過去との対峙 -2-

文字数 3,185文字

 靴音も高く客間に入ってきたアルテミシアを、瞬きをする間さえ惜しんで、ディデリスは目で追い続ける。
「トーラ王国レヴィア殿下直属隊竜騎士、アルテミシア・テムラン、お呼び出しに応じました」
 ジーグの斜め後ろに立ったアルテミシアが、胸に手を当てた。
 
(テムラン?)

 名乗りに不審を感じながらも、ディデリスは朝咲きの薔薇(バラ)のような竜騎士から目が離せない。
 (あか)糸の縁取りと同色の鷹の紋章が、ひとつに結い上げられた深紅(しんく)の髪によく映えていた。

(……アルテミシアだ)
 
 期待はあった。だが、確信はなかった。
 実際にその姿を目にしても、まだ信じられない思いがする。
 この二年近く、一日たりとも忘れたことのない大切な従妹(いとこ)
 深い紅色(べにいろ)の巻き髪が、簡素な軍服をまとう身体に流れ落ちている。
 こちらをちらりとも見ない若葉色の瞳は、素っ気ない猫のようだ。
 あの惨事のなか、命拾いしたとしても、どれほどの怪我を負っただろうかと心配していたが、見る限りではどこにも傷跡は見当たらない。

「テムラン。トーラ王国の竜のいきさつを」
「かしこまりました」
 帝国側の三人など眼中にない様子で、アルテミシアがうなずく。
「トーラの竜は、縁あって私の手元に届いた野生種の卵を、トーラで孵化(ふか)させ、育てたものです。盗んだと言われるのは心外。ヴァーリ国王陛下から国民籍をいただいた今、トーラ王国民が育て上げた仔が、トーラの竜であることは当然です」
 クラディウスの濁った緑目が見開かれた。
「トーラ王国民?お前はサラマリスだろう!その(あか)い髪、鮮緑の目!(たぐい)まれなる竜術の体現者だ。帝国の重職を担う者だ!第一、竜の育成は、皇帝陛下のご承認がいるはずっ。陛下はご存じなのか?このままでは逆ぞ、」
「私はすでに、帝国臣民ではありません」
 高飛車なクラディウスの物言いを、アルテミシアがピシャリとさえぎる。
「バシリウス・サラマリス一家は滅ぼされたのです。私は帝国を追われたのです」
 向けられたまなざしの強さに、クラディウスがゴクリと(つば)を飲み込んだ。
「帝国内において、竜家が皇帝陛下のご英断に従うことは、言うに及びません。けれど、ディアムズは他国にも生息します。そこで

竜を育成した者がいたとして、それを帝国の法で縛り”逆賊”などと糾弾することは、いくら皇帝陛下といえども、ご無理があるでしょう」
 言い返すこともできずに、クラディウスが青ざめていく。
「サラマリスは竜術を扱う重職とおっしゃいましたが、では、そのサラマリスを惨殺した犯人は、捕らえられたのですか?」
 クラディウスからわずかにも離れない、鮮緑の目が底光る。
「私の両親を背中から斬りつけ、私の弟妹(ていまい)を生きながら焼き殺し、そして、私を背後から襲ったのは誰なんですか。サラマリスをそれほど大事と言うならば、バシリウス家の者をひとり残らず手に掛けた犯人を、まず捕えてください」
 肩を震わせたクラディウスを、アルテミシアは冷たい目で見下(みお)ろした。
「私はもう、帝国臣民でも竜族でもなんでもない。アルテミシア・サラマリスは、あのとき一家とともに死んだのです。体だけ帝国から逃れ、トーラにて、レヴィア殿下の手で生まれ変わらせていただいた」
 「レヴィア殿下」と口にしたときだけ、アルテミシアの表情が緩む。
 浮かんだ小さな微笑に、その懐かしさに。
 ディデリスの胸が痛んだ。
「現在トーラにいる竜は、トーラ国王陛下より名前を頂戴した、アルテミシア・テムランの竜です。確かに

はサラマリスでありましたが、竜族の方がご存じない何かをしたわけでもありません」
「しかし、その竜術は帝国で(つちか)われたものだろう」
 まだ食い下がるクラディウスに、アルテミシアはため息をつく。
「それほど竜が欲しければ、どうぞ。トーラへ来てお連れください。私は(あるじ)である、レヴィ殿下のもとから離れるつもりはありませんが」

(竜が初見の者を許すはずもないからな。しかし、竜よりも”(あるじ)”を選ぶ、ということか?レヴィア殿下とはどんな奴だ。……アルテミシア・

。トーラの騎竜隊が治めたのは、アガラム大公訪問を狙った騒乱。その功績に名をもらったか。……トーラとアガラム。忍んで訪問した大公が、臣下に名を与えるほどの関係なのか)

 その表情、身振りひとつ逃さぬように、ディデリスはアルテミシアを見つめ続けた。

 これまで、北の辺境国であるトーラ王国など、帝国はまったく相手にしてこなかった。
 まして、第二王子は年齢も出自も、何もかもが未知の存在である。
 その容姿でさえ、国王に瓜二つだとか、さすが隠し子、二目(ふため)と見られないだとか。
 判断の材料にならない、噂話(うわさばなし)ばかりが入ってくる。
 大衆が好みそうな流言が、わざとばらまかれているかのようだ。
 第二王子なのだから、自分より三つ四つ年若いはずの第一王子より、さらに年齢は下だろう。

「それにしても」
 挑発的な粘着性の声がして、ディデリスの物思いが断たれた。
「サラマリス領より極寒の地でよく育てたな。さすが竜術の体現者だ。(うわさ)によると、騎乗する竜騎士が隠れるほどの大きさらしいじゃないか」
「北国で育った仔のせいか、羽毛量は多いようです」
 (ねぶ)るような老獪(ろうかい)な視線にも、アルテミシアは動じない。
「だが、お前ほどの竜術の体現者なら、特別な竜を作れるだろう」
「おや。まるで”竜の作り方”を知っているような口ぶりですね」
「いやいや、まさか」
 クラディウスがベチャリと笑った。
「赤竜一族に、お情けで加えていただいているドルカです。竜化方など知る(よし)もありませんよ、サラマリスのリズィエ」
 ()びるような笑顔の気持ち悪さを、アルテミシアは無表情で堪える。
「ただ、サラマリス舎には、ほかにないような竜が育つからな。その紅い髪、鮮緑の目。お前ほどの者なら、特別な竜を作ることがあるのかと」

(また”作る”と……)

「ラキスと、フェティも。私と同じ髪と瞳でした」
 ゆっくりと区切るように。
 アルテミシアが弟妹の名を口にすると、クラディウスの眉がピクリと痙攣(けいれん)する。
「そう、だな、んん゛」
 咳払いをして、クラディウスは先ほど手をつけなかった薬茶を一気に飲み干した。
「テムラン殿」
 穏やかな声に、アルテミシアがゆっくりと首を巡らせる。
「竜の件も含め、こちら側の数々の発言、どうぞご容赦ください」
 無言で見つめ合うが、アルテミシアは何も言わない。
「……重ねて申し上げます。テムラン殿の竜はトーラ王国の所属。そこに帝国は何の異議もありません。もし、書面も必要とあればここに」
 一通の書状が、ディデリスの(ふところ)から取り出された。

――トーラ王国の竜に関して、ディアムド帝国はその権利を主張しない―― 

「っ!」 
 テオドーレ皇帝陛下の署名付きの書面に、クラディウス・ドルカの顔色が瞬時に変わる。
 
 この書状によって、自分の発言は、皇帝の意向に異を唱えたものだと決定づけられた。
 こんなものが(はな)から用意されているなんて。

(聞いていないぞ、小僧!)
 
 クラディウスはシミの浮き出た顔を戦慄(わなな)かせながら、領袖(りょうしゅう)家長男、ディデリス・サラマリスをにらんだ。
「ありがとうございます」
 無表情を貫くアルテミシアが帝国の礼をとる。
「皇帝陛下のご厚情、しかと胸に刻みました。我が(あるじ)にもよい報告ができます。何重にもお礼申し上げます」
 ディデリスはうなずきながら書状を畳み、ジーグとアルテミシアの前に滑らせた。
「どうぞお納めください。本来ならばレヴィア殿下に直接お渡ししなければならないところ、非礼をお許しいただきたい」
 書状に添えられたディデリスの、その右手首ある金の腕輪がキラリと光った。
「……っ」
 書状に落とされた若葉色の瞳が揺れたことも、音もなく飲まれた息によって、微かにその胸が上下したことも。
「どうぞ、よしなに」
 何一つ見逃すことのなかった美麗な帝国竜騎士に、妖しい笑顔が浮かんだ。
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