暗幕の内側‐1‐

文字数 3,326文字

 長い長い話に一区切りつけたディデリスは、ぐったりと目を閉じるアルテミシアの額に手を当てた。
「熱があまり下がらないな。……あとは後日にするか」
 潤む瞳を気怠(けだる)げに上げ、アルテミシアは首を横に振る。
「そのイハウ(なま)りの相手というのは、もしかして」
 物問いたげなアルテミシアの瞳に、ディデリスがうなずいた。
「イハウ連合国元首、イレニオ・グリアーノ」
「なんてこと……」
 荒く胸を上下させて、アルテミシアは口を真一文字に結ぶ 
 
 竜族の中に、敵対するイハウ連合国と通じる者がいた。
 しかも、相手は国家元首。
 帝国の基盤を揺るがす大変な事実だ。

「確証はあるの?」
「わずかだがな。名乗っていないし、スチェパもイハウ元首だと認識していたわけではないが、風体と装身具を聞けばイレニオだ。出身が貿易商だけあって、スチェパは目敏く詳しい。『男の胸元に隠された紫の宝飾品』の話を、事細かにしていた」


 「イハウ(なま)りの男」にはその後、二、三回お目にかかる機会があったが、一度だけ。
 見慣れぬ(えり)の高い外套(がいとう)を身につけていたことがあった。
 『お仕事』の指示を受けに『赤い扉』の建物を訪れた際に、たまたま向こうが行き合ってしまったのだろう。
 迷惑そうな顔をしながら(えり)を合わせて、『紫の宝飾品』を隠していた。
 だが、一瞬目に入っただけで、スチェパにはわかる。
 使われている宝玉の種類、素材。
 そのどれも一級品だということに。


「ああ、確かに。そりゃイハウ元首の徽章(きしょう)だな。俺も実物を見たことはないが。でも、あいつの生家(せいか)は貿易商だろう。しかも、竜家に世話になってて、知らないもんか?」
 カイは小首を(かし)げている。
「当然、知ってそうなもんだが」
「表向き、帝国はイハウと交易はしていない。しかも、あいつはろくでもない放蕩息子だ。黒竜も(まが)い物の竜などに、必要以上の(えさ)はやるまい」
「なるほど。裏の情報を教えるほど、親からも黒からも信用されてなかったんだな。スチェパの飼主については?」
 腹心の問いに、ディデリスの眉が曇った。
「詳細は吐かなかった。『悪魔』の一点張りだ。そこまでの操心術(そうしんじゅつ)を持つならば、領袖(りょうしゅう)家に近い者のはずだがな。黒竜騎士の称号授与も、ゴルージャが間に立ったらしい。その

を誰が施したのかは、アレをもっても吐かない」
「相当強力な術ってわけか。……竜族の操心術(そうしんじゅつ)は、一家相伝だったか。ったく、サラマリスのも(たち)が悪いが、黒も大概だな」
「安心しろ。お前には効かない」
「安心なんかできるか。リズィエのはかかる」
「カイ様に?使ったことはないはずですが……」
 嫌な顔をしているカイを、アルテミシアは不思議そうに見上げる。
「にこにこ笑いながら、俺に差し入れを食わせましたよ。あぁ~、思い出すと……。気持ち悪っ……」
「それは術ではない。ただアルティに(だま)されただけだ。あの毒物を口にするとは、なかなか勇気がある。……!」
 額に当てられていたディデリスの手に、アルテミシアの爪が刺さった。
 だが、痛くはない。
 引っかくほどの力もないのだと気付いたディデリスが、その手を優しく(さす)った。
「でも、本当に、カイ様には使ったことはありませんよ。あまり得意ではないし。トーラではよく効いて驚いたほど」
「へぇ?やっぱりトーラは、素直な人間ばかりですか」
馴染(なじみ)がないからだろう。簡易な術除(じゅつよ)けも心得てはいまい」
「お前のは簡易じゃ防げない。術除(じゅつよ)けを教えておけ」
「断る。

のお前には効かない」
「それでも教えておけ。万が一、

を切られることだってある。傀儡(くぐつ)のように動くのはごめんだ」
「必要ないかもしれないぞ。……効かない相手がいたからな」
 吐き捨てるようなディデリスの低い声に、カイが目をむく。
「嘘だろっ。誰がそんな……」
 ディデリスは何も答えず、ただアルテミシアの手を握る力が強まった。

(チェンタでのレヴィアね)
 気づいたアルテミシアは、そっとディデリスをうかがう。

――邪魔をするな――
 あのときのディデリスの声震(せいしん)術は、かなり強力なものだったと思う。
 だというのに。
 レヴィアはそれをものともせずに、アルテミシアをかばい、背に隠してくれた。

(レヴィの自己制御は、過酷な幼少期の産物でしょうけれど)
 
 レヴィアの持つ事情を、ディデリスに悟らせることは得策ではない。
 そう判断したアルテミシアは、すぐさま話題を変えることにした。

 アルテミシアから(そで)を引っ張られたディデリスが、優しく問う瞳を向ける。
「どうした?」
「ベルネッタ様は、イハウ元首について何かおっしゃっていた?ニェベス家以外の黒竜家については?」
「いや、何も。彼女の話しぶりからすると、ニェベス家が単独で、イハウの

とつながっていると判断しているようだった」
「単独?イハウとのつながりが、ニェベス家に何の旨味があるんだ。それをわからないデリオンご当主でもないだろう」
 ベルネッタの話になると、カイは(はな)から疑り深くなるようだ。
「あの当時、ニェベスの使い捨てが激しかったからな。黒竜から離れるために、粗い仕事をしたのだろうと」
「ああ、今じゃニェベス家の人間は半減だものな」
「真相は(やぶ)の中だが。彼女がゴルージャの話を寄こしたのは、まだスチェパを吐かせる前だ。そういうことにしておきたいのか、まったく知らないのか。いずれにしても、彼女から話がない以上、こちらが持つ情報を渡す必要もない」
「そうね。……ディデリスの判断に、間違いはないわ」
 従兄(いとこ)の気がそれたことに、アルテミシアはほっとする。
「ドルカの異形の竜は、頭数調査前にイハウへ運ばれたのね。帝国外で(かくま)うことを説得したのが、スチェパ・ニェベス。陰で糸を引いていたのが、イハウ元首と格上の黒竜家」
 ディデリスの瞳に肯定を見て、アルテミシアはさらなる疑問をぶつけた。
「ドルカはそれまで、どこで竜の世話を?ディアムズならまだしも、竜には、それなりの設備が必要だもの。さすがにアマルドの竜舎では無理でしょう?」
「ドルカ領らしい。仔細(しさい)は不明だが、赤の惨劇の後、ドルカ領で起きた大規模災害で、大勢の人間が死んだと報告されている。恐らく、災害などではあるまい」
「異形の竜の仕業なら、災害みたいなもんだけどな。村がひとつ全滅したんだっけ」
 カイは苦り切った顔で腕を組む。
「そのころ、俺はカザビアで残務処理をしていたし、アマルドの赤竜軍は、グイドの仕切りだった。……お前が腐ってたからな……。その災害支援に、黒竜家なのにニェベスが手を貸して、二次被害に巻き込まれながらも、ドルカを助けたって美談にされていたが」
 カイから非難の目で見下ろされても、ディデリスの表情は変わらない。
「イハウ連合国は、トーラ・スバクル紛争に乗じて、スバクル侵攻を果たそうとしたのね。……あの仔たちを使って」
「ドルカ領からイハウへ毒竜を運んだのは、ニェベス家の破落戸(ごろつき)どもだ」
「そこでも使い捨てか……。黒のニェベスの扱いがひどいな」
「本当に」
 アルテミシアから、嘆き(いた)む息が漏れた。
「でも、それが成功したと仮定して、異形の竜をどうしようとしていたのかしら。ひとつ間違えれば、イハウ側だって無事では済まないわ。グイドは、ここを死に場所に選んでいたようだったし。異形の竜の行く末までは……」
「それはわからない。スチェパも、そこまでは知らされていない。ただ」
 ディデリスは瞬きもせずにアルテミシアを見つめる。
「未知の竜が現れたとなれば、帝国は無視できない。いくら(おきて)も法もないとはいえ、帝国に害があるかどうかを、判断しなければならないから」
 不安そうな表情を浮かべる従妹(いとこ)の額に、ディデリスは口付けを落とした。
「イハウ間者家の流れを汲む、あの陰気で陰険なネズミ男が、トーラの逆臣とスバクル統領家を結んだ。おそらく、スバクル統領家とイハウを結んだのも、その家の者たちだろう。あまりの手際の良さに、バーデレを疑ったが」
「バーデレがイハウに協力することはありません」
 ディデリスとジーグが交わす瞳に火花を見て、アルテミシアは慌てて従兄(いとこ)の手を引く。
「スチェパの話に出てくる『妖しい者』の瞳は、銀か灰色だわ」
「……わかっている」
 長い吐息を吐き出して、ディデリスはアルテミシアの頭をなでた。
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