暗幕の内側

エピソード文字数 4,524文字

 長い長い話に一区切りつけたディデリスは、ぐったりと目を閉じるアルテミシアの額に手を当てた。
「熱があまり下がらないな。休むか」
 潤む瞳を気だるげに上げ、アルテミシアは首を横に振る。
「そのイハウ(なま)りの相手というのは、もしかして」
 ディデリスがうなずいた。
「イハウ連合国元首、イレニオ・グリアーノ」
 ジーグとカイが、同時に重い息を吐き出した。
 竜族の中に、敵国イハウと通じる者がいた。しかも相手は国家元首。
 帝国の基盤を揺るがす、大変な事実だ。
「確証はあるの?」
「わずかだがな。名乗っていないし、スチェパもイハウ元首だと認識していたわけではない。ただ風体と装身具を聞くとイレニオだ。出身が貿易商だけあって、スチェパは目敏く詳しい。“男の胸元に隠された紫の宝飾品”の話を、事細かにしていた」

 「イハウ(なま)りの男」にはその後二、三回お目にかかる機会があったが、一度だけ見慣れぬ、(えり)の高い外套(がいとう)を身につけていたことがある。
 「お仕事」の指示を受けに「赤い扉」の建物を訪れた際にたまたま行き合ってしまった相手が見せた迷惑そうな顔と、外套(がいとう)の前を合わせて隠した「紫の宝飾品」が目に焼きついた。
 本当に一瞬だった。
 だがその質の高さを見抜けないほど目は悪くない。使われている宝玉の種類、素材。どれも見たたことがないほど美しく、目が吸い寄せられるようだった。

「ああ、確かに。そりゃイハウ元老院章、元首の徽章(きしょう)だな。俺も実物を見たことはないが。スチェパの生家(せいか)は貿易商だろう。しかも黒にいたのに、知らないもんか?」
 カイは小首を(かし)げている。帝国の(まつりごと)や軍に関わる者ならば、当然持っている知識なのだが。
「表向き、帝国はイハウと交易はしていない。しかもあいつはろくでもない放蕩息子だった。黒竜も、いつでも()え変わらせるつもりの羽に栄養などやるまい」
「なるほど。裏の情報を教えるほど、親からも黒からも信用されてなかったんだな。スチェパの飼主については?」
 腹心の問いに、ディデリスの(まゆ)が曇った。
「出ない。いつも“悪魔”の一点張りだ。そこまでの操心術(そうしんじゅつ)を持つならば、領袖(りょうしゅう)家に近い者のはずだが、それこそ”確証”がない」
「それでも十分な事態だ。黒が関わったといっても、せいぜいニェベス止まりだと思っていたのに…。竜族の操心術(そうしんじゅつ)一家相伝(いっかそうでん)なんだものな。サラマリスのは気持ち悪いから、俺は嫌いだ」
 カイがあからさまに嫌な顔をする。
「安心しろ。お前には効かない」
「できるか。リズィエのはかかる」
「カイ様に?」
 アルテミシアは意外そうな顔をした。
「使ったことがありましたか?」
「にこにこ笑いながら、俺に差し入れを食わせましたよ。あぁ~思い出すと…。ごめんなさい。でも気持ち悪っ…」
 若干顔色も悪く、カイは胸を押さえている。
「それは術ではない。ただアルティの可愛らしさに(だま)されただけだ。あの毒物を、…!」
 額に当てられていたディデリスの手に、アルテミシアの爪が刺さった。だが痛くはない。引っかくほどの力もないのだと気付いたディデリスが、その手を優しく(さす)った。
「でも本当に、カイ様には使ったことはありません。私は、あまり得意ではないし」
 アルテミシアは小さな笑みを浮かべている。
「トーラではよく効いて、驚いたほど」
「へぇ?トーラは素直な人間ばかりですか」
馴染(なじみ)がないからだろう。術除(じゅつよ)けも心得てはいまい」
 冷淡なディデリスにカイが迫った。
「お前の術除(じゅつよ)けを教えておけ」
「断る。お前には効かない」
「それでも教えておけ。万が一もある。傀儡(くぐつ)のように動くのはごめんだ」
「…効かない相手が、もう一人いたがな」
 吐き捨てるようなディデリスの低い声に、カイが目をむく。
「嘘だろっ?!誰だ?」
 ディデリスは何も言わず、ただアルテミシアの手を握りしめる。
 チェンタでのレヴィアだ。
 気づいたアルテミシアは、すぐさま話題を変えた。
「ベルネッタ様は、イハウ元首について何かおっしゃっていた?ディデリス」
「いや、何も。彼女の話しぶりからすると、ニェベス家単独でイハウ勢力とつながっていると判断しているようだった」
「本当かぁ?」
 ベルネッタの話になると、カイは(はな)から疑り深くなるようだ。
「まあ、どうだかな。彼女がオズロイの話を寄こしたのは、まだスチェパを自白させる前だ。そういうことにしておきたいのか、まったく知らないのか。今の時点で判断はつかない。いずれにしても彼女から話がない以上、ゴルージャ以外の飼い主がいる事実を伝えることは、得策ではない」
「そうね」
 切れ者の従兄(いとこ)は過去の遺恨には縛られない。益になると思えば協力し合い、害になると思えば切り捨てる。
「ディデリスの判断に、間違いはないわ」
 全幅(ぜんぷく)の信頼を寄せるアルテミシアに、ディデリスは柔らかい表情を見せた。 
 従兄(いとこ)の気がそれたことにほっとしながら、アルテミシアは続ける。
「ドルカの異形の竜は、頭数調査前にイハウへ運ばれたのね。帝国外で(かくま)うことを説得したのがスチェパ・ニェベス。陰で糸を引いていたのが、イハウ元首と格上の黒竜家」
 ディデリスの瞳は肯定を浮かべていた。
「ドルカはそれまで、どこで竜の世話を?ディアムズならまだしも、竜になってしまってからは、さすがにアマルドの竜舎では無理でしょう」
「ドルカ領らしい。仔細(しさい)は不明だが赤の惨劇の後、ドルカ領で起きた大規模災害で、大勢の人間が死んだと報告されている。恐らく、災害などではあるまい」
「異形の竜の仕業なら、災害みたいなもんだけどな。一村絶えたという話だったな。…竜のせいだったのか…。現場を確認しに行ったのは、お前じゃなかったよな」
 カイの瞳が伏せられる。
「そのころ俺はカザビアにいたし、アマルドの赤竜軍はグイドの仕切りだった。お前まで報告が上がったのは、だいぶ後だったろう。その災害支援に黒竜家なのにニェベスが手を貸して、二次被害に巻き込まれながらもドルカを助けたっていう美談にされていたが」
 自分が表舞台から身を引いていたころの話をされても、ディデリスの表情は変わらない。
「異形の竜の犠牲者だ」
 アルテミシアから嘆き(いた)む息が漏れた。
「イハウ国は、トーラ・スバクル紛争に乗じて、あの仔たちを使ってスバクル侵攻を果たそうとしたのね。でもそれが成功したと仮定して、その後異形の竜をどうしようとしていたのかしら。ひとつ間違えれば、イハウ側だって無事では済まないわ。グイドはここを死に場所に選んでいたようだったし…。異形の竜の行く末までは…」
「それはわからない。スチェパもそこまでは知らされていない。ただ」
 ディデリスは瞬きもせずにアルテミシアを見つめる。
「未知の竜が現れたとなれば、帝国は無視できない。いくら(おきて)も法もないとはいえ、帝国に害があると判断すれば抹殺に動くだろう」
 不安そうな表情を浮かべる従妹(いとこ)の額に、ディデリスは口付けを落とした。
「アヴ―ルの流れを汲むあの陰気で陰険な男が、トーラの逆臣とスバクル統領家を結んだ。おそらくスバクル統領家とイハウを結んだのも、アヴールの者たちだろう。そしてイハウと黒竜族手先のスチェパ・ニェベスを結び、スチェパにそそのかされたドルカがイハウとスバクルに通じた。この絡み合った糸のような関係の中、スバクル侵攻に成功した後でスチェパを切り捨て、罪をレゲシュとドルカに押し付ける工作など、イハウには容易(たやす)いことだ。竜の始末は帝国にさせる。領土拡張を果たしたイハウには、帝国もおいそれと手が出せない。イハウだけが美味い果実を得る。これら辺りが筋書きだったろう。だがスバクル国内の反レゲシュ宗主勢が、トーラと共闘する道を選んだ。アガラム国も反レゲシュ支援に動き、トーラ王子軍は、予想を超えた能力を秘めていた。スバクル統領家は壊滅。イハウの野望は、金を使うだけ使って、完全に失敗に終わった。今ごろ元老院皆で雁首揃(がんくびそろ)えて歯噛みしていることだろう。…本当に熱が高い。苦しくはないか」
 火照っているアルテミシアの(ほほ)を大きな手のひら全体でなで、ディデリスが立ち上った。
「後は俺に任せろ。お前は惨劇の犠牲者で、異形の竜の始末をつけた功労者だ。繰り返し言う。トーラの竜について、帝国はその所有を主張しない。お前の竜だ。帝国に(あだ)なすものとも認識しない。安心して、今はまず傷を(いや)せ。また来る」
 アルテミシアはほっとしながらディデリスを見上げる。
「ええ、待っているわ。必ずね?約束ね?」
 幼いころとまったく同じ。再会を心待ちにしてくれる従妹(いとこ)の言葉に、ディデリスの表情が和らいだ。
 それはもう、そのまま泣いてしまうのではないかと思うほど。
「俺がお前との約束を(たが)えたことがあるか?」
 汗で額に張りついているアルテミシアの髪を、ディデリスは指に(から)めるようにしてなで続けた。
「ないわ」
 アルテミシアは従兄(いとこ)に信頼の笑顔を向ける。
「リズィエ。しばらくお辛いでしょうが、一日も早くお元気になられて下さい」
 何年か振りに見る、親友の心からの微笑に、カイの口元も緩んだ。
 カイの口付けを額に受け、アルテミシアがうなずいた。
「ありがとうございます、カイ様。面倒でしょうが、ディデリスのお相手をお願いいたします」
 カイが吹き出して笑う。
「ええ。お約束いたします。でも面倒ではないですよ。面倒くさい男ですけどね。俺は好きで付き合ってます」
 アルテミシアがゆっくりと腕を伸ばし、カイがその手の甲に唇を寄せた。
 突然、カイの横頭をディデリスがぐい、と押しやる。
 そのあまりの勢いに首を(ひね)ったカイが、むっとして体を起こした。
「何だよ」
「触れ過ぎだ。その手を放せ」
「礼儀だろう」
「普段そこまで礼儀を重んじる(たち)でもないくせに」
「サラマリスのリズィエに失礼できるか」
「ではサラマリスのリズィロが命じる。お前の礼節正しいのはわかった。もう十分だ」
 ディデリスはカイの襟首(えりくび)を引っ張り上げる。
「フリーダ卿、出立前に竜舎に。ゴルージャ・オズロイの話を聞かせてほしい」
「苦し…、やめろっ…。くっそー、次はリズィエの(ほほ)に口付けてやるからな」
 子どものようにヤキモチを妬く親友をなおからかいながら、カイが天幕から引きずり出されていく。
「ではリズィエ、俺たちはこれで!帝国での始末がついたらまた伺います!」
「お待ちしています」
 少年同士がふざけ合うように出て行く赤竜騎士を見送りながら、アルテミシアは吐息で笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み