へそ曲がりの従兄(いとこ) -3-

文字数 3,147文字

 急いでレヴィアが天幕に戻ると、浅い呼吸を繰り返していたアルテミシアが、額を押しつけていた枕から顔を上げた。
「……レヴィ」
「痛むの?」
「ん……。少し」
 レヴィアは汗ばむ首元に手を当てて、体温と脈を確認する。
「熱も上がってきちゃったね。……今日は、ここでおしまいにしたら?」
 休んだほうがいいとレヴィアはまなざしで伝えるが、アルテミシアは力なく首を横に振るばかり。
「大丈夫。だから……」
「……わかった。薬湯を準備するから、ちょっと待ってて」
 ジーグに水に浸した布でアルテミシアの首周りを清拭して冷やすように頼むと、レヴィアは天幕内に設えられているかまどの前に立った。
 ほどなく天幕を満たした爽やかな香りは、嗅いでいるだけでも体が楽になるようで。
 アルテミシアは詰めていた息をほぅと吐き出す。
「お待たせ。ゆっくり、飲んでね」
 寝台の枕元でレヴィアがひざまずくと、その背中で、ディデリスからはアルテミシアの姿が見えなくなった。
「もう一回。……ちょっとずつだよ。熱くない?」
 アルテミシアにかけられるトーラ語の意味は、ディデリスにはわからないものの、静かに歌うようで、労りに満ちている。

(治療の邪魔になるかと思ったが……)

 距離を取ったことを後悔しながら、ディデリスはレヴィアの背中に焦げ付くような視線を投げた。
 
「そのまま聞け」
 呼吸音にまぎれるほど密かに、アルテミシアが(ささや)く。
「スィーニの育成について聞かれたら、一切わからないと」
「……うん。よく飲めたね。……

かな?」
 得意の無表情を保ちながら立ち上がったレヴィアが、目の動きだけで帝国側を示してから、隣に立つジーグを見上げた。

だ。お前に抜かりはない」
 訳知り顔でうなずいたジーグに、レヴィアはほっと肩の力を抜く。
「もう少ししたら、効いてくるから。ちょっとの間、我慢して」
 なお心配そうなレヴィアに、アルテミシアが微笑みで応える。
「わかった。とっても良い香りがする薬湯だったな」
忍冬(すいかずら)を使ったんだよ。解熱作用があるんだ。ミーシャはこの香り、好きだと思って」
「ん。……今までで一番好き」
 熱に潤んだ瞳を笑ませるアルテミシアに、レヴィアも自然と笑顔になる。
「そう?なら、よかった」
 
 ふたりの親密な様子に、ディデリスの(こぶし)が震えた。
 重傷の(とこ)の中だというのに、アルテミシアはずいぶんと安らいだ顔で、第二王子と言葉を交わしている。

(……あんな顔は、

には見せなかったのに)
 
 その会話の内容を完全に把握できなことも、また忌々しくて。
 茶器を下げようとしたレヴィアを、追い払うような動作でディデリスが止める。
『王子の手を(わずら)わせずとも、後始末などはこちらでやろう』
『アルテミシアの薬を(せん)じるための道具です。医薬師でもない

の勝手にされては困ります』
 ディアムド語で冷淡に返したレヴィアは、一歩も引かずにディデリスのきつい視線を受け止めた。

(嘘だろ)

 レヴィアに殺気を向けるディデリスの横で、カイは驚きを隠せない。
 
 敬愛するひねくれ者の上官である友人が、これほどはっきりと苛立ちを表に出すとは。
 そして、その氷の牙をむく(ひょう)のような男を前にして、何食わぬ顔ができる人間が……、もうひとり存在するとは。
 その「ひとり」である稀代の剣士に目をやれば、どことなく得意げな表情をしている。

(なるほど。ガザビア剣士が育て上げた王子なのか。これはこれは)

『いったん作業台に下げておきます。……それでも目障りだとおっしゃるのならば、

で隠しておきましょうか』
 竜舎の前でディデリスから言われた、「チェンタでの茶の礼」に意趣返しをすると、レヴィアは振り返りもせずに天幕を出ていった。
 
 レヴィアを険しい目つきで見送り、アルテミシアの元に戻ったディデリスの顔が強張っている。
『痛みはどうだ』

(これは相当、虫の居所が悪そうね。レヴィアの嫌味がそんなに業腹だったのかしら。……そうよね。私だって、レヴィが嫌味を言えるなんて思わなかったもの)

 熱のこもる頭で、アルテミシアは次の一手に考えを巡らせた。
 スィーニのことは、ジーグが交わした「

」と言ったからには、ディデリスには聞かれていないはず。
 従兄(いとこ)は思惑どおりに物事が進まないことを嫌うが、話を途中にすることを彼自身が許し、レヴィアを呼んでくれた。
 ならば、やはり耳慣れないトーラ語での会話と、レヴィアから受けた反撃が不愉快だったのか。

(とにかく(なだ)めなくてはね)

 痛みを(こら)えながら体を(ひね)り、アルテミシアは両手を伸ばした。
『ディデリス』
 名を呼んで、その左手をぎゅっと握れば、翡翠(ひすい)の目元がぴくりと震える。
『待っていてくれてありがとう』
『……いや、いい。少しでも早く楽になれば』
『ええ。あなたのおかげよ』
『そうか』
 表情を緩ませたディデリスは小さな笑みさえ見せて、アルテミシアの手を両手で包み込んだ。
 

(まぁったく)

 機嫌の直った友人を横目に、カイは呆れた様子で鼻の下を(こす)る。

 これがアルテミシアがらみでなかったのなら。
 とっくに椅子(いす)を蹴って帰国しているだろうし、レヴィアには剣を抜いていたに違いない。

(以外に単純で可愛いんだよな。嫉妬したって認めりゃいいのに。ま、それができるような性格してたら、こんなにこじらせてないのか。そんなところに、この()(ほだ)されてるんだろうし)

 カイの(ぬる)いまなざしには気づかないまま、ディデリスは静かに切り出した。
『トーラの竜は、偶然の産物なのだな』
『そうね』
『青竜が飛翔能力を持つ理由は、不明なのだな』
『そうね。すべてが例外のなかで育った仔たちだから、どれがどう影響したのかわからないわ』
『お前が帝国に帰らないことについては』
 トーラ王国を故郷に定めたとは、それ以上に第二王子を(あるじ)と定めたとは、口が裂けても言いたくはなかった。
『明確な理由はないのだな』
『そう、ねぇ……』
 口ごもり、アルテミシアは視線をさまよわせた。
 
 ディデリスには「帰る場所がない」と答えたが、アルテミシアが望めば、帝国はいくらでも取り計らうだろう。
 それはわかっているが、レヴィアを守るためにトーラに残りたいのだ。
 帝国には一分(いちぶ)の未練もない。
 だが、守りたいと思った、その気持ちの()りかを探ろうとすると、心がざわついてしまう。
 なぜ、これほど胸が騒ぐのか。
 それはやはり。

『……わからないわ』
 ぼんやりとした様子のアルテミシアを見て、ディデリスは密かに胸をなで下ろした。
 
 アルテミシア自身、自らの気持ちをはっきりとは認識していないらしい。
 わかっていないのならば無いも同然。
 自覚する前に帝国に、自分の元に戻ると言わせよう。
 機会はこれから、いくらでもある。

『お前が帝国に仇成(あだな)す行為をしていないのならば、それでいい。第一、お前は”惨劇”の犠牲者で、皇帝陛下ご意思と帝国の歴史を踏みにじった、逆臣を粛清した功労者だ』
『……ディデリス……』
『だから安心して、まずは早く傷を治せ』
『ありがとう』
 微笑み合った従兄妹(いとこ)ふたりだが、すぐにディデリスの雰囲気が一変した。
『では、話したいことのほうだが』
 端正な人形のような顔になったディデリスが、アルテミシアを見下ろす。
『……すべてを知る覚悟は、あるか』
 アルテミシアはゆっくりと深呼吸をすると、ジーグをすぐ枕元に呼び寄せた。
『カイ、お前もこちらへ』
 ディデリスが声を落として、腹心の部下を招く。

――ここからは、さらに重要な話になる――
 
 それがディデリスの(かも)し出す雰囲気から伝わってきて、アルテミシアの心拍数が上がっていく。
『トーラ国のみならず、帝国であっても他言無用。これは赤竜族、赤の惨劇に深く関わる者のみ、知るべきもの』
 赤竜隊長の顏で、ディデリスは話し始めた。
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