父と子-1-

エピソード文字数 3,976文字

 次の日から、レヴィアはさまざまなことを二人から教わった。
 語学を始め学業はジーグが。接近戦用の武器と見事な体術はアルテミシアが。
 筋力がついてきたころを見計らい、ジーグによる両手剣の稽古(けいこ)も始められた。
 レヴィアは短い時間咳き込む作用を持つ薬茶を調合し、教師が来るたびにそれを飲んだ。
 教師たちは話もできないほど咳をするレヴィアを嫌がり、治まるまでは近寄りたくもないという通告を寄越してきた。
 使用人たちも、レヴィアの姿を目にすることすら忌み嫌う態度を隠しもしなくなった。
 清々するくらい屋敷の者たちから嫌悪されたレヴィアは、奥庭の小屋で充実した日々を過ごし、そしてその(かん)に伝書鳩を飛ばした。

 唐突(とうとつ)に父の来訪を家令から告げられたのは、鳩を飛ばしてから三月(みつき)あまりののち。
 トレキバの街に、雪が積もり始める頃だった。
 告げた家令の手には縄と大きな(はさみ)があり、それに気づくやいなや、レヴィアは(きた)えた俊敏さを発揮して森へと逃げた。
 折からの雪で、捕獲を命じられた使用人も深追いをしてはこなかったが、レヴィアは気配がなくなったことを充分確認してから小屋に向かった。

「明日来る?…それは随分(ずいぶん)と急だな」
 震えながら入ってきたレヴィアのために、暖炉に(まき)を足しながらジーグは振り返る。
「いつも、突然なんだ」
「突然なはずがない。また意地悪されて」 
 アルテミシアは椅子(いす)に掛かっていたレヴィアの毛布を手に取ると、冷え切ったその肩にそっと羽織らせた。
「だがこんな扱いも、もうお終いだ。教えたことは覚え込んだな」
 アルテミシアは腕を伸ばし、伸びてしまったレヴィアの前髪をかき分ける。
 そしてその黒い瞳を強く見つめながら優しい手つきでなで下ろし、冷たい(ほほ)を柔らかく包みこんだ。
 その温かさは、レヴィアの凍えた体の芯まで(ほぐ)してくれた。
「でも、ちょっと怖い」
 レヴィアの目が伏せられる。
 父親の訪問はいつも極短時間。会話などはなく、一方的に話を聞くだけの関係だ。
 ジーグとアルテミシアから伝授された、「家庭教師すべての解任を納得させる方法」では、父親と正面から向き合わねばならない。
 細い声で訴えるレヴィアに、アルテミシアがディアムド語で話し掛けた。
「大丈夫。貴方(あなた)はどこから見ても立派だわ。教養もある。作法も完璧。優れた医薬術を持ち、人を救うことができる。第一、誰の弟子だと思っているの?」
「ディアムド語は、まだ完璧ではないけれど」
 アルテミシアと同じ言葉で返しながら、レヴィアはなお不安そうだ。
 (まき)を足し終わったジーグが、レヴィアの背中を励ますようにぽん、と叩いた。
生粋(きっすい)のディアムド生まれの者でなければ、わからない程度だ。リズィエの名前を正しく呼べないくらいだろう、お前が困っているのは」
「ごめんなさい。いつか必ず、正しくアーテミィシアと呼ぶから」
「ええ、楽しみにしている。でも貴方(あなた)からミーシャと呼ばれるのはとても好ましいわ。貴方(あなた)だけの、愛くるしい呼び方だから」
 申し訳なさそうな顔をしているレヴィアにアルテミシアは優しく微笑み、その(ほほ)から手を外した。
 
 二人から様々な手ほどきを受ける中、なぜジーグがディアムド語を担当するのかをレヴィアはすぐに理解した。
 アルテミシアは、初心者には言い回しと発音がより複雑な宮廷言葉も使う。
 ディアムド語を話すアルテミシアは、トーラ語を話しているときとは、まとう雰囲気も違って見えるほどなのだ。

「早めに正装を用意しておいてよかった」
 父親が来る日のために新調したトーラ伝統衣装をジーグは手に取り、レヴィアの肩に当てると満足そうにうなずいた。
 ふくらはぎまで(おお)長衣(ながごろも)は、上質な白銀(しろがね)色の布地で作られている。その左胸には、金糸を用いて刺繍(ししゅう)された(たか)が描かれていた。
 その下に着用する黒の下穿(したば)きは、見事な光沢を放つ繻子織(しゅすおり)製だ。
 それらを丁寧に服掛けに()るし、ジーグは道具箱から(はさみ)を取り出した。そして毛布を取って自分の前の椅子(いす)に座るよう、ジーグはレヴィアを手招く。
「さて、最後の仕上げをするか。お前が独りでいた時間を絶ち切ろう」
 長く伸びてしまった黒髪が、ジーグの器用な手によって短く整えられていった。
 前髪で(さえぎ)られていた景色が解放されていく。襟足(えりあし)に感じる空気は妙に冷たい。
 ジーグはレヴィアを立ち上らせ、自分のほうを向かせると力強い微笑みを見せた。
「いい男っぷりだ」
 長い髪に隠されていた大きな黒い瞳が、暖炉の揺らめく炎を映している。
 レヴィアはいつの間にか、凛とした上品さを持つ少年になっていた。
「もう“小さくて可愛いレヴィア”ではなくなってしまったな」
 少し寂しそうに笑いながら、アルテミシアがレヴィアを見上げた。

 翌朝。前夜降り続いた大雪にも関わらず、街から屋敷まで続く道はきちんと除雪がなされていた。
 同じように雪かきされた屋敷前に、大層立派な仕立の馬車が停まった。
 玄関前に列をなした使用人たちが一斉(いっせい)に礼を取る。
「お帰りなさいませ」
 使用人を従えた家令が深々と頭を下げた。 
 御者(ぎょしゃ)が扉を開けると背が高く、立派な体つきをした男性が降り立った。
 左胸にトーラ国章の(たか)を金糸であしらった、黒の軍服に身を包んでいる。
 小雪舞うなか、男性は颯爽とした足取りで屋敷に向かって歩いた。
「本日のご用向きは?いらっしゃってからお伝え下さるとお手紙にありましたが」
 固い声で家令は尋ねる。
「レヴィアに呼ばれた」
 家令には目もくれず、使用人たちの前を素通りして、その人は屋敷の奥へと入っていく。
 使用人たちは互いに狼狽(ろうばい)した視線を交し合った。
「レヴィア…様…、にですか」
 家令は言葉を詰まらせ、顔を隠すように再び頭を下げた。
 静かな(たたず)まいだが風格に満ちた男性が、家令を勢いよく振り返る。(たか)が彫られた金の留め具が胸元で光り、膝下(ひざした)まで(おお)う黒の肩羽織(かたはおり)(ひるがえ)った。
「息子を呼べ。どこにいる。なぜ出迎えの中にいない」
 豊かな金髪と、青磁(せいじ)彷彿(ほうふつ)とさせる色の瞳を持つその人は眼光も鋭く、家令の言葉を待っている。
「その…」
 頭を下げ続けながら、家令は言葉を濁した。
 そのとき。
「お帰りなさい、父上」
 今日ばかりは屋敷にある自分の部屋で待機していたレヴィアが、玄関広間の中央にある階段の上から声を掛けた。
 見上げた浅い青緑色の瞳が、少し驚いたように見張られる。
 そして階段をゆっくりと降りてくる、トーラ正装の長衣(ながごろも)を着た我が子を微動だにせず見つめた。 
 黒の下穿(したば)きをはいた長い脚が、白銀の(すそ)を軽やかにさばく。
 短く整えた前髪が掛かる秀でた額。
 緊張気味の、しかし思慮深そうな大きな黒い瞳。
 レヴィアは急速に伸びた体をぴんと伸ばし、堂々とした態度で父親のもとへと向かった。
 家令を始め、使用人たちは唖然とするばかりだ。
 姿勢を正して父親の前に立つ正装したレヴィアは、立派であると認めざるを得なかった。
 レヴィアはトーラ正式の礼をとり、頭を軽く下げる。
「お忙しい中、お呼び立てをして申し訳ありませんでした」
「構わない。それで?折入って願い出たいこととは何か」
 父親がレヴィアを凝視する。
 レヴィアは鳩尾(みぞおち)に力を入れると、ディアムド語で話し始めた。
「今雇っている家庭教師を、すべて辞めさせていただきたいのです」
 息子の流暢(りゅうちょう)なディアムド語にわずかに目を細め、父親もディアムド語で返す。
「それは何故(なにゆえ)か」
「私は師と仰ぐ方に出会いました。このディアムド語も、その方からご教授頂きました。ディアムド語だけではなくスバクル語も、不自由しない程度に会得しております」
 休戦を結んでいる隣国の名を聞き、父親は何かを考える様子で(あご)を下げる。
「アガラム語もか」
 父親の問いかけに、レヴィアは一瞬口を閉ざした。
 だが、もの言いたげな父親の目をしばらく見つめたのち、意を決してアガラム語で返答する。
「アガラム語は、すでに母から伝えられておりますゆえ」
 レヴィアの柔らかいアガラム語に、ふっと父親の顔が緩んだ。
 (いか)めしい人が浮かべた微笑(びしょう)を、レヴィアはもちろん、玄関広間にいる者たち全員、ひとり残らず驚いて見つめた。
 この人のこれほど優しい表情を見たことがある者は、誰もこの場にはいなかったのだ。
 すぐに真顔に戻った父親が、さらにディアムド語で尋ねる。
「他には何を教わっている」
「家庭教師に習っていたものは、作法始めほとんど。両手剣、弓、その他の剣武術も、稽古(けいこ)をつけてもらっています」
「そうか」
 父親はうなずくと、張り詰めた様子の黒い瞳を見返した。
「お前と手合せしたことはなかったな。以前辞めさせた教師は向いていないと言っていたが、今の師は何と言っている」
「筋が良いと」
 ためらいなくレヴィアは答える。
 アルテミシアとジーグにお墨付きをもらっている。臆することは何もなかった。
「よし、広間に移動しよう」
 父親は力強くディアムド語で宣言すると、レヴィアの返事も待たずに歩き出した。
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