美しく危険な男 -1-

文字数 3,870文字

 夜明け。
 分厚い布に(くる)まり、医療用天幕の外で座り込んでいたジーグが、前に立つ人の気配で目を開けた。
「……終わったか」
「捕縛した奴ら、片っ端から調べたんだけどな。レゲシュ宗主とカーフ、それから、セディギアの姿も見当たらねぇ。けど、収穫もあった」
 琥珀(こはく)の瞳で見上げられたラシオンが、ふぅっとため息をつく。
「お嬢曰くの”陰険無礼”の本名がわかったぞ。カーフレイ・セディギア。もしくは、アヴール」
「アヴール?」
 初めて聞く名に、立ち上がったジーグの眉間にシワが寄った。
「スバクルでは、そこそこ有名な一族だ。間諜(かんちょう)の技術においては、国一番だな」
「それがカーフと、どんなつながりが?」
「あいつの母親が、間者(かんじゃ)としてセディギア家へ入り込んでいたそうだ。その伝手(つて)で、セディギア家とレゲシュ家がつながったんだろう」
「では、カーフは……」
 意外な事実に、ジーグは言葉が続かない。
「そ。スバクルでも評判の美人だったあいつの母親は、セディギア家の使用人として働いているうちに、前当主のお手付きになったらしい。あいつこそ、スバクルとトーラの”混じり者”なんだ」 
「カーフの母の消息は?」
「レゲシュの奴らは、何も知らねぇようだったよ。ただ、カーフ自身、セディギアを名乗らせてもらってねぇだろ。こっちにも帰って来てねぇってんなら、な」
 
 ジーグはラシオンの話を聞きながら、あの曇天(どんてん)のような瞳を思い出していた。
 トレキバの屋敷で、使用人たちにレヴィアを捕まえろと命じている、あの憎々しげな視線を。
 あれはレヴィアに自分を重ねていたのか、それとも……。

「あと、あの厳重に監視させてる、帝国のチンピラがな」
「ニェベスか」
 我に返ったジーグの目が上がる。
「そんな名前なのか。……何を聞いても、だんまり決め込んでんだけど」
「聞くなど生温い。吐かせればいい」
 ジーグとラシオンは、いつの間にかすぐ後ろに立っていた美貌(びぼう)の男を、ぎょっとして振り返った。
「吐かせるって……」
 警戒しながら、ラシオンは赤竜隊長に向き直る。
 
 ただ立っているだけなのに、まったく(すき)が見当たらない。
 男から見ても美しいその顔からは、考えや感情が一切伝わってこなかった。

「拷問でもするわけ?」
「スバクル語は得意ではないし、トーラ語はさらになじみが薄い。ディアムド語で失礼する」

(いや、スバクル人並みだけど?)

 流暢(りゅうちょう)なスバクル語での断りに、ラシオンは心の中で舌を巻く。
『通常の拷問など、竜族の者には意味がない。今回の一件は、貴国とトーラ王国間の問題ではあるが、竜族の病巣(びょうそう)と深く絡んでもいる。ご許可いただければ、私が直接尋問しよう』
『竜族だって?!』
 ディアムド語で返しながら、ラシオンの声が思わず大きくなった。
『あの破落戸(ゴロツキ)が?竜族は、帝国では貴族中の貴族だろう?』
『竜族一家にも事情はある。それで、いかがだろうか。貴公が知りたいことは、すべて聞き出そう』
『……じゃあ、お願いするかな』
 当たり前のような顔をして「すべて」と言い切るディデリスに、ラシオンはそれ以上問うのをやめる。
『その間、俺たちは行方不明の三人衆を探せますしね』
『では、まず何を』
『そうだなぁ、レゲシュ家とイハウ国の関係かな。それから……』
 依頼を伝え、ラシオンはニェベスが監禁されている場所をディデリスに教えた。
『カイ・ブルム副隊長!』
『はっ』
 部下の顏をしたカイが、ルベルとエリュローンの手綱(たづな)を引いてやってくる。
『ルベルと先に行く。目的地へ到着後、周辺警護にあたれ。不審な者は捕縛。抵抗の度合いによっては、最終手段を取れ』
『了解です』
 竜騎士ふたりが騎乗する竜が、あっという間に小さくなっていった。
「依頼も場所も、さらっとしか言ってねぇけど」
 楽なトーラ語に戻って、ラシオンはふぅーっと息を吐き出す。
「あれで十分だ。依頼などは言わなくてもわかっていただろうし、それ以上のことを聞き出してくる。そういう男だ」
「はぁ~ん」
 ジーグとともに竜騎士を見送るラシオンの瞳が、すっと細くなった。
「そりゃおっかねぇ奴だな」
「ボジェイク老も同じことを言っていた」
「ますます怖ぇよ」
「……ジーグ」
 背後から聞こえた細い声に、同時に振り返ったジーグとラシオンは、目を見張った。
 一晩で面やつれたレヴィアが、天幕入り口にたたずんでいる。
「まだ、目は覚めていないけど……。入って、声をかけて。ジーグの声になら、応えるかも」
「じゃ、俺は探索に出てくる。……お嬢によろしくな」
 ラシオンはジーグの肩を強くぐっとつかむと、背を向けてひらひらと片手を振った。

 ジーグは足音を立てずに天幕に足を踏み入れると、アルテミシアの枕元に膝をついた。
「リズィエ……」
 血の気のない唇が薄っすらと開き、浅い呼吸が漏れている。
 頼りないその音は、耳を澄ませないと聞き落してしまいそうだ。

(レヴィアは一晩中、この音を拾い続けていたのか……)
 
 幽鬼のようだったレヴィアの目の下のクマを思い出して、ジーグの胸が痛む。
「寝ていないのだろう。少し休め。眠れなくても目をつむっていろ。心が死ぬぞ」
「怖くて……」
 ジーグの横に立つレヴィアの声が、震えている。
「怖くて、目を閉じることができなかった。ミーシャの息が、止まっちゃうんじゃ、ないかって……」
「私が見ている」
「……うん……」
 小さな足音が天幕の隅へと下がっていくのが聞こえて、ほどなくして、苦しげな寝息がジーグの耳に届いた。

「レゲシュ家騒乱」の首謀者の行方はつかめず、焦りと落胆を胸に、ラシオンはトーラ王国側の陣営へと戻った。

(ん……?)

 目の端に帝国の竜騎士の姿が映り、ラシオンは首を向ける。
『ああ、悪い。待たせたか』
『待ってはいない』

(すぐ俺に気づいたくせに?……ああ、なるほど)

 竜騎士が歩いてきた方向に目をやり、ラシオンは納得した。

(医療天幕のほうにいたのか)

『こちらも今しがただ。吐かせる量が多くて、処理に手間がかかった』
 詩でも(そら)んじているかのような美しいディアムド語に、その手法の苛烈さがにじむ違和感。
 ラシオンは

を悟られないように、表情筋を強張らせた。
 だが。
『う、そだろ……』
 ディデリスからの報告には驚きを隠せなかったラシオンは棒立ちになる。
『アレは今、嘘が言える状態にはない。すべて事実だ。……それから、帝国はこれ以上関与する立場にはないのだが』
 言葉を切ったディデリスに、ラシオンは正気を取り戻した。
『ああ、心得ている』
『だが、あんな者でも帝国竜族の者。然るべき手続きで裁く必要がある。貴国で用済みになり次第、連れ帰りたい。しばらく竜舎で待機させてもらう』
『でも、いつになるかは約束できない。一時帰国をしたほうが』
『いや、その間に決着がつく可能性も高い。我々の世話はいらない』
『そうはいかないだろう。帝国の竜騎士殿を(ないがし)ろにするわけには』
『いらない』
『だから、お前は言葉が足りないんだよ。ここにいたいって言えばいいだろ』
 影のように控えていたカイが、ディデリスの後ろ頭を叩く。
 その気安い態度に、ラシオンは目をぱちくりとさせた。

(へぇ、友人でもあるのか。ってか、友人がいるのか。副隊長殿は特殊性癖の持ち主か、もしくは極度の面食い)

『なあ、なんか失礼なことを考えていないか?』
『いやいや。ただ、ずいぶん親しいんだなって思っただけだ』
『妖しいな』
 口角をニヤリと上げたカイの横で、ディデリスがふいと横を向く。
『親しくなどない。ちょっとした恩があるだけだ』

(それを感じる時点で親しいんじゃないか?隊長殿は天邪鬼(あまのじゃく)なんだな。意外にカワイイところが)

『……貴公が敵であれば、即座に叩き斬るところだ』
『え、なんで?!』

(そんな顔に出てた?!)

『はは!トーラといいスバクルといい、素直な人間が多いなあ』
 とうとうカイが声を上げて笑いだした。
『まあ、取りあえずだ。悪いが、もう少し邪魔をさせてくれ。竜族を他国に任せきりにするわけには、いかないんでね。邪魔にならないようにするからさ』
 大らかで感じのよい副隊長に、ラシオンも笑顔になる。
『そういう事情なら、遠慮なく滞在してくれ。貴公らの活躍がなければ、スバクルはイハウが寄こした、あの”異形の竜”にやられていた。こっちは今から集まりがある。あいつの、ニェベスだっけ?の尋問内容を、伝えさせてもらう』
『……誠実なご対応、感謝いたしますよ』

(声が低くなった……。なるほど。副隊長も『帝国竜騎士』ってわけか)

 ラシオンがわずかに警戒したとたんに、カイから笑顔が消えた。

 陽が落ちるころ、トーラ国本陣に招かれたユドゥズ家宗主ジャジカは、トーラ王子軍の主だった面々を前に、姿勢を正していた。
「こちらの上席へ。ユドゥズ公」
 クローヴァが椅子(いす)を引いて誘うが、ジャジカは首を横に振る。
「内政の歪みに気づけず、貴国との(いさか)いを無駄に長引かせてしまった。私が上席に座る資格などない」
「しかし、それは我が国も同様です」
 クローヴァはジャジカに向き直った。
「裏切りを働き、民の苦しみをも搾取(さくしゅ)の手段としてきた者が、最たる重鎮として居座り続けていたのですから」
 そう言うとクローヴァは外の警備兵にも声をかけ、上下別のない円卓を(しつら)えた。
「さあ皆さま、どうぞご着席を。ご自由に、お好きな場所に」
 おどけて

礼を取ったクローヴァが、その場にいた一人ひとりと目を合わせていく。
「あなたのような美姫のお誘いを、断るわけには参りませんな」
 クローヴァに乗ったジャジカのその一言から、トーラ王国・スバクル領主国初の合議の幕が開けた。
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