僕の居場所

文字数 2,366文字

 食事の仕度(したく)を終えたあと、いつものように、さっさと小屋を出ていこうとしたレヴィアに、アルテミシアが声をかけた。
「たまには一緒に食事をしないか、レヴィ。屋敷に帰らないとまずいのか?」
「え……」
 ぽかんとした顔で、レヴィアがアルテミシアを振り返る。
「帰ったり、しない。家令に捕まったら大変、だから」
「じゃあ、レヴィはどこで」
「寝起きをしてるんだ?」
 声をそろえたアルテミシアとジーグを交互に見て、レヴィアはこてんと首を傾けた。
「森、とか。屋敷は、顔を見せる、くらい。行方不明だと、探される」
「なんだと?!私たちに居場所を与え、食事は用意して。お前は独りきり、外で過ごしていたというのか」
 唖然と息を飲んだジーグが、怖いくらいの迫力でレヴィアに向き直る。
「レヴィア、お前も今日からここにいろ」
「で、でも……」
「一緒にいるのは迷惑か?」
 レヴィアはちらりとアルテミシアを見て、フルフルと首を横に振った。
「違う。迷惑とか、じゃなくて、あの、僕、食べ方とか、汚い、から」
「そんなことを誰が?」
「家令とか、作法の先生、とか。食事ひとつまともにできない。家畜のほうがまだましって」
 うつむいてしまったレヴィアを前に、アルテミシアとジーグが意味ありげな目を交わし合う。
「間違っているのなら、正しく学べばいいだけだ。リズィエの治療のためにも、ここにいて欲しい」
「レヴィ、一緒に食事をしよう」
 ふたりの優しい説得に、涙がにじみそうになったレヴィアは顔が上げられない。
「な、いいだろう?」
 言葉遣いは男性のようなのに。
 アルテミシアの声は、やっぱり春告げ鳥のようだった。


 そうして三人で過ごすようになったのだが。
 どうもレヴィアは、じっとしていることが苦手らしい。
 目覚めればすぐに畑に出てしまうし、夜目がきくからと遅くまで帰ってこない。

「作法を教えるどころではないな」
 レヴィアが小屋から出ていったあとで、アルテミシアはため息をついた。
「他人と過ごすことに、まだ慣れないのでしょう」
 ジーグが首を巡らせると、開けた木窓の向こうで、畑を横切っていくレヴィアが目に入る。
「こんなに尽くしてくれるのに。あの子は私たちには何も望んでくれないな」
「もう少し、時間をかけましょう」
 従者の提案に、アルテミシアはただうなずき返した。

 その日の夜。
 ものの数分で食事を終わらせたレヴィアに、ジーグが声をかけた。
「気になることでもあるのか?戻ってきてから、扉ばかり見ているようだが」
 小さな肩をびくりと震わせ、困ったような顔でレイヴァは振り返る。
「そ、うだった?」
「不愉快になることをしてしまったか?私は面倒な患者だろうか」
「違うよ!」
 悲しそうに眉を下げるアルテミシアに、レヴィアは慌てて首を横に振った。
「そんなこと、ない。でも、あのね」
 レヴィアの視線はまた扉のほうへと向いてしまう。
「同じ場所に、長くいたこと、ない、から。……僕、ここに、いていいのかな」
 つぶやきのようなその返事は、ジーグの眉を曇らせた。
 
 屋敷にも帰らず、森などで過ごしていると言っていたレヴィア。
 (ひど)く腫らしていた頬と、防御反応。「家畜」呼ばわり。
 何らかの事情で、レヴィアは屋敷の者に捕まらぬよう、居場所を転々としていたのだろう。
 仲が良かった園庭が建てたこの小屋にすら、長居はしなかったに違いない。

「こほん」
 物思いにふけっていたジーグに、アルテミシアが咳ばらいをしてみせた。
「痛っ!」
 ジーグと目が合ったとたん、アルテミシアはガバっと作業机に突っ伏し、声を上げる。
「いたたたた……」
「どうなさいました、リズィエ!」
 大げさに驚きながら、ジーグはアルテミシアの肩に手を添えた。
「背中の、傷が」
「痛いの?どんなふうに?あの、傷、診せてもらっても、いい?」
 慌てて駆け寄ってきたレヴィアに支えられながら、アルテミシアは顔をしかめながら上着を脱いだ。

「傷自体は、悪くなってない、と思う。けど」
 アルテミシアの背中を、レヴィアは優しくなでおろしていく。
「心と体は、つながってる、から。……きっとミーシャ、心が痛いんだよ」
「っ!」
 見開かれた若草色の瞳が、レヴィアを振り仰いだ。
「傷は、大丈夫」
「……レヴィ……」
「お茶、()れてくるね」
 うつむいてしまったアルテミシアが、どんな顔をしているかは、わからなかったけれど。
 「ありがとう」という(ささや)き声は、ちゃんとレヴィアまで届いた。
 
 春の野原のお茶に、(すみれ)の砂糖漬けを一欠片(ひとかけら)
 レヴィアが()れたお茶の、少し強い甘みと淡い(すみれ)の香りが、アルテミシアを満たしていった。
「おいしい……。レヴィ、ありがとう」
「あの、僕……。ここに、いてもいい、のかな」 
 力を入れて両手を結び合わせながら、レヴィアはアルテミシアとジーグを見比べている。
「当たり前だろう」
「当たり前だ」
 声をそろえて、アルテミシアとジーグがうなずきあった。
「レヴィアがいなければ、リズィエの傷を私が縫う羽目になる」
「ジーグになんてお断りだ」
「おや、私の裁縫の腕はご存じでしょう。リズィエが破いた晴れ着を、縫ってさしあげたことをお忘れですか」
「でも、結局、乳母姉(うばねえ)

、そのあと大惨事だったじゃないか」
「言葉遣いにお気をつけを。木登りをして破いたことが

したのは、問い詰められたときの

が下手だったからですよ。上達していないようですし、痛いとはどいう状態か身に染みるように、やはり私が」
「縫うのは布だけにしてくれ。レヴィじゃなきゃ嫌だ」
「僕じゃなきゃ、嫌?」
「もちろん。レヴィだからお願いするんだ」 
 パチクリと瞬きを繰り返していたレヴィアの瞳が、ゆっくりと輝いていく。
「僕、だから?」
「そうだよ、レヴィだからだ」
「……うん……」
 レヴィアの顔いっぱいに、それは嬉しそうな笑顔が広がっていった。
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