主人と従者-2-

文字数 1,975文字

 初夏の陽射しに澄み渡る青空の下、レヴィアは難しい顔をしながら、種々の作物が勢いよく茂り始めた畑を見ている。

「どうした。何か問題があるのか?肥料なら、言われたとおりに()いておいたぞ。足りないものでもあるのか」
 畑仕事を終えたジーグが、まくり上げた(そで)の肩口で汗を(ぬぐ)いながら近づいてきた。
「ありがとう。問題は、ないよ。ジーグ、ずいぶん慣れたしね」
「剣も(すき)も同じようなものだと思ったのだがな。自分に苦手な分野があると知るのは、いい経験だった」
「うん、そう、なんだね」
 ジーグの横顔に隠しきれない悔しさを見て、レヴィアはこっそりと笑いを噛みしめる。
「必要な物があるなら、市場で見繕(みつくろ)ってくるぞ。それとも、また一緒に行くか?」
「ううん、もう、いい。欲しいものも、ない」
「ならば、心配なことでもあるのか」
「うん。……あのね」
 レヴィアはしばらく言い淀んでいたが、辛抱強く待ってくれるジーグに、思い切って口を開いた。
「……どうして、傷、(ふさ)がらないんだろうね。今のままだと……」
 治療し始めてかなりの時間が経つというのに、ジーグが処置する(さらし)には、いまだに痛々しく染み出した血が付着している。
「もしかしたら、また、悪くなっちゃう、かも。……直接、診てみたいんだ、けど」
 乾いた風がレヴィアの前髪を吹き上げ、ジーグを見上げる漆黒の瞳が露わになった。
 だが、ジーグは遠くを見つめたまま、目を合わせようとはしない。

 春先に出会ってから、季節はもうすぐ夏を迎えようとしている。
 だというのに、ジーグは怪我人の姿をちらりとも見せようとはしなかった。
 居室に薬湯(やくとう)を運んでも、扉はジーグの体が通れる最小限の幅しか開くことはない。
 行動の端々に、「会わせたくない」というジーグの意志を感じて、強くは言えないレヴィアだった。
 だから、畑から戻り、小屋の扉を開けたすぐ目の前の椅子(いす)に腰かけている人を見たとき。
 レヴィアもジーグも一瞬動けず、扉を閉めることさえ忘れてしまっていた。
「……※※※※!」
(りぜ?)
 焦りをにじませるジーグの声を、頭のなかで反芻(はんすう)するレヴィアの目の前で。
 ジーグがずっと隠していた

が立ち上がった。
 
 無造作に着ている下男用の上着から、血の気が戻った手足がすらりと伸びている。
 腰のあたりまでを覆う深く(あか)い巻き髪は、咲き始めのバラのように瑞々(みずみず)しい。
 そして、その瞳はキラキラと光る若草色で……。

(……キレイ……)
 レヴィアは息をするのも忘れて、

を見つめていた。
 ほんの少し目じりの上がる、美しい猫のような目が柔らかい弧を描く。
「ふふっ。あなたがレヴィア、だな?」
 少したどたどしく、まだ弱い声のトーラ語は、春告げ鳥の初鳴きを思い起こさせた。
「※※※※※」
 歩き出そうとした

を、ジーグが押しとどめる動作をする。
「ジーグ。ここはトーラだろう」
 ディアムド語を使ったことを(とが)められたジーグは、はっとした様子で頭を下げた。
「まだ傷は癒えてはおりません。安静にしていらっしゃらないと」
「ん。だから、レヴィアと話がしたかったんだ。どうせジーグが門番のように立って、中に入れないのだろう」
「……ですが……」
「レヴィアは信用のおけない者か?」
「……いいえ」
「レヴィアは(よこしま)な心を持つ者か?」
「いいえ」
「レヴィアは私たちを詮索(せんさく)し、利用する者か?」
 ジーグは思わず顔を上げる。
「いいえ!だからこそ、なるべくこちらの事情を背負わせたくないのです。知らなければ、知らないと言い張れますから」
「知らないと言わなければならなくなったとき、それはもはや、言っても無駄な状況だろう。そうなったら、私がレヴィアを守る。私のすべてで守ってみせる」
「え……?」
(守る?僕を、守るって言ったの?……守る)

 自分に言ってもらえたのだろうか。聞き間違いではないのだろうか。

 春告げ鳥から目を離さず、レヴィアは心の中で何度もその声を繰り返した。
 レヴィアが考え込んでいる間も、若草色の瞳から微笑は消えない。
「僕は、大したことは、できない、けど」
(自分が持っているもの全部、この人のために使いたい)

の傷を、診せてくれる?」
「りぜ?……ああ」
 イタズラを仕掛けてくる猫のように笑う

に、レヴィアの心臓がまた震えた。

は、……トーラ語では頭目とか(おさ)という意味かな。私の名は、アルテミシアというんだ」
 「長」と聞いて、レヴィアはこれまでのジーグの態度に納得がいった。
(この人は、ジーグの主人なのかな)
「あーてみ?み、しぁ?」
 口ごもりまごつくレヴィアを見て、アルテミシアはクスクスと笑う。
「トーラの者には発音しにくいのか。ミシア、とでも呼んでくれ。これで自己紹介がすんだな。さて、傷を診てもらえるか?レヴィア」
 親し気に笑いかけてくれるその人に、レヴィアはドギマギとしながらうなずき返した。
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