たのしいということ

エピソード文字数 4,730文字

 アルテミシアの施術(せじゅつ)後、レヴィアの助手を務めたジーグはその腕前を惜しみなく()(たた)えた。
 調合されたシビレ薬はアルテミシアに少しの負担もかけず、痛みだけを取り除いた。その技は鮮やかで、傷の深い部分を(すみ)やかに、細やかに縫合(ほうごう)した。
 背中の傷は皮肉にも、レヴィアが施術(せじゅつ)した場所がどこよりもきれいに治り、早めに(ふさ)がっていた部分は痛々しい(あと)になって残ってしまった。
 
 抜糸も済み、アルテミシアの体調がほぼ回復するころには、北限都市トレキバにも明るい夏がやってきていた。
 約束どおり、アルテミシアはレヴィアに剣術の稽古(けいこ)をつけ始めるが、今まで見たこともなかった短剣は、構え方から馴染(なじみ)がない。
 慣れない動作にうろたえて(しお)れるレヴィアを、アルテミシアは励し続けた。
「最初からできる人間などいない」
 アルテミシアは微笑みながら、うなだれるレヴィアの頭をなでる。
「これまでのお返しにもならない」
 そしてその手を(ほほ)に下げ、指の背で、猫を可愛がるようにくすぐった。
 アルテミシアは感謝を伝えるときも励ますときも、白い指でそっとなでてくる。
 ときには「可愛いな。レヴィは」とつぶやきむっとされ、それさえ嬉しそうにしていた。
 こんなに可愛いと言われたことはない。折あるごとに、優しく触れてもらったこともない。
 ただそうされるたび、嬉しいような、悔しいような、複雑な感情がレヴィアの胸に広がった。

 レヴィアの習練に付き合い日々体を動かすうちに、アルテミシアの表情も少しずつ明るくなっていった。
 どこか儚げな笑顔を浮かべるのではなく、心からの笑顔を見せてくれる日も増えた。
「ほら!もっと踏み込め!」
 アルテミシアは重傷を負って寝込んでいたとは思えない、舞うような動きでレヴィアを翻弄(ほんろう)する。
 まるで体の一部のように扱う短剣も彼女のもので、アルテミシアは本来二刀流なのだという。
 ほんの少し目尻の上がった若草色の瞳がきらきらと輝き、本当に身の軽い猫のようだ。
「剣先だけ見るな!全体に目を配れ!」
 始めのころは、容赦なく素早いアルテミシアの剣を()けるだけで精一杯だった。
 だが懸命に剣を交える毎日に、アルテミシアの(ふところ)に入り込む場面が増えてくる。
「いいぞ!迷うな!」
 振り抜かれるレヴィアの剣を軽やかに(かわ)し下がりながら、アルテミシアは巧みにレヴィアの背後に回り込む。
 しまったと思ったときには、首筋に()の気配があった。
「…参り、ました」
 荒い息の中、レヴィアは降参を伝える。
「よい手合わせだった。レヴィは筋がいい。楽しいな!」
 アルテミシアは手放しでレヴィアを()めた。
「…たのしい?」
 息を整えながら、レヴィアは不思議そうに首を(かし)げる。
 まごつく初心者を教えるのは、面倒でしかないだろうに。
「レヴィアは飲み込みが早い。才能のある者の指導は、剣士にとって価値がある。リズィエも本当に楽しそうだ。感謝する」
 審判をしていたジーグの言葉に、レヴィアは目を(またた)かせるばかりだ。
 教えてもらっているのは自分なのに。
 感謝しこそすれ、されるなんて。
「レヴィは勘がいい。思いもしなかった剣筋でくるし、こっちも油断できない。久しぶりに本気で剣を合わせた。本当に楽しい。レヴィは良い剣士だ」
 アルテミシアは、大輪の花が開くような笑顔をレヴィアに向けた。
―楽しい―。自分と剣を合わせることが?
―楽しい―。二人と過ごす時間が。
「…楽しい…。僕も」
 レヴィアはアルテミシアから借りている短剣を握りしめる。
 そうだ。教えてもらっている間中、剣を合わせている間中、とても楽しかったんだ。
 毎日が、とても楽しい。
 戸惑うような微笑みを、レヴィアはアルテミシアに返した。
「それにしても、今日は勝てたはずだ。何に気を取られた?」
 アルテミシアは親指で自分の首を指し示す。
 確かに直前の手合わせでは振り向きざま、アルテミシアの首元に刃を向けられると思ったのだ。だが剣を向けた先には白い(ほほ)が間近にあり、とっさに腕を引いてしまった。
「顔、だったから」
「ん?…そうか、また背が伸びたのか!」
 自分の額に手をかざしながらレヴィアと見比べ、アルテミシアは目を見張る。
 小さな笑みを浮かべたジーグもうなずく。
「本当ですね。リズィエとそう変わらないようです。近々追い抜かれますね」
 二人と暮らす中でしっかりとした食事をとり、激しい鍛錬(たんれん)を毎日続けているせいだろうか。
 屋敷の者が気持ち悪がるほど、急速にレヴィアの背は伸びていた。
 服の大きさが合わなくなるたび、備品庫から使用人の作業着を持ち出していたが、頻繁(ひんぱん)だったために気づかれてしまったらしい。
 待ち構えていた家令から逃げる背中に、「手癖が悪い」と毒を吐くようにつぶやかれた。
「南方の民は背の高い者が多い。成長する時期がきたのだろうな」
 ジーグの言葉に、レヴィアは自分の手を眺めてみた。
 家庭教師から逃げ回った森で見ていた、あのときの細い手首は今や影もない。(きた)え続けている、しっかりとした腕と(こぶし)が目に入る。
 半年も経っていないのにと、自分でも信じられない思いだ。
「髪も伸びたな」
 ジーグが思案顔で(あご)に指を添える。
 手合せをするときに髪をまとめていた布を取ると、漆黒の前髪がレヴィアの顔を隠してしまった。
「うん。…切ったほうが、いいかな」
 レヴィアは前髪を指で(つま)み、上目遣(うわめづか)いで眺めた。
「整えてやりたいが、他人とともにいることに気づかれてしまうからな」
「気遣ってくれて、ありがとう」
 ジーグに小さな笑顔を返したレヴィアだが、次の瞬間、ため息をつきながら表情を消した。
「そろそろ、行くね」
 
 レヴィアは最近、家庭教師との時間を我慢して受け入れていた。
 逃げてばかりいたが、先日備品庫の入口に家令からの書き付けが貼ってあった。
「こうも不良だとお父上様に申し上げます」
 その文字は家令の心をそのまま写しているかのように筆圧も高く、黒々と記されていた。
 このままだと一度捕まったら最後、監禁されてしまうかもしれない。
 それだけは、どうしても嫌だった。

「今日は、ディアムド語なんだ」
 少しだけレヴィアの声に力が戻る。
 大陸国家間の共用語としても使われている帝国公用語のディアムド語は、外交、商売、どんな場面でも必要とされる言語だ。
 家庭教師も事あるごとに、その重要性を強調した。
 しかし、レヴィアが初めて本気でディアムド語を学びたいと思ったのは、ただアルテミシアとジーグの国の言葉を理解したいからだ。
 アルテミシアの名前を美しく呼びたいからだ。
 心持ちゆっくりと畑を後にするレヴィアを見送りながら、アルテミシアは声を落としたディアムド語でジーグに話し掛けた。
「隠し子というわりには、ディアムド語を学ばせるのね。ここのご当主は」
 そして、ずっと感じてきた疑問を口にする。
「トーラは異国の民に対して、こうまで偏狭(へんきょう)な考えを残す国なの?」
 
 レヴィアと過ごす中でわかったことがある。
 この屋敷の者共(ものども)は、レヴィアに興味がないどころではない。疎外(そがい)し、(しいた)げていると言ってよいほどの扱いをしている。

「そう、ですね」
 ジーグが(あご)を引き、厳しい表情になった。
「この国が他国と盛んに親交を持ち始めたのは、ここ十数年のことです。特に最近になって休戦が結ばれた、南西の隣国スバクルとは長年の軋轢(あつれき)があり、南方諸国に対する偏見、排斥感がいまだ根強く存在しているのでしょう。首都辺りでは、他国との交易もかなり進んだと聞きますが、ここは遠く離れた地方都市ですから」
「…そう。それにしてもご当主はなぜ、こんな冷たい境遇にレヴィアを放置しておくのかしら。教育などの体裁(ていさい)は整えているようだけれど、レヴィアはとても孤独だわ。大切にしたいのか、(ないがしろ)にしたいのか…」
「当主がどのような立場の人間なのか、わからないことには何とも。しかし、単なる偏見で済ませる範囲を超えています。この家の者たちの行為は」
 ジーグの目に静かな怒りが浮かぶ。
「この間など、うっかりぶつかった振りを装って、調理してすぐの油を浴びせていました。…あの料理人は、芒果(マンゴー)のときと同じ(やから)と推察します」
「…何ですって」
 アルテミシアの瞳も険悪に細められる。
「レヴィアは火傷(やけど)をしたでしょう?」
(かろ)うじて(かわ)していたので、肩と腕の一部に浴びただけで済みました。その後すぐに冷水を浴び、油薬を塗っていたようです。頻繁(ひんぱん)に屋敷に戻っていた時期があったでしょう。そのたび薬を塗り直し、着替えをしていたのです」
「そういえば少し前、よく洗濯をしていたわね。“転んじゃって”なんて、可愛いことを言っていたけれど…」
 アルテミシアの(まゆ)がひそめられた。
「レヴィアは何も言わないから。我慢強いのにもほどがあるわ」
「我慢、ではなく、それがレヴィアの

なのです」
 アルテミシアは痛ましげにまぶたを閉じて、ジーグの言葉を聞いている。
 そして怒りのこもった瞳を開けると、きっぱりと吐き捨てた。
「その(やから)、直接会う機会があれば、私が調理してあげるわ」
「その調理だけは、賛成です」
 間髪入れずにジーグも同意する。
 アルテミシアは厳しい顔のままうなずき、さらに尋ねた。
「レヴィアがあれほど人の手を怖がっていた原因は?やはり使用人たち?」
「いえ」
 ジーグは視線を横に流し、考え込む。
「見ている限り、さすがに使用人が、日常的にレヴィアに暴力を振るっている様子はありません。しかしあの身構えようは…」
 いったん言葉を止め、琥珀(こはく)の瞳がアルテミシアに戻る。
「レヴィアは、家令の気配のする場所に、なるべく近寄らないようにしているようです。ただ直接の現場は確認しておりません」
 腰に手を当て、アルテミシアは細く、長い息を吐き出した。
「現場さえ押さえられれば。踏み込んで斬り伏せるのに」
「あの家令は、ただの使用人ではないような気がいたします」
「ジーグがそう言うのなら、そうなんでしょう。引き続き、もう少し調べてもらえる?」
(かしこ)まりました」
 ジーグが頭を下げる。
 そのとき、強い風が吹いてきた。
 畑を囲む木々の、生い茂る葉の風鳴(かざな)りが辺りを包む。
 トーラの夏特有の乾いた風が、アルテミシアの(あか)い髪を舞い上げた。
 見上げた鮮緑(せんりょく)の瞳に空の色が溶け込む。
「夏なのに風がさらさらしている。本当に、ここはアマルドではないのね。ねえ、ジグワルド。私は生き延びたわ。でも、あまりにも多くのものを失ってしまった」
 「ジグワルド」と呼び掛けられ、ジーグは姿勢を正すと、ゆっくりと片膝をついて(こうべ)を垂れた。
「失った私が、持っていないレヴィアに命をつないでもらった。不思議な縁だわ。この縁を得て、これからどうしたらいいのかしら」
 無言で恭順(きょうじゅん)を示し続けるジーグの横で、アルテミシアはしばらく空を見上げていた。
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