それぞれの決断 

文字数 2,893文字

 トーラ陣営後方。
 厩舎(きゅうしゃ)の裏に(しつら)えられた竜舎で、メイリは懸命にスィーニをなだめていた。
「クるっ!クるっ!グゥゥゥゥっ!」
「どうしたの?どこか痛いの?」
 様子を見ようとしたメイリの手を(くちばし)で強く弾き、スィーニは柱に固定されている手綱(たづな)を何度も強く引っ張る。
 護衛兵たちはその迫力にたじろぎ、入口でただ顔を見合わせるばかりだ。
「やはりケモノだな」
「恐ろしい……」
「クるる、クるるるゥー!」
 メイリを寄せ付けようともせずに、スィーニは切なげな鳴き声を何度も上げる。
「……レヴィア様?」

――竜の耳は、人の何倍もの聴力を持つんだぞ――

 あまりに必死なその姿に、メイリはアルテミシアの言葉を思い出して、耳をそばだてた。
「レヴィア様が呼んでいるの?何か聞こえるの?」
「クるるるるるるウウウウっ!」
 スィーニは答えるように鳴き続けている。
「そうなのね……」
 唇を引き結んでひとつうなずくと、メイリは手綱(たづな)を固定している鎖に手をかけた。
「メイリ殿?!」
「何を?!」
 入口で固まっていた護衛兵たちが、慌てて駆け込んでくる。
「殿下のご許可もなく!」
「たかだか馬方ごときが」
「いや、馬じゃないぞ」
「そんなことはどうでもいいだろ!とにかく、勝手なことをするんじゃないっ」
 屈強な兵士がふたり掛りでメイリを押さえつけ、その腕を力任せにつかみ上げた。
「責任は私が取ります!何かあって、死ねというなら死にます!スィーニがこんなに飛びたがってる。理由は必ずある!」
「暴れるな!黙って外に出ろっ」
「グルゥ」
 強引にメイリを竜舎から連れ出そうとする護衛兵に向かって、スィーニの(のど)から威嚇(いかく)音が漏れる。
「ダメ!ダメよ、スィーニ!」
 強く首を横に振るメイリを見て、スィーニは兵士を(かじ)ろうとした(くちばし)を不承不承閉じた。
「僕が許そう」
「クローヴァ殿下っ」
 突然、気配もなく竜舎に入ってきた声に、護衛兵士の手がメイリから離れていく。
竜主(りゅうしゅ)はトーラにとって重要な職だ。誰にでも務まるものではない。(ないがし)ろに扱うことは感心しない」
 真顔の王子を前に、護衛兵がそろって膝をついてうなだれた。
「今の見た?美しくも猛々しいこの竜が、メイリの一声で、君たちに危害を加えるのをやめたんだ。恐ろしくなどない。行かせてやろう」
 メイリの隣に立ったクローヴァが、(こうべ)を垂れる護衛兵の肩に軽く手を置く。
「メイリ、スィーニ。レヴィアが呼ぶのだろう?僕の弟を助けてやって」
 我に返ったメイリがその手綱(たづな)を解放したとたん、青竜は先導も待たずに竜舎を走り出て、平原へと飛び去っていった。
「何かが、起きてるんだな……。斥候(せっこう)兵を出す用意を!ダヴィドに出るように伝えろ」
「かしこまりました!」
「それから……」
 次々と指示を与えているクローヴァのあとを、護衛兵が追っていく。
「ありがとうございました」
 メイリの声は、クローヴァには届かなかったかもしれない。
 それでもその姿が見えなくなるまで、メイリは頭を下げ続けた。


 首筋はジンジンと痛み、頭はくらんで吐き気がする。
「切り立った崖だ!」
 ラシオンの声には焦りがにじんでいた。
「やるべきことを」
 ジーグの声は冷静を装っている。

(馬鹿っ、馬鹿ミーシャ!)

 ラシオンに支えられながら、レヴィアはよろりと立ち上がった。
「大丈夫か?」
 心配そうにのぞき込んでくるラシオンを、レヴィアはにらむように見上げる。
「ここ、任せていい?」
「うん?」
「任せたよ」
 ひとつ大きく息を吸ったレヴィアはラシオンを押しのけると、脇目も振らずに走り出した。
 
 剣を抜き去り、レヴィアは指笛を吹く。
 そして、走る。まだ走る。

 トーラ陣営まではかなりの距離があるから、届かないかもしれない。届かないだろう。
 だが、何かせずにはいられない。

 ひた走るレヴィアを、いつの間にかガラの悪い集団が取り囲んでいた。
「行かせるかよぉっ」
「おい、このツラ、こいつ賞金首じゃねぇか?」
「ああ?トーラの王子ってのが、こんなとこにいっかよ」
「いや、あのネズミ野郎が見せた似せ絵は、ぜってぇコイツだ」
「まじかよ!!」
 下卑た笑いを浮かべる男たちは、明らかに正規のレゲシュ兵ではない。
 レゲシュ陣営が傭兵(ようへい)を雇いでもしたのだろう。
 屈強な荒くれどもの一群に立ち塞がれても、レヴィアに恐怖はなかった。
「どいてっ」
 レヴィアの両手剣が(ひるがえ)り、襲い掛かってきた傭兵(ようへい)のひとりが、(うめ)きながら膝をついた。
「こんのヤロウっ、……がはっ」
「どけ!邪魔をするな!!」
 またひとり、傭兵(ようへい)がレヴィアの前に倒れていく。
「こ、いつ、ヒョロッちぃくせに」
「……やべえ」
 (ほむら)を帯びるような漆黒のまなざしに、にらみ合う烏合(うごう)の衆がたじろぐ。
「んだよ、話がちげぇじゃねぇかっ」
「ただのガキなんかじゃねぇぞ、こいつ!」
「おめーらがクソなんだよ、ぎゃああああっ」
 無謀にも挑みかかった別の破落戸(ごろつき)風情が、褐色の王子の剣にいとも容易(たやす)く斬り倒された。
 一歩、二歩と。
 傭兵(ようへい)たちが、思わずといった様子で後ずさっていく。
 
 レヴィアが戦い、走り抜ける平原には、繰り返し繰り返しスィーニを呼ぶ指笛が響いていた。


 手のひらが粘つく。
 毒竜の粘液でだろうか。
 自分と斑竜(まだらりゅう)の血でだろうか。
 その手で何度も何度も、たるんでいる首をなでる。
『ねえさま』
 耳元で聞こえたのは、毒竜の鳴き声ではない。
 記憶にあるままの、可愛いラキスの声だ。
『ぼくね、竜になっちゃったんだ。食べられちゃったから』
『ん。つらかったね。助けてあげられなくて、ごめんね』
 涙声で謝りながら、アルテミシアは羽もまばらな額に口付けをする。
 アルテミシアが顔を上げると、粘液が透明な糸となって、毒竜の額とアルテミシアの唇を結んでいた。
『いっつもディデにいが、ねえさまをひとりじめしちゃうじゃない?もっと一緒にあそびたいのに』
 毒竜の短い(くちばし)が、アルテミシアの髪をくわえて軽く引っ張る。
『我慢してくれて、ありがとう。向こうでフェティも待っているわね。一緒に遊びましょう』
 吸い込まれるように落下しながら、アルテミシアは毒竜の首を力いっぱい抱きしめた。
『やくそくだよ?』
 アルテミシアの額に擦り付けられていた毒竜の頭が、ふと上げられる。
『だれか、来たね……。そっか、ねえさまには、帰るところあるんだね……』
 毒竜が(くちばし)でアルテミシアの襟首(えりくび)をくわえたかと思うと、ぶん!と思い切り首を振った。
『フェティと向こうで待ってる。だいすき!ねえさま!ねえええさああまああ!』
 (くちばし)をいっぱいに開いて、雛鳥(ひなどり)が崖底へと吸い込まれていく。
 空高く放り投げられたアルテミシアは、雛鳥(ひなどり)に向けて手を伸ばした。
『……ラキス……』
 
 アルテミシアの手は、もう弟に届くことはない。
 泣きたくても、叫びたくても。
 そんな力は残されていなかった。
 
 弟の魂へと伸ばした指先から、涙の代わりに血が一滴(ひとしずく)、空に散っていく。
 意識が薄れ、目にしている景色が(ゆが)みぼやけ、狭まっていった。
 遠く聞こえた竜の声は別れの挨拶か。
 それとも、ただの幻聴だろうか。

(……きれい……)

 まぶたを閉じる間際にアルテミシアが見た空の色は、あの美しい青竜の羽の色だった。
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