありそうだ。……お前たち、後をつけられたりしていないだろうな」
「誰に言ってんだ?」
ラシオンがにやりと笑い、同じ顔でファイズがうなずく。
「そうだな。”カーヤイの疾風”、ラシオン曹長がそんなヘマはしないな。だけど、二年しかたってないっていうのに。お前、言葉が変だぞ」
「あー。トーラ
「いや、トーラ語とも違う」
「じゃあ、ディアムド
「帝国の?まさか」
「本当なんだって!ものっすごい、むっちゃくちゃに強い騎士だ。帝国には、あんなヤツがゴロゴロいるなんて」
むきになるサージャに、ラシオンが吹き出した。
「あんなのゴロゴロいてたまるかっ。帝国でも特別だろうよ。まぁとにかく、その騎士はとんでもなく強いうえに、ふるいつきたくなるような
「……
鼻の下を伸ばすラシオンに、ファイズは
「知ってること全部、キリキリ吐いてもらおうか」
「おぅ。……お前もな」
底知れない目をするラシオンに、ファイズが満足そうな顔になった。