頼もしい味方

エピソード文字数 4,586文字

 スバクルの平原を見下ろす丘で、漆黒の羽をゆっくりと収めるロシュの(くら)にアルテミシアはまたがっている。
 ロシュの羽にある紅の稲妻模様は、平原のどこからでも目を引かずにはいられない。
 強めの風が吹き上がってくる。
 深紅の巻き髪をなびかせながら、アルテミシアは撤退するスバクル兵の背中を眺めていた。
 アルテミシアとジーグが前線に加わって五日。
 ロシュにまったく歯が立たないレゲシュ軍は国境から大きく後退し、逆にトーラ勢は、スバクル内部にまで進攻を果たした。
「ふくちょ!あいつら逃げるぜ!追っかける?」
 ロシュの左隣に、軍服も(さま)になったヴァイノが並んだ。騎乗する黒馬が鼻息も荒く首を振り立てるのを上手くなだめている。
「いや、いったん様子見だ。…この平原いいな。春先でこれだけ温暖なのか。トーラはまだ雪が残っていたのに。ラシオンに言って、うちにも使わせてもらえないかな」
 アルテミシアはロシュの手綱(たづな)を引いた。
「ずいぶん温かいね。森ひとつ、越えただけなのに」
 右隣の葦毛(あしげ)に騎乗するレヴィアが同じように馬を回す。カーヤイ家紋の入る兵服の(すそ)が風に(ひるがえ)った。
「今攻め込むときでは?スバクル本陣まであとわずか。敵は落ちる寸前でしょう!」
 七重臣の一人ビゲレイド公が、丘の中腹からアルテミシアを見上げている。
「クローヴァ軍の一隊を見張りに残す。ビゲレイド隊もいったん引け!」
「了解いたしました!」
 アルテミシアの指示に、ビゲレイドは任された兵士たちに伝令を飛ばし始めた。
 
 チェンタから前線へ合流したアルテミシアとジーグ、そして帝国側に見つからないよう途中合流をしたレヴィアを本陣で出迎えたのは、クローヴァでもフリーダ隊の誰かでもなく、ビゲレイドその人であった。
「帝国との会談はいかがでしたかな?」
 ビゲレイドは本陣天幕の入口を掲げ開け、三人を中へと(いざな)う。
 一瞬足を止めたアルテミシアだが、ごく自然にビゲレイドに答えた。
「ん。竜の所属はトーラに認められた。交易もしたいそうだ」
 その脇を抜けて本陣に入るその姿は、剣を抜く寸前のにらみ合いをした遺恨などは何も感じさせない。
「すべて上首尾に終わったのですな。重畳(ちょうじょう)重畳(ちょうじょう)
 目を丸くして動けないレヴィアに無骨な笑顔を向け、ビゲレイドは正式の礼を取った。
「殿下もお疲れでしょう。さあ、中へどうぞ」
「え…。あ、はい…?」
 議場で()えていたビゲレイドには双子の兄弟でもいるのか。
 そう疑うほどの変わりようだ。
「大丈夫だ。貴族軍服ではなく、王立軍服を着ている。まずは話を聞こう」
 ジーグの大きな手に背中を支えられ、戸惑いながらもレヴィアは本陣天幕内へと足を踏み入れた。

 帝国からもたらされたイハウ連合国の関与に、本陣に集う両王子軍の隊長始め主要戦士たちがどよめいた。
「これは一大事ですな。だがすでにその可能性を、レゲシュに賛同していないスバクル領主家に伝える行動を取っている。…うーむ」
 ごく当たり前のように作戦会議に参加しているビゲレイドが(うな)る。
「…他国と協力関係にあるということは、これほどまでに強みを発揮するのか…」
「時にナサーリヤ・ビゲレイド公」
 春告げ鳥の声に呼ばれ、スバクル地図を食い入るようにのぞき込んでいたビゲレイドの顏が上がった。
「テムラン副長は、私の名をご存じか」
「当たり前だ」
 アルテミシアは軽くうなずく。
「貴公の兵は皆、貴方(あなた)を名で呼んでいた。“ナサーリヤ様”とな。ずいぶんと慕われている。貴方(あなた)の指揮官振りが、それでよくわかった」
 ビゲレイドの深藍(ふかあい)の瞳がアルテミシアを凝視する。
「副長殿が私のところにいらっしゃるとは思いませんでした。我が兵たちと、ずいぶん親しくなられたそうで」
「トーラの英雄とまで言われるその実力が、どれほどかと知りたくてな。…貴公とはやり合えなかったし」
 悪戯(いたずら)猫のように輝く目に笑みが浮かんだ。
「兵の能力は皆高かった。隊の雰囲気もよい。あれなら戦果を上げるのもうなずける」
 ビゲレイドはゆっくりとアルテミシアに体を向けた。
「我が隊の兵たちは副長のことを、“華麗なる猛将”と呼んでおります。滅多打ちにされて、誰一人勝てなかったとか」
 アルテミシアは心外だいう顔をする。
「猛将とは大袈裟だな。重篤(じゅうとく)な怪我人は出さなかったと思うが」
「いきなり我が隊に乗り込んできて“まとめて掛かってこい”と言い放ち、一人残らず大地に沈め、さらに稽古(けいこ)をつけられた。大の戦士どもをすっかり骨抜きにした貴女(あなた)を、猛将と呼ばずして何と呼べと?」
「…リズィエ」
 ジーグの鋭い視線がアルテミシアに注がれた。
「言い方を変えてくれ、ビゲレイド公。戦場であまり長い説教は聞いていられない。ジーグも許せ。骨なんか抜いていないぞ?それが証拠に、ちゃんとそのあと稽古(けいこ)をつけている。帝国では当たり前にやっていたことだろう。隊長勝負後の稽古(けいこ)など」
「あれは懲罰の意味もあるではありませんか」
 ため息をつくジーグを、アルテミシアが横目で見遣(みや)った。
「お前こそ。オライリ公のところへ邪魔をしに行ったろう」
「言うに事欠いて邪魔とは。トーラの内政執務に関して、帝国の例を参考に意見交換を行っただけです」
 ジーグも意味ありげな横目を返す。
「ギードが喜んでいたぞ。仕事が格段にしやすくなったそうだ」
「そらご覧なさい。私の行動には実がある。リズィエのように、大切な兵を使いものにならなくさせるような考え無しではございません」
「失敬な。考えている」
「考えてそれではなお悪い」
 アルテミシアがさすがにジーグに食ってかかろうとしたとき、ビゲレイドが呵呵大笑をした。
「ははは!使いものにならなくなるどころか!副長にご指導いただいた訓練法が、今我が軍では流行(はや)りですよ!“これで腕を上げれば、またあの方に手合せしていただける”とね。私がここに来るときも、非難轟々でした。“ナサーリヤ様ばかりずるい”と。しかし此度(こたび)の戦では、貴族軍は出さずが殿下方のご方針。そこで」
 ビゲレイドがレヴィアに向かって丁寧な礼を取った。
「レヴィア殿下。折入ってお願いしたき儀がございます」
「…許し、ます…?」
 レヴィアは隣に立つクローヴァを振り仰いだ。
 当たり前のようにここにいるということは、クローヴァ軍に加わっているのだろう。今さら自分に願い出ることとは何だろう。
 だがクローヴァは静かに首を横に振る。
「彼は二日前に来たばかりだ。レヴィアに話がしたいと言ってね」
 ビゲレイドが力強くうなずいた。
「私を殿下の隊に、ぜひお召しを。テムラン副長の(もと)で剣を振るうことを、お許しいただきたい」
 アルテミシアがビゲレイドとやり合う代わりに彼の兵士たちと剣を交え、こてんぱんに打ち負かしたのだろうということはわかった。そして面白くないことではあるが、ビゲレイド隊では、アルテミシアの武術と人となりに魅かれる者が続出したのであろう。だが…。
「貴公の申し出を疑うわけではないが、どういった心境の変化だ」
 レヴィアと同じ疑問を(いだ)いたのか、アルテミシアが率直に尋ねた。
「私を追剥(おいはぎ)呼ばわりしてから、そう日は経っていまい」
 ビゲレイドが直立不動の姿勢になる。 
「その節は、本当に失礼なことを申し上げた」
 真面目一辺倒の剛直な男が頭を下げた。
「副長殿と剣を交えた者の中には、我が息子たちもおりました。そして言われたのです。私の話はデタラメではないかと」
 思い悩むように言葉を止めた戦士に、鮮緑(せんりょく)の瞳が続きを(うなが)す。
「私は常々息子たち、我が兵たちに説いて参りました。無知蒙昧(むちもうまい)が目を曇らせ、耳を(ふさ)ぐ。思い込みを捨てよ。(まこと)の五感を鍛えよと。私自身、それを戦場での信念として参りました」
「陛下から伺っているよ。ビゲレイド公ほど、戦場における洞察力に()けた者はいないとね」
 ビゲレイドの信念はそのまま世間からの評価でもあることを、クローヴァの静かな声が裏打ちをする。
「そのつもりでした」
 ビゲレイドのいかつい(まゆ)に力が入った。
「ですが、息子たちから指摘されたのです。“父上のおっしゃっていた劣った外道(げどう)に、我々は一太刀(ひとたち)も浴びせられなかった。なのにあの猛将は我々に勝利しただけではなく、惜しみなくその技を伝授してくれた”」
 ビゲレイドは言葉を切り、じっとアルテミシアを見つめた。
「“出身国など関係なく剣を合わせ、指導してくれたあの猛将を劣っているとおっしゃるのなら、父上は次の(いくさ)で命を落とします。父上の異国嫌いは、スバクルに大敗を喫した以前の(いくさ)を引きずっているだけです。ご自分の信念はどうされたのですか。戦場で研ぎ澄ませてきた目と耳は、どこへお忘れになったのですか”」
 ビゲレイドは深いため息をつく。
「トーラに、自分に、足りないものがあるとわかっておりました。だがそのために、大切な同胞を失ったのだとは認められなかった。現状のまま勝ってみせると足掻(あが)いていた」
 深藍(ふかあい)の瞳は、今や()き物が落ちたように清々しい。
(おのれ)に何がどれほど足りないのか。もう一度修行し直し見極めたい。そうでなければ、隊を率いる資格がない。若い者たちのほうが、よほど曇りのない目を持っていた」
 頑迷さの抜けたビゲレイドは、(まさ)しく豪傑の戦士であった。
「祖国よりも殿下を守りたいと、多くの者が集う。その理由を、結末を、私はこの目で見たいのです。レヴィア殿下。ぜひ私をお召しください。貴方(あなた)の騎士たちと、ともに戦う(ほまれ)をお与えください」
「貴公に足りないものは、もうないな」
 アルテミシアはきっぱりと明言する。
「…は?」
 ビゲレイドが怪訝(けげん)そうに竜騎士を見つめた。
「貴公はもう知ろうとしている。一歩踏み出している。我が盟友として、その力を存分に発揮して欲しい。…レヴィア殿下がお許しになれば、だが」
 潔いアルテミシアの微笑を、ビゲレイドは心を打たれた顔つきで見ている。
「なるほど。これは我が隊の者たちが…」
「レヴィア、どうする?」
 ビゲレイドの言葉を奪うように、クローヴァが弟に問う。
「僕はミーシャの、副長の判断は信じている。ビゲレイド公、よろしくお願いいたします」
 むっとした顔を隠すように、レヴィアは頭を下げた。
「レヴィア殿下。臣下に頭などお下げになりますな」
 軽くいさめるビゲレイドに、レヴィアは可憐な笑顔を上げる。
「ともに命を懸けて戦ってくれる人に、礼を尽くすのは当たり前、です」
「私は本当に、何を見ていたのか…。殿下仰せのままに!」
 後悔と自責が混ざり合う顔をレヴィアに向けたビゲレイドが、勇ましく廉直(れんちょく)な礼を取った。
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