頼もしい味方

文字数 4,172文字

 スバクル領主国・トーラ王国の休戦協定時、両国国境に緩衝地帯を設けることが定められた。
 その平原は、かつてはスバクル領主国の主要農村地域でもあったが、度重なる両国の衝突で離農者が相次ぎ、荒野となって久しい。
 
 その平原を見下ろす丘の頂上。
 漆黒の羽をゆっくりと収めるロシュの鞍上(あんじょう)で、アルテミシアは撤退するスバクル兵の背中を眺めていた。
 紅の稲妻模様を持つロシュの姿は、遠く陣を張る敵兵の目にも、否が応でも入っていることだろう。
 強めに吹く風に深紅の巻き髪をたなびかせながら、アルテミシアは平原各所に目をやった。
 
 アルテミシアとジーグが前線に加わって五日。
 ロシュにまったく歯が立たないレゲシュ軍は、国境緩衝地帯から大きく後退し、逆にトーラ勢は、スバクル内部にまで進攻を果たしていた。

「ふくちょ、あいつら逃がしといていいの?追撃する?」
 ロシュの左隣に、軍服も(さま)になったヴァイノが並んだ。
 騎乗する黒馬は、鼻息を荒くして首を振り立てているが、顔色ひとつ変えずに上手くなだめている。
「いや、いったん様子見だ。……この平原いいな。この時期に雪が欠片(かけら)もないなんて。ラシオンに言って、うちにも使わせてもらえないかな」
「ずいぶん暖かいね。森ひとつ、越えただけなのに。戻る?」
「そうするか」
 ロシュを反転させたアルテミシアに合わせて、右隣に控えていたレヴィアも手綱(たづな)を引いた。
「今、攻め込むときでは?スバクル本陣まであとわずか。敵は落ちる寸前でしょう!」
 七重臣の重鎮ビゲレイド公が、丘の中腹からアルテミシアを見上げている。
「クローヴァ軍の一隊を見張りに残す。ビゲレイド隊もいったん引け!」
「了解です!ビゲレイド隊、撤収準備!」
 アルテミシアの指示に、ビゲレイドは任された兵士たちに向かって声を張り上げた。

◇ 
 チェンタ族長国から前線へと合流したアルテミシアとジーグ、そして、帝国側に見つからないよう途中で落ち合ったレヴィアを本陣で出迎えたのは、クローヴァでもフリーダ隊の誰かでもなく、ビゲレイドその人であった。

「帝国との会談はいかがでしたかな?」
 本陣天幕の入口を掲げ開けて、ビゲレイドが武骨な笑顔を見せている。
 向き合ったアルテミシアの足が一瞬止まるが、そのまま涼しい顔でビゲレイドの脇を通り過ぎていく。
「ん。竜の所属はトーラに認められた。交易もしたいそうだ」
「すべて上首尾に終わったのですな。重畳(ちょうじょう)重畳(ちょうじょう)
 目を丸くして動けないレヴィアに、ビゲレイドは正式の礼を捧げて頭を下げた。
「殿下もお疲れでしょう。さあ、中へどうぞ」
「え……。あ、はい……?」

(だ、誰……)

 議場で()えていたビゲレイドには、双子の兄弟でもいたのではないか。
 そう思うほどの変わりように、レヴィアは目をぱちくりとさせる。
「大丈夫だ。貴族軍服ではなく、王立軍服を着ている。まずは話を聞こう」
 ジーグの大きな手に背中を支えられて、レヴィアは戸惑いながらも、本陣天幕内へと足を踏み入れた。

 帝国からもたらされた「イハウ連合国の関与」の情報に、本陣に集う両王子軍の隊長や主要戦士たちからどよめきが上がった。
「これは一大事ですな。だが、その可能性を、すでに反統領派のスバクル領主家に伝える行動を取っている。……うーむ」
 しきりに感心しているビゲレイドは、当たり前のような顔をして作戦会議に参加している。
「……他国と協力関係にあるということは、これほどまでに強みを発揮するのか……」
「時にナサーリヤ・ビゲレイド公」
 春告げ鳥の声に呼ばれ、スバクル地図を食い入るようにのぞき込んでいたビゲレイドの顏が上がった。
「テムラン副長は、私の名をご存じか」
「当たり前だ」
 体を起こしたビゲレイドに、アルテミシアは軽く微笑む。
「貴公の兵は皆、貴方(あなた)を名で呼んでいた。”ナサーリヤ様”とな。貴方(あなた)の指揮官振りがそれでよくわかった。厳しいだけは、あれほど慕われない」
「副長殿が、私の領地にいらっしゃるとは思ってもおりませんでした。我が兵たちと、ずいぶん親しくなられたそうで」
「トーラの英雄とまで言われるその実力が、どれほどかと知りたくてな。……貴公とは、直接やり合えなかったし」
 鮮緑の瞳が、悪戯(いたずら)猫のように輝いた。
「兵の能力は高かったし、隊の雰囲気もよい。あれなら戦果を上げるのもうなずける」
 アルテミシアに向き合ったビゲレイドは、知らず直立不動の姿勢になる。
「我が隊の兵たちは、副長のことを”華麗なる猛将”と呼んでおります。滅多打ちにされて、誰ひとり勝てなかったとか」
「猛将とは大袈裟だな。重篤(じゅうとく)な怪我人は出さなかったと思うが」
「いきなり乗り込んで”まとめて掛かってこい”と言い放ち、ひとり残らず地に沈めた。大の戦士どもをすっかり骨抜きにした貴女(あなた)を、猛将と呼ばずして何と呼べと?」
「……リズィエ」
 ジーグがジロリとアルテミシアをにらんだ。
「そこまでにしてくれ、ビゲレイド公。戦場であまり長い説教は聞いていられない。ジーグも許せ。骨なんか抜いていないぞ?それが証拠に、ちゃんとそのあと、全員に稽古(けいこ)をつけている。お前こそ、オライリ公のところへ、邪魔をしに行ったんだって?」
 アルテミシアの横目に、意味深なジーグのまなざしが返される。
「言うに事欠いて邪魔とは。トーラの内政執務に関して、意見交換を行っただけです」
「ギードが泣いて喜んでいたぞ。仕事がやりやすくなったって」
「そらご覧なさい。私の行動には実がある。リズィエのように、大切な兵の骨を抜くような、考え無しではございません」
「失敬な。考えている」
「考えてそれでは、なお悪い」
「なっ!」
 むきになったアルテミシアが一歩踏み出したとき、ビゲレイドが呵呵大笑をした。
「はははは!骨は抜かれましたが、士気は上がっておりますよ。”腕を上げれば、またあの方に手合せしていただける”と言い合い、励みにしているようです。私がここに来るときにも、非難轟々でした。”ナサーリヤ様ばかりずるい”と。しかし、此度(こたび)(いくさ)では、貴族軍は出さずが殿下方のご方針。そこで」
 ビゲレイドがレヴィアをひたりと見つめる。
「レヴィア殿下。折入ってお願いしたき儀がございます」
「え、僕に?……あの、許し、ますけど……」
 戸惑うレヴィアは、助けを求めてクローヴァを見上げた。
 
 軍事会議に参加しているのだから、ビゲレイドはクローヴァに許されてここにいるのだろう。
 ならば、今さら自分に願い出ることとは?

 クローヴァから目配せされたビゲレイドが、力強くうなずいた。
「私をレヴィア殿下の隊に、ぜひお召しを。テムラン副長の指揮下で戦うことをお許しいただきたいのです」
 
 アルテミシアがビゲレイドとやり合う代わりに、彼の兵士たちと剣を交え、こてんぱんに打ち負かしたのだろう、ということはわかった。
 そして、レヴィア的には大いに不本意ではあるが、アルテミシアの武術と人となりに、魅かれる者が続出したのであろう。
 だが……。

「貴公の申し出を疑うわけではないが、どういった心境の変化だ」
 レヴィアと同じ疑問を(いだ)いたのか、アルテミシアが率直に尋ねた。
「私を追剥(おいはぎ)呼ばわりしてから、そう日は経っていまい」 
「その節は、本当に失礼なことを申し上げた」
 直立不動の姿勢となった剛直な男が、深々と頭を下げる。
「副長殿と剣を交えた者のなかには、我が息子たちもいたのです。そして、言われてしまいました。私の話はデタラメではないかと」
 思い悩むように言葉を止めた戦士に、鮮緑(せんりょく)の瞳が続きを促した。
「私は常々息子たち、我が兵たちに説いて参りました。無知蒙昧(むちもうまい)が目を曇らせ、耳を塞ぐ。思い込みを捨てよ。(まこと)の五感を鍛えよと。私自身、それを戦場での信念として参りました」
「陛下がおっしゃっていたよ。ビゲレイド公ほど、戦況を読むことに()けた者はいないとね。僕も同じ意見だ」
「そのつもりでした」
 クローヴァからの賛辞に、ビゲレイドのいかつい眉が曇る。
「ですが、それはただの(おご)りになり果てていた。”父上のおっしゃっていた劣った外道(げどう)に、我々は一太刀(ひとたち)も浴びせられなかった。なのに、勝者である猛将は我々を見下すことなく、その技を伝授してくれた”」
 ビゲレイドは瞬きひとつせずに、息子たちからの言葉を口にした。
「”出身国など問わず、指導してくれたあの猛将を劣っているとおっしゃるのなら、父上は、次の(いくさ)で命を落とすでしょう。父上の異国嫌いは、スバクルに大敗を喫した過去を引きずっているだけです。ご自分の信念は、戦場で鍛え上げた目と耳は、どこへお忘れになったのですか”」
 視線を落としたビゲレイドから、大きなため息が漏れる。
「トーラに、自分に足りないものがあるとわかっておりました。けれど、そのために大切な同胞を失ったのだとは、認めたくなかった。現状のまま勝ってみせることが、亡き者たちに報いる唯一だと足掻いていた」
 深藍(ふかあい)の瞳は、今や()き物が落ちたように清々しい。
(おのれ)に何がどれほど足りないのかを、この戦に身を投じて見極めたい」
 頑迷さの抜けたビゲレイドは、(まさ)しく豪傑の戦士であった。
「祖国よりも、殿下を守るために多くの者が集う。その理由を、結末を、私はこの目で見たいのです。レヴィア殿下、貴方(あなた)の騎士たちと、ともに戦う(ほまれ)をお与えください」
「貴公に足りないものは、もうないな」
「……は?」
「貴公の目と耳はもう(ひら)いている。あとは我が盟友として、その力を発揮してくれればいいだけだ。……レヴィア殿下がお許しになれば、だが」
 潔いアルテミシアの微笑に、ビゲレイドは雷に打たれたように、体を震わせる。
「僕はミーシャの、副長の判断は信じている。ビゲレイド公、ここまで来てくださって、ありがとうございます」
「臣下に礼など」
 いさめようとしたビゲレイドに、レヴィアは可憐な笑顔を向けた。
「ともに命を懸けて戦ってくれる人に、心を尽くすのは当たり前、です」
「殿下……」
「旧・トーラの英雄にならないように、せいぜい発奮してもらわないとな」
 後悔と自責が入り交じるような顔をするビゲレイドに、アルテミシアはわざと挑発的にあごを上げてみせる。
「若い者に負ける気はいたしませんよ。せいぜい、度肝を抜かれませんように」
 乗ったビゲレイドが、同じようにあごを上げてアルテミシアを見下ろし、豪快な笑い声を上げた。
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