主人と従者-2-

エピソード文字数 4,577文字

 初夏の陽射しが、澄んだ空を輝かせている朝。
 レヴィアは難しい顔をしながら、種々の薬草が勢いよく茂り始めた畑を見ていた。
「どうした。何か問題があるのか?肥料なら言われたとおりに、まいておいたぞ。足りないものでもあるか」
 畑仕事を終えたジーグが、まくり上げた(そで)の肩口で汗を(ぬぐ)いながら近づいてくる。
「ありがとう。問題は、ないよ。ジーグ、ずいぶん上手になったね」
 レヴィアに小さな笑みが浮かんでいた。

 市場へ出かけるたび、かなりの額を稼いでくるジーグだが、土仕事に慣れるまでには時間がかかった。(くわ)ひとつ振るうにしても、思い通りにならないようだ。
「同じ刃物、なのになあ。自分に苦手な分野があると知るのは新鮮だ」
 困惑しながら、ほんの少しの強がりを見せて(くわ)を見つめるジーグの横顔は、レヴィアに親しみを覚えさせた。

「必要な物があるなら、今度市場で見繕(みつくろ)ってくるぞ。また一緒に行くか?苗でも買ってくるか?」
「ううん、もう、いい。欲しいものも、ない」
 レヴィアは、また視線を遠くに投げた。
「…傷、どうして(ふさ)がらないんだろう。今のままだと…」
 治療し始めてだいぶ経つというのに、ジーグが処置する(さらし)には、いまだに痛々しく染み出した血が付着している。
 レヴィアが濁した言葉の後を、ジーグが続けた。
「また状態が、悪くなるかもな」
 レヴィアはうなずく。
「直接、診てみたいんだ。本当は」
 濃いまつ毛に縁どられた、大きな黒い瞳が、まっすぐにジーグに向けられる。
 琥珀(こはく)の視線が横に逃げた。

 ジーグは怪我人の姿さえ見せようとはしなかった。
 居室に薬湯(やくとう)を運んでも、扉はジーグの体が通れる最小限の幅しか開くことはない。
 怪我をしている本人と、直接会わせるつもりはないのだろう。
 レヴィアは半分諦めている。
 だから畑から戻り、小屋の扉を開けたすぐ目の前の椅子(いす)に腰かけている人を見たとき、レヴィアもジーグも一瞬動けず、扉を閉めることさえ忘れてしまっていた。
「…****!」
 ジーグの声に、珍しく焦りが混じる。
(りぜ?)
 耳で拾ったままの音を、レヴィアは胸に繰り返す。
 ジーグがずっと隠していた「その人」が立ち上がった。
 無造作に着ている下男用の上着から、血の気が戻った手足がのぞいている。咲き始めの薔薇のように瑞々(みずみず)しい、深く(あか)い巻き髪が腰の辺りにまで流れていた。布に包まれて存在さえ確認できなかった瞳は、若草色をした美しい猫のようだ。
「レヴィア、だな?」
 ジーグよりもほんの少したどたどしく、まだ弱い声のトーラ語は、春告げ鳥の初鳴きを思い起こさせた。
 何の言葉も出ず、ただ見上げうなずくレヴィアに微笑みかけ、歩き出そうとする「その人」をジーグが止める。
「******」
「ジーグ。ここはトーラだろう」
 ディアムド語で話したことを穏やかに(とが)められ、ジーグははっとした様子で頭を下げた。
「申し訳ございません。ですがまだ動かれては。怪我は()えてはおりません」
「ん。だからレヴィアと話がしたかった。どうせ、ジーグが門番のように立って、中に入れないのだろう」
「…ですが…」
「レヴィアは、信用のおけない者か?」
 春告げ鳥の声が静かに問う。
「…いいえ」
「レヴィアは、(よこしま)な心を持つ者か?」
「いいえ」
「レヴィアは、私たちを詮索(せんさく)し利用する者か?」
 ジーグは思わず顔を上げる。
「いいえ!だからこそ、なるべくこちらの事情を背負わせたくないのです。知らなければ知らないと言い張れますから」
「知らないと言わなければならなくなったとき、それはもはや、言っても無駄な状況だろう。そうなったら私はレヴィアを守る。私たちを助けてくれた者を、私のすべてで守ってみせる」
 昔からの友人のような、親愛のこもった瞳がレヴィアに注がれた。
(守る…?)
 レヴィアの目は(まばた)きしながら揺れる。
(僕を?守るって言ったの?…守る?…守る)
 自分に言ってもらえたのだろうか。聞き間違いではないのだろうか。
 レヴィアは春告げ鳥の言葉を、心の中で何度も繰り返す。
 再び目を上げると、若草色の瞳は変わらず、微笑みながら自分を見ていた。
 レヴィアの胸の奥がじんわりと温かくなる。
「僕は、大したことは、できない、けど」
 でも自分が持っているもの全部。この人のために使いたい。
 誰かの瞳をきれいだと思ったのは初めてだ。他者から「守る」と言われたことも。
―レヴィアを守ってみせる―
 春告げ鳥の声がゆっくりと、深く。レヴィアの心に刻み込まれていく。
 レヴィアは若草色の瞳を見つめ返した。
「“りぜ”の傷を、診せてくれる?」
「りぜ?…ああ」
 イタズラを仕掛けてくる猫のような目をして、その人は笑う。
「“リズィエ”は、何だろう…。トーラ語で言うと頭目とか(おさ)、という意味かな。私の名は、アルテミシア」
 「長」と聞いて、レヴィアはこれまでのジーグの態度に納得がいった。この人はジーグの(あるじ)なのだ。
 そして教えてもらった名前を呼んでみる。
「あーてみ?み、しぁ?」
 口ごもりまごつくレヴィアに、若草色の瞳に笑みが浮かぶ。
「トーラの者には発音しにくいのか。ミシア、とでも呼んでくれ。傷を診てもらえるか?レヴィア」
 気取らない微笑みを浮かべるその人を見上げ、レヴィアはこくり、とうなずいた。

 全身に及んでいるアルテミシアの怪我は、ほとんどが治りかけていた。
 その多くが火傷(やけど)だったようだが、刃物に()るものだとはっきりとわかる背中の傷は酷かった。
 深く刃がおよんだと思われる部分は、いまだ痛々しく傷が開いている。
火傷(やけど)が、多かったんだね」
 直接傷を診ても、レヴィアはなぜ、とは聞かなかった。
「だいぶいいと思う。でも…」
 傷を診た際に使った用具を片付けながら、レヴィアは言葉を止める。
「レヴィア?“でも”、の続きは?」
 黙り込んだレヴィアを、背中越しにアルテミシアが振り返った。
「…ミーシャの背中、縫ったほうが治りは早い、と思うんだ」
 傷を(おお)(さらし)を巻き直していたジーグの手が止まり、そのままの姿勢でレヴィアを凝視する。
「傷を縫ったことがあるのか?」
「うん。足に怪我をした、山猫を」
「山猫?それでそいつはどうした」
「手当てが早かったから、すぐ、森に帰れたよ。ほんとの傷を縫ったのは、そのときくらいだけど。本のとおりに、獣の皮とかで、練習はしてる」
「本?医術書か。見せてもらっても?」
 下男用の上着をかぶり終えたアルテミシアにうなずき、レヴィアは作業部屋の棚から、一冊の分厚い本を持ってくる。
「へぇ。ずいぶんと古いが、実に詳細だ。多分これほどのものは、ディアムドにもないな」
 アルテミシアはじっくりと、その本に目を通す。
 そこには種々の薬草や、怪我や病気の症状別の施術(せじゅつ)方、治療方などが、ふんだんな図解とともに載っていた。
「レヴィアはこれが読めるのか?」
 聞かれたレヴィアはこくりとうなずき、アルテミシアが見ている薬草の項目を読み上げた。
「ニガヨモギ。多年草。浄血(じょうけつ)造血(ぞうけつ)、胃の不調を和らげる効果有り」
 レヴィアが話す柔らかな響きの言葉を聞きながら、アルテミシアは本の文字を指でたどる。
「アガラム語、かな?」
「そうですね。さすが医薬術の進んだ国の本です」
 ジーグも本をのぞきこみ、レヴィアにアガラム語で尋ねた。
「アガラム語の読み書きはできるのか」
 レヴィアも同じ言葉で答える。
「できるけれど、話すのは得意じゃあないの。発音がよくわからないから。…?何かおかしいかしら?」
 ジーグにまじまじと見つめれ、レヴィアはきょとんとした表情を浮かべた。
「アガラム語は誰から?」
 ジーグがトーラ語に戻り尋ねる。
「母さまが、話してた」
「そうか。だからか。お前のアガラム語は女性言葉だから、とても柔らかい」
「…変?」
 不安が浮かぶレヴィアの頬に、アルテミシアがすっと指を伸ばした。
 その指が触れる瞬間、レヴィアは肩をびくりと震わせ、わずかに体を引いた。
「あ!…あの、ごめん、なさい」
 謝りながらうつむくレヴィアの瞳には、(おび)えがあった。
 アルテミシアとジーグはそれを見逃さずに、視線を交わし合う。
 アルテミシアはそっと指を戻した。
「驚かせたか。悪かったな。許してもらえるか?」
 穏やかな声で謝罪するアルテミシアに、レヴィアはうつむいたまま小さくうなずく。
「レヴィアのアガラム語は変じゃない。私はアガラム語をそんなに理解できないけれど、とても可愛い」
 珍しくはっきりと。機嫌を(そこ)ねたレヴィアの顔が上がった。
「可愛いって…。僕とミーシャって、三つ違うだけ、なんでしょう?」
 幼く見えるレヴィアは、大人びた雰囲気を持つアルテミシアを前にすると、年齢差以上に年下に見えてしまう。
 トーラ(なま)りで、ミシアをミーシャと呼ぶのも可愛らしさに拍車をかけているのだが、指摘すれば直そうとするだろうから、アルテミシアは黙っている。
「そうだな、すまない。腕の良い医薬師殿に使う言葉ではなかった」
 アルテミシアはほんのりと微笑んだ。
「私のトーラ語はジーグが先生だからな。乱暴だろうが許してくれ」
 レヴィアはむっとした表情を戻して首を(かし)げた。
 そうした仕草は、やはりレヴィアを(いとけな)く、可愛らしく見せる。
「乱暴では、ないよ。女の人にしては、きっぱりした話し方、だけど」
「“キッパリ”か。男性的、という感じか?」
「ちょっと、違う。飾らないとか、かっこいい、かな。ミーシャに、似合ってる」
「やっぱり男っぽいんじゃないか」
 わざと半眼でにらむ振りをするアルテミシアに、レヴィアは思わず小さく笑った。
「違うよ。(おさ)っていうのが、ぴったりする感じ、だよ」
 飾り気のないレヴィアの言葉が、アルテミシアの瞳を緩ませる。
「レヴィアは私が出会った中で、一番腕の良い、誠実な医薬師だな。その医薬師殿が勧めるのだ。施術をお願いしよう」
「リズィエのご意思ならば反対は致しません。ただ、どういう治療をするのか。詳細を聞かせて欲しい」
 和やかな二人の脇で、ジーグは渋く顔をしかめていた。
「施術のとき、痛みを感じないように、シビレ薬と、眠り草を使う」
 レヴィアは医学書を開き、傷の縫合(ほうごう)と、使う薬草の組み合わせが載った部分をジーグに見せる。
「けど、もう少し、体力が回復しないと。体が、薬に負けちゃう」
 ジーグは恐れ入るような太い息をついた。
「まったく。お前と話していると不思議な気分になる。十四歳という年齢だけでも、その知識技術に驚きはするが、まして…」
 ジーグは言葉を止めるが、言いたいことはよくわかる。
 言外に幼い容姿を指摘され、レヴィアはむすっとしてジーグを見上げた。
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