無自覚の罪

文字数 3,735文字

 温かなアルテミシアの手がすぃと頬を滑る、その感触にレヴィアはうっとりと目を閉じる。
「本当に心配をかけたな。悪かった。これからは、なるべく気をつけるから」
「なるべく……」
 何度も頬をなでられるうちに、レヴィアの目元は和らいでいった。
「軍服を着たいんでしょう?なのに、絶対って言わないんだね」
「騎士だからな。戦いに絶対はないから、空約束はできない。けれど……」
 アルテミシアはレヴィアの手をすくい上げ、その甲と(しょう)に口づける。
貴方(あなた)を悲しませることもしたくはない。だから、なるべく。傷を受ける前に、

ようにする」
 慕わしい従者は、また新しい俗語を覚えたらしい。
「ヴァイノの言葉がずいぶん移ったね」
 紅い巻き髪のかかる額に長い口づけを贈ったあとで、レヴィアはアルテミシアとほほ笑み合った。
「しょうがないな。そんな恰好、ほかの人が見るのは嫌だし。アスタはミーシャより頑固だからね。いいよ、明日から軍服で外出しても」
「本当か?よかった!」
 ぱっと顔をほころばせると、アルテミシアは微妙な顔をしているアスタに駆け寄る。
「アスタ!私の新しい軍服、部屋に持ってきておいて」
「かしこまりました」
「これでカーヤイ軍との野営訓練に参加できるな」
「野営訓練?何だそりゃ。俺は聞いてねぇけど」
「今日の話だからな」
 アルテミシアはイタズラな笑顔をラシオンに向けた。
「最近、あんまりにもカーヤイの者たちが食事に誘ってくるから、困ってたんだ。そしたら、”みんなで一緒に外でメシ作って、食えばいいじゃん”ってヴァイノが。それなら、ついでに野営訓練もやろうかという話になって。でも、こんな服ではさすがに無理だろう?だから、返事は保留にしていたんだけど。ヴァイノに参加するって言ってくる!」
 レヴィアが止める暇もなく。
 薄衣の(すそ)を花びらのように(ひるがえ)して、アルテミシアは部屋を飛び出していってしまった。
「……」
 レヴィアは残った三人を代わる代わる見やるが、誰も目を合わせてくれない。
「……ラシオンはいいの?宗主が知らない訓練、勝手にやらせて」
 黒曜石の瞳は憤懣(ふんまん)に満ちているが、ラシオンは軽く肩をすくめて「べつに」と笑う。
「お嬢の直々の指導なんて、ほかの宗主から、やっかまれてるくらいだしな」
「でも」
「なあ、レヴィア。お嬢のあの様子じゃ、食事に誘ったヤツら一人ひとりと、逢瀬だってしかねないぜ?しかも

恰好で。集団見合いみたいなほうが、まだましなんじゃねぇの?」
「み、見合いっ?!」
 レヴィアの声が裏返った。
「メイリも一緒に行くつもり?」
 オロオロするレヴィアに、メイリは憐れむような呆れるような、なんとも複雑な顔を向ける。
「ええ、まぁ……」
「止めてよっ」
「無理じゃないですか?だいたい、何て言ってお止めすればいいんですか。レヴィア様のヤキモチがすごいから、やめてあげてくださいって、言っちゃっていいんですか?」
「~っ」
 真っ赤な顔をしながら、レヴィアは口を閉ざした。
「さっき、あんなにイチャイチャしてたじゃないですか。さっきだけじゃないですよぅ」
 メイリがつくため息は、今日何度目のものだろう。

 まったく自覚はないようだが、ふたりでいるときの竜騎士たちは最近、それはそれは特別な空気を(かも)し出している。
 アルテミシアの命を取り戻して以来、その心の限りを尽くして接することが、当たり前になってしまったのだろう。
 隠そうとはしているらしいのだが、レヴィアの努力はまったく実を結んでいなかった。
 一方のアルテミシアも、レヴィアに対しては明らかに態度が違う。

「あれで恋人同士じゃねーってんなら、何なわけ?」
 いまだに想いを伝える勇気のないレヴィアと、甘やかに振る舞うくせに、口を開けば頓珍漢なアルテミシアを見れば、ヴァイノの首は折れそうなほど曲がる。
「デンカとふくちょって、実はすげぇバカなんじゃねーの」
 その口ぶりからすると、ヴァイノは(なか)ば本気で心配しているようなのだが。
 
 アスタとメイリもアルテミシアのことは大好きで、レヴィアには大変な恩を感じている。
 馬鹿だとは思っていない。
 しかし、そのあまりの無自覚・無頓着ぶりには、辟易(へきえき)とすることもしばしばだ。
 いちゃいちゃするなら、ふたりだけのところでやってくれと言いたいが、とにかく、肝心の当人たちにその認識が欠けている。
 だから、それとなく伝えても、キョトンとしているばかりなのだ。
 本当に。
 まったくもって、もう。
 レヴィアは王族ではあるが、愚連隊のなかでは、弟分としての地位が確定していた。

 そして、メイリが漏らしたさらなるため息は、本日最大級のもので。
「はぁ~。もぉ、モダモダしますねぇ。いつだって、すっごく

じゃないですか。口づけだってし放題でしょう。行かないでくれって、なんで言えないんですかねぇ」
「あれは、竜族の挨拶だしっ」
「ほかの者には許していらっしゃらないようですが」
「帝国の従兄(いとこ)はしていたよっ」
 アスタとメイリの指摘に、いちいち言い返していたレヴィアだが。
「アルテミシア様にとって、あの方はご家族のようなものでしょう。レヴィア様はご家族ですか?ご家族でいいんですか?」
「嫌、だけど……」
「そのくらいにしてやれよ、アスタ」
 しょぼんとしてしまったレヴィアに、ラシオンが苦笑いを浮かべた。
「レヴィアも難しい立場なんだから」
「そう、ですね。……言葉が過ぎました。申し訳ありません。ですが、よほどしっかりされないと、誰かにアルテミシア様を取られてしまいますよ?……リズワンから簡単に伺っておりますが……」
 リズワン仕込みの、ひんやりした雰囲気を納めたアスタが目を伏せる。
「アルテミシア様のご出身家は、竜騎士として死ぬことが名誉とされると。……望まれず産まれてくることも、望まれて死んでいくことも、どちらも哀しい……。でも」
 アスタの目にうっすらと涙が浮かんだ。
「でも、アルテミシア様は、もうトーラの方です。帝国竜家の竜騎士ではない。本当のご自分のお気持ちを、願いを、ご自覚してもらいたい。幸せに

いただきたいんです」 
 アスタが顔を上げてレヴィアに向き直る。
「ですからレヴィア様。しっかりとつかまえておいてください。アルテミシア様を」
「そうですよぅ。アルテミシア様は、色恋沙汰に関しては無茶苦茶(むちゃくちゃ)な方ですからねぇ。誰かが国のためだとか言い出したら、簡単に結婚しちゃいますよ、きっと。”婚姻なんて、政治的契約みたいなものだからな”って、おっしゃってましたし」
「そーだなぁ、お嬢は貴族出身だしなぁ。……ん?そうか!」
 メイリの物言いに何度もうなずいていたラシオンが、とたんに人の悪そうな顔つきになる。
「ってことは、”トーラとスバクルの和平のため”とか言ったら、お嬢は俺からの求婚でも受け入れそうだな」
「ああ、やりそうです。これは気が遠くなるような道のりですねぇ。お気の毒さまです」
 メイリのたてがみ頭が、レヴィアに向かってペコリと下げられた。


 翌日、出かけるアルテミシアを見送りに出たレヴィアは、その肩に両手を置いて目を合わせた。
「帰ったら必ず、僕の診察を受けてね」
「ん、わかった」
 久しぶりに見る軍服姿のアルテミシアに心は騒ぐが、それでも。
「……

恰好より、よっぽど似合うね」
「ふふっ、私もこっちのほうがしっくりくるよ。レヴィとおそろいだし」
 軍服の胸辺りを指先で突かれて、レヴィアはくすぐったそうに笑う。
「本当は僕も行きたいけど、今日はどうしても、ユドゥズ公と出かけなきゃいけない用事があるから。軍服でも大丈夫だったって、証明しに戻ってね」
 不安そうな漆黒の瞳を見上げ、アルテミシアはその手の平に唇を寄せた。
「約束するよ」
 柔らかく微笑み返したレヴィアは、そのままアルテミシアの手を握り込む。
「気をつけてね。明日の夕方までには戻っているから、必ず来てね」
「わかった」
 額を差し出し、レヴィアの口づけを受けながらアルテミシアは口元を緩めた。
「軍服の許可もいただけましたし、あの仔たちも待っています。レヴィア殿下のお体が空きましたら、遠乗りにも参りましょう」
「そうだね」
 レイヴァは屈みこんで、アルテミシアに額を寄せる。
「スィーニが怒ってたよ。”飛ばせないと、翼がロシュみたいに短くなっちゃう”って」
「ああ、それで」
 レヴィアの額に口づけたアルテミシアが、クスリと笑った。
「”スィーニは嫌いだ”って、ロシュが(うな)るわけだな。珍しく本気で怒っているから、今は竜房を離しているんだ」
「そう、なの?」
「どうしたんだろうと思ってはいたが、それはスィーニが悪い」
 アルテミシアとレヴィアは竜舎に目をやりつつ、微笑み合う。
「戻ったらロシュのご機嫌を取ろう。レヴィ、スィーニを少し叱ってくれ。そのあとで、ロシュと遠乗りに行かないか?」
「……うん」

(嬉しい)

 泣きたいほどの幸せが胸を満たすのに。
 アルテミシアの軍服姿を見ると、やはりまだ思い出してしまう。
 大切な人の命の(ともしび)が、この腕の中で尽きようとしていたあの恐怖を。焦燥を。
 だが、「約束できること」は心から嬉しい。

「楽しみにしているから」
 レヴィアは明るい顔でうなずき、笑顔でアルテミシアを送り出した。
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