帝国の竜族

文字数 2,706文字

 一触即発の帝国貴族ふたりに(ひる)みながら、ディアムド語の聞き取りだけはできるようになったヴァイノが、懲りずにメイリに(ささや)く。
「このふたりってさあ、敵同士なの?同じ帝国の、味方同士じゃねーの?」
「さぁ、ねぇ……」

(ヴァイノの疑問も、もっともだよねぇ)
 
 にらみ合うふたりは、今にも戦闘を始めそうな雰囲気だ。
 
 首を傾げるヴァイノとメイリの見守るなか、ベルネッタが冷ややかにディデリスをにらむ。
『私が襲えと命じたのはね、貴方(あなた)よ、ディデリス』
『なんだと?』
『ベルネッタ様!』
 アルテミシアがベルネッタの背後から飛び出して、ふたりの間に入った。
『もう済んだことです』
『リズィエ……』
 ディデリスの射殺しそうな視線も物ともせず、ベルネッタはアルテミシアを抱きしめる。
『やっぱり貴女(あなた)は話していないのね。本当にもう、どうしてこんなに可愛いのかしら。ディデリス・サラマリス。あのときこの()が川に落とされたのはね、貴方(あなた)の身代わりだったのよ』
 ディデリスの瞳が驚きと不審を浮かべ、ベルネッタの腕の中にいる従妹(いとこ)を見つめた。
 盛大なため息とともにアルテミシアを解放すると、ベルネッタは両手を大きく広げる。
『疑いもしなかったの?本当に?あの状況をよく考えてみて。いつもの貴方(あなた)なら、すぐに気づきそうなものだけれど。リズィエが関わると、貴方(あなた)の目は簡単に曇る。とにかく、私は邪魔だったのよ。意固地で意地悪で優秀な変態が。その変態が監視の目を光らせているから、サラマリスのリズィエに、声をかけることもできなかった』
『変態はお前だ。アルテミシアの髪帯を盗んで、士官制服の飾りにしていたろう』
『盗んでなどいないわ、人聞きの悪い。もらったのよ。ねぇ、小鳥ちゃん』
 愛しそうな表情しながら、ベルネッタはアルテミシアをのぞき込んだ。
『髪帯……?ああ、そんなこともありましたね』
 遠い目をしながら、アルテミシアがうなずく。
『ほら』
『どうして、こんな奴にやるんだ』
 ディデリスから詰め寄られたアルテミシアは、困った子猫のような瞳でディデリスを見上げた。
『欲しいとおっしゃられたから』
『だいたい、いつ会ったんだ。俺は許可した覚えはない』
『バシリウスの隊に差し入れをした帰りに』
『私の小鳥をいじめないで。私と会うのに、どうして貴方(あなた)の許可がいるの』
 ベルネッタがアルテミシアを後ろ手にかばう。
『お前のものなどではない。……大方、待ち伏せでもしていたのだろう。待ち伏せ……。そうか』
 ディデリスはふっと息を吐いた。
『あれは、俺を襲うつもりだったのか。アルテミシア、お前はそれに気がついたんだな。それで俺の代わりに……。なぜ言わなかった』
 ベルネッタの背中から、ひょっこりと紅色(べにいろ)の髪がのぞく。
貴方(あなた)が負けるとは思わなかったけれど、ディデリスはサラマリスの誇りだもの。派手な私闘は士官学校の成績に響くし、赤竜の古老がうるさく言うでしょう?私が返り討ちにすれば、子供に負けただなんて恥ずかしいから、表ざたにはならないと思って』
 当時を思い出して、アルテミシアはクスリと笑った。
『思っていたより人数が多かったから、失敗してしまったけれど。ベルネッタ様は人気者ですね』
 ベルネッタが振り返りながら、アルテミシアの髪をなでる。
『違うわよ。ディデリスに敵が多いの。私だって、もう少しこじんまりとした襲撃を考えていたのよ?』
『まあ!』
 (はた)から見れば、笑い合うふたりは姉妹か親友のようだった。
『あれで、ますます貴女(あなた)のことを好きになったわ。どうしても仲良くなろうと決心したの。赤竜と黒竜には長年の遺恨もあるし、鉄壁の変態がいるから、慎重に事を運んでいたのに……。こうなってしまったからには、もう待たないわ。アルテミシア』
 首を傾けたアルテミシアの肩を抱き寄せ、ベルネッタはその額に口付けを落とす。
『黒竜族へ来ればいいわ。私の妹として、デリオン家が全力で貴女(あなた)をお守りします』
『許可できない』
 地を()うようなディデリスの声にも、ベルネッタはまったく動じない。
『貴公の許可など必要ない。アルテミシアは、もうサラマリスの人間ではないもの。トーラ国の人間だもの。ね?』
 親しげに笑いかけている迫力あるベルネッタに、アルテミシアは目を丸くした。
『ベルネッタ様は、本当に私との仲を深めたいと?』
『そうよ?私は可愛いものが好きなの。姉妹が欲しかったのに、上も下も男ばかりで嫌になるわ。しかも、私まで息子のように扱うし。……変態は邪魔をしてくるし』
『お前のほうが変態だ』
『真正の方に言われたくはないわね』

「どっちも、自分が変態なことは否定しねぇんだな」
 思わずつぶやいたヴァイノの口を、メイリが再びバチン!と(ふさ)ぐ。
 
(ディデリスとベルネッタ様は、実は昵懇(じっこん)の仲なのではないかしら)
 
 悪口の応酬を続ける帝国竜族のふたりを前に、アルテミシアは瞬きを繰り返した。
 
(……ディデリスの機嫌が直ってるわ……)

『黒竜にやるくらいなら赤竜に戻す』
『その赤竜が追い出したのでしょう。可哀そうな小鳥を』
 きつく言い放たれたベルネッタの言葉に、ディデリスは何も言い返さない。
『帰る場所さえ奪って』
『追い出されたわけではありません』
 両手の拳を握りしめるディデリスを一瞥(いちべつ)して、アルテミシアはベルネッタの腕の中から抜け出した。
 そして、ディデリスとベルネッタの手を取り重ね合わせ、自らの手で包み込む。
『帝国を出ざるを得ませんでしたが、どこに在りたいかは、自分で決めたのです。ご厚情は本当に感謝いたします、ベルネッタ様。ですが、私はトーラ国を離れるつもりはありません。トーラ国民では、仲良くしていただけませんか?』
 イタズラな猫のような鮮緑(せんりょく)の瞳に見上げられて、ベルネッタは諦めたようなため息をついた。
『まさか。そうね、帝国を出たのならば、私たちの間に竜家の(しがらみ)はなくなるのね。アルテミシア』
 ベルネッタに柔らかい微笑みが浮かぶ。
貴女(あなた)に話したいことも、出かけたい場所もたくさんある。こんなふうに、帝国でもトーラ国でもない場所で遊ぶのもいいわね。これからは、たくさん仲良くしてもらえるかしら』
『はい、もちろんです!』
『まあ可愛い!』
 ベルネッタは感極まって叫ぶと、再びアルテミシアに抱きつき、顔中いたるところに口付けをし始めた。
『もういい加減にしろ』
 名残惜しそうにアルテミシアの手を離したディデリスが、ふたりに背を向ける。
『出迎え役のトーラ王子が呆れている。待たせ過ぎだ』
『素直にうらやましいって言ったらどうかしら』
 わざと音を立ててアルテミシアに口付けるベルネッタを、一度だけ振り返って。
『……変態……』
 ディデリスは歩き去っていった。
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