美しい日-2-

文字数 3,514文字

 その後の組手では宣言どおり、アルテミシアの動きは、いつにもまして容赦のないものだった。
 その攻撃を受ける緊張感に、レヴィアは物思いをしている暇もない。
 そして、いつの間にか胸のざらつきは消えていたのだが。
 
 その日以来、あの胸の奥をかき回される不快感には、しばしば悩まされるようになった。
 アルテミシアが仲間たちと楽しそうにしているとき。
 自分の知らないところで、一緒に過ごしたと聞いたとき。
 ムカムカするような黒い思いが湧き上がってきてしまう。

(どうしてだろう。仲間同士仲良くするのは、いいことなのに……。なんで、どうして……)

「見えてきたぞ!」
 鮮やかに鳴らされたアルテミシアの指笛に、堂々巡りをしていたレヴィアの顔が上がった。
 
 河原にふわりと降り立ったスィーニは、ふたりが(くら)から降りるのを待ちきれない様子で川へと急ぐ。
 よほど喉が渇いていたのか、水流に差し入れられた(くちばし)はしばらく動かない。
 そんなスィーニを眺めていたアルテミシアはキラリと目を光らせると、その隣に立膝をついて水をすくった。

 パシャリ!

 アルテミシアの手の中の水が、スィーニの横顔に命中する。
「クるるっ」
 首を上げたスィーニが、すかさず口の中の水をアルテミシアに放った。
「ぶふっ?!」
「グるる」
「うわ、ヤバい!」
「ミーシャ、どこ行くの?ダメだったら」
 唸り声を上げて再び川に(くちばし)を突っ込むスィーニに、アルテミシアはレヴィアの制止も聞かずに川中へと逃げ出していく。
「ほーらスィーニ!これならどうだっ」
 清流に手を突っ込んだアルテミシアが勢いよく水を跳ね上げ、浴びせかけた。
「ほらほらっ、ほーら!……わぁ、器用だな、スィーニ!」
 (くちばし)を細く開けて喉をそらせたスィーニが、雨のような細かい水流をアルテミシアに向ける。
 陽を反射した水滴がアルテミシアに降りかかり、深紅の巻き髪は朝露を乗せた薔薇のようだ。

「……きれいだな……」
 レヴィアのつぶやきは、水音に紛れて消えていく。

(胸、痛い。……なんで?)

「レヴィ、スィーニは凄いぞ!」
 知らず軍服の胸のあたりを握るレヴィアの前で、アルテミシアは指笛を短く二回鳴らして「同じ行為を繰り返せ」の合図を送った。
 川に(くちばし)を差し込んだスィーニの腹が、見る間に丸く膨れていく。
「噴け!」
 ロシュが炎を噴くときと同じ号令に、スィーニは首を上げて思い切り水を噴き出した。
 まるで砲弾のようなその水流に、アルテミシアが拍手を送る。
「さすが水の神だ。揮発息は噴かないが、こんな特技があったとはな」
 アルテミシアは得意げにしているが、びしょ濡れのその姿にレヴィアは気が気ではない。
「もう、ミーシャは。そんなに濡れて」
「今日は暖かいから何も問題はない。濡れたのは脱いで、旅装束(たびしょうぞく)を着て帰るよ。レヴィもおいで!」
「だって、僕は着替えとか、持ってないよ?」
「軍服を脱いでおけばいいじゃないか」
「えぇ~……」
 レヴィアはためらうが、アルテミシアはしきりに手招きをする。
 しぶしぶ下着姿になって、恐る恐る川に足を入れた、その瞬間。
 アルテミシアとスィーニが、一斉にレヴィアに水攻撃を食らわせた。

 バシャン!!

 驚いて尻もちをついたレヴィアはふたり、正確にはひとりと一頭をムッとして見上げる。
「もぉー。……ほらっ!」
 勢いよく立ち上がると、レヴィアはむきになって、アルテミシアとスィーニに水を浴びせかけた。
 
 ふたりとスィーニの楽しげな声が平原に響き渡っている。
「レヴィ、こっち!隠れるぞ!」
 岩陰に隠れるたふたりの頭上から、得意気な竜の鳴き声が聞こえてきた。
「えっ?」
「いつの間に!」
 ふたりの頭上から、滝のような水が落ちてくる。
「スィーニは飛ぶからなぁ!逃げよう!……わぁっ」
「ミーシャっ」
 足を滑らせたアルテミシアの手をつかんだレヴィアは、そのまま体勢を崩して川へと倒れ込んだ。
「レヴィ!レヴィごめん、大丈夫か?」
 しゃがみこんで、慌ててレヴィアの首を抱き起したアルテミシアが、その頬をペチペチと叩く。
「レヴィ、レヴィ!」
「げほっ……。だ、大丈夫、だよ?」
「本当に?」
「くーぅる」  
「スィーニ」
 降りてきたスィーニの申し訳なさそうな顔を見たとたん、レヴィアは笑いが込み上げてくる。
「……ふ、ふふ。あはは!ふふふっ」
「どうした?」
 突然笑い出したレヴィアに、アルテミシアは目を丸くした。
「だって、僕たち、びしょ濡れすぎ!」

(ああ、なんてステキなんだろう……!)

 深紅の髪の美しい人と、藍色の羽根の美しい竜が自分に寄り添ってくれている。
 冷たい水の中に座り込んでいるのに、心は火が(とも)るように温かい。

「水遊び、初めてだけど楽しい。ホントに、楽しい」
「それならよかった。今度はロシュとも遊ぼうな。でないと、あの仔は絶対にすねる」
 レヴィアの頬に手を添えながら、アルテミシアはほっとした笑顔を浮かべた。
 
 アルテミシアは「大丈夫」と軽く請け負ったが、旅装束(たびしょうぞく)一枚でスィーニに乗るのは、やはり無茶なようだったようで。
「空は寒いって、よぅくわかった。うわっ、風が入ってくる!レヴィ、ぎゅってして!」
 素肌に旅装束(たびしょうぞく)をはおっただけのアルテミシアから密着されて、その柔らかな感触にレヴィアの心拍数が上がる。
「レヴィも寒いだろ?もっとくっついて」
 体をすり寄せるアルテミシアは確かに温かいが、あまりに胸が騒いで、手綱(たづな)を離してしまいそうだ。
「どうした?レヴィ」
 アルテミシアがレヴィアの胸に耳を寄せる。
「心臓がドコドコいってる。なにか怖いのか?」
「こ、わくは、ないよ。でも、えと、ミーシャ」
「ん?」
「ちょっと、離れて」
「なんで?」
「なんでって……」
 さらに心拍数の上がったレヴィアは、もうそのまま何も言えずに。
 ただ、アルテミシアをスィーニから落とさないようにすることだけを考えて、手綱(たづな)を握りしめ続けた。


 スィーニを竜舎に帰したあとで、アルテミシアとレヴィアは、足音を忍ばせて離宮の様子をうかがう。
「ジーグは水遊びにはうるさいからな、ぐぇ?!」
「わぁっ!」
 襟首(えりくび)をつかまれたふたりが振り返ると、背後にそびえ立っていたのは、眉間(みけん)に深いしわを刻んだジーグだ。
「どうしてこんなに濡れ(ねずみ)なんですか、あなた方は。……こちらに」
 そうしてジーグは、ふたりを引きずるようにして、離宮の廊下をのしのしと歩いていった。

 誰の邪魔も入らないクローヴァの部屋前庭で、神妙な顔をするアルテミシアとレヴィアの前にいるのは、仁王立ちしたジーグである。
「寒い。部屋に入りたい」
「クローヴァ殿下のお部屋を汚すわけにはまいりません」
 眉間のシワを消さないものの、ジーグはアルテミシアに毛布をかけてやった。
「では、さっさと話してしまいましょう。何をしたらそんなことに?」
「う……、あのな、スィーニがすごいんだ!今度、ジーグにも見せてやる」
「そうですか。そんなに水遊びが楽しかったんか」
「もちろん!……あ」
 瞳をふいとそらせたアルテミシアに、ジーグがため息をついた。
「……湯を用意させていますから、取りあえず体を温めてきてください。レヴィアは賓客室の湯殿(ゆどの)を使わせてもらえ。申し訳ございません、クローヴァ殿下」
「構わないよ。楽しかった?レヴィア」
「……はい」
「そう」
 とびきり優しい微笑を浮かべて、クローヴァはレヴィアにうなずきかける。
「今度は僕も誘ってくれる?水遊びなど久しくしてないからね」
「はい。あ、でも。……スィーニは強い、ですよ?」
 心から心配している様子のレヴィアに、クローヴァはとうとう吹き出して笑った。

「いくら暖かいとはいえ、もう冬の声を聞く季節に水遊びとは」
「リズィエはともかく、王子たるレヴィアに何かあったら、どうするおつもりですか」
 湯あみを終えたアルテミシアは、クローヴァの部屋でジーグの長い説教を聞かされていた。
「リズィエ!」
「聞いてる聞いてる」
「聞いていると、理解しているは違いますよ」
 (はた)から見てもいい加減な態度のアルテミシアに、ジーグの眉間(みけん)のしわは深まるばかりだ。
 
 クローヴァの隣で薬茶を()れながら、レヴィアはハラハラして主従のやり取りを見守っている。
「フリーダ卿とリズィエは、いつもあんな感じなの?」
 クローヴァから耳打ちされたレヴィアは、戸惑い顔でアルテミシアとジーグを見比べた。
「えっと、ミーシャは、いつもはもっと、しっかりしてます。ちゃんと、かっこいいです」
「いつもは、か。……ふたりと一緒ならば楽しかったんだね。それはよかった」
「……兄さま」
 言葉にはしないけれど、

をクローヴァが労わってくれている。
 レヴィアは薬茶を注ぐ手を止めて、クローヴァに微笑み返した。
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