最後の戦い -2-
文字数 3,123文字
カーフレイが事前に調べ尽くした経路は、トーラ王国側の警備の隙 を上手く突いたものだった。
ほどなくたどり着いた本陣前に、剣を手にしたイグナル一団が躍り込む。
「覚悟!」
「敵襲!!」
「イグナル様っ、今のうちに!」
護衛兵士たちと斬り結び合う側近が主 を促し、まなざしで了解を伝えたイグナルは、本陣天幕内へと突入した。
「トーラ王子!首はもらっ……?!」
「宣戦布告の審議以来だな、レゲシュ公」
「……ジャジカ・ユドゥズ。なぜトーラ側の……」
イグナルの目が憎々しげに細くなる。
(いや、こういう奴だったな)
この男が最後まで反対したから。
今回の紛争を、スバクル領主国とトーラ王国の国家戦争にできなかった。
先の政争の際、カーヤイ家とサイレル家の追放に、最後まで抵抗したのもこの男である。
おもむろにジャジカが構えた剣の柄には、柄杓 星が光り、カササギが舞っていた。
その家紋を目にした瞬間。
イグナルは唸 る狼のように、歯をむき出しにする。
そして、電光石火イグナルがジャジカに襲いかかり、スバクル領主ふたりの剣が、火花を散らした。
「イグナル、なぜ戦を望む!同朋の命を犠牲にしてまで、何を得ようというのかっ」
「同朋だとっ?!」
牙を立てるように剣を振るいながら、イグナルが吠える。
「そんな者はこの国にはいない!捨て駒一族を利用して、成上った輩 ばかりではないかっ!この国の領主家はっ」
イグナルの剣は怨念がこもるように重く、受けるジャジカの額に汗が浮かんだ。
「そんな国が、故郷であるものか!」
狼が彫られた剣がジャジカの腕を切り裂き、血飛沫 が舞う。
「捨て駒の、一族?イグナル、お前は……」
”「冷徹の鷹”を追い詰めたのは、我が一族の働きがあってこそ。なのに、お前たちは!」
柄に彫られた雛菊 をくわえる狼が、剣を落としたジャジカに狙いを定めた。
「汚れ仕事を受ける一族など下劣だと、家を構えることを許さなかった。蝙蝠 は鳥にも獣にもなれないのだと、嘲笑 った!」
「お前は、何者だ……?」
「私はイグナル・アヴール!!」
ガキィィン!
「なっ……?!」
どこに隠れていたのか、いきなり飛び出してきた男が、ジャジカに振り下ろされたイグナルの剣を弾く。
「……エンデリ・オウザイ」
エンデリの背後で、傷ついたジャジカを支える白髪の男が、静かに口を開いた。
「なれないのではありません。ならないのです。そして、時にはどちらにもなれるのです。蝙蝠 には、蝙蝠 にしか飛べない空がある」
「そんなものはない!この国では、家紋を持たぬ一族はっ、人としてすら扱われぬっ」
イグナルの攻撃をエンデリが受け止め、斬り返していく。
「くっ」
エンデリの攻めに身を翻 したイグナルが、その動きを阻むために、机や椅子 を蹴り飛ばしていく。
「おお?!……おいおい、ずいぶんと暴れてんなぁ」
軽い声とともに天幕に入ってきた男を一目見て、イグナルの目に苛立ちと怒りが燃え上がった。
「カーヤイの疾風っ」
「レゲシュ公、いや、アヴールなんだっけか。百の顏を持つアヴール、か。お見事の一言だよ」
目をぎらつかせているイグナルを前に、ラシオンはふざけているように笑う。
「いつの間にレゲシュ家に入り込んだのよ。誰も疑わないなんて、ホント凄腕だな。そんだけの技を持ってんなら、さっさとこんな国、捨てればよかったじゃねぇか」
「そうさせなかったのはカーヤイ、お前たちだろう!!」
イグナルは唇を戦慄 かせて怒鳴った。
「家を構えることを禁じられ、我が一族はスバクルを捨てる決断をした。だが、その矢先だ。何人かのアヴールを言いくるめて他国へ送り出し、国を捨てれば、相手に売ってやると脅してきたのはカーヤイ、お前の宗主一派だ!」
「ああ、なるほどね。確かに、やりそうな人だったよな。俺の部隊も俺の姉も、サクッと切り捨ててくれたし」
憎しみを滾 らせるイグナルに、ラシオンには憐みとも悲しみともつかぬ表情が浮かぶ。
「そういやさ、昨日、イェルマズの義兄 さんに会ったぜ。捕虜の中にいたわ。姉と一緒に家を捨てる覚悟をしたけど、兄弟人質に取られてダメだったって。土下座して泣いていたよ。……ひとりくらい、いなくなってもよかったろ」
「馬鹿なことを。ひとり許せば離反者が続く。動かす駒が減る」
辛うじて聞き取れるほど低く、潰れた嘲笑だった。
「妹は感染阻止を理由に帰国も許されなかった。身を尽くした故郷からも、愛人とした者からも見捨てられ、あの娘は死んでいったのだっ」
剣を構えたイグナルが走り出す。
「なぜ、なぜこんな扱いを受けねばならぬっ。お前たちにとって、我らは同じ人間ではないのか!」
ラシオンが素早く腰の剣を抜き、軽々とイグナルの剣を受けた。
「国などあるからだ!家などあるからだ!無くなればいい、すべて!」
「そりゃっ、壮大なっ、仕返しっ、だな!」
幾度 か斬り結び、素早く体を屈 めたラシオンは襲い来る剣をかわして、イグナルの下腹部に蹴りを入れる。
「ぐおっ」
「どーよ、お嬢とリズ姐直伝の蹴り」
スライが投げて寄越した縄を受け取って、ラシオンは膝をついたイグナルを素早く縛り上げた。
「確かに、うちの宗主はろくでなしだったと思うよ。レゲシュ家に陥 れられる寸前に、俺たちを生贄 にして、逃げ切ろうとした人だ。あんたらもつらい目を見たんだろうさ」
ラシオンがしゃがみ込んで、血走ったイグナルと目を合わせる。
「でもな、あんた個人の恨みで、国中の者を道連れにする権利はねぇだろ」
ラシオンとイグナルのまなざしが、静かに火花を散らし合った。
「気持ちはわからなくもねぇ。俺も一時 、この国を見限ったからな」
「……お前は、なぜ戻った」
憎しみの炎が消えない瞳で、イグナルはラシオンをにらみ続ける。
「いやさ、ヴァーリ王とテムラン大公が、ふたりして珍しい薔薇 をくれるって言うんだよ。……姉の墓に植えてやれって」
ラシオンは寂しそうに笑いながら立ち上がった。
「ちゃんと世話しないと、鷹と虎がお怒りだろ?薔薇 二本のせいでスバクルが焦土と化しても、寝覚めが悪いからさ。……そうそう、おかしいんだよ、スライ」
首を傾けたスライに、ラシオンが片目をつぶってみせる。
「よくよく聞いてみると、どうも同じ薔薇 の話をしてるらしいんだ。妃殿下が育てて、トーラに持ってきた品種だって」
「……さようでございますか」
時が刻まれたスライの目元が、柔らかく緩んだ。
「鷹も虎も”これほど美しい薔薇はないのだ”って自慢してんだよ。あのふたり、なんだかんだで気が合ってんだな」
「どちらも国の中枢にいながら、国境を軽々と越えていく翼をお持ちですから」
「あのふたりが話してるの聞いてると、いつも肝が冷えるけど?いつ、トーラ・アガラム戦争になるかって」
「余興ですよ。おふたりとも、あれほど、ずけずけ言い合えるお相手がほかにいらっしゃらないので、楽しんでおられます」
「まったく似た者同士なんだな」
「ええ」
「そのふたりの血を引くレヴィアは、あんなに温厚なのになぁ」
「リーラ様に、瓜二つでござますから」
「へぇ?妃殿下は、そんなにお淑 やかな姫だったんだ?」
「いえ……。それはもう、とんでもないお転婆でいらっしゃいました」
白い眉を下げたスライを見て、ラシオンの肩が揺れる。
「ははは!やっぱりレヴィアはヴァーリ王の息子だな。惚 れる女の好みが同じ、」
「ぎゃー!」
「なん、だ、このバケモノっ」
空気が緩んだ天幕に、外からの悲鳴が飛び込んできた。
悲鳴はやがて絶叫に変わり、そして、味方の鬨 の声がそれらを凌駕していく。
「王子の鉄槌 が下ったかな。……やっと、すべての片が付きそうだ」
ラシオンのつぶやきに喜びはなく、ただ虚無感に満たされたものだった。
ほどなくたどり着いた本陣前に、剣を手にしたイグナル一団が躍り込む。
「覚悟!」
「敵襲!!」
「イグナル様っ、今のうちに!」
護衛兵士たちと斬り結び合う側近が
「トーラ王子!首はもらっ……?!」
「宣戦布告の審議以来だな、レゲシュ公」
「……ジャジカ・ユドゥズ。なぜトーラ側の……」
イグナルの目が憎々しげに細くなる。
(いや、こういう奴だったな)
この男が最後まで反対したから。
今回の紛争を、スバクル領主国とトーラ王国の国家戦争にできなかった。
先の政争の際、カーヤイ家とサイレル家の追放に、最後まで抵抗したのもこの男である。
おもむろにジャジカが構えた剣の柄には、
その家紋を目にした瞬間。
イグナルは
そして、電光石火イグナルがジャジカに襲いかかり、スバクル領主ふたりの剣が、火花を散らした。
「イグナル、なぜ戦を望む!同朋の命を犠牲にしてまで、何を得ようというのかっ」
「同朋だとっ?!」
牙を立てるように剣を振るいながら、イグナルが吠える。
「そんな者はこの国にはいない!捨て駒一族を利用して、成上った
イグナルの剣は怨念がこもるように重く、受けるジャジカの額に汗が浮かんだ。
「そんな国が、故郷であるものか!」
狼が彫られた剣がジャジカの腕を切り裂き、
「捨て駒の、一族?イグナル、お前は……」
”「冷徹の鷹”を追い詰めたのは、我が一族の働きがあってこそ。なのに、お前たちは!」
柄に彫られた
「汚れ仕事を受ける一族など下劣だと、家を構えることを許さなかった。
「お前は、何者だ……?」
「私はイグナル・アヴール!!」
ガキィィン!
「なっ……?!」
どこに隠れていたのか、いきなり飛び出してきた男が、ジャジカに振り下ろされたイグナルの剣を弾く。
「……エンデリ・オウザイ」
エンデリの背後で、傷ついたジャジカを支える白髪の男が、静かに口を開いた。
「なれないのではありません。ならないのです。そして、時にはどちらにもなれるのです。
「そんなものはない!この国では、家紋を持たぬ一族はっ、人としてすら扱われぬっ」
イグナルの攻撃をエンデリが受け止め、斬り返していく。
「くっ」
エンデリの攻めに身を
「おお?!……おいおい、ずいぶんと暴れてんなぁ」
軽い声とともに天幕に入ってきた男を一目見て、イグナルの目に苛立ちと怒りが燃え上がった。
「カーヤイの疾風っ」
「レゲシュ公、いや、アヴールなんだっけか。百の顏を持つアヴール、か。お見事の一言だよ」
目をぎらつかせているイグナルを前に、ラシオンはふざけているように笑う。
「いつの間にレゲシュ家に入り込んだのよ。誰も疑わないなんて、ホント凄腕だな。そんだけの技を持ってんなら、さっさとこんな国、捨てればよかったじゃねぇか」
「そうさせなかったのはカーヤイ、お前たちだろう!!」
イグナルは唇を
「家を構えることを禁じられ、我が一族はスバクルを捨てる決断をした。だが、その矢先だ。何人かのアヴールを言いくるめて他国へ送り出し、国を捨てれば、相手に売ってやると脅してきたのはカーヤイ、お前の宗主一派だ!」
「ああ、なるほどね。確かに、やりそうな人だったよな。俺の部隊も俺の姉も、サクッと切り捨ててくれたし」
憎しみを
「そういやさ、昨日、イェルマズの
「馬鹿なことを。ひとり許せば離反者が続く。動かす駒が減る」
辛うじて聞き取れるほど低く、潰れた嘲笑だった。
「妹は感染阻止を理由に帰国も許されなかった。身を尽くした故郷からも、愛人とした者からも見捨てられ、あの娘は死んでいったのだっ」
剣を構えたイグナルが走り出す。
「なぜ、なぜこんな扱いを受けねばならぬっ。お前たちにとって、我らは同じ人間ではないのか!」
ラシオンが素早く腰の剣を抜き、軽々とイグナルの剣を受けた。
「国などあるからだ!家などあるからだ!無くなればいい、すべて!」
「そりゃっ、壮大なっ、仕返しっ、だな!」
「ぐおっ」
「どーよ、お嬢とリズ姐直伝の蹴り」
スライが投げて寄越した縄を受け取って、ラシオンは膝をついたイグナルを素早く縛り上げた。
「確かに、うちの宗主はろくでなしだったと思うよ。レゲシュ家に
ラシオンがしゃがみ込んで、血走ったイグナルと目を合わせる。
「でもな、あんた個人の恨みで、国中の者を道連れにする権利はねぇだろ」
ラシオンとイグナルのまなざしが、静かに火花を散らし合った。
「気持ちはわからなくもねぇ。俺も
「……お前は、なぜ戻った」
憎しみの炎が消えない瞳で、イグナルはラシオンをにらみ続ける。
「いやさ、ヴァーリ王とテムラン大公が、ふたりして珍しい
ラシオンは寂しそうに笑いながら立ち上がった。
「ちゃんと世話しないと、鷹と虎がお怒りだろ?
首を傾けたスライに、ラシオンが片目をつぶってみせる。
「よくよく聞いてみると、どうも同じ
「……さようでございますか」
時が刻まれたスライの目元が、柔らかく緩んだ。
「鷹も虎も”これほど美しい薔薇はないのだ”って自慢してんだよ。あのふたり、なんだかんだで気が合ってんだな」
「どちらも国の中枢にいながら、国境を軽々と越えていく翼をお持ちですから」
「あのふたりが話してるの聞いてると、いつも肝が冷えるけど?いつ、トーラ・アガラム戦争になるかって」
「余興ですよ。おふたりとも、あれほど、ずけずけ言い合えるお相手がほかにいらっしゃらないので、楽しんでおられます」
「まったく似た者同士なんだな」
「ええ」
「そのふたりの血を引くレヴィアは、あんなに温厚なのになぁ」
「リーラ様に、瓜二つでござますから」
「へぇ?妃殿下は、そんなにお
「いえ……。それはもう、とんでもないお転婆でいらっしゃいました」
白い眉を下げたスライを見て、ラシオンの肩が揺れる。
「ははは!やっぱりレヴィアはヴァーリ王の息子だな。
「ぎゃー!」
「なん、だ、このバケモノっ」
空気が緩んだ天幕に、外からの悲鳴が飛び込んできた。
悲鳴はやがて絶叫に変わり、そして、味方の
「王子の
ラシオンのつぶやきに喜びはなく、ただ虚無感に満たされたものだった。