竜仔(りゅうご)-2-
文字数 3,399文字
「あの、暑い?のぼせたり、した?」
「ああ、ごめん。何でもない。……大丈夫」
アルテミシアの微笑は、レヴィアが不安になるほど儚げだったけれど。
「……」
どう声をかけようかと迷ううちに、その笑顔は消えてしまった。
「サラマリス家の秘匿が多すぎるからな。その血のせいにされてしまうのは、仕方ないけれど。バシリウス、……私の父親の竜は揮発 息の量が抜きんでていた。炎嵐 竜、なんてあだ名をつけられていたよ。特殊仔の共通の特徴としては、竜になるまでの血餌 をほとんど必要としないことと、知能が高いこと。人に慣れやすいから、契約が簡単に済むこと」
「契約……?」
「竜の原種ディアムズは、最初に餌 をくれた者を親だと認識するんだ」
鳥の雛 の刷り込みのようなものだろうかと、レヴィアはうなずく。
「孵化 したら、まず竜守 と呼ばれる世話係が餌 を与えて、疑似親 になる。相棒の竜騎士を決めるのは、成体になってからだが、そのままでは竜と絆を結べない」
「竜守 の人以外には、懐かないの?」
「戦場で命を預け合うほどにはな。だから、もう一度竜を生み直すんだ」
「生み、直す……?」
「竜の記憶を白紙に戻す、とでも言えばいいか。真っ暗にした部屋で丸一日。水のみで餌 は与えない。そして、次の日の夜に騎竜 予定者が部屋に入る」
「必ず、夜?」
「竜の目にいきなり強い光が入ると、驚いて暴れることもある。空腹の竜が暴れるのだから、それはもう大惨事だ」
脅かすような顔をするアルテミシアに、レヴィアはこくこくと首を振った。
「そのときに、親の鳴きまねをしながら餌 を与えるのだけれど、それが下手だと、なかなか食べてくれない」
「鳴きまね?竜の?」
「リズィエはお上手でしたね。竜化途中の雛 を呼び寄せては遊ぶので、訓練が進まないと、竜守 が私に愚痴を言っていたものです」
厳しい目をするジーグにぺろりと舌を出すアルテミシアを眺めながら、レヴィアは首を傾ける。
(竜の鳴き声って、どんなだろう)
火を噴き、戦場で兵士たちを蹴散らすほどの生き物なのだから、さぞ迫力あるものだろう。
だが、それが”上手”なアルテミシアとは……。
「クルゥ、クルルルゥ」
まるで竪琴をつま弾くようなアルテミシアの声に、レヴィアは困惑して固まる。
「巻き舌……僕、できるかな……」
「ふふっ、なんて顔してるんだ!レヴィはその仔の竜守 にもなる。改めて契約を結ぶ必要はない」
「そう、なの?……鳴きまねがうまくいかなかった人は、どうなるの?」
「竜が拒否したら、ソイツは騎馬隊へ移動だ。その場合、候補者を変更して契約儀式を続けるのだけれど、竜への負担が大きい。いつだったか、ヘタクソのくせに『もう少し試させて下さい!』なんて粘ろうとしたバカがいて」
(え、バカ?ミーシャ、バカって言った?)
あからさまにイライラした様子で、アルテミシアはタンタン!と足を踏み鳴らしている。
「……アイツ、やっぱりぶん殴っておけばよかった」
そのしかめっ面を見れば、不穏な言葉は聞き間違いではなかったようだ。
「それでも竜仔 なら、多少ヘタクソでも受け入れてくれる。だから、騎士としての能力が高い者の場合は、優先して”サラマリス竜”と契約させてたんだ」
「リズィエ、先ほどから聞いていれば、なんというお言葉を使うのですか」
「ディアムドでは俗語なんて、きつく禁じられてたからな。ちょっと楽しくて」
「……ふぅ……」
額に「やれやれ」と書いてあるようなジーグを見て、レヴィアは思わず笑いながら、アルテミシアを見上げる。
「ミーシャの竜は、どんな仔なの?」
「実はこの仔たちが初めてなんだ。原種の竜仔 だから、赤竜ではないだろうし。……楽しみだな」
「初めてのアルテミシア竜は、トーラ初の竜にもなるわけですね」
「アーテミシア竜」
「レヴィはミーシャ竜でいいぞ」
「む……」
膨らんだレヴィアの頬を、アルテミシアが楽しそうにつついた。
「竜の秘密を共有する私の主 、レヴィア殿下。お好きに呼んでくださって結構ですよ」
「殿下はやめてって、言ったよ」
さらに口をへの字にするレヴィアに向かって、ジーグも仰々しい礼をとってみせた。
「リズィエの主 である殿下は、私の主 でもあります」
「ジーグまで。……ねえ」
(今なら教えてくれるかな)
「ジーグって、ミーシャの臣下なの?」
「リズィエ 」や「主 」と呼ぶ以上、ふたりは主従には違いないだろう。だが、時には厳しく叱りもするし、親しげに言い合いをしたりもする。
ふたりの関係は、レヴィアにはずっと不思議だった。
「の、ようなものだ。リズィエが三才のころより、サラマリスご当主から教育係、兼護衛役を仰 せつかっている。最初のうちはお守りだな」
腕を組んだジーグが遠い目になる。
「私が二十歳 のときに、祖国と一族は激しい戦に巻き込まれて、滅んでしまったんだ。途方に暮れていた私に居場所をくださったのがリズィエであり、そのときから、私の主 は、リズィエ・アルテミシアだ」
「主 だなんて、思ってもいないくせに」
「まあ、オムツも替えましたからね」
「オムツはさすがに外れてた!」
「おねしょはしていましたよ。内緒にして差し上げたでしょう?」
「……うぅ」
言い返そうとして、そのままアルテミシアは口を閉じた。
「ジグワルドと言えずに、『じーぐわーど』と呼ぶリズィエはお可愛らしかった。私が至らぬばかりに、今では
「こんなとは失礼な。大体、三つの子どもに『ジグワルド』は難しい。現にレヴィは今、『アルテミシア』が難しい。そうだ、名前は”ミーシャ”と改名しよう」
「今日は、ずいぶん意地悪だね」
「ふふふ、ごめんってば」
珍しいほどむっすりとするレヴィアをのぞき込みながら、アルテミシアは朗らかに笑う。
人の血で育てる竜。
理由もわからないまま、無残に葬られた一族の生き残り。
そんな疎 ましい背景を持つ人間だったと知って、レヴィアはどう思うだろう。
そんな不安な気持ちも、持っていたのに。
(知ってもレヴィアは変わらずにいてくれるのね。……本当に嬉しい)
可愛くすねているレヴィアの頬を、アルテミシアが指先でくすぐった。
「レヴィアの努力は知っている。短期間で、よくここまで上達した」
「……教え方が上手だから、だよ。ねえ、ミーシャ」
「ん?」
尋ねる若草色の瞳を、レヴィアはまっすぐに見つめる。
「ミーシャとジーグが大切にするものを、僕も大切にするよ。ミーシャの名前も、ちゃんと呼べるように頑張る。だから、改名はしないで」
口元を緩めたアルテミシアは何も言わぬまま、レヴィアの頬を両手でぎゅっと包み込んだ。
◇
雪の止む日も増えた、厳冬をやっと越えたころ。
「今日から温室を借りるぞ」
敷き藁 を小脇に抱えたアルテミシアが、レヴィアに宣言をした。
「鳩は、そのままでも問題ない?」
「まあ、大丈夫。……じゃないかな」
「……」
疑わし気な目をするレヴィアに、若草色の瞳がフイと横に逃げる。
「すぐには食べないだろう。……多分」
「……作業小屋を増築して、鳩舎 を作ろうかな」
「そうだな。万が一もあるからな」
「絶対、万が一?」
「ん~、千が一?」
「ほんとに?」
「百が一?」
「もー!」
「ははっ、冗談だよ。でも、保証はできないから、移動させたほうがいいな」
レヴィアが漏れ出たため息は、諦めたときのジーグとそっくりだった。
そうして久し振りに雪空が晴れ、満月が顔をのぞかせた翌日。
「小さい、ね」
ホワホワした黒い産毛に包まれている二羽の竜仔 は、両手のひらに乗ってしまいそうな大きさだ。
思わず声を潜めたレヴィアを振り返って、アルテミシアが笑う。
「前例がなかったから心配したが、無事に孵化 してよかった。かわいいなぁ。ほら、クルルルゥ」
「クるる、クる?」
覚束 ないレヴィアの鳴きまねに、片方の竜仔 が頼りない首をしきりに動かし始めた。
「クるっ!クるっ!」
「ああ、孵 ったのですね。……どうされました?」
食事を持って温室に入ってきたジーグは、四つんばいになって竜仔 を観察しているアルテミシアを見て、足を止める。
「……この仔は、今までにない竜に育つと思う。レヴィの
「声?すでに聞き分けているというのですか?」
「わからない。とにかく特別だ。楽しみだな」
目を輝かせながら、アルテミシアが体を起こした。
「ああ、ごめん。何でもない。……大丈夫」
アルテミシアの微笑は、レヴィアが不安になるほど儚げだったけれど。
「……」
どう声をかけようかと迷ううちに、その笑顔は消えてしまった。
「サラマリス家の秘匿が多すぎるからな。その血のせいにされてしまうのは、仕方ないけれど。バシリウス、……私の父親の竜は
「契約……?」
「竜の原種ディアムズは、最初に
鳥の
「
「
「戦場で命を預け合うほどにはな。だから、もう一度竜を生み直すんだ」
「生み、直す……?」
「竜の記憶を白紙に戻す、とでも言えばいいか。真っ暗にした部屋で丸一日。水のみで
「必ず、夜?」
「竜の目にいきなり強い光が入ると、驚いて暴れることもある。空腹の竜が暴れるのだから、それはもう大惨事だ」
脅かすような顔をするアルテミシアに、レヴィアはこくこくと首を振った。
「そのときに、親の鳴きまねをしながら
「鳴きまね?竜の?」
「リズィエはお上手でしたね。竜化途中の
厳しい目をするジーグにぺろりと舌を出すアルテミシアを眺めながら、レヴィアは首を傾ける。
(竜の鳴き声って、どんなだろう)
火を噴き、戦場で兵士たちを蹴散らすほどの生き物なのだから、さぞ迫力あるものだろう。
だが、それが”上手”なアルテミシアとは……。
「クルゥ、クルルルゥ」
まるで竪琴をつま弾くようなアルテミシアの声に、レヴィアは困惑して固まる。
「巻き舌……僕、できるかな……」
「ふふっ、なんて顔してるんだ!レヴィはその仔の
「そう、なの?……鳴きまねがうまくいかなかった人は、どうなるの?」
「竜が拒否したら、ソイツは騎馬隊へ移動だ。その場合、候補者を変更して契約儀式を続けるのだけれど、竜への負担が大きい。いつだったか、ヘタクソのくせに『もう少し試させて下さい!』なんて粘ろうとしたバカがいて」
(え、バカ?ミーシャ、バカって言った?)
あからさまにイライラした様子で、アルテミシアはタンタン!と足を踏み鳴らしている。
「……アイツ、やっぱりぶん殴っておけばよかった」
そのしかめっ面を見れば、不穏な言葉は聞き間違いではなかったようだ。
「それでも
「リズィエ、先ほどから聞いていれば、なんというお言葉を使うのですか」
「ディアムドでは俗語なんて、きつく禁じられてたからな。ちょっと楽しくて」
「……ふぅ……」
額に「やれやれ」と書いてあるようなジーグを見て、レヴィアは思わず笑いながら、アルテミシアを見上げる。
「ミーシャの竜は、どんな仔なの?」
「実はこの仔たちが初めてなんだ。原種の
「初めてのアルテミシア竜は、トーラ初の竜にもなるわけですね」
「アーテミシア竜」
「レヴィはミーシャ竜でいいぞ」
「む……」
膨らんだレヴィアの頬を、アルテミシアが楽しそうにつついた。
「竜の秘密を共有する私の
「殿下はやめてって、言ったよ」
さらに口をへの字にするレヴィアに向かって、ジーグも仰々しい礼をとってみせた。
「リズィエの
「ジーグまで。……ねえ」
(今なら教えてくれるかな)
「ジーグって、ミーシャの臣下なの?」
「
ふたりの関係は、レヴィアにはずっと不思議だった。
「の、ようなものだ。リズィエが三才のころより、サラマリスご当主から教育係、兼護衛役を
腕を組んだジーグが遠い目になる。
「私が
「
「まあ、オムツも替えましたからね」
「オムツはさすがに外れてた!」
「おねしょはしていましたよ。内緒にして差し上げたでしょう?」
「……うぅ」
言い返そうとして、そのままアルテミシアは口を閉じた。
「ジグワルドと言えずに、『じーぐわーど』と呼ぶリズィエはお可愛らしかった。私が至らぬばかりに、今では
こんな
ですが」「こんなとは失礼な。大体、三つの子どもに『ジグワルド』は難しい。現にレヴィは今、『アルテミシア』が難しい。そうだ、名前は”ミーシャ”と改名しよう」
「今日は、ずいぶん意地悪だね」
「ふふふ、ごめんってば」
珍しいほどむっすりとするレヴィアをのぞき込みながら、アルテミシアは朗らかに笑う。
人の血で育てる竜。
理由もわからないまま、無残に葬られた一族の生き残り。
そんな
そんな不安な気持ちも、持っていたのに。
(知ってもレヴィアは変わらずにいてくれるのね。……本当に嬉しい)
可愛くすねているレヴィアの頬を、アルテミシアが指先でくすぐった。
「レヴィアの努力は知っている。短期間で、よくここまで上達した」
「……教え方が上手だから、だよ。ねえ、ミーシャ」
「ん?」
尋ねる若草色の瞳を、レヴィアはまっすぐに見つめる。
「ミーシャとジーグが大切にするものを、僕も大切にするよ。ミーシャの名前も、ちゃんと呼べるように頑張る。だから、改名はしないで」
口元を緩めたアルテミシアは何も言わぬまま、レヴィアの頬を両手でぎゅっと包み込んだ。
◇
雪の止む日も増えた、厳冬をやっと越えたころ。
「今日から温室を借りるぞ」
敷き
「鳩は、そのままでも問題ない?」
「まあ、大丈夫。……じゃないかな」
「……」
疑わし気な目をするレヴィアに、若草色の瞳がフイと横に逃げる。
「すぐには食べないだろう。……多分」
「……作業小屋を増築して、
「そうだな。万が一もあるからな」
「絶対、万が一?」
「ん~、千が一?」
「ほんとに?」
「百が一?」
「もー!」
「ははっ、冗談だよ。でも、保証はできないから、移動させたほうがいいな」
レヴィアが漏れ出たため息は、諦めたときのジーグとそっくりだった。
そうして久し振りに雪空が晴れ、満月が顔をのぞかせた翌日。
「小さい、ね」
ホワホワした黒い産毛に包まれている二羽の
思わず声を潜めたレヴィアを振り返って、アルテミシアが笑う。
「前例がなかったから心配したが、無事に
「クるる、クる?」
「クるっ!クるっ!」
「ああ、
食事を持って温室に入ってきたジーグは、四つんばいになって
「……この仔は、今までにない竜に育つと思う。レヴィの
声
に応えている。鳴き方はヘタ、いやいや、不慣れなのに」「声?すでに聞き分けているというのですか?」
「わからない。とにかく特別だ。楽しみだな」
目を輝かせながら、アルテミシアが体を起こした。