無自覚は罪

文字数 3,830文字

「ひぃっ」
「!」
「やば……」
 青ざめたラシオンが思わずアルテミシアの後ろに下がり、アスタとメイリの背中がピシリと伸びた。
「レヴィ!」
 その張り詰めた空気を無視したのか、気づかないのか。
 アルテミシアは大輪の笑顔を見せた。
「帰ってきてたのか。ちゃんと食事はしていたろうな」
「うん」
 療養所の扉から顔をのぞかせたレヴィアの目が、アルテミシアの手を握って離さない青年に向けられた、その刹那。
 滑るような早足でアルテミシアの横まで来ると、レヴィアは端正なディアムド語でラシオンを問い(ただ)した。
『カーヤイ公、こちらの方は?』
 凍てついたまなざしを向けられて、ラシオンは改めて青年の家紋を確認する。
「えーと……。雪割草に山猫、な。ベイツェナ家か」

(あー、思い出した。一昨日の領主家合議で、宗主の名代(みょうだい)で来てた惣領(そうりょう)息子だな)

『はい。私は次期ベイツェナ家宗主の』
 胸を張った青年はラシオンの紹介を待たずに、ディアムド語で名乗ろうとしたのだが。
『アルテミシア、僕の竜騎士』
 普段より低いレヴィアの声が、得意満面な青年の言葉をさえぎる。

、用事があるのでしょう?何を取り成してほしかったの?』
 そして、穏やかだが断固とした態度で、レヴィアは青年からアルテミシアの手を奪い返した。
『ベイツェナ公。申し訳ありませんが、

竜騎士は、あの騒乱で負った怪我からの回復途中にあります』
「え。マイナドライエリター(僕の竜騎士)?……。あ、あなたは」
 青年の肩が震える。
 いきなり割り込んできた、この背の高い少年の正体に気がついたらしい。
 
 今、スバクルの皆が

(うわさ)している。 
 黎明(れいめい)の空を飛ぶ水神の(ごと)きの青竜と、爆流の攻撃を命じる隣国の王子の話を。
 まるで、おとぎ話のように。

 レヴィアを見上げる青年の目に、(おび)えがにじんでいく。
『遠出の許可は出せません』
『そ、そうですか。それは残念……』

(いや~、バッサリ斬り捨てたな)

 ラシオンはにやけそうになるのを必死で押さえ、声を震わせるベイツェナ家の青年を眺めた。
『ごめんなさいね、ベイツェナ公。そういうことですので、お誘いはまたの機会に』
『またの機会……。では、次にお会いしたときにお約束を』
『まず、僕に話を通してください。僕はアルテミシアの専任医薬師なので』
 (とげ)のある声に再びさえぎられた青年は、先ほどの得意げな顔はどこへやら。
 すがるような目でラシオンを見上げる。
 が。

(ま、諦めてくれぃ)

 目を閉じ首を横に振るラシオンを見て、すごすごとその場を去っていった。
 
 青年の姿が完全に消えてから、レヴィアは渋いため息をつく。
 目を落とせば、なめらかな首筋に深紅のおくれ毛が流れている。
「今日はどこへ出かけていたの?」
「新しくカーヤイ家に加わった者たちの、騎馬訓練にな」
 トーラ語に戻したレヴィアを見上げるアルテミシアには、何の悪びれもなさそうだ。
「……その恰好で?」
「軍服を禁止していらっしゃいるのは、レヴィア様です」
 文句を言いたそうなレヴィアの視線にも、アスタが動じることはない。
「でもな、レヴィ。こういう服は動きにくいんだ。まだ軍服を着てはダメか?」
 ()ねている子猫のような若草色の瞳に、レヴィアは困惑を浮かべて無言になった。
「そのお姿でいらっしゃると、アルテミシア様の魅力を多くの方に知らしめることができて、私は鼻が高いです。リズワンも”うちの娘はモテモテだな”と笑っていましたし」
「モテモテ?」
 聞きなれないアスタのトーラ語に、アルテミシアの瞳が輝く。
「さっきは”デレデレ”とも言っていたな。それはどういう意味?」
「それは」
「取りあえず、みんな中に入って。ミーシャ、傷の具合はどう?僕が留守の間、熱は出なかった?」
 説明しようとしたアスタを無視して、レヴィアが療養所へとアルテミシアを(いざな)った。
「大丈夫だった。だからもう、軍服でもいいと思うんだ」
「でも……」
 隣を歩くアルテミシアに、レヴィアはまだ言葉を濁す。
「アルテミシア様。明日お召し予定の服が届いています。レヴィア殿下の診察後、ご試着なさいますか?」
「こんな服だったら、今度こそ着ないからな」
 アルテミシアは脅かすような顔で振り返るが、アスタはしれっと首を傾げる。
「お召し物の見立ては、私にお任せいただいたはずですが」
「でも、だ!」
「わかりました。大丈夫です。

服ではございません」
「……知らねぇぞ?」
 ラシオンは心配七割、好奇心三割の笑顔をアスタに向けた。 


 順調な回復ぶりに太鼓判を押されたのち、アスタから手渡された衣装に着替えたアルテミシアは、診察室の鏡の前で固まっていた。
「これで外出しろと……?」
「はい」
 涼し気な顔をしているアスタの隣で、メイリも目をぱちくりとさせている。
「アスタ、これはいくらなんでも。アルテミシア様、そのお姿で騎馬訓練は無理ですよ。絶対ダメです。スヴァンが徹夜になります」
「……スヴァンはともかく、これはないだろう」
 鏡に映る自分に絶句して、アルテミシアは立ち尽くした。
「よー、着替え終わった?入ってもいい?」
「どうぞ」
 廊下で待っていたラシオンが、アスタの許可で扉を開ける。
「……ほほぉ~。これはこれは」
「はっ?な……。ぐぅ」
 あごに手を当て、じっくりとアルテミシアを眺めるラシオンの後ろで、レヴィアの喉が妙な音を立てた。
「いや、こりゃまた色っぽいねぇ」
 ラシオンが軽く口笛を吹くのも無理はない。
 アスタがアルテミシアに着付けた衣装は襟元(えりもと)だけではなく、肩も胸も大きく開いている。
 肌が露出する(きわ)には薄布の飾りがあしらわれ、下品ではないものの、とても蠱惑(こわく)的だ。
「そういう恰好し始めてわかったけどさ。お嬢って、結構メリハリのある体してるよな。普段どうしてたんだ?」
 その視線がアルテミシアの胸元にあることに気づいたレヴィアが、刺すような目でにらむ。
「ラシオンっ」
「ああ、これか」
 アスタも厳しい声でいさめるが、当のアルテミシアはどこ吹く風。
 魅惑的な(ふく)らみを見せる胸元を、両手の平ですくい支えながら、あっけらかんとしている。
「軍服を着るときは(さらし)をきつめに巻いている。邪魔だからな」
「はあ。……そっすか」

(いやいや、お嬢よ)

 ラシオンがちらりと横を見れば、不機嫌丸出しのレヴィアと目が合った。

(俺のせいじゃねぇだろ?!)

 まなざしで伝えれば、耳まで赤くしたレイヴァがそっぽを向く。

(そーいやヴァイノも”ふくちょって意外にきょにゅー”とか言って、レヴィアにぶん殴られてたよなぁ)

 ヴァイノが不用意な発言をした直後の惨劇を、ラシオンはニヤニヤしながら思い出していた。


「ふっざけんなっ、テメー」
 床に転がったヴァイノが素早く体を起こして、レヴィアを見上げ怒鳴る。
「あ、ごめん。……思わず」
「思わず、じゃねーよっ。クッソ重い(こぶし)、叩きつけやがってっ」
 自分の行為に唖然としていたレヴィアが、むっとしてヴァイノを見下ろした。
「だって、ヴァイノが悪いんでしょ。あんなこと、……言うから」
「あんなことってなんだよ」
 目をすがめ、ヴァイノは(あお)るようにあごを上げる。
「きょ……」
 真っ赤になってうつむいたレヴィアを、立ち上がったヴァイノが挑発的にのぞき込んだ。
「んだよ。言ってみ?」
 歯を食いしばるレヴィアに、ヴァイノはヘラヘラと笑う。
「ホントのことだろ。お針子だって言ってたじゃねぇか。”アルテミシア様は、お胸が豊かでいらっしゃるから”、ぐはっ」
 さっきの「思わず」など比ではないほどの、重量級の蹴りがヴァイノを襲った。
 部屋の端まで飛ばされたヴァイノだが、瞬時に体を起こしてレヴィアへと向かっていく。
「文句あんのかよっ」
 突き出された拳を払い落として、レヴィアは攻撃の構えを取った。
「あるよ!」
「言ってみろよ!」
「~~っ」
「言えねーなら黙ってろっ。ふくちょのこと逢瀬にも誘えない、ヘタレのクセに!」
「!」
 真顔になったレヴィアを見て、間に入ろうとしたラシオンだが。
「ぐえっ」
「ぐぅっ」
「馬鹿者っ、室内でなにやってる!やるなら表へ出ろ、表へ」
 むんずと襟首をつかまれた黒と銀の少年が、恐る恐る振り返れば。
「それとも、あたしがまとめて相手しようか?」
 冷たい微笑を浮かべるリズワンを前に、ふたりともが平身低頭したのは言うまでもなかった。


「く、くくくく」
「アルテミシア様ったらもー。なんてことしてるんですか。ダメでしょー」
 ラシオンが忍び笑いを漏らす横で、メイリがため息をつく。
「なんで?」
「なんでとか!」
 とうとうラシオンが吹き出した。
「またヴァイノが鼻血出しちまうな。いや、ヴァイノだけじゃすまねぇぞ、こりゃ。お嬢、それで騎馬訓練すんなよ。俺んとこの奴らが血まみれになるから」
「でも、やっとカーヤイ軍も(さま)になってきたところなのに……。なあ、レヴィ」
 アルテミシアが振り返れば、頬を赤らめたままのレヴィアが尋ね顔をする。
「この服は着たくない。まだ軍服の許可はいただけないでしょうか、私の(あるじ)
 しなやかな猫のような動作ですり寄るアルテミシアに、レヴィアも一歩、近づいた。
 互いの体温を感じる距離で、レヴィアは切なそうにアルテミシアを見下ろす。
「本当はね、もう大丈夫だろうって、思ってるんだけど……。でも、軍服姿のミーシャを見ると、不安になるんだ。また大怪我でもして、遠くへ行っちゃうんじゃないかって……」
「レヴィ……」
 目を伏せるレヴィアの頬に、アルテミシアの手が伸ばされた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み