リズィエの答え

文字数 3,569文字

 若草の瞳は丸くなったまま、瞬きもせずにレヴィアを見つめている。
「……あの、嫌、だった……?」
「嫌、じゃ、ない、けど」
「けど、なぁに?」
「心臓が、止まりそう……」
 
 潤んでいる瞳と艶めく唇。
 アルテミシアはその全部でレヴィアを射抜いた。

(……愛しい……)

 かつての孤独も痛みも、アルテミシアに会うために必要だったのなら。
 生まれてきてよかったと、レヴィアは初めて「魂の岸辺」にいる母に感謝を捧げた。
 
「僕の好きの種類、わかってくれた?まだわからないなら」
 再びレヴィアの唇が迫り、アルテミシアは慌てて顔をうつむける。
「わかった!……わかった、から……」
「本当に?じゃあ、今度は」
 おとがいに指をかけて顔を上げさせると、レヴィアは熱を持ったアルテミシアの頬に唇を寄せた。
「ミーシャの好きを教えて。子犬じゃなくて、トカゲじゃなくて。弟じゃないなら、僕は貴女(あなた)にとって、何?」
 
 唇に感じるアルテミシアの頬が柔らかくて、鼻をくすぐる香りが甘くて。
 かじりつきたい衝動に駆られたレヴィアは、ジーグの「お説教顔」を思い出して、なんとか堪える。
 力任せに抱きしめたいけれど、優しく触れてもみたい。
 相反する思いを抱えながら、レヴィアはアルテミシアの答えを辛抱強く待つ。
 
「ずっと考えていたんだ。好きと、恋しいと、愛してる」
 アルテミシアが、手綱(たづな)を握るレヴィアの指先をきゅっと握った。
「うん」
「レヴィへの気持ちはどれなんだろうって。でも、わからなくって」
「……そう」
「どれも違うような気がしたから。じゃあ、この気持ちは何だろうって。どうしてレヴィの幸せを、喜んでやれないんだろうって」
「僕の、幸せ?」
「レヴィがスバクルのご令嬢方に人気があるのは、良いことだろう?なのに、なのに……」

(それって、もしかして嫉妬してくれた、とか……)

 指先を握るアルテミシアの手に、痛みを感じるほどの力が入る。
 だが、今のレヴィアには、それすら幸せでしかない。

「嫌、だったの?」
「……ん」
「ミーシャ、それって」
「クるうっ」
 訴えるようなスィーニの鳴き声にアルテミシアが顔を上げると、いつの間にか、丘陵地帯が眼下に広がっている。
「着いたな。レヴィ、合図を頼む」
「……わかった」

(もうちょっと待とうよ、スィーニっ)

 ピィぃ!
 
 不満がその音色に現れたのだろうか。
 レヴィアの指笛を聞いたスィーニは、ちょっとだけ呆れたような目をレヴィアに向けてから、地上へと降りたっていった。

 足元が見えなくなるほどの青草が生い茂る草原に、一本の大樹が空に向かって枝葉を伸ばしている。
 涼やかな木陰を作るその幹に、レヴィアはスィーニの手綱(たづな)を結び付けた。
 
 先に降りていたアルテミシアは両手を高く上げて、大きく伸びをする。
「ほら、気持ちのいいところだろう?」
 無邪気に笑っているアルテミシアにゆっくりと近づき、レヴィアは背中から腕を回して、その肩を抱きしめた。
「嫌だったら言って。ミーシャがつらくなるようなことは、したくないから」
「……嫌じゃない。もお、さっきからそう言ってるのに」
 レヴィアの腕をポンポンと叩いて、アルテミシアが振り返る。
「レヴィ、今日はなんだか……、いつも以上にいつもと違う」
「だって、もう我慢しなくていいって、僕に言ってくれたでしょう?」
「うん、言ったな。……言ったけど」
「ミーシャが自分の気持ちがわからなくても、僕の気持ちは変わらないから」
 逃げられないように、レヴィアはアルテミシアをきつく胸に閉じ込めた。
「僕は貴女(あなた)に恋をしている。貴女(あなた)を傷つけようとする者がいたら、全力で戦う。僕は、貴女(あなた)を守れる強い男になるよ」
 
 これが自分の答え。
 アルテミシアの心がどこにあろうと、たとえこの心を受け取ってもらえなくても。

(僕のすべては、ミーシャのもの) 
 
「レヴィは強いよ」
 アルテミシアは両手でレヴィアの腕を胸に抱えて、鼻先を埋める。
貴方(あなた)は二国を救った英雄で、……私のことも助けてくれた」
 しばらく、草原を渡る風音に耳を傾けたあとで。
「……お母さまが、教えてくださったんだ」
「母さまが?」
「別々の気持ちじゃないんだって。分けることなんかできないって。お母さまは、ヴァーリ陛下を恋しくて、愛しい人だっておっしゃっていた。レヴィ」
 くるりと向き直ったアルテミシアは、そのまま背伸びをして、果実のような赤い唇をレヴィアの唇に重ねた。
 
 何が起こったのか、一瞬わからなくて。
 呆気に取られているレヴィアを前に、アルテミシアが照れ笑いを浮かべる。
「私の気持ちも、お母さまと同じ。……全部だったんだ」
「……アルテ、ミシア……」
 想いが胸につかえて、消えてしまいそうな(ささや)き声で。
「アルテミシア」
 レヴィアは愛しい女性(ひと)の名を呼び、心を込めた口付けをその額に頬に、そして、唇に贈る。
「ふふ、くすぐったいったら。……もお、ちゃんと聞いて」
「いたっ」
 顔中に口づけを降らせる勢いのレヴィアの頬を、アルテミシアが両手でパシン!と挟んで止める。 
「好きと、恋しいと愛してる。そのすべてを、レヴィア・レーンヴェスト、貴方(あなた)に」
 まっすぐにレヴィアを見つめて、アルテミシアは微笑んだ。

(本当に、薔薇(ばら)の花みたい)

 風に揺れる深紅の巻き髪も、紅潮させている頬も。

 たまらなくなったレヴィアは頬をつかまれたまま、その唇を何度も(ついば)み始めた。
「ん、……ん!も、もうわかった、わかったから!」
 顔をそむけようとするアルテミシアを許さず、その体に巻き付けた腕にレヴィアは力を込める。
「何がわかったの?……あの、こうしているのは、嫌?それなら、やめる、よ……」
「嫌じゃないけど……。ねえレヴィ、一緒に生きていくのだろう?これ以上、されたら、心臓がもたない。……死んじゃう……」

――もう一瞬でも我慢できなくなるようなことを、言うことがあるんだよなぁ、女の子ってのは――
 
 自称「愛の伝道師」のラシオンがそう言っていた。

――そういうのを「殺し文句」って言うんだぜ。何しろ、理性が死ぬからな――

(ああ、これは”殺し文句”だな)

「殺されたのは、僕のほうだと思う」
「え?……っ!」
 アルテミシアを深く胸に抱きしめて。
 
 かじりつくようなレヴィアの口づけは、最初は味見をするように。
 それからだんだん、喰らい尽くしていくように。

「……ん、……んん!」
 身をよじって口づけ攻撃から逃れると、アルテミシアは息を弾ませて、うろたえ怒ったような瞳でレヴィアを凝視した。
「だっ……」 
「ダ?」
 レヴィアの首が傾く。
「ダメ?」
 顔を赤くしたまま、アルテミシアは首を横に振る。
「いやダ?」
 さらに首を振り、アルテミシアの指がレヴィアの胸元の服をキュッと握った。
「だ……れに、こんな……こと」
「何か、間違ってた?不愉快?気持ち悪い?……ごめん、」
「違うったら!でも、どこでこんな口づけの仕方を……」
「え?ラシオンが」
「ラシオン?!これもラシオンか!……ほかにも、何か教わってる?」
「え……、ほ、ほか、に?」
 たちまちレヴィアの顔が真っ赤に染まっていくのを見て、アルテミシアの目がつり上がる。

(これは絶対、余計なことを吹き込まれているわね)

「もお!可愛いレヴィアに何てことを」
「これは、

に許されたこと、ではないの?違うの?」
「違っ……わない、けど」
「合ってる?」
 教えを請うように真剣で、愛を乞い、その熱望を隠さないレヴィアに、アルテミシアは観念したように瞳を閉じた。
「……合ってる……」
「……よかった……」
 
 ほどなく、ラシオンに教わったとおりの口づけを、丁寧に忠実に実践する優秀なレヴィアに、アルテミシアは抵抗することもできずに。
 そのあとはもう、レヴィアのなすがまま。

「……レヴィ、無理、もうムリ……」
「立って、られないの?」
「きゃあっ、レヴィ、離して!」
「ダメ。……ダメだよ。まだ離してあげられない」
 
 レヴィアはアルテミシアを抱きかかえて青草の上に座って、胡坐をかいた膝に柔らかな体を閉じ込める。
 そして、ジタバタと暴れる可愛い人を難なく捕らえて、その吐息さえ奪う口付けを繰り返した。

「ちょ、ちょっと休ませて……」
 胸を叩かれて、しぶしぶ唇を離したレヴィアは、ふと。

――いきなりしつこくすると嫌われっぞ。加減には気をつけろよー――

 自称「恋の狩人」ラシオンの軽い指南が胸をよぎり、肩で息をしてうつむくアルテミシアをのぞきこめば。

「もぉ、レヴィのバカ……」
 真っ赤な顔のアルテミシアから上目づかいでにらまれて、レヴィアのどこかがプチンと音を立てて切れた。
「んっ!?レヴィ、待って、まっ、んんっ、んー!」
 
 そうしてレヴィアの理性が息を吹き返すまでには、かなりの時間が必要となり。
 アルテミシアは、人生初めての「降参」をすることとなった。
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