秘密の逃避行
文字数 5,331文字
五か国大合議では、スバクル領主国の新統領となったユドゥズ公が見事な采配の腕を見せ、トーラ国王、アガラム大公も相変わらずの存在感を放っていた。
『”歴史的幕開けに立ち合えて出来て光栄である。”これが、我が族長ボジェイク・フレクを始め、我が国の総意です』
親書を読み上げたチェンタ族長国の代理人に、満場の拍手が送られる。
『ディアムド帝国のご意見は先ほど伺いましたが、さらになにかございますでしょうか』
『話し合いの末、さらに配慮の行き届いた平等協約になった。異議などございません』
泣く子を幾度も黙らせてきた帝国の辣腕外務官は、ただ穏やかにうなうずくのみであった。
◇
「
アルテミシアの首元に額を擦り付けるようにして、レヴィアはつぶやく。
「どっちの
ディデリスのこともベルネッタのことも、名では呼ばないレヴィアだ。
「……両方」
心細そうな声で答えたレヴィアの頭を片腕で抱くと、アルテミシアはその髪を優しい仕草でなでる。
「そんなはずはない」
「え?」
レヴィアが顔を上げると、間近で若草の瞳が笑っていた。
「ベルネッタ様は、そんな生易しい方ではないぞ。本当は、レヴィアとスィーニを確認したかったはずだ」
「だから、僕に竜舎から出るなって言ったの?」
合議当日。
レヴィアは一切の仕事を与えられずに、竜守番だけしているようにアルテミシアから念押しされた。
しかも、戦闘時と同じようにスバクル兵服を着せられて。
そのため、ベルネッタがアルテミシアを猫可愛がりしている様子を、やきもきしながら、遠目に見守ることしかできなかった。
(ミーシャはうろたえてたみたいだけど……。あれって、演技だったのかな)
「仲良くしたいと言われたことには、驚いたな。あれも嘘ではないと、信じてはいるが」
(ああ、そうか……)
アルテミシアの軽い笑顔を見て、レヴィアは覚り、納得する。
ベルネッタもディデリスも、アルテミシアも。
竜騎士たちは偽りではないが、また真実だけでもない態度で、互いの腹の内を読み合っていたのだ。
「アモリエの叔母様が、三人の子供のうちふたりを連れてサラマリス家に戻るらしいよ。ふたりとも優秀な士官生だったから、サラマリス家は心配がないな。ドルカ家は断絶されたが、新しく赤竜へ迎える一家も、ほぼ決まっているそうだ。しかも、皇帝陛下自らのご推薦で。黒竜が焦りを感じていないはずはない」
「ミーシャを妹にしたいって、言ってたこと?」
アルテミシアは可笑しそうに肩を揺らす。
「その本気度は怪しいな。断られるってわかってただろうし。”国外で仲良くしたい”とは、”赤竜家を出たアルテミシアに、竜術に関して公然と協力を仰ぐ”、といった意味もあるだろう」
「協力を仰ぐ?やっぱり、帝国に連れ戻すつもりかな……」
レヴィアはしがみつくようにアルテミシアを抱き込んだ。
ディデリスが率いてきた赤竜騎士たちは、留守居に残ったカイ副隊長以外の精鋭五名らしい。
その立派な赤竜を乗りこなす歴戦の騎士たちが、アルテミシアを見るなり膝をついた。
たくましい背中を丸くして、涙ぐむ者さえいて。
その存在が、帝国においてはどれほど特別なのか。
それをまざまざと思い知らされたレヴィアは、あの日から心が揺れてしかたがない。
思いつめたような顔をしているレヴィアに気づくと、アルテミシアは体を回して、その首に両腕を巻きつけて体を寄せる。
「そんな顔をするな。私はどこへも行かない。私の故郷はトーラだし、レヴィアの隣が、私の居場所だ」
「……ミーシャ」
「ふふっ。だから、くすぐったいったら」
耳たぶにかじりついて、鼻先に口付けを落として。
そして、その目をのぞきこめば、アルテミシアがまぶたを閉じてくれる。
「ミーシャ、大好きだよ」
「ん……」
熱いため息を唇に感じたレヴィアは、両手でアルテミシアの頬を包み込んだ。
「噴けっ!」
鋭い指笛が聞こえると同時に、泉を囲む藪 の一部にボゥ!と火がついた。
「うわぁ?!……ピィ!」
慌ててアルテミシアの頬から手を離して、レヴィアが指笛を吹けば。
泉の淵で休んでいたスィーニが首を上げて、水を吸い込み始める。
「噴け!」
レヴィアの合図で、スィーニが激しい水流を放つ。
シュバァっ!!
……シュゥシュゥ……
白い煙を上げて鎮火した藪 に、大きな隧道 のような通り道ができたな、とレヴィアが思ったのと同時に。
「見つけましたよっ」
その隧道 の向こうで、雷竜に乗って目を吊り上げているメイリが見えた。
「トンズラは許しませんからね!」
「まずい、スィーニ!」
アルテミシアも急いで立ち上がると、レヴィアの手を取って青竜に飛び乗る。
「こらっ、まてぇ!」
メイリは猛烈な勢いでロシュを走らせるが、泉にたどり着くころには、スィーニはとっくに大空へと舞い上がっていた。
「ずるーい!」
たてがみ頭が空を仰いで叫ぶ。
「午後の鍛錬 、始まっちゃうんですからね!」
「ヴァイノがいるだろっ」
「王子と竜騎士に相手をしてもらえるって、それはみんな、喜んでるんですってば!」
「先に戻ってるから!」
楽し気なアルテミシアとレヴィアの声だけを残して、青竜はメイリの視界から消えていった。
「もー、あのふたりってば……。ありがとね、ロシュ。この場所に連れてきてくれて」
メイリがロシュの首を優しくなでると、ロシュの巻いた冠羽が得意そうに広がる。
「クルっ」
「ロシュのおかげで見つけられたよ。……でも、素敵な場所だねぇ……」
恋人ふたりが長居してしまう気持ちも、ちょっとわかるなと思いながら。
メイリは深い森に囲まれた、気持ちの良い泉を見渡した。
◇
――トーラでは、竜仔をこれ以上育てない――
その決意にトーラ王家の賛同を得たアルテミシアは、ロシュの二人目の契約者として、メイリを騎乗させる訓練を行った。
「帝国では前例がないがな」
ロシュの背に揺られるメイリについて歩きながら、アルテミシアはニヤリと笑う。
「竜騎士は互いに競い合う存在でもあったし、大事な相棒である竜を、他人に任せることは良しとしなかったから」
「……アルテミシア様はいいんですか?」
「いいというより」
アルテミシアは手綱 を引いて、いったんロシュを止める。
「それができるのは、竜も竜騎士も
「そう、なのですか……」
「だが、長年の慣習に異を唱えるのは難しくてな。特に”娘っ子隊長”なんて、揶揄 されていた私では」
「アルテミシア様ほどの方でも?」
「帝国は魔窟だからなぁ。……くだらない法も重鎮も、取り除くのは難しい」
「どこの国も同じですねぇ」
「トーラは賢王を抱く。だいぶ荒療治だったが、病巣も切り取ったし」
その言いように、メイリは違和感を抱いた。
「……あの、帝国は皇帝の威光があったから、長年大陸の覇者だったと……」
「ジーグがそう言ったのか?」
「いいえ、でも、教本にそう載っていたから」
「ジーグはどう教えた?」
「……施策と体制が絶妙だったと」
「そっちが正しいな」
くすくす笑うアルテミシアに、メイリはますます混乱する。
「そう、なんですか?えと、アルテミシア様は現皇帝をどう」
「ほら、メイリ。今日は早駆けに挑戦するぞ!ロシュ、行ってこい!」
「え?あ、ちょ、ああああ!」
アルテミシアの指笛で走り出したロシュの手綱 を、メイリが反射的に握りしめて、姿勢を整えた。
「いいぞ、体が反応したな。そのまま馬場を三周してこい!」
「はい!」
かわいいロシュとの訓練は楽しくて、アルテミシアからほめられれば嬉しくて。
熱心に訓練を重ねたメイリはその後、「契約者交代の儀式」を経ることなく、ロシュから「相棒」認定されたのだった。
◇
「帰ろうか。……それとも、ついでに遠乗りに行っちゃう?ロシュは、こっそりイチャイチャしたかったふたりに置いていかれちゃったんだもんねぇ。ちょっとくらい遊んだって、罰は当たらないよ」
「クルルゥ~!」
ロシュが嬉しそうな鳴き声に、メイリの笑い声が弾けた。
前に座るアルテミシアの巻き髪が、風に揺れてレヴィアの頬をくすぐる。
「参ったな。あの泉が
「ふふっ。ジーグに怒られるよ?」
得意げに俗語を使う恋人のこめかみに、レヴィアはそっと唇を寄せた。
「それに、もうすぐトゥクースに戻るから」
現在、第二王子とフリーダ隊は、騒乱後初めてとなる長期休暇中である。
――トレキバの墓所で眠るリーラ妃や親族へ、帰国の報告をしよう――
ジーグの提案に、最初はためらっていたフリーダ隊の少年たちではあるが。
――過去と完全に決別して、未来を向こう――
ジーグの言葉に背中を押してもらって、複雑な思いを抱える故郷に再び足を踏み入れた。
宿泊先はトレキバの救護院であるが、ヴァイノたちが逃げ出した施設ではない。
あの劣悪な建物は取り壊されて、モンターナの息のかかった役人も解雇。
現在は、レヴィアが細々と命をつないでいた
そして、そこで過ごす子供たちに歓迎されて、もう五日。
今日は朝から体術などの稽古 に付き合い、昼の休みにふたりで抜け出したところを、メイリに見つかってしまったというわけだ。
「メイリが怒って捜しに来たということは、午後の鍛錬に遅刻しそうなんだな。レヴィといると時間があっという間で、……ちょっと寂しい」
(ああ、もうっ。また”殺し文句”を)
レヴィアはアルテミシアの後頭部にコツンと額を当てて、思うまま口づけたい衝動を堪 える。
「まあでも、今日は街の子供たちとも一緒だしな。楽しんでもらわないと」
「みんな、すごく仲良しだよね」
「コザバイ公が選んだ院長がいい方だから、街との関係も良好なんだろう」
「そうだね。……親が育てられない子供は、国と街で育てればいいんですよって言ってた」
「そのとおり。よし、私たちも頑張ろうか!」
「うん。……あの、ね。ミーシャ」
「ん?」
「もうすぐ帰るじゃない?」
「そうだな」
アルテミシアは振り向いて、突然うつむいてしまったレヴィアをのぞき込んだ。
「どうした?」
「あの、嫌じゃ、ない?」
「何がと言ってくれなきゃ、嫌かどうかわからないだろう。それに多分、嫌じゃない」
「え?」
「貴方 は、私が本当に嫌だと思うことはしないから」
レヴィアはそっと目を上げて、アルテミシアの表情を伺う。
「……離宮ではミーシャ、兵舎に部屋があるでしょう?」
「騎士だからな」
「離宮の、僕の部屋の隣に、ミーシャの部屋を、用意したいんだ」
目を見張るアルテミシアに、レヴィアの視線が不安そうに揺れた。
「トゥクースに戻ったら、その、なかなかふたりっきりとか、なれないと思うし、その、夜くらいは、ふたりっきりで、お茶、とか……」
「ふたりっきり」を強調するレヴィアに、ますますアルテミシアの目が丸くなる。
「守るべき王子の隣に部屋など、」
「そうだけど、だって……。その前にまず、僕の恋人、でしょう」
照れたように小さく、だが、きっぱりと。
「だから、マイナ ドライエ リター 。僕の、大好きなアルテミシア」
顔を真っ赤にしたレヴィアは、アルテミシアを深く胸に閉じ込める。
「隣の部屋に来なさい」
「帝国出身の竜騎士を隣に置くなんて……」
言葉を重ねるアルテミシアを、レヴィアは強く抱きしめた。
「ミーシャはもう、トーラの人だよ。それに、ミーシャを信用できないのなら、ほかの誰も信用できないよ」
レヴィアはアルテミシアの頭頂部に口付け、そのまま頬ずりをする。
「……もしミーシャが欲しいなら、僕の命なんて」
「ダメっ。それ以上、言わないで」
アルテミシアがレヴィアの口を手でふさいだ。
「ねぇ、レヴィ。私が貴方 に刃を向けるようなことがあれば……。お願い、ちゃんと
「……うん」
「レヴィならできるから」
「うん」
『それでも私が
――竜と竜家のことを話すときは、ディアムド語が楽なんだ――
そう言っていたアルテミシアが、ディアムド語使ったということは。
(何か、まだあるのかな。……でも)
「それはできないよ」
鼻先が触れ合うほどの距離で、レヴィアはアルテミシアと視線を合わせた。
「ミーシャが竜騎士のままでいるなら、それでもいい。……誰も許してくれないのなら、ふたりで逃げちゃおうよ」
「くるるっ」
「あ、ごめんね。スィーニも一緒だよね」
「クルぅ!」
「あれ?スィーニ、舌を巻けるの?」
「ク、クル……、クるぅ」
「ふ、ふふふ、あはは!スィーニ、高度が下がってるぞ!……一緒に逃げてくれるのか?レヴィ、スィーニ」
「うん、もちろん」
「くるルルルルぅ!」
「……かしこまりました。では、主 の仰せのままに」
そして、頬に口づけてくれたアルテミシアを抱きしめて。
レヴィアは空を飛ぶ青竜の上で、深くアルテミシアの唇を奪った。
『”歴史的幕開けに立ち合えて出来て光栄である。”これが、我が族長ボジェイク・フレクを始め、我が国の総意です』
親書を読み上げたチェンタ族長国の代理人に、満場の拍手が送られる。
『ディアムド帝国のご意見は先ほど伺いましたが、さらになにかございますでしょうか』
『話し合いの末、さらに配慮の行き届いた平等協約になった。異議などございません』
泣く子を幾度も黙らせてきた帝国の辣腕外務官は、ただ穏やかにうなうずくのみであった。
◇
「
あの人
は、ミーシャに会いに来たのかな」アルテミシアの首元に額を擦り付けるようにして、レヴィアはつぶやく。
「どっちの
あの人
?」ディデリスのこともベルネッタのことも、名では呼ばないレヴィアだ。
「……両方」
心細そうな声で答えたレヴィアの頭を片腕で抱くと、アルテミシアはその髪を優しい仕草でなでる。
「そんなはずはない」
「え?」
レヴィアが顔を上げると、間近で若草の瞳が笑っていた。
「ベルネッタ様は、そんな生易しい方ではないぞ。本当は、レヴィアとスィーニを確認したかったはずだ」
「だから、僕に竜舎から出るなって言ったの?」
合議当日。
レヴィアは一切の仕事を与えられずに、竜守番だけしているようにアルテミシアから念押しされた。
しかも、戦闘時と同じようにスバクル兵服を着せられて。
そのため、ベルネッタがアルテミシアを猫可愛がりしている様子を、やきもきしながら、遠目に見守ることしかできなかった。
(ミーシャはうろたえてたみたいだけど……。あれって、演技だったのかな)
「仲良くしたいと言われたことには、驚いたな。あれも嘘ではないと、信じてはいるが」
(ああ、そうか……)
アルテミシアの軽い笑顔を見て、レヴィアは覚り、納得する。
ベルネッタもディデリスも、アルテミシアも。
竜騎士たちは偽りではないが、また真実だけでもない態度で、互いの腹の内を読み合っていたのだ。
「アモリエの叔母様が、三人の子供のうちふたりを連れてサラマリス家に戻るらしいよ。ふたりとも優秀な士官生だったから、サラマリス家は心配がないな。ドルカ家は断絶されたが、新しく赤竜へ迎える一家も、ほぼ決まっているそうだ。しかも、皇帝陛下自らのご推薦で。黒竜が焦りを感じていないはずはない」
「ミーシャを妹にしたいって、言ってたこと?」
アルテミシアは可笑しそうに肩を揺らす。
「その本気度は怪しいな。断られるってわかってただろうし。”国外で仲良くしたい”とは、”赤竜家を出たアルテミシアに、竜術に関して公然と協力を仰ぐ”、といった意味もあるだろう」
「協力を仰ぐ?やっぱり、帝国に連れ戻すつもりかな……」
レヴィアはしがみつくようにアルテミシアを抱き込んだ。
ディデリスが率いてきた赤竜騎士たちは、留守居に残ったカイ副隊長以外の精鋭五名らしい。
その立派な赤竜を乗りこなす歴戦の騎士たちが、アルテミシアを見るなり膝をついた。
たくましい背中を丸くして、涙ぐむ者さえいて。
その存在が、帝国においてはどれほど特別なのか。
それをまざまざと思い知らされたレヴィアは、あの日から心が揺れてしかたがない。
思いつめたような顔をしているレヴィアに気づくと、アルテミシアは体を回して、その首に両腕を巻きつけて体を寄せる。
「そんな顔をするな。私はどこへも行かない。私の故郷はトーラだし、レヴィアの隣が、私の居場所だ」
「……ミーシャ」
「ふふっ。だから、くすぐったいったら」
耳たぶにかじりついて、鼻先に口付けを落として。
そして、その目をのぞきこめば、アルテミシアがまぶたを閉じてくれる。
「ミーシャ、大好きだよ」
「ん……」
熱いため息を唇に感じたレヴィアは、両手でアルテミシアの頬を包み込んだ。
「噴けっ!」
鋭い指笛が聞こえると同時に、泉を囲む
「うわぁ?!……ピィ!」
慌ててアルテミシアの頬から手を離して、レヴィアが指笛を吹けば。
泉の淵で休んでいたスィーニが首を上げて、水を吸い込み始める。
「噴け!」
レヴィアの合図で、スィーニが激しい水流を放つ。
シュバァっ!!
……シュゥシュゥ……
白い煙を上げて鎮火した
「見つけましたよっ」
その
「トンズラは許しませんからね!」
「まずい、スィーニ!」
アルテミシアも急いで立ち上がると、レヴィアの手を取って青竜に飛び乗る。
「こらっ、まてぇ!」
メイリは猛烈な勢いでロシュを走らせるが、泉にたどり着くころには、スィーニはとっくに大空へと舞い上がっていた。
「ずるーい!」
たてがみ頭が空を仰いで叫ぶ。
「午後の
「ヴァイノがいるだろっ」
「王子と竜騎士に相手をしてもらえるって、それはみんな、喜んでるんですってば!」
「先に戻ってるから!」
楽し気なアルテミシアとレヴィアの声だけを残して、青竜はメイリの視界から消えていった。
「もー、あのふたりってば……。ありがとね、ロシュ。この場所に連れてきてくれて」
メイリがロシュの首を優しくなでると、ロシュの巻いた冠羽が得意そうに広がる。
「クルっ」
「ロシュのおかげで見つけられたよ。……でも、素敵な場所だねぇ……」
恋人ふたりが長居してしまう気持ちも、ちょっとわかるなと思いながら。
メイリは深い森に囲まれた、気持ちの良い泉を見渡した。
◇
――トーラでは、竜仔をこれ以上育てない――
その決意にトーラ王家の賛同を得たアルテミシアは、ロシュの二人目の契約者として、メイリを騎乗させる訓練を行った。
「帝国では前例がないがな」
ロシュの背に揺られるメイリについて歩きながら、アルテミシアはニヤリと笑う。
「竜騎士は互いに競い合う存在でもあったし、大事な相棒である竜を、他人に任せることは良しとしなかったから」
「……アルテミシア様はいいんですか?」
「いいというより」
アルテミシアは
「それができるのは、竜も竜騎士も
替え
が利くからこそだ。それでも、竜騎士の交代で契約儀式をやり直すのを見るたび、竜の負担が大きいと思っていた。そんなことをしなくても竜は賢い。絆は結べるはずだと」「そう、なのですか……」
「だが、長年の慣習に異を唱えるのは難しくてな。特に”娘っ子隊長”なんて、
「アルテミシア様ほどの方でも?」
「帝国は魔窟だからなぁ。……くだらない法も重鎮も、取り除くのは難しい」
「どこの国も同じですねぇ」
「トーラは賢王を抱く。だいぶ荒療治だったが、病巣も切り取ったし」
その言いように、メイリは違和感を抱いた。
「……あの、帝国は皇帝の威光があったから、長年大陸の覇者だったと……」
「ジーグがそう言ったのか?」
「いいえ、でも、教本にそう載っていたから」
「ジーグはどう教えた?」
「……施策と体制が絶妙だったと」
「そっちが正しいな」
くすくす笑うアルテミシアに、メイリはますます混乱する。
「そう、なんですか?えと、アルテミシア様は現皇帝をどう」
「ほら、メイリ。今日は早駆けに挑戦するぞ!ロシュ、行ってこい!」
「え?あ、ちょ、ああああ!」
アルテミシアの指笛で走り出したロシュの
「いいぞ、体が反応したな。そのまま馬場を三周してこい!」
「はい!」
かわいいロシュとの訓練は楽しくて、アルテミシアからほめられれば嬉しくて。
熱心に訓練を重ねたメイリはその後、「契約者交代の儀式」を経ることなく、ロシュから「相棒」認定されたのだった。
◇
「帰ろうか。……それとも、ついでに遠乗りに行っちゃう?ロシュは、こっそりイチャイチャしたかったふたりに置いていかれちゃったんだもんねぇ。ちょっとくらい遊んだって、罰は当たらないよ」
「クルルゥ~!」
ロシュが嬉しそうな鳴き声に、メイリの笑い声が弾けた。
前に座るアルテミシアの巻き髪が、風に揺れてレヴィアの頬をくすぐる。
「参ったな。あの泉が
ばれて
しまったから、レヴィとゆっくりできる場所を、ほかに見つけないと」「ふふっ。ジーグに怒られるよ?」
得意げに俗語を使う恋人のこめかみに、レヴィアはそっと唇を寄せた。
「それに、もうすぐトゥクースに戻るから」
現在、第二王子とフリーダ隊は、騒乱後初めてとなる長期休暇中である。
――トレキバの墓所で眠るリーラ妃や親族へ、帰国の報告をしよう――
ジーグの提案に、最初はためらっていたフリーダ隊の少年たちではあるが。
――過去と完全に決別して、未来を向こう――
ジーグの言葉に背中を押してもらって、複雑な思いを抱える故郷に再び足を踏み入れた。
宿泊先はトレキバの救護院であるが、ヴァイノたちが逃げ出した施設ではない。
あの劣悪な建物は取り壊されて、モンターナの息のかかった役人も解雇。
現在は、レヴィアが細々と命をつないでいた
あの
屋敷を改修して、使用している。そして、そこで過ごす子供たちに歓迎されて、もう五日。
今日は朝から体術などの
「メイリが怒って捜しに来たということは、午後の鍛錬に遅刻しそうなんだな。レヴィといると時間があっという間で、……ちょっと寂しい」
(ああ、もうっ。また”殺し文句”を)
レヴィアはアルテミシアの後頭部にコツンと額を当てて、思うまま口づけたい衝動を
「まあでも、今日は街の子供たちとも一緒だしな。楽しんでもらわないと」
「みんな、すごく仲良しだよね」
「コザバイ公が選んだ院長がいい方だから、街との関係も良好なんだろう」
「そうだね。……親が育てられない子供は、国と街で育てればいいんですよって言ってた」
「そのとおり。よし、私たちも頑張ろうか!」
「うん。……あの、ね。ミーシャ」
「ん?」
「もうすぐ帰るじゃない?」
「そうだな」
アルテミシアは振り向いて、突然うつむいてしまったレヴィアをのぞき込んだ。
「どうした?」
「あの、嫌じゃ、ない?」
「何がと言ってくれなきゃ、嫌かどうかわからないだろう。それに多分、嫌じゃない」
「え?」
「
レヴィアはそっと目を上げて、アルテミシアの表情を伺う。
「……離宮ではミーシャ、兵舎に部屋があるでしょう?」
「騎士だからな」
「離宮の、僕の部屋の隣に、ミーシャの部屋を、用意したいんだ」
目を見張るアルテミシアに、レヴィアの視線が不安そうに揺れた。
「トゥクースに戻ったら、その、なかなかふたりっきりとか、なれないと思うし、その、夜くらいは、ふたりっきりで、お茶、とか……」
「ふたりっきり」を強調するレヴィアに、ますますアルテミシアの目が丸くなる。
「守るべき王子の隣に部屋など、」
「そうだけど、だって……。その前にまず、僕の恋人、でしょう」
照れたように小さく、だが、きっぱりと。
「だから、
顔を真っ赤にしたレヴィアは、アルテミシアを深く胸に閉じ込める。
「隣の部屋に来なさい」
「帝国出身の竜騎士を隣に置くなんて……」
言葉を重ねるアルテミシアを、レヴィアは強く抱きしめた。
「ミーシャはもう、トーラの人だよ。それに、ミーシャを信用できないのなら、ほかの誰も信用できないよ」
レヴィアはアルテミシアの頭頂部に口付け、そのまま頬ずりをする。
「……もしミーシャが欲しいなら、僕の命なんて」
「ダメっ。それ以上、言わないで」
アルテミシアがレヴィアの口を手でふさいだ。
「ねぇ、レヴィ。私が
人
に戻して。あのときみたいに」「……うん」
「レヴィならできるから」
「うん」
『それでも私が
竜騎士
から、戻れなくなってしまったのなら……、人として許されない存在になってしまったら、迷わず私を捨ててね』――竜と竜家のことを話すときは、ディアムド語が楽なんだ――
そう言っていたアルテミシアが、ディアムド語使ったということは。
(何か、まだあるのかな。……でも)
「それはできないよ」
鼻先が触れ合うほどの距離で、レヴィアはアルテミシアと視線を合わせた。
「ミーシャが竜騎士のままでいるなら、それでもいい。……誰も許してくれないのなら、ふたりで逃げちゃおうよ」
「くるるっ」
「あ、ごめんね。スィーニも一緒だよね」
「クルぅ!」
「あれ?スィーニ、舌を巻けるの?」
「ク、クル……、クるぅ」
「ふ、ふふふ、あはは!スィーニ、高度が下がってるぞ!……一緒に逃げてくれるのか?レヴィ、スィーニ」
「うん、もちろん」
「くるルルルルぅ!」
「……かしこまりました。では、
そして、頬に口づけてくれたアルテミシアを抱きしめて。
レヴィアは空を飛ぶ青竜の上で、深くアルテミシアの唇を奪った。