遺された腹心-1-

エピソード文字数 2,942文字

 トーラ王立軍兵舎の自室で、離宮から戻ったダヴィドは下働き用の服に着替える。そして鏡をのぞき込みながら、金茶色をした曲毛(くせげ)のカツラを装着した。普段は濃茶(こいちゃ)の髪を極めて短く整えているため、それだけでもずいぶんと雰囲気が変化する。
「ふむ。よし。こんなものか」
 その頭に作業用の帽子を乗せながらそっと扉を開け、ダヴィドは足音も立てずに外に出た。

「親方!ただ今戻りやしたっ!」
 変装したダヴィドは軽薄にも聞こえるほどの明るい声で、厩舎(きゅうしゃ)前にいる初老の男に挨拶をした。
「おう!お()ぇり!早かったな!(さと)の兄貴ってのはどうだったい?」
 塩辛声で挨拶を返しながら、親方と呼ばれた男は人の好い笑顔を見せて片手を上げる。
「へい!かなりよくなりやした。親方に分けていただいた薬が効いてるみてぇで。さっすがセディギア家ですね!ありがてぇことです」
 ダヴィドは帽子を取って、深々と頭を下げた。
「そうかい、そいつぁよかった。おめぇさんがいねぇ間、あの新入り坊主がよっく働いてくれて助かったよ。すいぶん仕込んでってくれたな。…テオ!ドナトが帰ってきたぜ!」
 声を掛けられ、奥の馬房(ばぼう)で馬の世話をしていた背中が体を起こす。
「あ!アニキ!おか、おけぇりなさいやし!」
 偽名でドナト、と呼ばれたダヴィドがうなずく。
「留守中迷惑かけたな。土産あるぜ」
「ほんとですかぃ!やった!」
 小柄な少年は、無邪気に両手を上げて喜んだ。
「はは!相変わらずおめぇら仲いいな。テオ、今日は上がっていいぞ」
「ありがとうござ、ごぜぇやす!」
「じゃ、二人とも、明日からまたよろしく頼むぜ」
 肩を軽く叩いて厩舎(きゅうしゃ)を後にする親方の背中が見えなくなるまで、ダヴィドは腰を曲げ続けた。
 
 親方の姿が消えてなお、周囲の気配を慎重に(さぐ)ってから、ダヴィドはやっと厩舎(きゅうしゃ)に入った。そして「テオ」と呼ばれた少年のそば近くまで体を寄せる。
「カリート様、だいぶ田舎言葉が上手くなられましたね」
 馬たちの息遣(いきづか)いにすら(まぎ)れてしまうほど、ダヴィドは声を落とした。
「ダヴィドの指導がいいからね。様、はいらないよ。タウザー家の直系はもう僕一人。無いも同然だ。私はダヴィドと同じ身分で、陛下とクローヴァ殿下をお支えする」
 クローヴァと同じ紺碧(こんぺき)の瞳が、強い決意を秘めてダヴィドを見上げる。
 凋落(ちょうらく)したタウザー家は、トゥクース郊外で見る影もない生活を送っていたが、半年ほど前にはカリートの母も病で亡くなってしまった。頼る者もなく残された、まだ成人前の一人息子を心配して、クローヴァがダヴィドに託したのだ。
 カリートの父はヴァーリの従弟(いとこ)にあたる。王族の血も引くというのに、急速に力を失っていく家で育ったためだろうか。その瞳には、年齢に見合わぬ諦めが常に影を落としていた。
「情けないことをおっしゃいますな。タウザー家は、カリート様が再興なさいまし。クローヴァ殿下もお元気になられました。今、時代は動いているのです」
 クローヴァの名を聞いて、カリートの顏が明るくなる。
「殿下はいかがお過ごしでいらっしゃる?」
 タウザー家が窮地(きゅうち)に立たされ始めてから、クローヴァがずっとタウザー家を、カリートを支援してくれていたのだが、北棟にクローヴァが軟禁状態となってからは、一目会うことすら叶わなくなった。
 日々弱っていく様子をダヴィドから聞かされ心を痛めながら、苦しい生活の中でもずっとその身を案じ続けていたのだ。
「レヴィア殿下の治療がお体に合ったようで、本当にお元気になられましたよ。あのご年齢であそこまでの医薬術をお持ちとは。感心するほかはありません」
「レヴィア殿下、か」
 カリートの表情が曇る。
「第二王子はどんな方?クローヴァ殿下をちゃんと(うやま)っている?」
 その存在などずっと知らずにいたカリートは、急に表れた「第二王子」に少なからず警戒心を(いだ)いていた。
「そう、ですね」
 ダヴィドの表情が柔らかくなる。
「その従者の言葉を借りれば、“レヴィアは可愛い”方、ですよ」
「可愛い?」
 品のいいカリートの顔が、不快そうにしかめられた。
「王子に対して不敬な」
「いえ、お会いすればおわかりになりますよ。彼女にそう言われるのは、名誉ですらあるでしょう。何しろ凄腕の竜騎士ですからね」
「竜、か…。どんなモノだろう。クローヴァ殿下の御為になるのならいいのだけれど」
 レヴィア、ヴァイノと同じ年だが、カリートには「クローヴァの騎士」となるべく、厳しい境遇でも努力を怠らなかったことへの絶対の自負がある。
 まだ幼ささえ残るのに。生真面目な顔をしているカリートを微笑ましく思いながら、ダヴィドはさらに少年を馬房(ばぼう)の隅へと(うなが)し、(ささや)きかけた。
「カリート様。例の物、用意できましたか?」
 カリートは(ふところ)から何枚かの書付けと、小さな紙包みをいくつか差し出す。
「おじい様と父上の亡くなったときのご様子を、思い出せる限り書いた。それから王子凱旋会の御布令(おふれ)が出て以降、“ご主人”が仕入れた、”いつも見ない”薬草。…すまない、あまり多くは持ち出せなかった。特にこれは」
 少年の指が、厳重に畳まれた紙包みのひとつを指し示した。
「仕入袋を捨てるときの破片しか集められなかった。監視の目がことさら厳しくて」
「十分です。では、すぐにでも渡しましょう」
「すぐ?ダヴィドは帰ってきたばかりじゃないか」
 目を丸くするカリートに、にやりとダヴィドは笑いかける。
「レヴィア殿下のもう一人の従者が、受取りに来る予定です」
「え!この屋敷に?!セディギア家だよ?」
 二人が潜入しているこのセディギア家は、レーンヴェスト家と同じ始祖を持つ由緒ある家だ。トーラ建国の黎明(れいめい)期には、王を輩出することもあった名家である。
 だが国政が安定してほどなく、一族に商人や特定貴族とともに、私腹を肥やす者が絶えなかったため、七重臣の立場に身分を落とされることとなったのだ。しかし、今でも医薬品を中心とした交易権を一手に握り、政治経済ともに力を持つ家であることには変わりがない。
 その屋敷は「王宮よりも王宮らしい」と(うわさ)されるほど(きら)びやかであり、警備も厳重になされていた。末端の使用人ですら、身分ある者からの紹介でなければ雇わないという徹底ぶりだ。
「レヴィア殿下の従者は、それぞれ学ぶところの多い優秀な方々です。さすが帝国の」
「それ」
 カリートはダヴィドの言葉をきつく(さえぎ)る。
「それほど優秀なディアムド帝国の騎士たちが、なぜ隠し子である、第二王子の従者などになっているの?」
「隠し子ではありませんよ」
 二人がいる反対側の暗がりから、低い声がかけられた。
 カリートとダヴィドはぎょっとして同時に振り返る。
 そこには馬房(ばぼう)の影と一体化してしまったような、黒装束の大柄な男が(たたず)んでいた。
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