遺された腹心-1-

文字数 2,717文字

 トーラ王立軍兵舎の自室で、離宮から戻ったダヴィドは下働き用の服に着替え、金茶色をした巻き毛のカツラを装着した。
「よし、こんなものか」
 普段はごく短髪に整えているので、それだけでもずいぶんと雰囲気が変わる。
 すっかり下町の職人に変装したダヴィドは、足音も立てずに部屋をあとにした。

「親方!ただ今戻りやしたっ!」
 厩舎(きゅうしゃ)前にいる初老の男に向かって、ダヴィドは軽薄なほど明るい声を出す。
「おう!お()ぇり!早かったな!(さと)の兄貴分はどうだったい?」
 親方と呼ばれた五十がらみの男が、人の好い笑顔を見せて片手を上げた。
「へぃ!かなりよくなりやした。親方に分けていただいた薬が効いてるみてぇで。さっすが、セディギア家ですね!ありがてぇことです」
「そうかい、そいつぁよかった。おめぇさんがいねぇ間、あの新入り坊主がよっく働いてくれて助かったよ。すいぶん仕込んでってくれたな。……テオ!ドナトが帰ってきたぜ!」
「あ!アニキ!おか、おけぇりなさいやし!」
 偽名でドナト、と呼ばれたダヴィドが、親方の視線の先で体を起こした少年に、ニヘラっと笑いかける。
「留守中、迷惑かけたな。土産はフンパツしたぜっ」
「ほんとですかぃ!やった!」
 小柄な少年が、無邪気に両手を上げて喜んだ。
「はは!相変わらず、おめぇら仲いいな。テオ、今日は上がっていいぞ」
「ありがとうござ、ごぜぇやす!」
「ふたりとも、明日から、またよろしく頼むぜ」
「へぃ!こっちこそでさぁ」
 威勢のいい”ドナト”の返事に、親方は満足そうに目を細める。
「おぅ、頼りにしてんぜ!」
 厩舎(きゅうしゃ)をあとにする親方の背中が見えなくなるまで、ダヴィドは腰を曲げ続けた。
 
 顔を上げたダヴィドは、なお周囲の気配を探りながら、「テオ」と呼ばれた少年のそば近くまで体を寄せる。
「カリート様、だいぶ田舎言葉が上手くなられましたね」
 馬たちの息遣(いきづか)いにすら紛れてしまうほど、ダヴィドは声を落とした。
「ダヴィドの指導がいいからね。”様”はいらないよ。タウザー家の直系は、もう僕ひとり。絶えたも同然だ。僕はダヴィドと同じ身分で、陛下とクローヴァ殿下をお支えする」
 クローヴァと同じ紺碧(こんぺき)の瞳が、強い決意を秘めてダヴィドを見上げている。
 
 「テオ」の偽名を使っているカリートは、武家の名門として名を()せていた「タウザー家」の出身である。
 だが、流行り病の蔓延(まんえん)と長引くスバクル領主国との戦が、タウザーの者の命を次々と奪っていった。
 両親も失い、ひとり残された少年を心配したクローヴァが、密かにダヴィドに託してくれたことで、カリートの今がある。
 だが、凋落(ちょうらく)していく家を目にして育ったためであろうか。
 カリートの瞳には、年齢に見合わぬ諦めが影を落としていた。

「情けないことをおっしゃいますな。タウザー家は、カリート様が成人された暁に再興すればよいのです。クローヴァ殿下もお元気になられました。今、時代は動いているのです」
 クローヴァの名前を聞いたとたんに、カリートの顔が輝いていく。
 
 反対勢力の扱いに苦労している王は、表立って特定一族の支援はできない。
 そのため、陰ながらタウザー家とカリートを支えていたクローヴァであったが、軟禁されてからは、一切の連絡が途絶えて久しい。
 弱っていくその様子をダヴィドから聞いては胸を痛め、クローヴァへの敬愛を募らせていたカリートだ。

「レヴィア殿下の治療がお体に合ったようで、本当にお元気になられましたよ。あのご年齢で、あそこまでの医薬術をお持ちとは。感心するほかはありません」
「レヴィア殿下、か」
 一転、カリートの表情が曇っていく。

 その存在など、ずっと知らずにいたカリートは、急に表れた「第二王子」に少なからず警戒心を(いだ)いていた。
「第二王子はどんな方?クローヴァ殿下をちゃんと(うやま)っている?」
「そうですねぇ……」
 少し考えたのち、ダヴィドは吐息で笑う。
「その従者の言葉を借りれば、”レヴィアは可愛い”方、ですよ」
「可愛い?」
 品のいいカリートの顔が、不快そうにしかめられた。
「王子に対して不敬な」
「いえ、お会いすればおわかりになりますよ。彼女にそう言われるのは、名誉ですらあるでしょう。なにしろ、凄腕の竜騎士ですからね」
「竜……。どんなモノだろうか。クローヴァ殿下の御為になるのなら、いいのだけれど」
 レヴィア、ヴァイノと同じ年で、まだ幼ささえ残るのに。
 生真面目な表情を崩さないカリートを微笑ましく思いながら、ダヴィドはさらに少年を馬房(ばぼう)の奥へと促し、(ささや)きかけた。
「カリート様。例の物、用意できましたか?」
 うなずいたカリートの(ふところ)から、何枚かの書付けと、小さな紙包みがいくつか取り出される。
「おじい様と父上の亡くなったときの様子を、思い出せる限り書いた。それから、王子凱旋会の御布令(おふれ)が出て以降、

が仕入れた”いつもは見ない”薬草。……すまない、あまり多くは持ち出せなかった。特にこれは」
 少年の指が、厳重に畳まれた紙包みのひとつを指し示す。
「仕入袋を捨てるときの、破片しか集められなかった。監視の目がことさら厳しくて」
「十分です。では、すぐにでも渡しましょう」
「すぐ?ダヴィドは帰ってきたばかりじゃないか」
 目を丸くするカリートに、にやりとダヴィドが笑った。
「レヴィア殿下のもうひとりの従者が、受取りに来る予定です」
「え!この屋敷に?!セディギア家だよ?」
 
 ダヴィドとカリートが

このセディギア家は、レーンヴェスト家と同じ始祖を持つ、由緒ある家だ。
 トーラ建国の黎明(れいめい)期には、王を輩出することもあった名家である。
 だが、国政が安定してほどなく、商人や特定貴族と癒着して、私腹を肥やす者が絶えなかったため、七重臣の立場に身分を落とされることとなったのだ。
 しかし、今でも医薬品を中心とした交易権を一手に握り、政治経済ともに発言力を持つ家であることには変わりがない。
 その屋敷は「王宮よりも王宮らしい」と(うわさ)されるほど(きら)びやかであり、警備も厳重。
 末端の使用人ですら、一定以上の身分ある者からの紹介を必要としていた。
 今回のダヴィドとカリートの潜入も、いくつもの貴族家を経由した末に、成功したものである。
 
「レヴィア殿下の従者は、それぞれ学ぶところの多い優秀な方々です。さすが帝国の」
「それ」
 カリートがきつくダヴィドをさえぎった。
「それほど優秀なディアムド帝国の騎士たちが、なぜ隠し子である第二王子の従者などになっているの?」
「隠し子ではありませんよ」
 カリートとダヴィドが同時に振り返れば、いつから

いたのであろうか。
 
 ふたりが肩を寄せる反対側の馬房(ばぼう)の暗がりに、黒装束の大柄な男がたたずんでいた。
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