父と子-1-

文字数 5,275文字

 思い切り涙を流した次の日から、レヴィアはさまざまなことをふたりから教わり始めた。
 
 語学を始め、学業はジーグが。
 

の武器と見事な体術はアルテミシアが。
 
 家庭教師対策としては、(むせ)る作用を持つ薬茶を調合して、服用することになった。
「ゲホっ、ケホケホ、コンコンコンコンっ」
「まあ、いやだっ」
 会話も困難なほど咳き込むレヴィアを一目見るなり、教師たちは(きびす)を返していく。
「小汚いガキだから、妙な病気にもなるんだろう」
 使用人たちも、レヴィアの姿を目にすることすら嫌がる態度を、隠しもしなくなった。
 
「家庭教師が、ね。全員、しばらく暇をもらいたいって」
「やったじゃないか!ジーグ、今日はゴチソウだな!」
「かしこまりました。レヴィア、父親に連絡を取れ」
「うん」
「鳩を飛ばすんだよな」
 ワクワクした顔で、アルテミシアはレヴィアをのぞき込む。
「一緒に行ってもいいか?」
「あの、ミーシャ、あのね。……飛ばすところは、誰にも、見られちゃダメって」
「父親から、そう言われているのか?」
 確認するようなジーグに、レヴィアはうつむき気味にうなずく。
「ごめんね、ミーシャ」
「いや、約束は守らないとな。気にしないでくれ。大人しく留守番をしているよ」
「……では、その間に、私は市場に行ってまいります。リズィエ・アルテミシア」
 硬いジーグの声にうなずいて、アルテミシアが、(あか)い巻き髪をかき上げる。
「ああ、わかってる。……苦手なんだけどなぁ」
「なにが?」
「留守番」
 きょとんとするレヴィアに、アルテミシアはにぃっと笑ってみせた。

 作業机に並ぶ豪華な料理に、レヴィアは目を白黒させている。
「ほら、もっと食べないと。また背が伸びたろう」
 魚の燻製(くんせい)。鳥の香草焼き。
 アルテミシアは取り分けた料理を、レヴィアの皿に盛り上げた。
 師匠ふたりの下でしっかりとした食事をとり、毎日体を動かしているからだろうか。
 最近のレヴィアは、着ているものがすぐにきつくなるほどの成長を見せている。
「南方の民は、背の高い者が多いからな」
「そう、なの?」
「私が出会った商人で……」
 もう、いつ屋敷の者が小屋周辺に探りに来るかと、警戒する必要もない。
 ジーグが訪れた外国の話に目を丸くしながら、レヴィアは心から「楽しい」一夜を満喫した。
 

 それからは、初めて尽くしの毎日だった。
 心弾むということ。安らぐということ。愉快だということ。
 レヴィアの調理を手伝おうとしたアルテミシアが、ジーグからきつく叱られたり、その仕返しにジーグの料理にだけ、激辛のトウガラシが仕込まれていたり。
 レヴィアはふたりの師匠から存分に学び、世話をやかれ、厳しくも幸せな時間を過ごしていった。

 珍しく、レヴィアがふたりよりも早く寝入ってしまったある夜。
「”本当に、お前は底が知れないわね”」
 ジーグの()れた薬茶を飲みながら、アルテミシアはディアムド語で嘆息した。
「”眠り草の使い方を知っていたのね?”」
「”さあ、なんのことでしょう”」
「”(うそぶ)くのはおやめなさい。日頃の恩返しだなんて言って”」
「”疲れていたのですよ。今日はずいぶん、しごかれたようですから”」
「”だって、上達が早いのだもの。楽しくて”」
「”楽しくて、へとへとにさせたのですか”」
 くすくす笑うアルテミシアに呆れ顔を見せたジーグが、一口茶をすすった。
「”リズィエ、もう一度確認いたしますが”」
「”何度聞かれても同じよ。鳩を飛ばすところは見ていないの。……まかれてしまったから”」
 ジーグはあごに指を添えて、長いため息を吐き出す。
「”リズィエの追尾は、そこそこだと思うのですが”」
「”お前、絶対ほめてはいないでしょう”」
「”ほめる腕ではないですからね。……尾行に気づかれたのですか?”」
「”それはないと思うわ。まるで、巣を隠す獣のようだった。あの(あざむ)き方を教えたのは誰なのかしら。それも園丁?だとしたら、只者ではないわよ”」
「”なるほど。私がつかんだ情報も、あながち空言(そらごと)ではないかもしれません”」
 茶碗を作業机に置いたジーグの笑顔は、なかなかに不穏なものだった。


 そして、鳩を飛ばしてから三月(みつき)あまりののち。
 トレキバは、降り積もる雪が春まで解けずに街を覆いつくす、根雪の季節を迎えていた。

「お父上様が、明日いらっしゃいます」
 顔を見せに寄った屋敷で冷たい声に振り返れば、縄と大きな(はさみ)を手にした家令だ。
「そ、そう。わかり、ました。ケホ!ケホケホっ」
「あ、待て!おい、誰か!!」
 身をひるがえしたレヴィアを追いながら、家令が大声を出す。
「捕まえろっ」
 追ってくる複数の足音が、レヴィアの背後に迫ってきた。
「こらあ!この混じり者っ」
「あのガキ、森のほうへ行ったぞ」
「もうすぐ吹雪くってのに。凍死でもするんじゃねぇか」
「まだ病気も治ってねぇんだろ?死なれるのはまずいな。仕事がなくなっちまう」
「ガキの監視込みの給金だからなぁ」
「だが、この天気だぞ。死んでもしかたなくねぇか?」
 強まってきた雪に、使用人たちは深追いを諦めたらしい。
 下卑た(わら)い声が遠ざかっていったが、それでも気配がなくなったことを充分確認してから、レヴィアは小屋へと向かった。

 震えながら入ってきたレヴィアのために、暖炉に(まき)を足しながらジーグが振り返った。
「明日来る?……それは、ずいぶんと急だな」
「いつも、突然なんだ」
「突然なはずがない。また意地悪されて」 
 アルテミシアは椅子(いす)に掛かっていたレヴィアの毛布を手に取ると、冷え切ったその肩にそっと羽織らせた。
「だが、こんな扱いも、もうおしまいだ。教えたことは覚え込んだな」
 伸びてしまったレヴィアの前髪をかき分けて、アルテミシアは間近でその瞳を見つめる。
「でも、ちょっと怖い、んだ」
 
 父親の訪問はいつも極短時間。
 会話などはなく、一方的に話を聞くだけの関係でしかない。

「”大丈夫。貴方(あなた)はどこから見ても立派だわ。教養もある。作法も完璧。優れた医薬術を持ち、人を救うことができる。第一、誰の弟子だと思っているの?”」
 目を伏せるレヴィアに、アルテミシアがディアムド語で話しかけた。
「”ディアムド語は、まだ完璧ではないけれど”」
「”生粋(きっすい)のディアムド生まれの者でなければ、わからない程度だ。リズィエの名前を正しく呼べないくらいだろう、お前が困っているのは”」
 なお不安そうなレヴィアの背中を、(まき)をくべ終えたジーグがぽんと叩く。
「”ごめんなさい。いつか必ず、正しくアーテミィシアと呼ぶから”」
「”ええ、楽しみにしている。でも、貴方(あなた)からミーシャと呼ばれるのは、とても好ましいわ。貴方(あなた)だけの、愛くるしい呼び方だから”」
 申し訳なさそうな顔をしているレヴィアにアルテミシアは優しく微笑み、その頬から手を離した。
 
 ふたりからさまざまな手ほどきを受けるなかで、なぜジーグがディアムド語を担当するのかを、レヴィアはすぐに理解した。
 アルテミシアは、初心者には言い回しと発音がより複雑な、宮廷言葉も使うのだ。

「え、今、なんて言ったの?」
 聞き取れずに首を傾げるレヴィアに、アルテミシアの口角が上がる。
「”卑俗な愚民らの指南など、とく忘れておしまいなさい。気に病む価値もない”」
「……えっと?」
「バカどもの教えたことなんか、さっさと忘れろ。クソの役にも立たないぞ」
「リズィエっ」
「えと、さっきのディアムド語は、そういう、意味?」
「おおよそな」
「ディアムド語だと、そんなに難しい言い方、なの?」
 目を白黒させているレヴィアに、ジーグがため息をつきつつ、首を横に振った。
「”くだらない人間の教えには、価値などない”」
 レヴィアにもわかる言葉で、ゆっくりと。
 ジーグが話すディアムド語は、とても理解しやすい。
「俗な言葉のほうが的確じゃないか。まったく貴族連中ときたら」
「……リズィエ」
「もう関係ないだろう」
 ゾクリとするほどの冷笑だったが、それでもアルテミシアはキレイで。
 レヴィアはしばらく、その横顔から目を離すことができなかった。

 新調したトーラ伝統衣装を取り出したジーグは、レヴィアの肩に当てて、なんどもうなずく。
「少し大きめの仕立てかと思ったが、ぴったりだな」
 レヴィアのふくらはぎまで(おお)長衣(ながごろも)は、上質な白銀(しろがね)色の布地が使われていた。
 綾織(あやおり)の地を生かしただけの一見簡素な意匠が、左胸に刺繍(ししゅう)された金糸(きんし)(たか)を引き立てている。
 その下に着用する黒の下穿(したば)きは、見事な光沢を放つ繻子織(しゅすおり)製だ。
「良く似合っている。……さてレヴィア、こっちの椅子(いす)に座れ」
 アルテミシアに衣装を渡したジーグが、道具箱から(はさみ)を取り出し、手招く。
「お前が孤独だった時間を、きれいさっぱり断ち切ろう」
 そう言うと、顔を隠すほど伸びてしまったレヴィアの黒髪を、ジーグは器用に整えていった。
 
 前髪が邪魔をしていた景色が解放されていく。
 耳や襟足(えりあし)に外気を感じる。
 それは、もう何年も忘れていた感覚だった。

「いい男っぷりだ」
「もう、

レヴィアでは、なくなってしまったんだな」
 立ち上がらせてみれば、レヴィアはいつの間にか、凛とした少年へと変貌を遂げている。
 満足そうにしているジーグの隣で、アルテミシアはほんの少し、寂しそうな笑顔を見せた。


  人影のない早朝のトレキバの街を、頑丈で簡素な仕立ての馬車が走り抜けていく。
 派手な車輪の音に驚いた住人が窓を開けるころには、馬車はとっくに郊外へと消えていた。

 前日の大雪など嘘だったかのように、屋敷周りは整然と雪かきがなされている。
 馬車がその外門前に止まるのと時を同じくして、屋敷の玄関扉が開け放たれた。
「お帰りなさいませ」
 使用人たちを従えた家令が、馬車から降りてきた男性に深々と頭を下げる。
「「おかえりなさいませ」」
 声をそろえる使用人たちにちらりと目をやった男性は、小雪舞うなか、颯爽とした足取りで屋敷への小道を歩く。
 淡やかな粉雪が、黒の軍服を着た男性の金髪に降りかかっては、溶け消えていった。
「本日のご用向きは?いらっしゃってからお伝えくださるとお手紙にありましたが」
「レヴィアに呼ばれた」
 家令には目もくれず、使用人たちの前を素通りしたその人は、屋敷の奥へと入っていく。
「レヴィア……様……、にですか」
 言葉を詰まらせる家令の背後で、使用人たちもウロウロと視線を交し合った。
 玄関広間を見渡した男性が、家令を勢いよく振り返る。
「息子を呼べ。どこにいる。なぜ出迎えの中にいない」
 (たか)が彫られた金の留め具が胸元で光り、膝下まで(おお)う黒の肩羽織(かたはおり)(ひるがえ)った。
「その……」
「……」
 青磁(せいじ)を彷彿とさせる瞳の男性が、眼光も鋭く家令を見据える。
「お帰りなさい、父上」
「!」
 家令から目を離し、階上を振り仰いだ男性が大きく目を見開いた。
 その視線の先で、声をかけた正装姿の少年がゆっくりと階段を下り始める。
 
 白銀の(すそ)を軽やかにさばく、黒の下穿(したばき)をはいた長い足。
 短く整えた前髪が掛かる、秀でた額。
 緊張気味の、しかし、思慮深そうな大きな黒い瞳。
 
 レヴィアは急速に伸びた体をぴんと伸ばして、堂々と父親の元へと向かった。
「誰なの、あれは」
「まさか、混じり者?」
 使用人たちの小声に、広間の空気がざわつく。
「あの、カーフ様」
 使用人から声をかけられても、男性とレヴィアを凝視している家令は微動だにしない。

 レヴィアは父親の前で姿勢を正すと、トーラ正式の礼をとって軽く頭を下げた。
「お忙しいなか、お呼び立てをして、申し訳ありませんでした」
「構わない。それで?折入って願い出たいこととは何か」
 瞬きもしないような父親を見上げ、レヴィアは鳩尾(みぞおち)に力を入れる。
『今の家庭教師を、すべて辞めさせていただきたいのです』
 流暢なディアムド語に、青磁(せいじ)色の目が細められた。
『それは何故(なにゆえ)か』
 父親からディアムド語で返されたレヴィアは、通じていたことに、まずほっとする。
『私は師と仰ぐ方に出会いました。このディアムド語も、その方からご教授いただいたものです。ディアムド語だけではなく、スバクル語も不自由しない程度に会得しております』
『スバクル領主国は重要な隣国だ。頼もしいことではあるが……、アガラム語はどうか』
「”……アガラム語は、すでに母から伝えられておりますゆえ”」
 柔らかなレヴィアのアガラム語を聞くと、父親の口元が緩んだ。
 思ってもみなかったその表情に、レヴィアの目が丸くなる。
『ほかには何を』
 だが、一瞬で真顔に戻った父親は、さらにディアムド語で尋ねた。
『家庭教師に習っていたものは、作法を始めほとんど。両手剣、弓、そのほかの剣武術も、稽古(けいこ)をつけてもらっています』
『そうか……。以前、辞めさせた教師は向いていないと言っていたが、今の師は何と言っている』
『筋が良いと』
 答えるレヴィアには何のためらいもない。
 アルテミシアとジーグにお墨付きをもらっているのだから。
『その腕前、見せてもらおうか。よし、屋敷広間に移動しよう』
 父親は力強くディアムド語で宣言すると、レヴィアの返事も待たずに歩き出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み