遺された腹心-2-
文字数 2,868文字
場数を踏んだ戦士にあるまじき顔で、ダヴィドが息を飲む。
「ジーグ殿!……いつから、ここに?」
「ドナトが親方に挨拶していたあたり、か」
足音を忍ばせてふたりに近づいたジーグが、恭 しく頭を下げた。
「素晴らしいご手腕です、カリート様。私はジーグ・フリーダ。以後お見知り置きを。早速ですが
「ああ、うん……」
無意識に手の中の
「ここ数日の間、ということだね。……そういえば。
ジーグとダヴィドは無言で、短く視線を交わし合った。
いくら探してもつかめなかった男の痕跡を、こんなところで発見できるとは。
「
「カリート様は、カーフにお会いしたことがおありでしたか?」
最近まで地方都市で暮らしていたはずのカリートに、ダヴィドの首が傾 ぐ。
「カーフというのか。まだ、おじい様がお元気でいらしたときのことだけれど……。ともに招かれた王宮で見かけたことがあるんだ。その際、メテラ様の家庭教師だとも伺った」
「おいくつのころですか」
暗い馬房でも目を引く、金の目が見張られた。
「四つか五つのころ、かな。メテラ様もまだお小さかったのに、ずいぶん厳しい指導がなされていて、王族とは大変なものだなと思ったよ」
「そんな幼いころに……。よく今、ご判別なさいましたね」
ジーグは声に感嘆を乗せる。
「右に湾曲 している背中に見覚えがあった。左右で肩の位置が違っている。ああいう特徴は変わらないからね」
「カリート様は、人物特定がお得意ですものね。私の変装も一発で見破られましたから」
「髪だけ変えたってすぐわかる」
「いやいや、大抵の者は騙 されてくれますよ。気づかれたのはカリート様と、大笑いして咳き込んでいらっしゃった、クローヴァ殿下くらいです。父ですら、”お前はそんな顔だったか。普段は覆面 で会うから忘れていた”と、こんな顔で強がりを」
「ふふっ」
ギードの顔真似をするダヴィドに忍び笑うカリートの隣で、ジーグはあごに指を当てた。
「カーフ・アバテがセディギア家に……」
「アバテ?彼はアバテ家の人間なの?でも、あの家は……」
そのつぶやきを聞き咎 めたカリートが、ジーグを見上げる。
「ああ、前の流行り病の折り、ほぼ断絶した家系ですね。なんでも、彼はその生き残ったひとりだとか」
「それは表向きだ」
放り投げるようなカリートの口調に、ダヴィドが姿勢を正した。
「……と、いいますと?」
「アバテ家の生業 を知っている?ダヴィド」
「はい。セディギア家の抱 えている医薬師一族の中でも、特に贔屓筋 だったと記憶しております。処方できる薬の種類も多く、貴族方の信も厚かった。ですが、医薬師一族でも、あの流行り病には勝てなかったと、当時」
「タウザー家が討ち果たしたんだ」
「……!」
ダヴィドの視線を避けるように顔をそらして、カリートは続ける。
「トゥクースで病が蔓延 したのと同じ時期、タウザーの者も次々亡くなったのは知っているだろう。アバテの医薬師は流行り病だと言ったが、おじい様は疑った。病の死に方ではないと。おじい様と父上は調査を続け、スバクル国境付近で、持込み禁止の薬草を持っていた商人を捕えた。そして、その商人が白状したんだ。”アバテ家からの注文だ”と」
「本当、ですか?……その薬草とは」
「悪魔の爪」
「麦角菌 か……」
ほぼ吐息で伝えられたその名前に、ジーグが低く呻 いた。
「知っているの?」
目を丸くするカリートに、ジーグは重くうなずく。
「帝国では、かつて大規模な中毒がありました。そのため、麦角 小麦への対策が広く講じられているのです」
「そう。帝国では既知なんだね。……流行り病は初期の高熱と、その後、体中に広がる黒班 が特徴だろう?タウザーの者も、手足にその症状が現れたが、熱はそれほど出なかった。焼かれるような痛みを訴えて、錯乱 のなか死んだ者も多い。アバテは”体力自慢のタウザー一族の特徴でしょう”と言ったらしいが、そこにこそ、おじい様は疑いを持った。武家一族はタウザーだけじゃない。けれど、調べてみても、タウザーと同じような死に方をした者はいなかった。……ダヴィドは知っている?」
「申し訳ありません、不勉強で……」
「いや、トーラに汚染がないのは幸いだ。あの中毒は酷 い。私も、ディアムドでの人並の知識しかなかったが、レヴィアから教えてもらった。アガラムでは薬として用いることもあるらしいが、毒性が強い。上級医薬師にのみ、使用が許されているそうだ」
「フリーダ卿は、殿下を呼び捨てにするの?」
カリートの眉がひそめられる。
「レヴィア殿下がそうお望みなのです。ジーグ殿は、レヴィア殿下の師匠ですから」
「だとしても、曲がりなりにもレーンヴェスト王家の王子に対して……。あとで言い分を聞かせて。それで私が納得できなければ、態度を改めてほしい」
ダヴィドの取りなしにも気後れすることのないカリートを、ジーグは好ましく思いながら、うなずいた。
「畏 まりました。それで、討ち果たしたとは?証拠が出たのですか」
「すまない。これ以上は、こんな場所では話せない。とにかく、アバテ家でその件に直接関わった者は討たれ、事情を知らず追放処分で済んだ者も、その家名は捨てたと聞く。だから、トゥクースに”アバテ”は存在しないはずだ」
(しかし、アバテを名乗る者が、アッスグレン家に家令として入り込んでいた。ダヴィドはアバテ討伐 を知らなかった。ということは、その処遇は、公にはされなかったのだろう。アッスグレンは知らず迎え入れたか、何か思惑があったか。追放者が戻ってきたと仮定しても、貴族暗殺の罪で裁かれ捨てた家の名を、わざわざ名乗る必要があるのか。……セディギア家のお抱 え医薬師。……禁止薬草の密売)
ジーグはカリートから預かった紙包みを隠す、懐 部分に手を置く。
「明日以降、ドナトとテオが外へ出かける用事はあるか」
偽名で問われたダヴィドとカリートが顔を見合わせた。
「ここの馬を一頭、セディギア家の親戚筋に届けるよう、言いつかっています」
「場所はどこだ」
ダヴィドが近くの屋敷街 を答える。
「そうか。……途中、橋を通るな。よし、その日残念ながら、テオは事故に遭ってこの世を去る」
「預言者でも気取っているの?」
「違いますよ」
口の端を上げたジーグは、不審そうなカリートとダヴィドを、ごく間近まで招き寄せた。
※麦角菌 イネ科植物の穂に寄生する菌類。含まれている「麦角アルカロイド」は強い血管収縮作用があり、手足が真っ黒になり壊死してしまう場合も。神経毒性もあり、中世において「魔女」の原因とされていたり、研究過程において幻覚剤が発見されたことなどで有名。
「ジーグ殿!……いつから、ここに?」
「ドナトが親方に挨拶していたあたり、か」
足音を忍ばせてふたりに近づいたジーグが、
「素晴らしいご手腕です、カリート様。私はジーグ・フリーダ。以後お見知り置きを。早速ですが
成果
を受け取りましょう。……それと、ダヴィドが留守にしていた間に、特別お気づきになったことはありますか?」「ああ、うん……」
無意識に手の中の
もの
を渡したカリートが、我に返る。「ここ数日の間、ということだね。……そういえば。
あのご主人
が相手にするには、ずいぶんと地味な客の訪問があった。あれは、アッスグレン
の家令だと思うんだ」ジーグとダヴィドは無言で、短く視線を交わし合った。
いくら探してもつかめなかった男の痕跡を、こんなところで発見できるとは。
「
ご主人
は屋敷には通さず、通用門近くで応対していた。あの背中は、彼だと思う」「カリート様は、カーフにお会いしたことがおありでしたか?」
最近まで地方都市で暮らしていたはずのカリートに、ダヴィドの首が
「カーフというのか。まだ、おじい様がお元気でいらしたときのことだけれど……。ともに招かれた王宮で見かけたことがあるんだ。その際、メテラ様の家庭教師だとも伺った」
「おいくつのころですか」
暗い馬房でも目を引く、金の目が見張られた。
「四つか五つのころ、かな。メテラ様もまだお小さかったのに、ずいぶん厳しい指導がなされていて、王族とは大変なものだなと思ったよ」
「そんな幼いころに……。よく今、ご判別なさいましたね」
ジーグは声に感嘆を乗せる。
「右に
「カリート様は、人物特定がお得意ですものね。私の変装も一発で見破られましたから」
「髪だけ変えたってすぐわかる」
「いやいや、大抵の者は
「ふふっ」
ギードの顔真似をするダヴィドに忍び笑うカリートの隣で、ジーグはあごに指を当てた。
「カーフ・アバテがセディギア家に……」
「アバテ?彼はアバテ家の人間なの?でも、あの家は……」
そのつぶやきを聞き
「ああ、前の流行り病の折り、ほぼ断絶した家系ですね。なんでも、彼はその生き残ったひとりだとか」
「それは表向きだ」
放り投げるようなカリートの口調に、ダヴィドが姿勢を正した。
「……と、いいますと?」
「アバテ家の
「はい。セディギア家の
「タウザー家が討ち果たしたんだ」
「……!」
ダヴィドの視線を避けるように顔をそらして、カリートは続ける。
「トゥクースで病が
「本当、ですか?……その薬草とは」
「悪魔の爪」
「
ほぼ吐息で伝えられたその名前に、ジーグが低く
「知っているの?」
目を丸くするカリートに、ジーグは重くうなずく。
「帝国では、かつて大規模な中毒がありました。そのため、
「そう。帝国では既知なんだね。……流行り病は初期の高熱と、その後、体中に広がる
何を
とは言われなくても、ダヴィドはカリートの問いかけを正確に把握した。「申し訳ありません、不勉強で……」
「いや、トーラに汚染がないのは幸いだ。あの中毒は
「フリーダ卿は、殿下を呼び捨てにするの?」
カリートの眉がひそめられる。
「レヴィア殿下がそうお望みなのです。ジーグ殿は、レヴィア殿下の師匠ですから」
「だとしても、曲がりなりにもレーンヴェスト王家の王子に対して……。あとで言い分を聞かせて。それで私が納得できなければ、態度を改めてほしい」
ダヴィドの取りなしにも気後れすることのないカリートを、ジーグは好ましく思いながら、うなずいた。
「
「すまない。これ以上は、こんな場所では話せない。とにかく、アバテ家でその件に直接関わった者は討たれ、事情を知らず追放処分で済んだ者も、その家名は捨てたと聞く。だから、トゥクースに”アバテ”は存在しないはずだ」
(しかし、アバテを名乗る者が、アッスグレン家に家令として入り込んでいた。ダヴィドはアバテ
ジーグはカリートから預かった紙包みを隠す、
「明日以降、ドナトとテオが外へ出かける用事はあるか」
偽名で問われたダヴィドとカリートが顔を見合わせた。
「ここの馬を一頭、セディギア家の親戚筋に届けるよう、言いつかっています」
「場所はどこだ」
ダヴィドが近くの
「そうか。……途中、橋を通るな。よし、その日残念ながら、テオは事故に遭ってこの世を去る」
「預言者でも気取っているの?」
「違いますよ」
口の端を上げたジーグは、不審そうなカリートとダヴィドを、ごく間近まで招き寄せた。
※麦角菌 イネ科植物の穂に寄生する菌類。含まれている「麦角アルカロイド」は強い血管収縮作用があり、手足が真っ黒になり壊死してしまう場合も。神経毒性もあり、中世において「魔女」の原因とされていたり、研究過程において幻覚剤が発見されたことなどで有名。