リズィエの采配

文字数 4,066文字

 肩、腕、上半身、大腿部。
 服で隠れているほとんどの箇所に、(さらし)が何重にも巻かれている。
 下着の下に、さらに(さらし)を着こんでいるような有様だ。
 痛みと炎症を抑える塗り薬は良く効いているが、自由に歩けるまでにはいたっていない。

「申し訳ない……」
 深々と頭を下げるジーグを前に、ラシオンは苦笑いを浮かべている。
「いや、俺が悪かっ、いって!アスタ、そこすっごい痛いから!」
「ごめんなさいっ」
 ラシオンの肩に、新しい(さらし)を巻き直していたアスタが手を止めた。
「……このくらい?」
 慎重になった手つきに、ラシオンがほっと体の力を抜く。
「あー、そんくらいで。すまねぇな、手間かけさせて」
「いえ、姉弟子がごめんなさい。本当に、こんな大切な時期に」
 淡墨色の瞳が、申し訳なさそうに伏せられる。
「いやいや、純情お嬢をからかっちゃった、俺が悪かったからさ」
 (さらし)を巻き終えたスバクルの旗頭(はたがしら)は、上衣をそっと羽織りかけてもらいながら笑った。


 鷹と虎を相手にした二日酔いが治まったそのあとに。
 ラシオンを待っていたのは、アルテミシアの容赦ない手合わせだった。

「ラシオン、ずいぶんと体が鈍ってるんじゃないのか?つき合え」
 半眼のアルテミシアに襟首(えりくび)をつかまれて、引きずられていくラシオンの背に、脂汗が流れる。
 何しろ、最近は新生スバクルのために奔走(ほんそう)するばかりで、鍛錬からは遠ざかっている。
 家兵訓練でさえ顔を出せずに、レヴィア隊の面々に世話になっている状態なのに。

「うぉっ、え?お嬢、な、なんで?なんでこんな!」
 外の鍛錬場で、苛烈なアルテミシアの攻撃に、ラシオンは防戦一方だった。
「余計なこと教えたろう!」
 アルテミシアの重い蹴りが、見事にラシオンの鳩尾(みぞおち)に入る。
「ぐえっ。……余計な、こと?」
「レヴィにっ」
 鋭い肘拳がラシオンの胸を撃つ。
「ぐっ。……え、レヴィア?……は、はぁ~ん」
 何とか距離を取ったラシオンの口角が、にまりと上がる。
「あー、なるほどねぇ。とうとう殿下も、我慢の限界だったんだなぁ。

だったろう?なにしろ、俺が教えたんだからな。で、どこまで、」
「~っ!」
 真っ赤になったアルテミシアは倍速の攻撃を繰り出し、スバクル領主国は、危うく優秀な指導者を失うところであった。 


「さて、と。……ぐぅ」
 立ち上がろうとして、ラシオンの顔が激痛に(ゆが)んだ。
「あと三日後だが……」
 ギクシャクと歩くラシオンにジーグが肩を貸す。
「ああ、いいよ。俺はすみっこで座ってるからさ。仕切りはユドゥズ公がやってくれるし。ほかは任せとけって、トーラ王とアガラムの大公が請け負ってくれたから」
 
 トーラ王国、スバクル領主国、アガラム王国、チェンタ族長国。
 そして、ディアムド帝国。
 
 大陸の歴史始まって以来の大合議が、もうすぐ、この「ノアリエ」の街で始まろうとしてる。

(その意義を、リズィエがわかっていないはずがないんだが……)

 ラシオンを支え歩きながら、ジーグはふっと考え込んだ。

 ラシオンをカーヤイ領の屋敷へ送ったあとで。
 ジーグはノアリエの竜舎に顔を出した。
「ずいぶんと派手にやりましたね」
 上機嫌でロシュの世話をしている(あるじ)に、ジーグは胡乱(うろん)な目を向ける。
「ラシオンの腕が、あんなに鈍っているとは思わなくて」
 笑いながら言い訳をして、アルテミシアは従者を振り返った。
「でも、ヴァーリ陛下とマハディ大公が、大役を買って出てくださっただろう?スバクル側は、ユドゥズ公おひとりで十分だ。ラシオンはのんびりしていればいい。ついでにクローヴァ殿下とレヴィアも、のんびりできる。トーラ王国とアガラム王国を代表するおふたりの采配に、若輩者が口を出す必要はないからな。王子が表舞台に立たない以上、その竜騎士も裏方に回ろう。私は竜守番でもしているよ」
 
(なるほど)

 ジーグはアルテミシアの意図を悟る。

(ディアムド皇帝代理の外務官と、赤竜隊長率いる竜騎士たちの目から、極力隠しておきたいわけか。……さすが、リズの愛弟子だ)
 
 その配慮は、かなりの痛みをともなって、ラシオンに与えられたようだ。
 
 確かに、一国(いっこく)の王と大公が前面に出るのならば、王子の存在感は薄まるだろう。
 そして、それは動けないラシオンも同様。

「皇帝代理は、エンダルシア公がお務めになられるのだな」
 アルテミシアの声が硬くなった。
「そのようです」
「また相当な人物を寄越すな。当然といえば当然でもあるが、ディデリスとの遺恨(いこん)は、水に流したんだろうか……。この人選は、

ではないな」
 ロシュの首をなでていた手を止め、鮮緑(せんりょく)の瞳が遠くなる。
 
 帝国屈指の外務成果を誇るエンダルシア公の娘は、「アマルドの花」と呼ばれるほどの美貌(びぼう)を誇る、才女であった。
 だが、ディデリスは皇帝主催の夜会において、その大輪の花の誘いを無下(むげ)にも(そで)にしてしまったのだ。

――至高の令嬢ですら、ディデリス・サラマリスを振り向かせることはできない――

 首都は一時その(うわさ)でもちきりとなり、それ以来、ディデリスは「難攻不落の鉄壁の赤竜」などという、二つ名で呼ばれるようになったのだ。

「エンダルシア公は、外交手腕は確かな人物です。その人選に不思議はありませんが……。よく

が了承したかと」
 
 広まった(うわさ)については、エンダルシア公は無視を貫いた。
 だが、すぐに娘をサラマリス家と同格の貴族に嫁がせ、(おい)の婚約者として、アルテミシアを打診してきたのだから、かなり腹は煮えていたに違いない。
 そして、その見合い話を知ったディデリスは、本気で外務官を失脚させる行動を起こした。
 アルテミシアが気がついたときには、すでに成功していたも同然で。
 「手を引かないなら見合いを受ける」とアルテミシアが脅さなければ、エンダルシア家は没落の憂き目に遭っていたかもしれない。
 
 そんな確執がある、帝国で屈指の力を持つふたりを黙らせることができる人物。
 それは帝国では、いや、大陸広しといえども、たったひとりしかいない。
 
――ディアムド帝国、皇帝テオドーレ――
 
 (あるじ)と従者は同じ人物を脳裏に思い描きながら、声に出すことはしなかった。

「来るからには仕方がない。対策を考えておかないと」
 やれやれとアルテミシアはため息をつく。
「エンダルシア公もだが、ディデリスが何を考えているかだな。特に、竜に関して」
 声を落とした(あるじ)に、ジーグは体を寄せた。
「何を議題に上げると思いますか?」
「まず、竜の頭数制限あたりだろう。異形の竜のことがあったから、当然、帝国でも規制は厳しくなっているはずだ。……こっちは二頭だけれど、私ひとりで育ててしまったからな」
「黒の領袖(りょうしゅう)家、マレーバの抵抗があるのでは?」
 答え合わせをするような従者に、アルテミシアはニヤリと笑う。
「本来、帝国はこの合議に参加する必要はない。賠償は済んでいるし、四ヶ国同時に対立するならばともかく、個々の国としては、帝国の相手ではないからな。それなのに、なぜわざわざ来ると思う?」
「そうですね……」

の一番の理由は、リズィエがいるからだろうが)
 
 推量は飲み込んで、ジーグは続ける。
「これだけの国と和平協約を結ぶことができれば、軍事力拡張を主張し続けてきた黒竜家への、強い牽制(けんせい)となります」
「そのとおり」
 アルテミシアはうなずくが、顔色は冴えない。
「そこまでは、私ですら考えつく。だが、相手はディデリスだ」

(一応は理解を示してくれたけれど……。私が帝国に戻らないことを、本当には納得していないでしょうね)

「……スィーニを、知られてしまったからな……」
「リズが、ボジェイク老に話をつけてきてくれました」
 頼もしい名前を聞き、アルテミシアの口角が上がる。
「それは心強い」
「必要があれば、私はイハウに潜ります」
「その必要がないように心がけよう。ジグワルド」
「はい」
 ひざまずこうとしたジーグをアルテミシアは止めた。
貴方(あなた)は従者かもしれないが、トーラではまず、師匠でいてほしい」
 レヴィアと同じ願いを口にするアルテミシアに、ジーグの表情が緩む。
「それでも、私の(あるじ)は生涯、リズィエ・アルテミシアです」
「ありがとう。では、師匠で従者の、ジグワルド・フリーダ・バーデレ。私の決意を、貴方(あなた)に最初に話したいと思う」
「光栄です」
 ジーグは(かかと)をそろえて、背筋を伸ばした。
「これ以降、私は竜仔は育てない。トーラは竜ではなく、人に頼るべきだ。国を越えた絆を築き、未来を目指す。そういう国であって欲しいし、そのために尽力しようと思う」
「素晴らしいご決断です」
 ジーグの大きな手が幼いころのように、ポンポンとアルテミシアの頭を優しく叩く。
「力を笠に着て、相手を牛耳(ぎゅうじ)ることは容易(たやす)い。英知を信じることは困難ですが、それこそが、人のあるべき姿でしょう」
「レヴィアも賛成してくれるだろうか」
「リーラ妃殿下の教え、”持つ者は持たない者と分け合う”。あの精神こそ、人の英知です。幼いころよりそれを叩きこまれていた殿下に、心配はいりません。それに」
「ジーグ?」
 アルテミシアは目を丸くして、稀代の剣士を見上げた。
「レヴィア殿下は、リズィエの決断に反対はなさらないでしょう。場合によっては、説得を試みるかもしれませんが。恋に落ちた男なんて、そんなものですから。……?」
 顔を赤くして、だが、すぐに憂い顔をする(あるじ)に、ジーグも眉を曇らせる。
「リズィエ?」
「”ジグワルド、でもね……”。いや」
 思わず出てしまった故郷の言葉を、アルテミシアは無理やりトーラ語に戻したようだ。
「なんでもない。こちらの話だ」
 きっぱりと潔く。
 何かを諦めているアルテミシアに、ジーグは密かにため息をつく。

(竜族の秘匿に関わること、か)

 初めての恋に、浮かれていてもおかしくないというのに。

(こんな顔をさせる何かが、まだあるというのか)

 竜族の(とが)を、一身に背負わされているような(あるじ)が不憫で。
貴女(あなた)の行末がどんな道であろうとも。私がお側を離れることはありません」
 出会ったころから変わらない従者の誓いに、アルテミシアは薄い微笑で応えた。 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み