竜騎士たちの孤独 -2-

文字数 3,124文字

 両軍兵士に紛れ、辺りをうかがっていた男が集団から一歩身を引いた。
 革兜(かわかぶと)を目深にかぶったその(なまり)色の目に、疑惑が浮かんでいる。

(帝国の竜騎士?!……あの美貌、グリアーノ公が言っていた赤竜隊長か?)
 
 突如、戦場に現れた黒装束の竜騎士。
 血と(ほこり)、怒号の坩堝(るつぼ)にいても、その玲瓏(れいろう)さは侵されることがない。
 端正な美貌(びぼう)を艶めかしている、目元のほくろ。
 朝焼けのような朱色の髪に、極上の翡翠の瞳が遠目でも目を引く。
 その竜騎士が駆っているのは、(まだら)竜よりも小柄だが、素早さと身のこなしが(けた)違いの赤竜。
 
 斑竜(まだらりゅう)と逆臣の竜騎士のことは、完全なる隠蔽(いんぺい)工作がなされたと聞かされた。
 帝国が知る(よし)もないと。
 
(なぜ、帝国の竜騎士がここに来るんだっ)

 カーフレイの背に脂汗が流れる。

(……トーラと帝国の会談、これまでの不手際。……皇帝さえ無視できない小娘……)

 すべての疑問が繋がり、疑惑の薄皮がはがれ落ちていく。
 
 あの小癪(こしゃく)な小娘さえ捕えられれば、グイドなどどうでもいい。
 「悪魔の雫」の効力が薄れたころを見計らい、葬り去るつもりでいた。
 が、ここにきて、その計画に暗雲が立ち込めている。
 (なまり)目が見据える先で、小娘を仕留めようするレゲシュ兵たちを、帝国竜騎士がいとも容易(たやす)く跳ねのけていた。
 数の力を、絶大な力でねじ伏せている。
 
 うかつに手出しもできない相手だが、ここは戦場。
 必ず(すき)は生じるはずだ。
 あの小娘さえ、こちらの手に落ちれば。
 
 革兜(かわかぶと)の奥で薄暗い瞳を光らせながら、カーフレイは兵士たちの間に身を紛れ込ませた。

 アルテミシアの両手が操る短剣を、グイドは正確に受け止め斬り返している。
 だが、体術を絡めた変則的なアルテミシアの攻撃に、次第にその動きは精彩を欠いていった。
『まったく君はどうしてそう強いの、困るなあだから嫌いだよ、手に入れないといけないのに、だから伯父貴の阿呆臭い(くわだ)てにも乗ってやったのに、君は俺のモノにならないんだから仕方ないよね、俺は竜族の長なんてどうでもいいよ、君だけ手に入れば』
 グイドが(ふところ)から小瓶をもうひとつ取り出して、一息に(あお)る。
『ぅあああああああっ!』
 もがくように胸を搔きむしり、息を荒らげ、グイドは両手剣を激しく振るい始めた。
『お前は何でも持ってるじゃないか!ひとつくらい俺にくれたっていいじゃないか!全部失くしちまえ!それで俺にすがればいいんだ!お前さえ手に入れば俺はっ』

(”悪魔の雫”をさらに飲んだか)

 黒装束の竜騎士、ディデリスはルベルから身軽に降りると短い指笛を吹き、着火装置の鎖を引く。
『噴け!』
 ルベルの大量の揮発息が、再び辺りを火の海に沈めた。
「うわぁぁぁ!」
「ひぃぃぃ!」
 両軍兵士たちが逃げ惑い、竜騎士たちの周りに空白地帯が生れる。
『ねぇ早く俺のモノになりなよ、早く早く早く、ほら降参しろよっ敵わないって認めろよ!』
 狂気じみたグイドの攻撃に、防戦一方になったアルテミシアにディデリスは素早く駆け寄った。
 そして、その肩を抱き寄せ胸にかばう。
 向かい来る刃をいとも簡単によけたディデリスが、グイドのあごを思い切り蹴り上げた。
『ぐぁっ』
 仰向けに吹っ飛んで、グイドは大地を転がっていく。
『無事か』
『……フェティが……』
『わかっている。……少し待て。雑魚を消す』
 ディデリスは腕にアルテミシアを抱いたまま、指笛を吹いた。
 再び攻め寄ろうとしていたレゲシュ兵たちに、ルベルの(くちばし)と爪がお見舞いされていく。
『お前の竜も呼べ。名は?』
『ロシュ』
『良い名だ』
「弓兵部隊、用意!たかがふたりだ!」
 レゲシュ軍の弓兵たちが、一斉に竜騎士ふたりに向かって弓を引き絞った。
『用意はいいか?』
 ディデリスを見上げてうなずいたアルテミシアが、唇に指を当てる。
「「クルルゥゥゥー」」
 戦場に響いた指笛の二重奏に、二頭の竜が応えた。
「放てっ」
 二頭の竜は全速力で走り寄ると、相棒たちを守るように翼を広げて羽を膨らませる。
 何十もの矢が放たれて、竜の羽根に弾かれて落ちていく。
 そうして、ふたりの竜騎士は竜の翼の下に隠れ、戦場からその姿を消していった。

 天幕のように広げられた竜の翼に守られれば、戦場の喧騒や怒号が遠くなる。
『……フェティが……』
 ディデリスを見上げながら、再びアルテミシアが小さな声で訴えた。
『サラマリスだったばかりにな』
 ディデリスの指がアルテミシアの頬を優しくなでる。
 そこに確かな労りを感じて、アルテミシアは額をディデリスの胸にそっと寄せた。
『ルベルを連れてきてしまってよかったの?帝国は関係ないのに』
『未承認の竜は帝国由来だ』
『……証拠を見つけたのね』
『ああ。だから、片を付けよう。フェティを解放してやらないと』
 腰の小刀を抜こうとした手を押さえられて、ディデリスは尋ね顔で従妹(いとこ)見下(みおろ)す。
『あの赤竜家の面汚しは、”悪魔の雫”を死ぬギリギリまで摂取している。

にならないと』
『あなたの

は、今いないじゃない』

(お前なら解除できるがな)

『……知っていたのか』
『知らない。でも、わかるわ。あれだけカイ様をそばに置くのだもの。人嫌いのあなたが』
 久し振りに向けられた従妹(いとこ)の微笑に、ディデリスの胸がシクリと痛んだ。
『お前の

は、たびたびお前から離れていたようだが』
『知っていた?』
『わかるさ』
 
 そう、わかる。
 サラマリス同士だから。

 竜騎士たちは互いの瞳の中に同じ思いを見つけて、ため息をついた。
『アルテミシア竜で

になるのは初めてだから、正直、不安だけれど』
 アルテミシアは腰帯から小刀を取り出して、しみじみと眺める。
手練(てだ)れのスリに返してもらっておいて、よかったわ』
『借りただけだと言っただろう』
『貸してって言われてないもの』
『貸してくれてありがとう』
『もお。そんなことばかり言って』
 いまだにうずく傷にフタをして、アルテミシアがぎこちなく笑う。
『心配はいらない。解除以外の厄介事は、俺がすべて引き受けてやる』
『ええ、信じている』
『……まだ、信じてもらえるのか』
 ディデリスの指先が、小刀を握るアルテミシアの手に触れた。
 その、いつにないためらいがちな様子に視線を落とすと、ディデリスの手首には、

金の腕輪が光っている。
『本当に悪かった。お前に酷い、申し訳ないことをした。

しまうなんて』
『嫌いに

?……ふふっ、なにそれ、本当に最低。……でも』
 あまりにも従兄(いとこ)らしい謝罪に、アルテミシアが吹き出した。
『嫌いにはなっていない』
『……本当に?』
『ええ。嫌いになれなくて、それで……。それで余計に、つらかった』
 ディデリスの腕が(おび)えるように伸ばされ、拒絶されないとわかった刹那、力を込めてアルテミシアを抱きしめる。
『ごめんっ、アルテミシア!誰よりも大切なお前に、俺は』
『もう、いいの』
『……本当に?』
『それより、今はやらなければならないことがあるでしょう』
『そのとおりだが、でも』
『気が済まないというなら、償いをしてちょうだい』
『何が望みだ?』
『考えておくわ。すべて終わったらね』
『なんでもしてやる』
 うなずきながらディデリスの腕から抜け出ると、アルテミシアは小刀を握り直した。
『クラディウス・ドルカはどうしているの?』
『すべてを吐いたあと、廃人になった』
『廃人にさせた、でしょう?』
 閉ざされているふたりに、斑竜(まだらりゅう)の濁った鳴き声が届く。
『あの面汚しは意外にしぶといな』
『そうね、あの仔をまだ使う気なのね。……竜騎士に成るわ』
 短く鋭いアルテミシアの指笛に、ロシュが翼をたたむ。
『いい子。あなたの力を私に貸してね』
 アルテミシアの小刀がロシュの目の下の皮膚を傷つけ、同時に自分の手の甲を切り裂いた。
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