静かなる平原

文字数 2,071文字

 雨は上がり、重く垂れ込めていた雲も薄くなり始めている。
「あの子を助けられて良かったわ……」
 石碑をなでながら、ディアムド語でアルテミシアはつぶやく。
 
 抱き合って、無事を喜んでいた兄妹(きょうだい)は本当に愛しかった。

(フェドは、ラキスとフェティと同じ年だと言っていたわね……)

 もう逃がさないとばかりに、力いっぱいふたりを抱きしめていた母親の姿は切なくて。

(私はマイヤに抱きしめられたことはない)

「何を間違えたのかしら。どうしたらよかったの?どうすれば、フェティとラキスを助けられたの……?」
 アルテミシアは腰を下ろして石碑にもたれ、遠い地平線を見やった。

 何度考えても答えは出ない。
 何を聞いても、もう応えてはもらえない。
 虚しくて、虚しくて虚しくて、寂しくて。

 アルテミシアは束の間、息を止めて、もう手の届かない家族を思った。

 ふと気づけば、雲の切れ間から青空が広がり始めている。
「見て、ロシュ。虹よ!……きれいね……」
 (さえぎ)るものが何もない平原に、鮮やかな半円の虹がかかっていた。
「クルル、クルルルルーっ!」
 応えるようなロシュの鳴き声が平原を渡っていく。
 
 この静かな場所で、たくさんの血が流れた。
 カーフレイとイグナルの怨嗟(えんさ)
 そして、イハウの謀略。
 さまざまな欲望がとぐろを巻いて、グイドの(いびつ)な情愛と、多くの命を飲み込んでいった。

「ねえ、グイド。何もしてあげられなくて、ごめんなさい。貴方(あなた)の気持ちは応援していたのよ。本当よ」
 
 グイドがディデリスに思慕を(いだ)いていることはわかっていたし、彼も、アルテミシアに知られていることを受け入れていたと思う。
 ディデリスと引き合わせようとするアルテミシアに、「ありがとう」と、はにかんで笑っていたグイドが忘れられない。
 あのへそ曲がりの従兄(いとこ)は、憧れと恋情を寄せられることも多いが、それ以上に敵が多い。
 サラマリス家の竜騎士であることに加え、あの容姿とあの能力と、あの性格だ。
 過剰に崇拝されるか、毛嫌いされるか。
 先入観なくつき合ってくれる、カイ・ブルムのような存在は、本当に稀なのだ。
 そして、それはアルテミシアも同じ。
 サラマリス家の自分に、友と呼べる者など帝国にはいない。
 「赤の惨劇」で死んだとされたときに、「アルテミシア」を思って泣いた人間がいるだろうか。
 この特徴的な容姿のせいで、「竜術の体現者」と(あが)められ、また忌避される。
 だが、その両極端な評価は、どちらも「アルテミシア」に対してのものではない。
 赤竜家の竜騎士へのもの。
 

の女に対してのもの。
 情を向けられた先のどこにも、「アルテミシア」はいない。

「竜家の竜騎士は、なんだか哀れね」
 その(ささや)きは、石碑に眠るグイドと幼い弟妹(ていまい)へ贈る鎮魂歌。
 そして、遠い帝国いる従兄(いとこ)と自分への言葉。
 
(それでも、私にはジーグがいてくれたけれど)

 あの賢明で、厳しくも情け深い剣士が、常に「アルテミシア」に寄り添い続けてくれた。

(ディデリスにも、そういう存在がいてくれたら……)

 少しはあのへそ曲がりも治り、孤独が埋まるのではないか。
 血縁で縛られる自分ではなく、何のしがらみもない人間の心が、彼の意固地さを溶かしてくれるのではないか。
 そう、思っていたのだけれど。

「上手くいかないのね。情なんて、本当に抱かないほうがいいのかもしれない」
 アルテミシアは首を回し、冷たく濡れた石碑に頬を寄せた。
「私たちは竜のために生きて、竜のために死ぬのが役目。”情を持つな”という(おきて)は、”余計な苦しみを背負うことはない”という意味なのかもしれないわね」
 ため息を落とすアルテミシアの脳裏には、華やかなご令嬢たちに囲まれていた、レヴィアの背中が浮かんでいる。
 
 喜ばしい光景のはずなのに、なぜか心が痛んだ。
 見ていることができなくて、逃げることしかできなくて。

(レヴィアの幸せを喜んであげられなかった)

「……こんなに苦しいのは、どうしてなの。どうしたらいいの……?」
 アルテミシアはしばらく、グイドに話しかけ続けた。
 
 虹の消えた空に、夕方の気配が迫るころ。
 アルテミシアは勢いをつけて立ち上がった。
「帰りましょうか」
 その一声で、ロシュはアルテミシアが乗りやすいよう、座り込むほど体を低くする。
「優しいのね、ロシュ。大好きよ」
 その首をなでながらゆっくりと騎乗すると、先ほどより痛みはましになっていた。
「さて。(あるじ)と従者、どちらに怒られると思う?夜までには帰れそうだから、レヴィアとの約束は守れるわね。ジーグは……、少し”ヤバい”かしら」
「クルっ」
 知りませんよとでも言いたげに、ロシュが首をそらせる。
「あの子たちが療養所へ行っているはずだから、事情は伝わっているわね。そんなに怒られなくてすむと思うけれど」
 手綱(たづな)を回して、アルテミシアはもう一度石碑に向き直った。
「また来るわ。……おやすみなさい」
 夜を含んだ風がアルテミシアの頬をなでて、石碑の上を吹きすぎていく。

 ピィィーっ!

 鮮やかなアルテミシアの指笛とともに、ロシュがゆったりとした足取りで走り出した。
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