騎士の決断  

文字数 3,262文字

 急ぎ首都へ戻る国王を見送ると、レヴィアはすぐに、師匠ふたりが待つ小屋に戻った。
「あれ?ミーシャは?」
「野暮用で少し出ている」
「ヤボヨウ?」
獣狩(けものが)りにな」
「そうなんだ!じゃあ、今夜は、ミーシャの獲物を調理するんだね!」
「調理は終わらせてくるだろうが、食卓には出ないぞ。口に入れたら腹を壊す。……本物の料理でも、やめておけ」
「え?」
 大きな目をさらに丸くしながら、レヴィアはジーグを見つめる。
「それより、何か聞きたいことがあるんじゃないのか?」
「うん、そう、だけど」
「聞いておかないと、あとでは答えないかもしれないぞ?」
「そ、それは、困る」
 アルテミシアの行方については気にかかったが、それよりも、もっと大きな気がかりは。
「いつから、父上が国王だって、知ってたの?」
「確信できたのはここ最近だ。……本当だぞ?」
 自分の間近に陣取って座り、じっと目をそらさないレヴィアに、ジーグは薄く笑ってみせる。
「街で用心棒を請け負ったときに、」
「え、用心棒?」

(仕事、大道芸だけじゃなかったんだ)

「用心棒は情報収集にうってつけだ。さまざまな(うわさ)が入ってくる。大体、ただの隠し子に、こんな屋敷は用意しないだろう。あんなに熱心に教育も受けさせない。残念ながら、

教師連中はクズばかりだったがな」

(いや、命の保証はされてなかったか。食料は、ほぼレヴィア自身が調達していたし、機会があれば、あの家令が……)

 (なまり)色の目をした、あの表情の読めない男を思い出せば、ジーグの眉間には深い溝が刻まれる。
 
 国王に呼ばれたときには、すでに辞去する準備を終えていた、あの家令の用意周到さ。
 扉から漏れ聞こえてくる国王の問い(ただ)しに答える平坦な声にも、なんの動揺も感じられなかった。
 使用人たちから盗み聞いた立ち話などを照らし合わせても、レヴィアの食事を「作るな」とは命じていないようだ。
 「必要ない仕事はしなくていい」または「食材の無駄をなくせ」など。
 いくらでも申し開きができる言葉しか、使われていない。

(食事の用意はさせないが、レヴィアが食料庫に入ることには、ある程度、目こぼしをさせていた。生かさず、殺さず。そのうえで使用人どもの差別感情を(あお)り、行動

。……胸糞悪い)

 あの家令は何者なのか。
 正体を暴く前にいなくなることは残念だが、今のところ、あの家令がこれ以上、レヴィアの脅威となることはないだろう。

「それと、お前のアガラム語」
 物思いを中断して、ジーグは続ける。
「女性言葉だと言ったがな、特徴的な言い回しを使っている。おそらくお前の母は、アガラム国でも高貴な家柄の出自だろう」
「母さまの、出自……。考えたことも、なかった。逃げてばっかりだったから」
 次から次へと新しいことを知らされ、レヴィアは目をぱちぱちと(またた)くばかりだ。
「仕方ないさ」
 突然、春告げ鳥の声が聞こえてきて、レヴィアは戸口を振り返る。
「あんな奴らを相手にしてたら、自分は誰かなんて考えるより先に、逃げたくもなる。逃げて正解だしな」
 戻ってきたアルテミシアは、頭巾(ずきん)を取りながら長い深紅の髪を引っ張り出して、襟巻(えりまき)を外した。
 その袖口(そでぐち)に血が飛び散っているのを、レヴィアは目敏く見咎(みとが)める。
「ミーシャ、怪我したの?獲物、暴れた?」
「ああ、うんうん、ちょっとやり過ぎた。それにしても、レヴィアはよく耐えた」
 アルテミシアが何気ない仕草で(そで)を折り曲げると、たちまち血痕は見えなくなってしまった。
「でも、もう終わったことだ。そうだろう?使用人どもはどうすることになった?家庭教師連中は?辞めさせるだけじゃヌルいだろう?仕返しでもしようか」
 怒涛の質問攻めに、レヴィアは目をぱちくりとさせる。
「えと、家庭教師は、ミーシャたちにお願いすることになったよ。だから、仕返しはいらないよ」
 眉を下げるレヴィアに、アルテミシアはクスクスと笑った。
「使用人は?」
「あの人たちは……。残ってくれて構わないって、言ったんだけど、みんな謝るばっかりで。料理人のひとりは、姿も見せなかった。家令は、父上が別室に呼んで、やっぱり辞めるんだって。それでね、屋敷すべての手配を、僕に任せるって。ここでミーシャたちと暮らすだけなら、何も必要ないけど。僕、ここ好きだし」

 おいしいということ。
 たのしいということ。
 うれしいということ。
 初めてをたくさん経験した作業小屋を、レヴィアは懐かしそうな目をして見渡した。

 レヴィアの頭に、ジーグの大きな手が乗せられる。
「お前は一国(いっこく)の王子だろう。手伝ってやるから、少しずつ整えていけ」
「そっか、手伝って、もらえる……。うん!」
 
 ひとりじゃない。
 

とともにあることが、「日常」となっている。
 
 そう実感できたレヴィアの顔が、ぱっと明るくなった。
「じゃあ、ミーシャとジーグの部屋を、屋敷に用意しなくちゃ」
「それは必要ない。私たちは屋敷には住まないからな」
「えっ、どうして?!」
 レヴィアの喉が、ひゅっと鳴る。
「陛下のおっしゃっていた、

というやつだ」
「どこかへ行くの?もしかして、故郷とかに、帰るの?!……僕の先生は?……続けてくれないの?」
 レヴィアの声は段々と小さくなり、その表情は、ひとり留守番を言い渡された幼子のようだ。
 
 アルテミシアがレヴィアの前に立ち、不安そうなその顔から目を離さずに、ゆっくりとひざまずく。
「どこにも参りません、殿下。今までのご恩義は、この身に深く刻まれております。どうか私たちを、殿下の兵としてお召しください。私たちは貴方(あなた)の手足となり、そのすべてをお守りいたします。兵は兵舎に。(あるじ)と同じ屋敷に部屋など持ちません」
 ジーグもアルテミシアから少し下がって片膝をつき、レヴィアを見上げた。
「殿下の行く末が平坦なものでなくとも、私たちがその道中をお支えいたします。どこまでも、ともに参りましょう。陛下から何かお話は?」
「そのうち、首都に呼ぶって言われた。兄上と、姉上がいる、みたいなんだけど……」
「殿下は、トーラ国を()べるレーンヴェスト家のことは、何かご存じですか?」
 ジーグから問われたレヴィアは、力なく首を横に振る。
「ジーグの言ったとおりだね。僕は自分を、このトーラという国を、何ひとつ知らない」
 大きく深呼吸したレヴィアはアルテミシアとジーグの手を取り、立ち上がらせた。
「膝なんか、つかないで。父上もおっしゃっていたでしょう?『師として、友としてよろしく頼む』って。殿下って呼ぶのもなし。ミーシャ、ジーグ、これからも、僕の先生でいてください。もう、僕は逃げたりしないから」
「その意気やよし。……リズィエ」
 ジーグの問いかけるまなざしに、アルテミシアが覚悟のため息をつく。
「レヴィア。今までずっと、何も言わずにいてすまなかった。私たちは……。何を聞いても驚かないか?……(いと)わずにいてくれるだろうか」
「驚く、こと?……でも」
 ためらい言葉を探すアルテミシアに、レヴィアは微笑を送った。
「僕が、ミーシャたちを嫌うなんて、ないよ。絶対、ない」
 きっぱりと、確信をもって。
 いつも遠慮がちなレヴィアとも思えない言葉に、アルテミシアの肩から力が抜けた。
「そうか、ありがとう。……私たちは、ディアムド帝国、皇帝直属の赤竜(あかりゅう)軍の竜騎士(りゅうきし)なんだ。だった、と言ったほうが正確だがな」
「りゅ、竜?おとぎ話の?」
 レヴィアの目が丸くなり、口がポカンと開く。
「ディアムド帝国には赤と黒、二色(ふたいろ)竜族(りゅうぞく)を中心にした、強力なディアムド騎竜(きりゅう)軍があり、『帝国の両翼(りょうよく)』と呼ばれている。屋敷の書庫には『ディアムド国史』もあったぞ。そこに記載があるはずだ。読んだことはないか」
 困ったような顔をするばかりのレヴィアの頭を、ジーグの手ががしっとつかんだ。
「これから忙しくなるな。やることも学ぶことも山のようだぞ。覚悟しろ?」
 脅かすようにのぞき込んでくるのに、その琥珀(こはく)の瞳は笑っている。
「よ、よろしくお願いします!」
 勢いよく頭を下げるレヴィアに、アルテミシアとジーグの笑い声が弾けた。
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