豪傑二人
文字数 2,543文字
アルテミシアの再びの怪我も癒えるころには、スバクル領主国も晩夏 を迎えていた。
「新しい街」は完成間近であり、諸国合議と記念式典の準備も着々と進んでいる。
その歴史的な日に先駆けて、トーラ王国からはヴァーリ・レーンヴェスト王とナサーリヤ・ビゲレイド公が、スバクル領主国からはラシオン・カーヤイ公とジャジカ・ユドゥズ公がそれぞれ出席して、終戦協定書に無事調印がなされた。
ジェライン・セディギアとカーフレイ・アヴールの処罰も終わり、トーラ王国はオライリ公が宰相を務める新体制が整った。
反レーンヴェスト派は政治の中枢から去り、現在トーラ王国は、やっと落ち着いた日々を取り戻している。
そんななか、スバクル領主国を訪れているヴァーリは、生涯これほどないというくらい、穏やかな日々を過ごしていた。
新たな盟友となった、カーヤイ家とユドゥズ家から受ける歓待は行き届き、政治的合議のための訪問というよりも、気分はすっかり物見遊山 である。
◇
「十 は若返った顔をしているぞ」
終戦協定の立会人として呼ばれたマハディ・テムラン大公が、義息子 をからかった。
調印終了後の宴席での酒も進んで、ほろ酔い気分で頬を緩ませている大公に、青磁 色の瞳が反撃の笑みを浮かべる。
「それはどうも。義父上 は十年間、相も変わらずでいらっしゃいますね」
「なんだと!十年進歩がないと言いたいのか。この若造め」
「義父上 のお年で進歩があったら、今ごろ冥府へお住み替えでしょう。お若く見えますよと、申し上げているだけです」
虎の牙を涼しげな表情でいなして、ヴァーリはレヴィアが淹 れた茶に手を伸ばす。
「よかったですね。中身の劣化は目に見えませんから」
「失敬な!」
「ああ、中身も変わっておりませんでしたか。特にその、すぐ声を荒らげるところなど」
「誰のせいで怒鳴っていると思うのだっ」
「私でしょうか」
「ほかに誰がおるんだっ。……おお、クレーネ、ありがとう」
差し出された茶碗とレヴィアを見比べて、マハディの目尻がだらしなく下がった。
「お前は、さらにまたこの上なく、類を見ないほど良い男になったな。壮烈な青騎士よ」
「……ありがとう、ございます」
父と祖父のやり取りを、どういう顔をして聞いていればよいのかわからなくて。
レヴィアは戸惑った、なんとも中途半端な笑顔をマハディに向ける。
「ふはっ」
同席するラシオンが思わず吹き出し、酒の力も手伝ったのか、次第に声も高らかに笑い始めた。
「ふ、ふふふふ。ははは!おふたりとも息ぴったりですねぇ。清々しいほどの様式美!仲がいいほどケンカするって、本当ですねぇ」
鷹と虎が目配せをし合うのにも気づかないラシオンが、カラカラと笑い続ける。
「時にスバクルの疾風よ。私が贈った薔薇 の様子はどうだ」
マハディの片方の白眉 が上がり、黒曜石の瞳が厳しく尋ねる色を浮かべた。
「ああ!」
破顔して、ラシオンは大きくうなずく。
「ちゃんと根付きましたよ!まだ数は少ないですが、豪奢 な紅 バラが咲きました」
「そうかそうか。それはなによりだ」
「私が贈った薔薇 のほうはいかがだろうか。我が国が信頼を寄せる、スバクルの英傑 よ」
「ええ!ヴァーリ陛下のバラも、」
冷徹の鷹からの賛辞に気を良くしたラシオンは、得意そうに言葉を続けようとしたのだが。
「それで」
ヴァーリの無常な声がラシオンをさえぎり、同時に猛虎の口が開く。
「「どちらの薔薇 が美しい」」
一語一句乱さぬ鷹と虎にラシオンの目が泳いだ。
「え?!……あの、えっと……?」
(あれって、絶対おんなじ品種だろ?!)
はっきりと聞いたわけではないが、ラシオンはそう踏んでいる。
なにしろ鷹と虎それぞれが、育て上げたリーラ妃をほめ称えながら、贈ってくれたのだから。
だから、見るものを慰めるような大輪の花を咲かせた二株に、ラシオンは内心ほっとしていたのだが。
まさか、こんな罠 が待ち受けているとは。
冷徹の鷹と風雲猛虎が、脂汗を流すラシオンを見てニヤリと笑う。
そのふたりの目は、完全に捕食者のものだ。
(いやこれ、何て答えたら正解?!)
ラシオンはうろたえ、助けを求めてその場にいる皆を見回してみる。
(ちょっと、誰かっ)
ユドゥズ公が、なんとも気の毒そうな顔をしている。
顔を伏せているジーグの口元は緩んでいるし、クローヴァとレヴィアは明後日のほうを向いて、ラシオンを見ようともしてくれない。
そして、ビゲレイド公にいたっては、なぜか感動した面持ちで瞳を輝かせている。
(誰も当てにならねぇっ)
絶望したラシオンが目を戻すと、前のめりになった鷹と虎は、今にも襲いかかってきそうだ。
酸欠になって水面に浮かぶ魚のように、ラシオンはただ、ぱくぱくと口を動かすことしかできない。
「娘として注がれる愛も、妻として寄せられる愛も。どちらも尊く、温かいものです」
野に一番に春を告げる鳥の声に、その場にいた全員の視線が集まる。
「父と夫。立場は違 えど、等しく宝物の愛。贈られた薔薇 と同様どちらも美しく、優劣なく慰めもたらすもの」
(さすがお嬢!ありがてぇ……)
ほっとしたラシオンが目を戻すと、鷹と虎はすでに自分など眼中にないようで。
哀切のなかに、ほんの少しの驚きがにじむ顔で、アルテミシアを見つめている。
アルテミシアの言葉は薔薇 の話の続きのようでいて、そうではないことに、ふたりは気づいていた。
「ヴァーリ陛下、テムラン大公。おふたりにお話があります。……スライ、頼んでいたものを用意してくれるか?」
鷹と虎がうなずいて了承を示すと、部屋の片隅で控えているアガラム従者も、静かに頭を下げる。
「それから、同席をお願いしたいんだ。アガラム語を教えてくれたスライなら、内緒の範囲だと思うから」
「おや」
眉の根を寄せて、クローヴァは首傾けた。
「僕たちは、その内緒から仲間外れにされるのかな?」
(察しているとおりならば……)
アルテミシアが豪傑たちにする”お話”は、クローヴァも聞きたい、懐かしい人からの言葉のはずなのに。
「クローヴァ殿下。ここは見守り、待つことが肝要。幼子のような駄々をこねるものではありません」
「……そう、ですね。わかりました」
ジーグからの忠告を受けて、クローヴァは不承不承、口を閉じた。
「新しい街」は完成間近であり、諸国合議と記念式典の準備も着々と進んでいる。
その歴史的な日に先駆けて、トーラ王国からはヴァーリ・レーンヴェスト王とナサーリヤ・ビゲレイド公が、スバクル領主国からはラシオン・カーヤイ公とジャジカ・ユドゥズ公がそれぞれ出席して、終戦協定書に無事調印がなされた。
ジェライン・セディギアとカーフレイ・アヴールの処罰も終わり、トーラ王国はオライリ公が宰相を務める新体制が整った。
反レーンヴェスト派は政治の中枢から去り、現在トーラ王国は、やっと落ち着いた日々を取り戻している。
そんななか、スバクル領主国を訪れているヴァーリは、生涯これほどないというくらい、穏やかな日々を過ごしていた。
新たな盟友となった、カーヤイ家とユドゥズ家から受ける歓待は行き届き、政治的合議のための訪問というよりも、気分はすっかり
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「
終戦協定の立会人として呼ばれたマハディ・テムラン大公が、
調印終了後の宴席での酒も進んで、ほろ酔い気分で頬を緩ませている大公に、
「それはどうも。
「なんだと!十年進歩がないと言いたいのか。この若造め」
「
虎の牙を涼しげな表情でいなして、ヴァーリはレヴィアが
「よかったですね。中身の劣化は目に見えませんから」
「失敬な!」
「ああ、中身も変わっておりませんでしたか。特にその、すぐ声を荒らげるところなど」
「誰のせいで怒鳴っていると思うのだっ」
「私でしょうか」
「ほかに誰がおるんだっ。……おお、クレーネ、ありがとう」
差し出された茶碗とレヴィアを見比べて、マハディの目尻がだらしなく下がった。
「お前は、さらにまたこの上なく、類を見ないほど良い男になったな。壮烈な青騎士よ」
「……ありがとう、ございます」
父と祖父のやり取りを、どういう顔をして聞いていればよいのかわからなくて。
レヴィアは戸惑った、なんとも中途半端な笑顔をマハディに向ける。
「ふはっ」
同席するラシオンが思わず吹き出し、酒の力も手伝ったのか、次第に声も高らかに笑い始めた。
「ふ、ふふふふ。ははは!おふたりとも息ぴったりですねぇ。清々しいほどの様式美!仲がいいほどケンカするって、本当ですねぇ」
鷹と虎が目配せをし合うのにも気づかないラシオンが、カラカラと笑い続ける。
「時にスバクルの疾風よ。私が贈った
マハディの片方の
「ああ!」
破顔して、ラシオンは大きくうなずく。
「ちゃんと根付きましたよ!まだ数は少ないですが、
「そうかそうか。それはなによりだ」
「私が贈った
「ええ!ヴァーリ陛下のバラも、」
冷徹の鷹からの賛辞に気を良くしたラシオンは、得意そうに言葉を続けようとしたのだが。
「それで」
ヴァーリの無常な声がラシオンをさえぎり、同時に猛虎の口が開く。
「「どちらの
一語一句乱さぬ鷹と虎にラシオンの目が泳いだ。
「え?!……あの、えっと……?」
(あれって、絶対おんなじ品種だろ?!)
はっきりと聞いたわけではないが、ラシオンはそう踏んでいる。
なにしろ鷹と虎それぞれが、育て上げたリーラ妃をほめ称えながら、贈ってくれたのだから。
だから、見るものを慰めるような大輪の花を咲かせた二株に、ラシオンは内心ほっとしていたのだが。
まさか、こんな
冷徹の鷹と風雲猛虎が、脂汗を流すラシオンを見てニヤリと笑う。
そのふたりの目は、完全に捕食者のものだ。
(いやこれ、何て答えたら正解?!)
ラシオンはうろたえ、助けを求めてその場にいる皆を見回してみる。
(ちょっと、誰かっ)
ユドゥズ公が、なんとも気の毒そうな顔をしている。
顔を伏せているジーグの口元は緩んでいるし、クローヴァとレヴィアは明後日のほうを向いて、ラシオンを見ようともしてくれない。
そして、ビゲレイド公にいたっては、なぜか感動した面持ちで瞳を輝かせている。
(誰も当てにならねぇっ)
絶望したラシオンが目を戻すと、前のめりになった鷹と虎は、今にも襲いかかってきそうだ。
酸欠になって水面に浮かぶ魚のように、ラシオンはただ、ぱくぱくと口を動かすことしかできない。
「娘として注がれる愛も、妻として寄せられる愛も。どちらも尊く、温かいものです」
野に一番に春を告げる鳥の声に、その場にいた全員の視線が集まる。
「父と夫。立場は
(さすがお嬢!ありがてぇ……)
ほっとしたラシオンが目を戻すと、鷹と虎はすでに自分など眼中にないようで。
哀切のなかに、ほんの少しの驚きがにじむ顔で、アルテミシアを見つめている。
アルテミシアの言葉は
「ヴァーリ陛下、テムラン大公。おふたりにお話があります。……スライ、頼んでいたものを用意してくれるか?」
鷹と虎がうなずいて了承を示すと、部屋の片隅で控えているアガラム従者も、静かに頭を下げる。
「それから、同席をお願いしたいんだ。アガラム語を教えてくれたスライなら、内緒の範囲だと思うから」
「おや」
眉の根を寄せて、クローヴァは首傾けた。
「僕たちは、その内緒から仲間外れにされるのかな?」
(察しているとおりならば……)
アルテミシアが豪傑たちにする”お話”は、クローヴァも聞きたい、懐かしい人からの言葉のはずなのに。
「クローヴァ殿下。ここは見守り、待つことが肝要。幼子のような駄々をこねるものではありません」
「……そう、ですね。わかりました」
ジーグからの忠告を受けて、クローヴァは不承不承、口を閉じた。