豪傑二人

文字数 2,543文字

 アルテミシアの再びの怪我も癒えるころには、スバクル領主国も晩夏(ばんか)を迎えていた。
 「新しい街」は完成間近であり、諸国合議と記念式典の準備も着々と進んでいる。
 その歴史的な日に先駆けて、トーラ王国からはヴァーリ・レーンヴェスト王とナサーリヤ・ビゲレイド公が、スバクル領主国からはラシオン・カーヤイ公とジャジカ・ユドゥズ公がそれぞれ出席して、終戦協定書に無事調印がなされた。

 ジェライン・セディギアとカーフレイ・アヴールの処罰も終わり、トーラ王国はオライリ公が宰相を務める新体制が整った。
 反レーンヴェスト派は政治の中枢から去り、現在トーラ王国は、やっと落ち着いた日々を取り戻している。
 そんななか、スバクル領主国を訪れているヴァーリは、生涯これほどないというくらい、穏やかな日々を過ごしていた。
 新たな盟友となった、カーヤイ家とユドゥズ家から受ける歓待は行き届き、政治的合議のための訪問というよりも、気分はすっかり物見遊山(ものみゆさん)である。


(とお)は若返った顔をしているぞ」
 終戦協定の立会人として呼ばれたマハディ・テムラン大公が、義息子(むすこ)をからかった。
 調印終了後の宴席での酒も進んで、ほろ酔い気分で頬を緩ませている大公に、青磁(せいじ)色の瞳が反撃の笑みを浮かべる。
「それはどうも。義父上(ちちうえ)は十年間、相も変わらずでいらっしゃいますね」
「なんだと!十年進歩がないと言いたいのか。この若造め」
義父上(ちちうえ)のお年で進歩があったら、今ごろ冥府へお住み替えでしょう。お若く見えますよと、申し上げているだけです」
 虎の牙を涼しげな表情でいなして、ヴァーリはレヴィアが()れた茶に手を伸ばす。
「よかったですね。中身の劣化は目に見えませんから」
「失敬な!」
「ああ、中身も変わっておりませんでしたか。特にその、すぐ声を荒らげるところなど」
「誰のせいで怒鳴っていると思うのだっ」
「私でしょうか」
「ほかに誰がおるんだっ。……おお、クレーネ、ありがとう」
 差し出された茶碗とレヴィアを見比べて、マハディの目尻がだらしなく下がった。
「お前は、さらにまたこの上なく、類を見ないほど良い男になったな。壮烈な青騎士よ」
「……ありがとう、ございます」
 父と祖父のやり取りを、どういう顔をして聞いていればよいのかわからなくて。
 レヴィアは戸惑った、なんとも中途半端な笑顔をマハディに向ける。
「ふはっ」
 同席するラシオンが思わず吹き出し、酒の力も手伝ったのか、次第に声も高らかに笑い始めた。
「ふ、ふふふふ。ははは!おふたりとも息ぴったりですねぇ。清々しいほどの様式美!仲がいいほどケンカするって、本当ですねぇ」
 鷹と虎が目配せをし合うのにも気づかないラシオンが、カラカラと笑い続ける。
「時にスバクルの疾風よ。私が贈った薔薇(ばら)の様子はどうだ」
 マハディの片方の白眉(はくび)が上がり、黒曜石の瞳が厳しく尋ねる色を浮かべた。
「ああ!」
 破顔して、ラシオンは大きくうなずく。
「ちゃんと根付きましたよ!まだ数は少ないですが、豪奢(ごうしゃ)(べに)バラが咲きました」
「そうかそうか。それはなによりだ」
「私が贈った薔薇(ばら)のほうはいかがだろうか。我が国が信頼を寄せる、スバクルの英傑(えいけつ)よ」
「ええ!ヴァーリ陛下のバラも、」
 冷徹の鷹からの賛辞に気を良くしたラシオンは、得意そうに言葉を続けようとしたのだが。
「それで」
 ヴァーリの無常な声がラシオンをさえぎり、同時に猛虎の口が開く。
「「どちらの薔薇(ばら)が美しい」」
 一語一句乱さぬ鷹と虎にラシオンの目が泳いだ。
「え?!……あの、えっと……?」

(あれって、絶対おんなじ品種だろ?!)
 
 はっきりと聞いたわけではないが、ラシオンはそう踏んでいる。
 なにしろ鷹と虎それぞれが、育て上げたリーラ妃をほめ称えながら、贈ってくれたのだから。
 だから、見るものを慰めるような大輪の花を咲かせた二株に、ラシオンは内心ほっとしていたのだが。
 まさか、こんな(わな)が待ち受けているとは。
 
 冷徹の鷹と風雲猛虎が、脂汗を流すラシオンを見てニヤリと笑う。
 そのふたりの目は、完全に捕食者のものだ。

(いやこれ、何て答えたら正解?!)
 
 ラシオンはうろたえ、助けを求めてその場にいる皆を見回してみる。
 
(ちょっと、誰かっ)

 ユドゥズ公が、なんとも気の毒そうな顔をしている。
 顔を伏せているジーグの口元は緩んでいるし、クローヴァとレヴィアは明後日のほうを向いて、ラシオンを見ようともしてくれない。
 そして、ビゲレイド公にいたっては、なぜか感動した面持ちで瞳を輝かせている。

(誰も当てにならねぇっ)
 
 絶望したラシオンが目を戻すと、前のめりになった鷹と虎は、今にも襲いかかってきそうだ。
 酸欠になって水面に浮かぶ魚のように、ラシオンはただ、ぱくぱくと口を動かすことしかできない。
「娘として注がれる愛も、妻として寄せられる愛も。どちらも尊く、温かいものです」
 野に一番に春を告げる鳥の声に、その場にいた全員の視線が集まる。
「父と夫。立場は(たが)えど、等しく宝物の愛。贈られた薔薇(ばら)と同様どちらも美しく、優劣なく慰めもたらすもの」

(さすがお嬢!ありがてぇ……)

 ほっとしたラシオンが目を戻すと、鷹と虎はすでに自分など眼中にないようで。
 哀切のなかに、ほんの少しの驚きがにじむ顔で、アルテミシアを見つめている。
 アルテミシアの言葉は薔薇(ばら)の話の続きのようでいて、そうではないことに、ふたりは気づいていた。
「ヴァーリ陛下、テムラン大公。おふたりにお話があります。……スライ、頼んでいたものを用意してくれるか?」
 鷹と虎がうなずいて了承を示すと、部屋の片隅で控えているアガラム従者も、静かに頭を下げる。
「それから、同席をお願いしたいんだ。アガラム語を教えてくれたスライなら、内緒の範囲だと思うから」
「おや」
 眉の根を寄せて、クローヴァは首傾けた。
「僕たちは、その内緒から仲間外れにされるのかな?」

(察しているとおりならば……)

 アルテミシアが豪傑たちにする”お話”は、クローヴァも聞きたい、懐かしい人からの言葉のはずなのに。

「クローヴァ殿下。ここは見守り、待つことが肝要。幼子のような駄々をこねるものではありません」
「……そう、ですね。わかりました」
 ジーグからの忠告を受けて、クローヴァは不承不承、口を閉じた。
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