師弟

文字数 2,996文字

 山岳地帯の小国であるチェンタ族長国には、腕一本で敵の襲来を退(しりぞ)けたという伝説を持つ武闘家がいる。
 滅多に弟子も取らないような偏屈者だが、ひとたび胸襟(きょうきん)を開いた相手には、とことん仁義を尽くす男だ。
 
 その男、チェンタ国、老長ボジェイク・フレクの猛禽(もうきん)類のような目が、すっかり(なご)んでいる。
 目の前には、片膝をついたジーグが大きな体を折りたたむようにして、深く頭を下げていた。
「まあ楽にしな。息災だったみてぇで何よりだ」
 陽に焼けた肌に深く刻まれたシワの中から、親しげなまなざしがジーグに向けられてる。
「老師におかれましてはご健勝のご様子、お喜び申し上げます。また、このたびは首都から離れた国境都市までのご足労、心より御礼申し上げます」
「まったく。オレの弟子は無理難題、よくふっかけてくらぁな」
 口をくわっと開いた猛禽(もうきん)が、腹の底から笑った。
 
 諸国を周っていたころに立ち寄ったチェンタの山道で、山賊に襲われたジーグは、袋のネズミになったことがある。
 そのとき、たまたま通りかかったボジェイクが、たったひとりでゴロツキ集団を地に沈めてみせたのだ。
 鮮やかな体術の前に、為す(すべ)もなく倒れていく山賊たち。
 手にしている凶器などは、まるで子供のおもちゃのようだった。
 すっかり感服した少年ジーグは、その場で弟子入りを志願したが、当然にべもなく断られた。
 だが、そのすげない態度にもめげずに住処(すみか)を探し当て、幾月(いくつき)も通い詰めた末に、とうとうボジェイクが根負けをして、今の関係がある。

「堅っ苦しい挨拶なんぞもう(しめ)ぇにして、顏をよく見せな。この二年間、連絡も寄こさんで」
 (せわ)しないボジェイクの手招きに、ジーグが立ち上がった。
「たいした治療もしてやれんかったからな。その後どうしたか、心底案じてたんだぞ。しばらくいろってんのに、おめぇは(すす)だらけの顏を拭いたくれぇで、湯も浴びん。逃亡する算段あれこれつけて、そのまま行きやがって」
「あのときは本当にお世話になりました。無沙汰を続け、申し訳ありませんでした」
 すぐ(かたわ)らの席を示すボジェイクに従い、ジーグは素直に膝をそろえて座る。
「いや、言ってもらえるほどのこたぁなんも。”赤の惨劇”はひでぇ話だ。嬢ちゃんはよく生き残ったよ。で?やらかした奴の目星はついてんのか?だから、帝国には帰らんのか。リズには会えたんだな?」
 したり顔の師匠から姉弟子の名を聞いたジーグが、小さく笑んだ。
「今、同じ隊に所属しています。隊商警備に紛れ、探し当ててくれました。……目星、は無いこともないのですが」
 ジーグは弟子の顏のまま続ける。
「事はそう単純でもなく……。帝国に戻らないのは、レヴィア殿下にリズィエの命を救っていただいたからです。リズィエがご自分から、トーラに残ることを希望しました」
「へぇぇ」
 老長が腕を組んで反り返った。
「自分から望んだのはおめぇさんくれぇだった、あのはねっ返りの嬢ちゃんがねぇ」
「いえ、私は……」
「謙遜すんなよ。嬢ちゃんの人を見る目は生来のものだ。近づく誰をも拒絶せんから、誤解されっけどな。あの()は、本当に大事に思う者しか、自分の内には入れねぇ。そうかい」
 組んでいた腕をほどき膝に乗せ、身を乗り出した老長が破顔する。
「トーラの次男坊はいい奴なんだな。今度、あのやんちゃくれと一緒に連れてきな」
「やんちゃくれとは」
「ヴァーリだよ」
「……トーラ国王陛下、ですか?」
 その名が出てきたのだから、間違いないのだが。
 「やんちゃくれ」という言葉がまるで結びつかずに、ジーグは瞬きを繰り返す。
「そうよ。あいつぁな、国になんざまったく興味なしの、手がつけられん暴れん坊だったんだよ。気に入らねぇ座学は勝手に抜け出す、揉め事になりゃぁ、すぐ手が出る。先王が困り果ててたから、しばらくうちで預かったんだ。ヴァーリの父親とオレとは、昔のスバクル侵攻を乗り切った仲だからな」
「……そう、でしたか……」
「おめぇがトーラに逃れるときに使った、あの隧道(ずいどう)のある山道な。ありゃあ、ヴァーリがこっから逃げるために(ひら)いたやつだ」
 意外な話に、ジーグは師匠をまじまじと見つめた。

 街道筋は使えないだろうと、ボジェイクが教えてくれたトーラへの抜け道。
 大柄なジーグがアルテミシアを(かか)えて通るには、隧道(ずいどう)は狭く窮屈だったが、人目につかずに逃げることができた。

「うちは主要街道には警備を立ててるから、普通には逃げられねぇからな。だからって、根気がいること、よくやるよなぁ。とうとうトーラに通じる裏道にまでつなげやがってよ。”すげぇな”ってほめちまったよ」
 当時を思い出したのか、ボジェイクがふっと笑う。
 現在のヴァーリ王からは想像もつかないが、そういえば「チェンタで会談を持つ」と報告した際、「機会を作ってご挨拶に伺うと、老長にお伝えしてくれ」と依頼されている。
 あのときの苦笑いの裏には、こんな過去があったのか。
「ヴァーリ陛下が、”今度ご挨拶に”と」
「そうかい。こっちは、もう年寄りだからな。来てくれるんなら助かる。また時代が動きそうだ。一度、話をしておきたいとは思っていたさ」
「今回は無理を聞いていただき……」
 頭を下げようとするジーグを、ボジェイクが身振りで止めた。
「うちは強国の隙間(すきま)を、のらりくらりと(しの)いできた小っさい国だ。最新の情勢をつかめる立場は助かる。だからうちを選んでくれたんだろ?ほんとはもっと、帝国から離れた場所のほうがよかったろうよ。山国(やまぐに)とはいえ、ここは帝国に近過ぎる」
「いえ」
 ジーグは静かな、だが、底の見えない笑みを見せる。
「ここが最適だったのです。帝国に近いというより、サラマリス領に近いこの街が。釣りをするには絶好の場所です」
「相変わらず面白れぇこと言いやがる。断崖絶壁の山中で釣りたぁなぁ」
 老長がニヤリと笑い返した。 

 帝国が到着する日までチェンタに逗留(とうりゅう)したジーグは、自ら指揮して会場の準備を行った。
 会談に臨むのは、トーラからふたり。
 帝国からは竜騎士ふたりと、竜家からもうひとり。
 親睦目的なのであまり堅苦しくなく、という帝国の要求どおり、清楚ではあるが簡素な場を(しつら)えた。
 かの帝国を迎える会談場所としては、質素な議場を見渡しながら、ジーグはあごを片手で包み込んだ。
 
 赤竜家の者の参加は、開催日の直前に知らされた、急な要請である。
 予定にない者の臨席を理由に、延期を申し出ようかとも考えたのだが。
 開戦を間近に控えた今、新たな日程を組む余裕がない。
 会談自体が流れてしまう恐れがあり、話を持ちかけてきた帝国の面目を潰してしまう。
 国力に差があるトーラとしては、選択肢がない状況だ。

(竜騎士のみの会談に、竜家の者が加わる、というと)

 ジーグはあごをひとなでする。

(現在のサラマリス家当主のルドヴィク……。いや、彼は表立って動くことを好まない。ならば赤竜家のうちアモリエか、ドルカか。……どちらがより野心を持つのか、わかるな。さっそく釣果(ちょうか)が出たか)

 帝国側のごり押しにトーラが折れた形だが、ジーグはほくそ笑む。

(向こうの横槍を聞いてやることで、貸しひとつだ。ついでに竜術が国外に流出した可能性に、誰が一番気をもんでいるのかがわかるかもしれない。会わせてやるんだ。イハウ情報以外の土産も、もらわないとな)

 考えうる限りの筋書きを思い浮かべながら、ジーグは長い間その場に留まった。
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