へそ曲がりの従兄(いとこ) -2-

文字数 3,256文字

 トーラ王子ふたりが天幕を出て行ってからもしばらく、ディデリスはただアルテミシアを見つめ、黙り込んでいた。

(……こういう顔をしているときは、下手にこちらから口を開かないほうがいいのだけれど……)

 それは、幼いころからの付き合いであるアルテミシアには、嫌というほど見慣れている「面倒くさい」表情。
 
 言いたいことはあるけれど、言葉にするのは(しゃく)に障る。
 かといって、他人から指摘されるのも面白くない。

 そう思っているときの顔だ。

 気が済むまで待とうとは思うが、さすがにこれは我慢比べの最長記録かと思うころ。
 やっとディデリスが表情を緩めた。 
「話したいことと聞きたいこと。どちらからにしてほしい」

(また面倒くさい物言いを)

 アルテミシアはこっそりとため息をつく。
 こういうときには、素直に望みを言って叶えられるはずもなく、かえって意地悪をされたりする。

(さて、どうしたら機嫌が上向くかしら)

「ディデリスが重要だと思うほうを、優先したいわ」
 自分のことをよくわかっている従妹(いとこ)に、ディデリスが満足の笑みを浮かべた。
「降参だ。……そうだな、聞きたいほうを先に済ませたい」
「わかった。あの仔たちをトーラで育てたのは、本当に偶然なの。偶然、野生種の卵が手元にもたらされたから」
 わずかに目を見張ったディデリスに構わず、アルテミシアは話し続ける。
「私がそのとき身を寄せていたのは、トーラでも北限の街だったの。極寒の地では育たないだろうと思ったけれど、帝国を追われた私の命運を、その卵に託したいという気持ちもあったわ。けれど、一番の理由を挙げろと言われれば」
 アルテミシアは腕を伸ばして、ディデリスの手を握った。
「ディアムズの卵を見たら育てたくなるのは、サラマリスの習性みたいなものじゃない?」
 翡翠(ひすい)の瞳がはっきりと丸くなり、ディデリスはそれは楽しそうに笑い出した。
「ははは!本当に敵わないな。俺の知りたいことがよくわかったな」
「それ以外に、ディデリスが聞きたいことなど、あるかしら」
「ある」

(竜以外に?……ディデリスがこだわっていたのは……)

 再会したチェンタの夜に交わした言葉を、アルテミシアは懸命に探る。
「……レヴィアのこと?」
 ふいと目をそらしたディデリスを見て、たたみかける勢いで問われた言葉がよみがえった。

――なぜ(あるじ)と仰ぐ。そいつさえいなければ、お前は帝国へ戻るのか――

「なぜ、レヴィアを(あるじ)と仰ごうと思ったのか、よね。一言では語れないけれど、命をつなげてもらったから、かしら。……そういえば」
 アルテミシアが軽くディデリスをにらんだ。

も、ずいぶんとおふざけが過ぎたわよ?お酒も飲んでいなかったのに」
「ふざけたわけでもなかったが……。お前が生きていて、会えたことにはしゃいでしまったんだ。悪かった。お前を失っていた二年間は……」
 握られているアルテミシアの手を寝台に戻して、ディデリスはその頭に手を置く。
「俺の人生など、どうでもいいものだった。チェンタで元気でいるお前を見たとき、どれほど嬉しかったか」
 微かに震える手でアルテミシアの頭をなでるディデリスから、「嬉しい」と言われるのは二度目だ。
 それは、意地っ張りでへそ曲がりな従兄(いとこ)が見せる、精一杯の素直さ。

(本当に、仕方がない人)
 
 アルテミシアは諦め許す笑顔になった。
「次は本当に許さないわよ?」
「わかった。ふざけたり

しない」
「約束よ?」
「約束だ。だが、命を救われたというのなら、チェンタの老師にも恩はあるだろう」
「ジーグから聞いているのね」
「簡単にだがな」
 鼻白むディデリスを見て、ジーグはいつもどおり、のらりくらりとはぐらかしたのだろうと、アルテミシアは察する。
「もちろんボジェイク老師には、いつかご恩返しをしたいと思っているわ。でも、(あるじ)と仰ごうと思ったのはレヴィアなの。故郷と定めようと思ったのはトーラなの。そうしたかったから、としか言いようがないのだけれど。そして、トーラでなければ、あの仔たちを育てることはなかった」
 そこまで一気に話したアルテミシアが、大きな息を吐く。
「ディアムズの卵が手に入ったこと。極寒の地で育ったこと。すべてが偶然であり、縁だと思うの」
「何らかの思惑はなかったのか」
「思惑が持てるほど、あの土地で竜が育つ可能性は高くなかったわ。本当に厳しい冬だったもの。それから、”帝国以外で竜を育てるな”という(おきて)があれば、きっと育てなかった」
「っ!」
 ディデリスが虚を突かれた顔で、アルテミシアを凝視した。
「……そういえば」
「ディデリスも気がついていなかった?サラマリスが帝国を追われるなんて、きっと誰も考えなかったものね。それでも」
 若葉色の瞳と翡翠(ひすい)色の瞳が絡み合う。
「そんな(おきて)があれば、反する行為はしなかったし、できなかったと思うの。けれど、”赤の系譜”にはそれがなかった」
「……確かに、どこにもない……」
 記憶を探って、ディデリスの目が細くなった。
「軍事の要である竜を育てるサラマリスは、常に謀略と隣り合わせだ。サラマリスが国を追われる、もしくは帝国外に身を隠すことなど、始祖のアルテオは予測していただろうに」
「竜化を秘匿とするくらいだものね。それで思ったの。アルテオはたまたま帝国の人間だったけれど、ほかの国の者だったのならば、そこで竜を育てたのではないかって」
「なるほどな」
「アルテオは、帝国のために竜を育てたわけではない。どこの国に竜が存在するかは、彼にとっては些末なことだった。扱い方を間違えずに、竜を道具にしない。それを守らせたかったのだと思うの」
「身の程を(わきま)えない、愚か者が力を得ようとすれば、途方もない災難に見舞われる」
「帝国が竜の力を利用してこれほどの権勢を誇るとは、アルテオも想定していなかったかもしれないけれど。アルテオの時代は”赤竜”ではなかったし、竜の数は、そうそう増やせるものではないから。……”黒の系譜”は、わからないけれど」
「そうだな」 
 ディデリスはふぅっと胸の息を吐き出す。
 
 アルテミシアは、竜を育てるためにトーラへ渡ったわけではない。
 「惨劇」で帝国を追われ、流れ着いたようなものだ。
 そこで手に入ったディアムズの卵を、ただ育てた。
 サラマリスだから。
 (おきて)も法もない以上、アルテミシアの行動は罪に問われるものではないし、第一、ディデリスは思う。

(俺も同じ立場であれば、育てずにはいられないだろう)

「了解した。では、もうひとつ聞きたい。……青竜が飛ぶ理由は?」
 瞬きを繰り返して無言になったアルテミシアを、ディデリスはじっと観察する。

(緊張……、いや、警戒しているのか。当たり前だな)

 トーラにいる竜は一頭ではなく、しかも、もう一頭は飛ぶと知っていたら。
 ディアムド皇帝も、アルテミシアと竜を帝国に戻すための行動を、いち早く取っていたに違いない。
 その利用価値は計り知れない、唯一の空飛ぶ竜。
 それが与える影響の大きさを、アルテミシアもわかっているだろう。

「ごめんなさい。これという理由は思い当たらないの。私とジーグも驚いたくらい、で……」
「ん?どうした」
 呼吸が浅くなり始めたルテミシアをよく見れば、額に脂汗が浮き始めている。
「痛み止めが切れたのか。……第二王子を呼ぼう」
 立ち上がろうとしたディデリスの(そで)を、アルテミシアの指が弱々しくつかんだ。
「大丈夫。ディデリスの話が、終わってからでいいわ」
 眉間にシワを寄せて、痛みを堪え揺らぐ若葉色の瞳がディデリスを見上げている。
「お前は本当に」
 慈しむとしか言いようのない表情を浮かべて、ディデリスはゆっくりとアルテミシアの髪をなでた。

(話の腰が折られるのを、俺が好まないから……)

「そんなに我慢をしてまで」

(俺の気持ちを優先してくれるのか)

 紅色の巻き髪がかかる額の汗を手の平で(ぬぐ)い、優しく口付けてからディデリスが立ち上がる。
「少し待っていろ」
 幼子をあやすように紅色の髪をなでつけているディデリスは、穏やかな目をしてアルテミシアに笑いかけた。
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